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鉄筆2  作者: 黒瀬新吉
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1.国替え

九州豊前中津の藩士石坂氏の歴史を追った時代小説。

今回は中津から播州への国替えが決まり、大規模な藩士のリストラを命じられた石坂左衛門とその家族達を描いた時代小説です。


前作はこちら http://ncode.syosetu.com/n8012dd/

 九州豊前、中津藩は黒田孝高に始まる黒田家、続いて細川忠興から始まる細川家が封ぜられていた。細川忠利が肥後熊本藩に移封され、それに変わっって中津藩を任されたのが、播州明石藩から藩士、縁者を率いてきた「小笠原忠信」であった。寛永九年というから一六三二年の事だ。明石から移ってきた藩士の中に石坂氏の祖がいた。それから今日までの八十四年。藩主も代が変わり、石高も変わりはしたが石坂氏は、小笠原家藩士の中で家老にこそなれなかったが、皆に一目置かれる存在だった。


享保元年、中津は揺れていた。五代藩主の急逝により、とうとう「国替え」が決まった。加増ならば良い、だがこの度の国替え先「播州安志藩」はわずかに一万石。当然ながら藩士の全てを養うことはできない。

「しかし、ここまで減封された以上、藩士を全て安志藩へ連れて行くわけにもいくまい……」

城下の藩士達はやがて来るだろう、試練に備えてそれぞれ緊張した日々を過ごしていた。


「代官様がお呼びでございます」

思った通り、石坂に呼び出しがあった。しかしさすがに今回は気が重い、城内に入ると石坂は暫く隣の部屋で待たされた。

「どうぞ」

案内された部屋には家老の他に勘定方もいた。初めて見かける代官は江戸からよこされたのだろう。


「石坂様ですな、この度の国替えの申し合わせに参った。榊原知高(ともたか)と申します」

「小笠原家藩士、石坂左衛門と申します」

役付でもない一藩士を家老が参内させたことに、少しムッとした彼は事務的にこう伝えた。

「年が明け、享保二年(一七一七年)に奥平昌成様が中津に入られます。申し合わせは、粛々とお願い申し上げます。また我が殿よりこの度は藩士達のこと、心苦しく思っておるが、何卒よしなにとのことでございます」

儀礼の言葉を受け取って、無役の男は少し冷めた笑みを浮かべた。


石坂左衛門は中津の藩士として武芸に秀でていただけでなく、藩士からの信頼も厚かった。それまで代官の話を聞いていた小笠原家の家老は、左衛門にこの度は大幅な人減らしをせねばならないことを伝えた。


「一万石は、一万石。思案しても米一粒も増えはせんだろう、思案するなら他のところだ」

左衛門は城外に出ると、堀を泳ぐ鴨を見た。懸命に水面下では水を掻きながらも、何食わぬ顔で泳いでいる。しかし注意して見れば、ちらりちらりと左衛門の様子を常に意識している。そういえば、誰かが似たようなことを書いていたことを左衛門は思いつつ、城下を歩き続けた。


「何を思案しておる、しわが眉間に集まっておるぞ。左衛門殿、はははっ」

しだれ柳の向こうの人影が動いた。石坂にそう呼びかけたのは、既知の友人「井岡周八」だ。

「周八か、左衛門殿などと呼ぶな、わしの背中がかゆいわ」

「はははっ、わしとて国替えは死活問題。おぬしにうまく取り入ろうと思ってな」

周八はそう言って、釣り竿を納めた。


「ところで、実際どのくらいの藩士を養える。一万石に減るのだろう?」

単刀直入に周八は左衛門に問うた。つい左衛門は答えてしまった。

「いいところ、藩士達の三分の一程度になるかな?」

左衛門はすでに石高から、藩士への扶持米(ふちまい)の算盤をとっくにはじき終えていた。

「で、どうする三分の二の食い扶持は」

「三分の二……」

「とぼけるな、おぬしのこと、悩んでいるのはその三分の二の身の振り方だろう」

さすがに周八は彼のことを良く知っていた。しかし、まだ答えは見つからない、左衛門は話題を変えた。

「お前のように逞しい奴ばかりならいいのだがな」

「ああ、このことか」

竿を見上げ、周八が笑った。


「今戻った、こいつを『あて』にしてくれ」

周八の屋敷は堀から少し離れたところにある、彼の妻がいつものように陽気にビクと竿を受け取り奥に消えた。背中には赤子がくくりつけられていた。既におしろいはつけてはいなかった。

「戦のない世の中になって、要らぬのは侍ばかりだな、周八」

「ああ、そうだな。それでも刀を手放さない、怖いのさ」

「怖い?」

「ああ、藩士はやはりその骨の髄まで藩士だ。傘はり、手習い、修繕。内職はしても刀を手放さない、釣り竿を持つ俺でもほれ、大小は持ち歩いている」


ほどなく、濁った酒とフナが運ばれてきた。粗末ではあるがそれでもうまそうに二人はつついた。

「あのう、井岡がつまらことを申しましたら、お気に留められませぬように」

周八の奥方は左衛門にそう言って頭を下げた。奥方の祝言の夜は明け方まで宴が開かれていたのが遠い昔のことのように彼には思えた。彼の妻と周八の奥方はともに明石の商家の娘だった。またともに貧乏暮らしだった、しかしこれまたともに明るく働き者でもあった。


「難儀だが、なんとかせねばならぬ。さて……」

井岡の屋敷から遠ざかるにつれ、足もとの道にはいっそう凸凹が目立ち始めた。ようやく左衛門の屋敷が近づくのが知れた。

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