monk-05「虐殺⑤」
「……ザイアくんはさ」
森の奥の開けた空間でひっそりと枯れていた古の倒木の片端に跨って、僕はゴルザスさんらが先に出発していった木々の隙間をぼんやりと眺めていた。あれから少し時間が経過した後だから、もうそこに彼らの背中を見ることはできない――それに足音も、木々の葉をかき分ける音ももう聞こえない。静謐な空気に包まれた深緑が、辺りの景色を一様に覆っている――が、何となく、彼ら戦士たちの後姿を僕はその緑の向こうに探していた。セイラさんの休息が終わるまでの間、僕は特にするべきことを持たなかったのだ。深い森独特の静寂は心地良かったし、僕とセイラさんは既に旅を共にした親密な間柄だから、会話で間を持たせなくてはいけないなんてこともなかった。
しかしセイラさんから声を掛けられたのでは話は別だ。しかもそれには何処か内緒話のニュアンスを漂わせるためらいが含まれているように僕には聞こえたから。
「はい?」
一体何だろうと僕は倒木の真中辺りに腰を落ち着かせている彼女を振り返った。
セイラさんはこちらに横顔を見せたまま若干眉根に皺を寄せて何かを迷うように帽子の鍔を指先で弄っていたけれど、やがてずっと被っていたそれを脱いで膝の上に下ろす(彼女の明るい翠の長髪が、背景の濃緑と美しい対照を成した)と、窺うようにゆっくりとこちらに振り向いて、快活な彼女らしからぬ曖昧な表情で僕にこう尋ねた。
「魔王討伐をどう感じる?」
……?
どう……感じ……?
「ええと、重大な任務、だと思っています。民衆の混乱を避けるため秘密裏の達成を望まれ、それ故に、王国最高の戦士――僕はともかくとして――で組まれた少数精鋭の部隊によって行われる、国を守るための戦いです」
「そういう表面的なことじゃなくて、あたしはこの討伐に対するザイアくんの心証が知りたいんだよ」
「……というのは?」
セイラさんの質問の真意をいまいち掴めず、僕はそう尋ね返した。
こんなことは初めてだった。それは僕が物分かり良い奴だからではなくセイラさんが物事をはっきりと分かりやすく話すことのできる女性だからなのだが、今の台詞はあまりにも単純すぎて、手がかりに乏しかった。
だって、魔王討伐の儀式をどう思うかなんて、いちいち人に尋ねる必要もないほど分かり切ったことなのだから。
セイラさんがそんなことをわざわざ僕に尋ねるはずもない。ならば今の質問には別の意味合いが隠されていたはずなのだが、僕には分かりかねた。
セイラさんはさっきよりますます難しい顔になって(珍しい)、腕を組んで少しの間唸った後、こう言い直した。
「そうだな――生まれてから一度も罪を犯したことのない人が居る。とっても善良な人だ」
僕はそんな人を想像してみた。
いつもニコニコした笑顔を絶やさないセイラさんのように優し気な人が浮かんだ。
「はい」
「ザイアくんはその人を殺せる?」
「えっ。何故ですか?」
僕はびっくりした。それこそ聞く必要のない質問だったからだ。
「理由がありませんし、その殺人は紛れもない悪です」
食い気味に言い返すと、セイラさんは少し穏やかな顔つきになって「そうだよね」と頷いてくれた。
「ザイアくんのそのどんな質問に対しても真面目に返してくれる性格、お姉さん素晴らしい長所だと思う。――じゃあ、この質問から始めようか。今から色々な条件を足していくから、その都度ザイアくんの答えを教えて欲しい」
「はあ……その人っていうのは、実在の誰かですか?」
気になったことを尋ねると、セイラさんは空に視線を上げて少し考える素振りを見せたもののすぐに頭を振って僕を見た。
「違う。あくまでも例えばの話。結局のところ全てはあたしの想像だから」
セイラさんが何を始めようとしているのか、僕にはいまいち計りかねた。しかし断る理由もない。それに、考えるとセイラさんと二人きりの会話というのも珍しい気がした。いつもは他に二人大人がいたから。だから僕は頷いて、協力を同意した。
「じゃあ、次は理由を加えてみよう――ザイアくんは王様にその人を殺すように命じられた。本物の王様はそのようなことをされる方ではないけど、あくまでも仮に、君はそう命令されてしまった。どうする?」
「……」
突然難しい。王様の命令って、絶対じゃないか……。
「ええと、その人は本当に何にも悪いことやってないんですよね?」
「うん。まあ聖人と呼ばれるほど純粋な人間ではないけど、極刑に処される程の極悪非道な犯罪は一度もしたことのない、そこら辺にいるいたって普通の人だ。この条件はずっと変わらない」
「……王様はどうしてそんな人を殺そうとするんですか?」
「王様は……まあ、何か、ご乱心? で、そんな善良な市民を殺せと言うお触れを出された」
「……」
設定に割と適当なところがあるけど……うーん、それならば……
「殺しません。逃がします」
「良いの? 王様にばれちゃうと今度はザイアくんが罰せられてしまうかもしれないよ?」
「それでもです。僕は正しいことをします」
言うと、セイラさんはホッと息を吐いた。
「ザイアくんならそう言ってくれるって信じてたよ……」
セイラさんのリアクションも何だか凝っている。そんな風に信じてもらえていたとは……でも上手く喜べないな。話の真意が見え無さ過ぎる。
「はあ……」
曖昧な返事を返した。
何なのだろう? 一体このやり取りにどのような意味合いが含まれているというのだろう?
「じゃあさ」
そんな風に心の中で首を捻っていると、セイラさんが次の条件を話し始めた。
「その人はザイアくんより少し小さいくらいの子供で、しかも女の子だ」
「いや、ますます殺せませんよそんなの。可哀想じゃないですか」
「えへへ」
セイラさんが笑う。だが、じっと僕の眼を覗く彼女の眼差しにはどんな感情の機微も見逃さないぞという迫力が宿っているようにも見えた。
ここでますます殺すべきでないという意見に傾く条件を持ち出したのは何故か。
彼女の瞳から、本題を持ち出す前に外堀から築くような危うい緊張感を感じた。
「まあ、その人が罪を犯したことが無いのは、彼女がまだ幼いから、ある意味でまだ穢れを知らないからだ。それを踏まえた上で頭の中の人物像をもう一度組み直してみて」
言われたので、僕は頭の中のセイラさんを縮めてみた。サラサラと長かった髪が肩の上で綺麗に揃うまでしゅるしゅると短くなって、明るい笑顔の可愛らしい、七歳くらいの女の子が出来上がった。
「出来ました。可愛い女の子です。あ、こっちに手を振っています」
「そんな細部まで凝らなくて良いけど。というかどんな女の子を想像しているのよ……まあ良いけどね。さて次の条件。その子は昔、人に怪我を負わせたことがある。しばらくは生活に不自由するような結構な大怪我を。けれど、それは故意じゃなく事故だった。それでも彼女はそのことをずっと悔やんでいる」
今度の条件は彼女の罪についてのものだったが、悩むほどではなかった。
「それは殺されなくてはいけないような重い罪には思えません。反省しているのなら尚更です。僕はその子を逃がす手伝いだってしますよ」
「成程。逃がそうとまでしてくれるあたりザイアくんは優しいね……」
彼女は目を瞑って数度頷いた後、
「今までの質問でザイアくんの倫理観が実にはっきりしたものだということが証明された。まあ、一緒に旅して来たんだからザイアくんが誠実な人間だということは分かっていたけれど、次の質問の前に、一度ちゃんと確認しておかなくちゃいけないことだったからね。――では、今からするのが最後から二番目の質問だ」
セイラさんはそこで一度言葉を切って、深く息を吸ってから、言った。
「彼女は人を殺す」
頭の中に築いていた幼いセイラさんのイメージがドロドロに融けてしまったように感じた。その条件を、その条件のまま鵜呑みにするならば、その善良な誰かに対する心象をセイラさんで代替するわけにはいかなくなったからだ。殺人は罪だ。この世界で最も忌むべき罪。それは自らの命によってしか償えない。
でも、そんな最悪の行いにだって許される場合はある。
「それは正義のためにですか?」
尋ねると、セイラさんは眉をひそめた。それは不快によって表れたものというより、哀しみを悟らせまいとしているかのような複雑な表情だった。でもそれは、本当に彼女は今そんな表情をしていたのかと自分の目を疑うほどに一瞬のことで、すぐに柔らかな顔に戻ると、
「いいえ」
そう言って首を横に振った。
「殺されるのは罪人でも何でもない。彼女と同じ無実の人間たちだ。それも大した理由があるからでもなく、単純に、彼女には発作があるんだ――衝動と言った方が良いかもしれないな。殺人の衝動が」
「じゃあ――」
「でも待って。まだ全部は言い終わってない。――良い? ザイアくん。これからあたしは少し変なことを言うけど、今までの常識は少し脇に置いておいて、最後まで耳を傾けて。これは、少なくともあたしにとってとても大事なことなんだ」
セイラさんの眼はいつになく真剣で、この問答に彼女が並々ならぬ思いを寄せていることが分かった。これがおふざけの時間でないことは初めから察していたけど、僕が思っていた以上に何か重要な意味合いを持っていたらしい。
僕が頷くと、セイラさんは続けた。
「彼女は人を殺すけど、彼女が人を殺すわけではないんだ」
……?
何を言っているんですか? ……そう尋ね返したかったが、最後まで話を聞くと決めた手前、僕は我慢した。
「まず、この条件は彼女が残忍な人間ではないという最初の条件と矛盾しない。つまり、その子は善良なまま人を殺すということだ。そしてそれは正義が彼女にあるからじゃないんだ――」
彼女は瞳を通して僕の心の奥を見透かそうとするかのようにますます視線に力を込めて、言った。
「――殺すのは彼女の心に潜む悪魔なんだ」
不意に風が吹いて、頭上を覆う木々の葉をサワサワと揺らしていった。
しばしの静寂。セイラさんの話は、今ので終わりのようだった。
「えっ……と……」
「想像しづらいのは分かるけど、例がないわけでもない」
彼女は何かを考え込むように膝の上の帽子に視線を落としてから、もう一度僕を見て言った。
「国が抱える問題の一つに狂人をどのように扱うか、というのがある。まともだった人間がある日突然発狂して家族や友人に襲い掛かるという物語が典型的だが、ザイアくんも知ってはいると思う。責任能力の有無、病人と認定するか否か、について何度か議論が交わされてきたが、未だに明確な結論は出されていない。狂人の人口は無視できないし、あたしとしては病人と認めて国が看護してやらなくちゃいけないと思うんだけど……ちょいちょい研究しているとは言え結局は畑違いの意見だし、今したいのはそれについての議論じゃない。彼らの症状の一つにとても興味深いものがあるんだ――二つの魂が一つの身体に宿った状態。双子の精神。『二重人格』という呼び方がしっくりくるけど……」
セイラさんはそこまで言って、僕の反応を待つようにじっと黙った。
今彼女の言ったことを、先程の話に照らし合わせる。
「つまり、少女の中には人格がもう一つあって、そいつが人を殺す悪い奴だってことですか?」
「その通り! ザイアくんあったま良いー!」
僕に言いたいことが伝わったのがよほど嬉しいのか、セイラさんは手を叩いて喜んでくれた。僕もちょっと照れくさい気持ちになる。
「狂人に対する研究はまだ未熟だし結局は想像の域を出ないんだけど、でもそういうこと! お姉さんはザイアくんにそんな人物像を組み上げて欲しかったの! いやーすごいよザイアくん! あたし自分や他人のことを褒め過ぎる人とか苦手なんだけどこの考えはかなり時代先取りしちゃってる感じしてたのよね! だから今ザイアくんはあたしに既存の価値観を飛び越える思考の飛躍を見せてくれたの! その幼さで! お姉さん感激!」
すごい褒めてくれるな……。能力で仲間の怪我を初めてなおした時より喜んでもらえている感じがするのはちょっと複雑な気もするけど……まあ悪い気持ちはしないかな。
「――では、ここまで話に付き合ってくれた上に付いて来てくれた君に、もう一度尋ねようか」
そしてセイラさんは笑顔で――それでいて先ほどと同じような鋭い眼差しで――僕に尋ねた。
「君は彼女の肉体を殺して、無実の少女ごと悪者をやっつけようとする?」
「しません」
僕は即答した。嘘偽りのない、心からの気持ちだった。
読んでくださってありがとうございました。後いつもより更新遅くなってすいません。次は早いので。ほんともう明日の夜までには更新しますので。でわ~。