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ブラック・エクレール  作者: 松谷セイ
プロローグ
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fool-03「勇者のキオク」

fool-02「始まりのキオク」を大分書き直したので、良ければそちらを先に読んでください。

 ――君を悲しませる者全て、わたしが殺してあげよう。

 使ったのは、少量の薬と清潔な注射器。

 ぐったり動かなくなった少女の小さな体を抱き上げて、地下へと続く所々段の欠けた崩れかけの石階段をゆっくりと降りていく。

 腕の中の少女は、寝息すら立てないで、まるで死体を抱いているようだ。

 霞んだ記憶の向こうに、あの日の情景が蘇る。燃え盛る業火に囲われた暗闇の向こうに佇む、白い小さな影。――違うのは髪と瞳の色、そして、今目の前にいる少女は、間違いなく生きた人間だということ。

 ――目覚める頃には、世界は少しだけ、君に優しくなるはずだ。

 果たせなかった約束に、今更になって胸を締め付けられる。

 ああ……わたしは少女に何を重ねているのか。ふと零れたため息が、彼女の前髪を揺らして消えた。

 ただの代償だとしても、良い。――目の下に薄く引かれた隈を指先で優しくなぞると、少女はようやくくすぐったそうに小さい息を漏らした。この瞼は、きっとまた開いてくれる……

「……もう一度、わたしに君を守らせてほしい……」

 この気持ちに名前を付けるなら――それはきっと、わがままだ。




 ……金髪碧眼の若い男、色白で長身、顔は二枚目……があの古城を頂く切り立つ岩山を登ってくる。腰に聖剣らしき両刃の大剣も帯刀している。あれが話に聞いた勇者で間違いなさそうだ。そもそもここは見渡す限り灰色の岩ばかりの辺境の地だから、人違いなど起こらないだろう。てっきり四人一緒に来るものだと思ってはいたが、それくらいの予想外れはままある。――近くに他の人間の気配は無いから、必要以上の深読みはしない。大方、一人で他の三人の分まで危険を負おうとしたのだろう。或いは個人的に焦る事情があるのか。どちらにせよ、その勇ましさには敬意を抱く。敬意を持とうが持たなかろうが、やることは変わらないが。

 城の聳える台地の上はこの岩の景色の中で唯一深緑の恵みに彩られているが、そこに登るまでは他と同じく殺風景な岩山だ。昔は城まで続く豪奢な階段があったのだが、重い土砂に流され、灼熱の溶岩に溶かされ、長い年月に過ぎ去られ、跡形もなく崩れている。そのおかげで、勇者は道なき岩山のごつごつと荒くれた岩肌を四苦八苦しながら遅々として登攀している。――背中をこちらに向けて。

 風が強く、辺りに充満する靄のせいで視界も良好とはいえず、狙撃には最悪のコンディションと言わざるを得ないが――撃った。

 弾丸は空を切り裂く音を後に残して一筋の閃光となり、勇者の後頭部に直撃し――まるで赤い花が散るように細かな血潮がぱっと飛散した――頭蓋を撃ち抜いた。――勇者が倒れる。それで岩陰に隠れてしまったので、わたしは二発目を撃つことはせず、リヴィンデンからロングバレルを取り外し、近くの突起にかけていたロープを伝って、岩山の対面の巨岩の上から勇者の元へ急いで駆けつけた。

 ――男は、自らの血だまりの中にうつぶせになって沈んでいた。

「…………あ……ああ……ああ、う? ……あああ……」

 まだ息があった。だがすぐに死ぬだろう。傷は致命傷だ。

 顔だけ横を向いて倒れる男をじっと見下ろす。手や足はビクビクと痙攣するばかりで、もがくこともしない。喉がつぶれたように荒く繰り返される苦し気な呼吸音。唇の端に赤い泡を浮かべながら、時折奇怪なうめき声を漏らす。一息するたびに、喉の奥から赤黒い塊が零れ出る。

 これが、メルを追跡する者たちのリーダー、勇者か。

 王国から遣わされた四人の怪物に命を狙われているという話を本人から聞いた。剣士に拳闘士に魔法使いに治癒能力者――おとぎ話みたいなメンバーで構成された部隊だと思ったが、そう言えばここは本当におとぎ話の世界なのだった。むしろわたしみたいな銃使いの方が異質なのだ。

 異質――本来銃は、この世界に存在しないはずのもの。

 これはわたしの推論だが、魔法なんて遠距離戦に便利な力が元から備わっているせいで、この世界では火薬の爆発力を利用して鋭い鉄塊を発射し、遠方の敵を攻撃する、という発想自体が生まれにくいのだろう。あっちの世界で言う中世ほどには文明も発展しているようなのだが、少女の話を聞く限りでは、魔法以外の中・遠距離武器は未だに弓矢が主流らしい。弾薬が流通していないというのは弾切れが怖いわたしにとっては嘆かわしい現実だが、この恐ろしい武器を世界でただ一人、このわたししか所有していないなんて……我ながらゾッとするアドバンテージだ。

 銃が存在しないということは、この世界の人間には――どれほどの歴戦の英雄にも――銃を恐れるという観念が備わっていないということなのだから。

 狙撃への警戒も皆無だろうから、いつものスタイルを変えて中遠距離から撃ったが、やはりリヴィンデンにロングは合わない。急にやり方を変えるのは良くない。

 足元に転がる頭部の爆ぜた男――甲冑で武装した中世騎士的いでたちの、まだ若い青年だった。――ロングバレルを装着したリヴィンデンの威力を必要以上に発揮できる距離から後頭部を撃ったので、顎から上が半分吹き飛んでしまっている。戦力は未知数だったし、少女から散々脅されていたこともあって、事後処理を考慮せずただ絶命させることにのみ専念したが、過剰殺傷だった。倒れたコップから水が零れ出るように、頽れた拍子に頭蓋の中身を岩の上にぶちまけている。血と脳漿がぐちゃぐちゃに混ざり合った赤黒いスープが黒い岩肌にじわじわと広がっていく。

 それなのに、まだ死ねていない。

 ――この男を死にぞこないにしてしまったのは、わたしの失態だ。

 リヴィンデンを仕舞い、唇だけを動かしてそっと語り掛けた。

「――悪いな。綺麗に逝かせてやれなくて。でも、君にこれ以上弾を使うわけにはいかないんだ」

 わたしはナイフも抜かなかった。近くに落ちていた手頃な石を拾って、掲げるように持った。

「ナイフも使えない。すぐこの後にも別の戦闘が控えてる。脂で刃を鈍らせるわけにはいかない」

「ああ、あああ、ああああああ……」

 片方だけになった眼が、内部で眼筋がぐちゃぐちゃに絡まってしまっているのかギョロギョロと輪転する。――その血に濁って青黒くなった瞳が、瞬間わたしを見つめた。


 ――殺さないでくれ。


 瞳はそう訴えていた。

 わたしは。

 わたしは――

「――せめてちゃんと殺してやる。――許してほしいなんて言わない」

「い、いや……だ……アリ、ア……」

 それはきっと、彼の大切な人の名前。

 ――石を振り落とした。頭を潰され、彼は絶命する。一方向にしか血が飛ばないように加減したので、袖にも飛沫の染みは残っていない。

 石を放す――地面に当たってごとんと鈍い音が鳴る。跳ねた地面の上にはくっきりと赤い跡が残された。

 損失を頭の中で数える。

 ――弾丸一発。

 わたしは死体を見下ろした。

 ――約束しよう。

 胸の中で彼に誓う。

 ――他の三人は君みたいに苦しませない。いつも通りのやり方で、一撃で確実に絶命させる。

 死体を岩陰に隠した後、わたしはそれに背を向けて、彼のやって来た方角へと足を向けた。

読んでくださってありがとうございました!

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