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少女は初め、その事実をうまく理解できないようだった。しかし、この年にしては何度も死というものに触れてきたこともあり、次第に彼女は自分を取り囲む者たちによって、唯一の庇護者を失ってしまったということを理解する。それでも彼女はただじっとソファに座ったまま、玲奈たちを見つめ続けた。それはまるで、諦念の境地に達した死刑囚のような目だった。
玲奈は少女を優しく立ち上がらせ、そのまま自分たちの基地へ連れて行き、可能な限りのもてなしを行った。それは、彼女の唯一の保護者を、正当防衛とはいえ、この手で殺害してしまったことへの贖罪の意識が働いていたからなのかもしれない。
その後も玲奈たちのチームはその後も数日にわたって仙台の探索を続けたが、その間、少女は与えられた食事は摂るものの、一言も言葉を発することはなかった。その段階になってようやく、コミュニティの面々は、少女が意固地になって喋らないのではなく、何かわけがあって喋ることができないことに気が付いた。生まれつきなのか、放射能による被害なのか、それとも近しい人間を正当防衛とはいえ無残に殺されたことによる精神的なショックが原因なのか。理由が何なのかはわからなかったものの、その事実は、少女の今後を考えるにあたって大きく不利に働いてしまった。
その当時はまだコミュニティ勃興期であり、少女のような生存に適していない存在を受け入れるだけの余力はなかった。そのため、コミュニティメンバーは彼女を連れていくか、置いていくか、連れて行くとしたら誰が面倒を見るのか、議論が交わされた。そして、その時、悠然と身元引受を名乗り出た人物が、玲奈だった。
彼女は少女の引き取りに消極的なメンバーを説き伏せ、自分が一切の面倒を見ると主張した。コミュニティの中で一定程度以上の発言力を有していたこともあり、彼女の主張を他のメンバに押し通すことに成功した。また、彼女が女性であるということも主張が受け入れられた要因だった。引き取りに名乗り出た人物が成人男性であるならば、彼女のような幼子を預けることにはやはり無意識的な抵抗が生じる。その当時はまだ、男性女性共に生殖機能を失い、性欲そのものがなくなってしまったことについて、誰もが認識していながら、明示的なコンセンサスは摂れていなかった。だからこそ、女性であれば安心だろうと彼らは考えたのだ。
もちろん、常識から考えて、その結論は妥当だったと言える。玲奈が自身の性癖等についてカミングアウトしたことはなかったし、なおかつ、多様性が重んじられていた時代を経験した上でも、彼女が同性愛者で、なおかつ小児性愛者であるなど、誰が想像できただろうか。