6.扶持米
家老の横には、勘定方が控えていた。新しく勘定方として加わったのは、先日中津に入った「いんぎん」な例の男「榊原知高」だ。彼は石坂の頭に入っている数字をいちいち説明しながら、使い込んだ算盤をはじいた。左衛門は「その先の話し」にきたのに、だ。彼が今日参内した目的は事を上手く運ぶためだ。ようやく榊原の算盤の玉が止まった。勘定は変わりようがない、藩士の3分の1は扶持米が与えられないという答えになった。
(やれやれ、今まで算盤すらはじいておらぬとは、なんという事だ)
その様子から、まだそこまでの算段はされていないことを彼は感じ取った。
(よし、間に合ったわい、さてこれからが、本題だ)
左衛門の頭の中の算盤が、動き始めた。
「榊原どの、それでは藩士の扶持米を3分の2にしてはどうでしょうか」
「何を申される、藩士がそれで食えると思われるのか、石坂どの」
「足らずは、内職ですかな。勘定方」
「内職、内職と申されたのか、内職なぞ城下の藩士に出来ようか」
「やれやれ、城下知らずの勘定方だ。今や内職をしていない藩士など、どれほどおりますやら」
少しムッとして、榊原は彼の意見を否定した。不穏な空気が流れるのを嫌い、家老が二人の話に入ってきた。
「のう、石坂。たとえ扶持米を減らしたとしても、全ての藩士を連れて行く事はできまい」
石坂は家老の言葉に扶持米を「減らしてもかまわぬ」という答えを得た。
(よし、次だ)
左衛門は話題を変えた。
「榊原どの、安志藩には新しい寺など建っておりますかな」
「そんなもの、わしは知らん」
「火事などよく起こりますかな」
「ますます、もって何が言いたいのじゃ石坂どの」
「いえ、藩の備蓄米の事です。中津と違い、安志では備蓄米も少なくて済むかと思いましてな」
「なるほど新藩での寺普請用の備蓄米の件、今一度吟味してみよ、よいか榊原」
「ははっ、早速」
そう言うと勘定方は奥に消えた。左衛門はようやく笑みを浮かべた。
「これで少なくとも300人分は扶持米がもらえる。もう一仕事だ」
老中は、榊原が消えると彼に親しげに声をかけた。
「石坂よ、備蓄米の件、お主のことだ前もって算盤をはじいていたのであろうな」
「入らずば、遣わず。これも兵法でございます、ご家老」
「平時の兵法か、さすが皆の信頼を得ているおまえらしい」
「いえ、まだまだこれからでございます……」
左衛門は城から出るとゆっくり周囲を見渡した。
簡素な城、滅多に参内もない。石坂は心のどこかで思った。
「何度も生命のやり取りを続け、生き延びたものと土塊に変わったもの。乗る船、担ぐ神輿を選ぶことのできなかったサムライの何と多かったことだろう。こんなことがこれからも続くのか……」
しかし今は、中津に残る藩士のことを考えなければならない。石坂は中津にまとまった数の藩士たちを残そうとしていた。内職もできぬものは、減った扶持米では暮らせそうもないのだ。
「藩士を皆連れて行く事が叶わぬなら、せめてそのものの暮らし向きを立ててやらねばならぬ……」
希薄な主従のつながり、藩士たちはそれでも「扶持米」それに頼るしかない。江戸中期、自立していく藩士たちはまだまだ少なかった。
堀端の柳が葉を落とし始める頃になって、中津の城下に次のきっかけが起こった。