7.町火消し
左衛門は中津藩に残す者たちの暮らし向きをいつも考えていた。そのため、他藩の事情をよく知る、野辺は何かと役に立っていた。彼は他藩の状況を左衛門に色々と報告していた。その中でも左衛門が特に興味を持ったのが各藩の「町火消し」についてだった。
当時の火消し隊、町火消しについて興味深い考察がある。
「火消し」には、藩士の屋敷の防火を役目とする「大名、または侍火消し」と町人達のための「町火消し」の二つがあった。当時は一旦「出火」すれば「類焼」を防ぐために付近の住宅を壊すのが主で、消防用の「龍吐水」(りゅうとすい)という「放水ポンプ」は役にも立たない。とにかく周りの家、屋敷に駆け上がり、火の粉を払ったり燃えやすいものを取り除くのだ。火事の日に大風が吹くと、煙に巻かれて命を落とす者も珍しくなかった。その役目は主に「鳶」を生業にするものが多かったという。また江戸では各藩の石高に応じた「火消し」の人員」が割り当てられていた。それが「大名火消し」である。
左衛門は野辺の話を聞き、新八郎達の進言を加えこの中津に新たな「火消し隊」を作ろうとしたのである。もちろん、この地に残されることになろう「扶持米のない藩士」たちのためである。しかし、この「火消し」にも問題があった。城下の火事はそっちのけで、喧嘩や盗みをする者も多くあり、「火盗改」と言うその蛮行を見張る役目まであった。
「今のところ、町の荒くれたちと新八郎は、うまくやってはいるが、他の藩士とはどうだろうか?」
「カーン、カーン、カーン……」
また半鐘がなる、このところ目立って増えた。冬が近づき、日暮れが早くなり、煮炊きが増え始める。それに連れて火事も増え始めていた。それに「火事場泥棒」の噂も聞く。それよりも奇妙なのは、屋敷から焼け出された藩士に名を問う娘がいるということだ。その娘は「青紫の頭巾」を被り、こう尋ねるそうだ。
「松沢藩にゆかりのある方では、ございませんか?」
「その娘は、決まって火事場に現れる。火でも付けているのではないかと番所の奴も捜しているってこった。きっと、娘にはもっと深い訳があるのだろう」
井岡がそう「娘」の噂を締めくくった。久し振りに、左衛門は井岡の釣りに付き合っていた。急ごしらえの竹竿を器用に動かし、先刻の「魚信」のあった場所に仕掛けを落とした。
「なるほど、うまいもんだ」
「師匠がいいからな、はははは」
半刻もすると、釣果は十分になった。竿を収める手元を止め井岡は左衛門を見上げて、笑った。
「寄っていけ、話があるのだろう?」
「ああ、すまん」
「何、おまえのおかげで今夜は時間が余ったからな」
「そうか、それは良かった」
井岡の屋敷は変わらずきちんと掃除されていた。酒も肴も同じだったが、奥方と子供の姿が見えなかった。
「父殿の元へ里帰りさせたのさ、ついでに金の無心も頼んだ。情けないことだ……」
しばらくは無言で酒を酌み交わし、城での話を石坂は井岡に話した。
「そうか、備蓄米まで引き出させたか。流石だ、他の奴とは出来が違う」
「まだ、やらねばならないことがある。井岡、実は頼みがある」
「なんだ、改まって言うようなことか?」
「実は、内職をしている者の事だが……」
その夜、井岡は石坂の計画を初めて聞いた。
「石坂、お前、正気か? 藩士を、いや侍を捨てろと言うのか!」