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鉄筆2  作者: 黒瀬新吉
10/10

10.歌読み

10.歌詠み


「今宵の観月の会は、小笠原藩士の行く末を照らしてくれている、煌々(こうこう)とな。どうだ、ひとつ今の思いをこの短冊に記しておかぬか」

石坂は用意していた短冊の束をふさといち乃に運ばせた。もちろん、秀句が生まれるとは彼は思っていない。ただ、彼が小笠原の藩士たちのことを、生涯忘れないためのものだった。


「そうだ、この観月の会が始まりの夜であることを、皆肝に命じようではござらんか。残り僅かの中津での暮らし、存分にこの大小を振るい日々鍛錬しようぞ」

「石坂殿の言われた事に間違いなどなかろう。わしらもまた、中津の藩士である。遅れをとるなよ」

「実際、戦があるとはわしも思わない。きっとサムライの時代は終わる、しかしわしらは生き延びねばならない。生きることが戦そのものだな」

「うまいことを言うものだな、首藤殿」

「そうか、これも月の効果かな?」

「早速、秀句が生まれそうだな」

「名月や、生きることが戦そのもの」

「何とそれでは、そのままではないか。そうだな、名月は迷う月としたらどうだろう」

「それがいい、生きるは暮らしと詠んでもいいぞ」

「そのものよりは、ここは似たりだなぁ」


「迷い月、かわしかわされ、暮らしに似たり」

「いや、それでは字足らずじゃないか」

口々に言葉が飛び交う。以前中津の藩が藩主の乱行で、お取り潰しにされそうなことがあった。その時の藩士たちも一同が集まり忌憚のない意見を述べたと言う。今宵の観月の会もここから何かが始まるかもしれない。少なくとも彼らは、サムライが刀を振り回す時代もやがて消えて行くことと、それでも生き延びることが大切なことを肝に命じたのに違いない。石坂はそう思うと少し涙ぐんだ。

「父上」

新八郎がそばに立った。


「わしもこんなことぐらいで彼らの暮らしが立つとは思っていない。だがな、新八郎これで良いのじゃ。玉鋼(たまはがね)でできた刀は岩でさえ真っ二つに割ることができるという。そんな武士を目指して何になる、新八郎、所詮刀は人斬り道具だ。振るえば必ず恨みをうむ。それにひきかえ(くろがね)はどうだ、百姓が岩に当ててもほんの少し欠ける程度だ、刀の様に折れはせぬ。しかも打ち込むほどに米を菜をそして大根を生む。中津には土地がない、もし広大な土地があればそこで皆を百姓にすることまで、わしは考えておったんだぞ新八郎」

「何と、そこまでのお考えがありましたか」


「だが、百姓は止めた。既に先人がいるからな、相手は自然、それに刀だけでは将来役に立つまい」

「そのために今夜筆を持たせてみたとおっしゃるのですね」

「そうだ、これから必ず文道が役に立つ。書付や算盤、それに書や詩もサムライや商家だけのものではない。百姓はもちろん全ての民は文道が必要となるだろう」


「おいおい、石坂。 話はそれくらいにして、奥方もいち乃殿もほれ」

振り返ると宴の準備ができた二人が廊下に見えた。

「おう、待たせたな。皆に老中様からの心付けだ、酔いつぶれたものはこの場で眠れ。あの月が薄れるまで帰宅は許さんぞ」

「承知した、小笠原藩士の飲みっぷりを石坂殿に見せてやろう」

「お前、下戸(げこ)ではなかったのか」

「ただ酒は飲める」

あちこちで笑い声が上がった。藩士の中には茶さえ飲めない者もいる事を石坂は知っていた。


「観月の会か、いいではないか。今まで皆には苦労をかけている、そうだこれを皆に飲ませてやってくれ。もし足らねば次の藩主、奥平殿につけておけ」

そう言って老中は石坂にその酒を届けさせたのである。(さかな)は播州明石の「橘屋」から取り寄せていた。娘いち乃のために金造が選りすぐったものである。その夜を境に石坂の屋敷はまるで藩校のようになった。そして数日後にあの「中津の大火」が起きたのである。

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