9.武士の嗜み
武士の嗜み
「聞いたか、観月会の話を?」
「ああ、奥が申しておった。しかし誠か?」
「どうも合点がいかない、刀は差してはならぬ、代わりに筆を持て。しかも大小の二本とは?」
「立会いでもするのか」
「筆を使ってか、はははっ、まさか……」
城下の筆がことごとく売れたことを石坂はのちに知る。
さて、刀の代わりに筆を持って参内した藩士は、石坂が弾いたおよそ50の人数だった。彼らはこれといって身の振り方もなさそうな者たちばかりだった。彼らは置き去りにされる、この筆は辞世の句でも書かせるつもりではないかなど口々に話していた。石坂が大広間に集まった藩士たちの前に現れた。
「おう、皆元気そうじゃないか」
気さくに話しかけられて、拍子抜けした藩士たちはしばらく言葉もない。
「石坂殿、今宵の観月の会は、何のお戯れでござるか。皆、戸惑っております……」
そう言って口火を切ったのは首藤という名の藩士だった。
「おや、首藤殿は月はお嫌いでしたかな。歌詠みではいつも秀句を拝聴しておりましたが?」
「いや、それは……」
「はっはっは。いや、これは失礼しました。なに、他意はござらん、心中穏やかならんときこそ、月を愛でることに意味があると思いましてな」
「むう……」
「それに、このままだとわたしの算盤が合わないもので……」
「石坂殿の算盤……」
「さよう、中津藩士全ての身を立てることじゃ」
一同は顔を上げ、石坂を見つめた。真剣なまなざしの初老の藩士が吐き捨てるように呟いた。
「そんなことができるものはとっくに片付いておる。ここにいるのは役立たずの奴ばかりではないか」
「役立たず」その言葉には流石に一同は「むっ」とした。
「まあまあ、もう少し石坂殿の話を聞こうではないか」
そういうのは、石坂の旧知の男「吉岡」だった。
「この太平の続く世でも、まだ少しは刀が必要だろう。こののち、戦がないとは誰も言い切れまい。だが皆が皆、武に長けているわけではあるまい。戦乱でも太平の世でも、腹は減る。生きて行くには飯を食わねばならない。どう死ぬかではない、どう生きるかが肝要だ、次第に「サムライ」は変わりつつある。よいか、われらは変わらねばならないのだ」
「どう変われというのだ、この筆を代わりに振り回せとでもいうのか?」
「首藤殿か、さよう、その筆を使ってみないかと言うことだ」
「坊主になれと?」
「流石は首藤殿、坊主もそのひとつ……」
「殺生を生業にしておるわしらが、今さら坊主になど、なれそうもないが……」
「坊主だけではない、皆にはそれぞれ生き続けるために、刀以上の武器を持っている。それを上手く使い、生計を立ててみようとは思わぬか?」
「刀以上の武器、それは文道のことでしょうか?」
「ご察しの通り、文道、芸道、およそ刀以外の武士の嗜みというやつになりますかな、首藤殿」
「なんと、武士の嗜みが暮しの糧となる……」
そう言われてみれば、今宵集まったものは、刀より文道に長けているものも多くあった。それで生計を立てていけると言われたら、発奮しないはずはない。それに石坂の言う通り、今後刀を使った大きな戦があるようには到底思えなかった。石坂のひとつの予測は後の「明治維新」という日本を二分する戦いが起こったことにより、外れてしまう。しかしもうひとつの予想、「文道」が藩士の生計を立てるだろう、という予想はやがて見事に的中したのである。満月の下大広間の石坂は藩士たちにもう一度言った。
「さあ、その大小を使い、我等は生計を立てようぞ!」