monk-04「虐殺④」
ゴルザスさんの肩から血が洪水のように噴き出している。
何が起きた?
あんな小刀の及ぶ間合いじゃなかったはずだ。
それにあれは斬撃じゃない。そんな綺麗な傷じゃない。引きちぎられたように凄惨に、肉片が血潮を撒いて飛び散った。
男に大きな動きは見られなかった。こちらからは男の体がゴルザスさんの陰に隠れていてあまり見えないが、肘から先だけでこれだけの破壊力を生み出す攻撃を繰り出せるものなのか? ゴルザスさんにすら避け切れないほどの。
『ポッ』――何の音だ? ゴルザスさんがさっき言っていたのはこの音のことだったんだろうけど、確かに聞き覚えがないし、気の抜けた微かな音だった。
――何が起きたんだ?
次々と浮かぶ疑念の解答は見つからず、混乱は加速する一方だ。――だが今は混乱するより先にやることがあるっ!!
「――ザイアくんっ!!」
「――分かってますっ!!」
セイラさんに名を呼ばれるより速く彼女の陰から飛び出し、ゴルザスさんの失われた左腕目掛けて両掌を突き出す――これが、僕の唯一役立てる能力――いいや! これは僕にしか出来ないこと!
『なおす』。
血を撒き散らして吹っ飛んでいたゴルザスさんの左腕を本体に結び直し、傷を治す――欠損ほどの大怪我をゴルザスさんが負ったのは初めてだが、大丈夫だ! 命さえ取り留めていれば、どんな深刻なダメージであれ僕は一瞬でなおしてみせる!
「――ぅ、ぐっ……」
……だが弱点もある。この能力は発動するだけで体力を持っていかれる。そして、損傷が酷いほど、患部との距離が長いほど、疲れる。今なおそうとしている数十メートル先の欠損はどっちも結構な程度だから、発動直後でもう既に虫の息だ。――だが、視認さえできていれば僕の能力の及ぶ範囲だ。だったらどんな怪我でもなおす! それが僕の役目だから! ――対象の自然治癒力を即時的に強化するためかけられる側の負担も相当なものだけど、腕吹っ飛ばされても絶叫も狂乱もせず構えを解かないでいられるゴルザスさんにその心配も不要だろうし!
「――っ!? ちょっ……」
と。
治療――と呼ぶよりは修復と言った方が良いのかもしれない――の間に、ゴルザスさんが男に向かっていってしまった。ユラユラと達人独特の歩法で。
えええっ!?
「まま待ってくださいっ!! 後ほんの十秒くらいで済むし、対象が動体だとかけにくくなってしまうっ……」
こんな弱々しい悲鳴が届くはずもないが、叫ばずにはいられない。どっと汗を流しながら青筋が手の甲に浮き出るほど懸命になって能力を行使するも、耐えきれずに地面に片膝をつく。――ヤバいっ。まだようやく断絶していた筋肉の筋をいくつか接合したところなのに、限界が一気に近付いて来たっ……。
「――ハハッ! 十秒とはデカすぎる隙さね! あいつ残ってる右で殴るつもりだよ!」
隣でセイラさんが杖を振りかざし高らかに笑う。――わ、笑っている場合じゃないよっ! というか何を……っ!?
見上げると、周囲の空間に呪文によって編まれた光輪がいくつも、いくつもいくつもいくつも――いくつも、展開されていた。
光の魔法陣――王国最大にして国王直属の魔術戦闘部隊『王国魔術師団』無二の戦闘特化型魔術師と謳われる『聖光の魔女』セイリール・フォン・ロッディニウムが本気で魔法を行使するときにのみ展開される光陣。魔術界の名門、ロッディニウム家の中にいながら幼少の頃より異質な才覚を見せていた才媛たる彼女が僕と同じくらいの年齢で独自に練り上げた魔法。『聖光の魔女』固有のもの故に、『セイリール・ロッド』と称される――眩い白光の術式装置。その最強の魔法が、頭上一面に張り巡らされている。その数、百枚は優に超える。
凄まじい光景に息を呑む……いや、でもあなた、魔王との戦闘のときだって二、三枚しか展開してなかったじゃないですか……。
「……セ、セイラさん? ――」
なおし切れないまでもせめてまた千切れることがないようにゴルザスさんの左腕に集中しつつ尋ねる。尋ねないわけにはいかない。
「――何を?」
「得体が知れないから、最大火力でぶっ潰しかないと思って」
セイラさんはそうケロッと答えた。いつもの不敵な笑みに戻ってはいるが、男に向ける金色の眼差しには普段あまり見られない闘志の光が宿っている。
「ゴルザスとこうも打ち合える生物をあたしは初めて見た。今だってもう訳分からないレベルの激しい攻防続いてるし、さっきの攻撃も何やったのか全然見えなかったし。手に持った小刀の切っ先をゴルザスに向けたような? くらい。斬撃でないなら魔法なんだろうけど――それなりにこの領域の知識は頭に詰め込んでいたつもりでいたけど、全然思い当たらない。あたしたちの想像力の及ばない全く新しい力をあの男は持っていると思われる。恐らくは魔法戦士……それも器用貧乏なだけの中途半端な雑兵とも違う、両方の才覚に恵まれた天性の化物だ、あの男は。奴には聞きたいことが沢山あるけど、躊躇していられない。――出し惜しみしていては駄目だ」
帽子の鍔を押し上げてはるか前方を睨み、杖を振り上げるセイラさん。
茜色のときは過ぎ、西の地平にうっすらと残光が滲む他は、曇り空の下、世界は再び陰気な灰色に、先程より暗い灰色に沈んでいく。――頭上に展開された光陣が照明の役割を果たしてくれていなかったら、夕闇はとっくに僕らをその真っ暗な胃袋の中に呑み込んでしまっていただろう。
風が吹き、彼女の鮮やかな緑の長髪を絡んで後ろに流れる。そこに、おちゃらけた性格の面倒見の良いお姉さんの面影は最早ない。――そこに立つのは『聖光の魔女』セイリール・フォン・ロッディニウム。
王国最強の魔法使いだ。
――でもっ。
「ゴルザスさんがまだっ……」
「大丈夫。いや確かにゴルザスごとになっちゃうけど、こっちの準備には気付いてるだろうから。ゴルザスだもん、避けれるよ。――でも、左腕が不安定なままだとあれは消失させちゃうかもしれない。それはとてつもない損害だ。ゴルザスの拳には国家防衛の観点から言って国宝と同じだけの価値があるからね。仲間としてもそれは避けたい。でも迷ってる暇もない――ってなわけで!」
そう一息にまくし立てると、セイラさんは急に普段の彼女らしい茶目っ気たっぷりな微笑みを僕に向けて、
「ザイアくんは根性で後五秒以内にゴルザスの腕繋げちゃって――『放つ』から」
……無数の光陣を前に、待って、なんて言えない。
やるしかない。
「――多分動けなくなります」
「任せなさい。ザイアくんならお姉さんおんぶも抱っこも大歓迎だから」
筋で辛うじてぶら下がるだけの左腕を振り回して、咄嗟に横に跳んだ男の影に打った右拳で大地を砕き、振り返りざまに手刀で斬撃を飛ばすゴルザスさん。男はそれを屈んで避け、地面から突き出た岩を垂直に蹴ってゴルザスさんの腹の下に潜り込み斬り上げたけどゴルザスさんそれをどうにかして避けて、そしたら近くの岩が爆ぜた――訳分からない。これだけの攻防が刹那に交わされるのだから僕なんかに視認できなくても当然か……。それにしてもこうもゴルザスさん相手に立ち回るあの男は何者なんだ……?
――とにかく今は僕の全てを出し切るだけか。
「うっ――」
――僕は喜んでぶっ倒れる。それで彼らの役に立てるのなら。
「――っああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――」
激しい戦闘の真っただ中に飛び込む左腕――撃墜されることなく、ゴルザスさんの左肩にはまる!
――そのとき、男と目が合った。
彼は右の小刀の切っ先をゴルザスさんに向けたままもう片方をこちらに向けて。ゴルザスさんが振り返る。
「――セイラッ!!」
撃って良いぞという掛け声にしては、やけに取り乱した叫び――そこまでしか見届けられなかった。僕はバタンとうつぶせに倒れた。息が荒い。心臓がバクバクと耳に聞こえるほど激しく脈打っている。体が熱い。――でも、達成した。
――やっ、た……。
「頑張ったね!」
そう声を掛けてくれるセイラさん。
今、背後で、掲げた杖を勢いよく振り下ろす『聖光の魔女』。
無数の光陣から、男目がけて光線が放たれる。――僕は咄嗟に蹲り耳を覆いたかったが、指一本動かせなかった。
――眩しい。
そう思った次の瞬間には、僕は無感覚の世界に居た。
明るすぎて何も見えなくなって、
あまりの音に何も聞こえなくなった。
勇者パーティーの紅一点、後方戦闘支援の魔法使いは、とにかく火力が凄まじい。
――……
『ポッ』……『ポッ』……『ポポポッ』……
『ポポッ』……『ポッ』……
……どれくらいそうしていただろう。多分、ほんの数秒。
声が聞こえた。
「――ザスっ!!」
酷く取り乱した女性の声。
「ゴルザスっ!! ゴルザスっ!!」
それはセイラさんの悲鳴で、後ろからではなく前から聞こえた。先ほどまでの眩しさが嘘のように辺りは薄闇に包まれていて、頭上にいくつも展開されていたはずの眩い光輪はいつの間にか消滅したようだった。
カラン、と視界の隅に何かが投げ出される。――セイラさんの杖だった。
サッと血の気が引いた。――何が起きている?
僕は腕を胸の下に入れて必死に上体を起こそうとしたが、肘が折れて顎から落ちた。それを痛がっている余裕もなかった。頬を岩肌に擦りながら、首だけ動かしてなんとか前を見る。
すぐそこにゴルザスさんが両手を広げて立っていた。いつの間に戻っていたのか。――いやそれ以前に、何か、妙だ。
あたりが暗くてこちらに背を向けて仁王立ちしている影しか見えないけど、何か足りない。パーツが欠けている。
何か……何かが……
…………あっ。
急に吹いた風に煽られ、ゴルザスさんの身体がぐらつき、頽れる。そして地面に激突するすんでのところでセイラさんが間に合い、抱き留めた。
「ザイアくんっ!! ザイアくん早くっ……」
ゴルザスさんの身体を抱き締めたまま、こちらを向いて震える声で僕の名を叫ぶセイラさん。
――僕は返事ができなかった。そうするだけの気力が残っていなかったというのもあるが、それ以上に、どんな言葉を返せば良いのかが分からなかった。……だってそんなの、僕には、無理だ。
だって、ゴルザスさんは死んでいる。
頭部を失ったら、人は死ぬ。
セイラさんの背後の闇に、死の影を引き連れて、男の白い顔がぬっと現れた。
読んでくださってありがとうございました。