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ブラック・エクレール  作者: 松谷セイ
プロローグ
9/34

monk-06「虐殺⑥」

「そんな可哀想なことはできません」

 僕は続けた。

「だって当たり前じゃないですか。彼女は、少なくとも本当の彼女は、悪くないんです。その子は病院に入れてあげるべきです。そして、治療によって彼女の心の中に居る悪者のみを浄化するべきです」

 それが、この質問にまで行き着いた上での、僕の結論だった。つまり、少女は殺さない。僕は彼女を救うのだ。

 僕の答えを聞くと、セイラさんはいつになく穏やかな表情になって――女神像のような慈しみを湛えた微笑だった。いつも明るい顔をしている女性だけど、こんな見る者を安心させる優しい表情もできるのだと少しドキリとした。或いは、この顔こそ、彼女の本質の発露に最も近い、自然なあり方なのかもしれないとさえ、少し思った――深く頷いてくれた。

 その頷き方は、まるで自分自身を納得させるような、内面に向けられたもののように僕には感じられた。

「じゃあ、最後の質問をしよう。まあ、最後と言っても、最初の質問に戻るだけなんだけどね。ザイアくん、魔王討伐についてどう思う?」


「ああ、その、ずっと気になっていたんですが、その最初の質問に今までの質問がどのように関わってくるんですか?」


 ずっと初めから気になっていたことを尋ねると、奇妙な間が空いた。セイラさんは僕を見たまま、固まってしまった。

 ……?

 もしかするとうまく伝わらなかったのかもしれない。僕は自分の気持ちを相手に伝えるのが得意ではないからな。

「えっと……今までの質問が、架空の、精神に障害のある女の子についてのものだったじゃないですか。でも、それがどのように魔王討伐の話に関係するのか、いまいち分からなくて……」

 僕は再び尋ねたが、セイラさんは口を閉ざしたままだった。いや、口はぽかんと開けられたままなのだが、そこから質問に対する答えが返ってきてくれないのだ。

「その……女の子と魔王は違う存在ですし」

 酷く当たり前で言ってから恥ずかしくなるほど的外れなことを言ってしまった感触があったのだが、その言葉の際に、ようやくセイラさんはわずかに反応してくれた。

 それは本当にわずかで、ほんの一瞬のことだった。

 彼女はとても切ない顔をした。

 一瞬だったし、ほんの些細な変化だったけど、僕にははっきりと、僕の言葉が彼女をとても哀しませてしまったことが分かった。

「あのっ……」

 でもそれが何故かは分からなかった。僕は混乱した。何かとんでもない失言をしてしまったのではないかと必死に直前の台詞を思い返した。

 でも、別に思い当たらなかった。

 魔王と可哀想な少女は全く別の存在だ。見た目は確かに似ているかもしれないけど、そんなことに惑わされたら駄目だ。あんな凶悪な存在を世に放っておいて良いはずがない。

 魔王は殺さないと駄目だ。

 殺さないと駄目だ。

 殺さないと駄目だから、殺さないと駄目だ。

「――」

 こんな、言葉に直すのもバカバカしい程当たり前のことで、セイラさんが悲しむはずがない。

 悲しむ理由がない。

 じゃあ、一体どうして? ――

「ごめんねザイアくん」

 いつの間にか彼女は僕の傍まで寄って来ていて、混乱する僕の額に手を載せて、そう言った。

「変なこと聞いちゃった」

 そのまま生え際に指をさし入れて僕の前髪をふんわりとかき上げると、優しく、頭を撫でてくれた。

 それだけで僕は安心してしまう。直前の混乱など忘れ去って、目を瞑り、彼女に委ねてしまう。

 こんな僕に優しくしてくれる人たち。こんな僕を仲間に入れてくれた人たち。僕を認めてくれる――彼ら。

 セイラさんはその大切な一員だから。

「あたしが間違ってたよ……やっぱりあたしがおかしかった」

 彼女はポツリポツリと言葉を重ねる。目を開ける。その顔に、先程の哀しみはもう影も残っていない。

「失礼なことだけど、ザイアくんですら『そう』なら、あたしこそ変なんだ。あたしが、合わせなくちゃいけないんだ」

 徐々に、顔に明るさを取り戻して来た。――そこに何処か不自然な印象を抱いたのは、その裏に複雑な心の葛藤を感じたから。でも、清々しいほどいつも通りのセイラさんが、もう目の前に居た。

「うん! だからごめんねザイアくん! でもこれは最後の戦いに臨む前にあたしに必要な準備だったんだから、頭を撫でてあげている対価として許してね!」

 対価をつけられるとは。

 それだけで色々とぶち壊しな気もしたが、まあ良いや。

 彼女は僕の頭を撫で続けてくれた。僕も本当はずっとそうしておいて欲しかったけど、疲れさせてしまうし、それにまあ……恥ずかしいから「もう大丈夫ですよ……」と声を掛けた。名残惜しそうに最後の一撫でを終えると、そっと離れた彼女の手。……ああ、何だか喪失感……。

「さて、休憩終わりー!」

 そう言って手荷物の方へ戻るセイラさん。……本当はどうしてあんな話を持ち出したのかを聞きたかったが、止めておいた。

 彼女はそのことに触れて欲しくないような様子だし、それに、僕にはそれを理解することができない気がしたから。

「出発するよ、ザイアくん。まあすぐ合流できるでしょ。戦闘は明日の予定だから急ぐ必要はないけど、あんまり遅いとゴルザスにどやされるからね」

「はい」

 僕は返事して立ち上がった。

「はあ……でも折角ザイアくんと二人で話せたのに、全然楽しい話できてないな……」

 荷物の準備をしながらため息とともにそんなことを呟くセイラさん。……確かに、このまま微妙な雰囲気で終わるのは申し訳ない。後はゴルザスさんらに追いつくだけだけど、その間くらい何か楽しい話題を……

「ザイアくんあたしに何か聞きたいこととかない?」

 考えているとセイラさんがそう尋ねてきた。

「聞きたいこと、ですか?」

「うん。ほら、さっきからずっとあたしがザイアくんを質問攻めにしちゃっていた感じじゃない? だから次はザイアくんの質問にお姉さんが答えるっていうのが公平なんじゃないかと思ってさ。何でもいいよ。何だって答えてあげちゃう」

 ふむ、セイラさんに聞きたいことか……。知りたいことといえば前の夜に大人三人で何の話をしていたのかだけど、この場面でその話題持ち出すのもなんか違うよな……。

 あ、そうだ。そういえばあった、ずっと前から何となく気になっていたことが。

 折角だし……よし。

「セイラさんって」

「うんうん」

「ゴルザスさんのこと好きなんですか?」

 一瞬彼女は振り向いたときの笑顔のまま硬直して――


「っそんなわけないじゃんっ!?」


 ――ぼふんと爆発した。

「なな何であたしがあんな筋肉に恋しなくちゃいけないのよっ!? あんな無骨で鈍感でロマンのロの字も解さない野獣みたいな男にあたしみたいな頭脳派がなびくわけないじゃん!? 『聖光の魔女』だよあたし!? 王国最強の魔法使いだよ!? ってか何でそんなこと聞くのよ――ハッ!? ゴルザスに聞けって言われたのっ!!??」

 顔を真っ赤にして慌てふためくセイラさん。面白いくらい分かりやすいんだものな……。皆で居るときに何度もこのネタでクリルさんと一緒に二人をからかった――セイラさんもゴルザスさんも目で見て分かる程顔を赤くしてその疑いは根も葉もない誤解だとすごい形相でまくし立てるけどついついだから好きじゃないんだよとお互いの嫌なところを言い合って喧嘩になりかける、が、それを実行犯のくせしてクリルさんと僕とで仲裁する、というのがいつもの流れだ――けど、片方だけのときはこんな感じなんだな……

「あはははは」

「何笑ってるのザイアくん!? 違うんだってば!? というか本当にゴルザスに頼まれたの!?」

 ゴルザスさんに冤罪を被せるわけにはいかないので、僕は笑って目の端に滲んできた涙を親指の腹で拭って、違いますよ、とだけ答えた。本当に違う。

 本当に僕が知りたかった。この冒険を終えた後の、彼らそれぞれの行き先を。

 セイラさんはゴルザスさんに対する疑いを払拭し切れないで、道中何度も何度も僕にそのことを聞いて来ては、その度に尋ねてもいないような彼ら二人だけの中々にお熱い話をぽろっとこぼしてしまって勝手に自爆していたけれど、でも、ゴルザスさんたちのところに追いつくまでずっと楽しそうだったし、僕もとても楽しかった。

 愛、か……。

 僕にはそれが遠い言葉のように感じられた。

 クリルさんには故郷にアリアさんという名の婚約者がいるらしい。彼女の話をする彼はいつも後ろめたそうで、ある時、遥か昔に彼女の先祖が魔王にかけられた呪いが今代の魔王の復活によって再び彼女の身体を蝕み、そのせいでアリアさんが今はずっと眠っていて、いつ目覚めるかも、いつ死ぬかも分からない危険な状態にあることを僕たちに教えてくれた。魔王を殺し呪いを断って彼女を救うために、試練を越え、勇者になったのだとも。そのときから、僕たちは一つになった。魔王を殺す、その目的に向かって。

 今の世界は、結構平和だ。平和じゃないところも沢山あるし、残念ながら僕はそのことをこの目で知っているけど、まあ概ね平和だ。戦争はしていないし、民衆は魔の恐怖に怯えていない。それに僕の周りだけを見るなら、かつてないほど平和だ。生まれて初めて、僕は平穏を手にしている。正義を背負って立っている。

 ……だが、魔王がいるだけで、全て最悪になってしまう。奴を野放しにしていたら、僕らは全てを奪われる。

 だから、殺さなくちゃいけない。

 殺さなくちゃいけないから、殺さなくちゃいけない。

 僕は平和を守る――

 ……魔王討伐が無事に終わった後、もしかすると、クリルさんはアリアさんと、そしてゴルザスさんはもちろんセイラさんと結婚するかもしれない。そしたら子供が生まれて……もしかすると二つの家族で話し合って仲良く遊べるように同じ年に子供を産んだりして……その頃には僕はもうある程度大きくなっているだろうから、お兄さんとして彼らの遊び相手になってやって……そしたらその子たちに、君たちの父や母がどれほど立派な人だったか、そして、僕たちの冒険がどれだけワクワクするものだったかを教えてあげるのだ……

 ――そんな、魔王なんていない、幸せに満ちた未来のために。




 ――非情なる一閃が、躊躇いのない鋭さをもって、恐ろしいほど滑らかに、命を刈り取る。

 男が小刀を横に払うと、セイラさんの悲鳴が止んだ。

 ゴルザスさんの重い亡骸を抱えていたために重心が右側に寄っていたのだろう――重みに引っ張られるまま切断面はパカッと横に開いて、僕を向いたまま、首が彼女の右側へと、真っ逆さまに落ちていく。

 帽子を被ったまま、僕の名前の形に口を開けたまま、ぽろぽろと涙を流したまま落下する頭部。それはほんの一瞬の出来事であったはずなのに、僕には彼女の首が生きたまま切断されて空中で絶命するまでの瞳に宿る光の衰微が――まるで一本の蝋燭の明るい炎が消沈するまでの様子をじっと観察しているかのように――酷くゆっくりとした時間の中で、まざまざと見えた。


 胸の下から手を引き抜いて前に突き出す。


「ああっ」


 胸のっ下……からっ……


「あああっ」


 手を……引き抜いてっ


「ああああっ」


 前にっセイラさんにっ前にっ……突き突き出っ……突き出す……手


「あああああっ」


 手を手っ……手、手、手っ、手っ手手手手手手手手手手手手手手手手……


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――……」




「――無駄だよ」

 ぶちぶちと肩が嫌な悲鳴を上げるのにも構わずに無我夢中で伸ばした両手を、男は拾い上げるように優しく掴んで、穏やかな、いやに温かみのある声で、僕に向かって告げた。

「女は死んでいる」

 分かってるんだよそんなことは。

 叫びたかった。でもそれだけの気力さえ最早僕の身体には残されていない。辛うじて意識を留めておくだけで精一杯だった――激しい怨嗟の念をもって男の顔を睨み上げることで。

「あの赤髪の大男も中々に勘の鋭い奴ではあったがね。まさかあの状況でわたしの狙いが遠くに居る女だと気付くとは……まあ、そこからの幕引きは何とも呆気ないものだったが」

 ……。

 僕は教えてやろうとしたが、止めた。

 二人の愛を、その尊さを、この男に問うだけ無駄だと分かったから。

 きっとこいつには分からない。

 僕でも完全には理解できていない愛が、こんな奴に分かってたまるか。

「……雨か」

 天を仰いで男が呟く。彼がそう言ったということは、地上の全てを圧し潰すような深い闇に覆われた夜の空からは冷たい水滴が降ってきているのだろう。僕にはそれが感じられない、もっと降り出せば音で分かるだろうけど。僕にはもう手足の感覚がないのだ。

 でも、思い切り降り注げば良いと思った。そして大きな河になって、僕たちを流してくれたら良い。

 皆と一緒が良いから。ただそれだけで良いから。


「……殺して、やるっ……」


 その呪いの言葉に、僕は余っていた全ての力を使い果たした。

 端の方からじりじりとぼやけ始めた視界の中心で、男が満足げに頷いた。

「『殺せ』なんて言わなかったあたり、上等だよ。君はきっと強くなるぞ」

 ……。

 ふざけるな。

 叫びたいが声が出せない。


 全部……何もかも……

 お前が……

 畜生……


 無感覚になり始めた世界の中で、男の声だけが聞こえる。

「わたしは子供は殺さないんだ」

 男はそう言った。その最初の感じと随分違う語りかけるような穏やかな口調がむしろ不気味だったが、そう思うことすら腹立たしかった。

「理由なんて特にないさ。とにかく殺さないんだ。わたしは子供は殺さない、そういう生き方を選んでいる」

 実に淡々と、彼は何かを語る。それが彼の決意なのか、もっと別の呪縛めいたものなのかは、僕には分からなかった。

「だからわたしは子供を殺す大人をこそ殺す。私情で殺す。何時だろうと何処だろうと何をしていようと殺す。わたしにはそいつらを殺す理由がある。子供たちを殺さないために、わたしは大人たちを殺すんだ」

 ……。

 僕は、心の中で彼の思想を遠ざける。

 こんな悪魔みたいな男を、理解したくはなかったから。

「この雨は、じきにもっと強くなりそうだ。君はどうやら動けそうにないし、せめて雨宿りできそうなところまで抱き上げて連れて行ってやりたいけど……わたしなんかに情けをかけられては君はむしろ憤死してしまいそうだから、そうするわけにはいかないな。まあ、わたしに『殺す』って言ったんだ。必ず生きて、わたしを殺しに来い――少年」

 男の悪戯っぽい笑みを見たのを最後に、僕の意識は真っ暗な沼の底へとずぶずぶと沈んでいった。


 ――絶対に殺してやる。

 ――顔を覚えた。

 ――必ず見つけ出して、地獄のような苦しみを与えて殺す。

 ――死をもって、セイラさん、ゴルザスさん、クリルさんの償いをさせる。

 ――復讐してやる。

 ――必ず、復讐してやる。


 そして――僕は殺意の揺り籠で眠った。

読んでくださってありがとうございました。

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