monk-01「虐殺①」
暗い森を抜けると、目の前に、嵐の海みたいに激しくうねる黒い岩々に一帯を覆われた広大な荒野が広がった。空一面に暗雲が垂れ込め、湿った岩肌に薄暗い影を落としている。遮る木が生えていないため辺りには冷たい風が強く吹き荒び、時折岩と岩の隙間をすり抜けてはびゅうびゅうと獣のように低く唸っていた。
「魔境――ここが世界の終わり、ね」
隣を見ると、セイラさんが黒いとんがり帽子の広い鍔を押し上げてあたりの景色を見回していた。
魔境……魔の棲む境。
格好良い言い回しですね、と言おうとしたが、その前に馬の背から荷物を降ろしていたゴルザスさんが「ただの岩山だろ……」とボソリと呟く。何となく零した独り言のつもりだったんだろうけど、こういう時、セイラさんは地獄耳だ。
「あーあーこれだから洒落の通じない筋肉男は。あんたにだって小っちゃくて可愛いかったときが多分だけどあるでしょうし、寝物語にお母上から『失われた王国』の物語を聞かされたことくらいあるでしょう? ここはそのお話の元になった場所よ――竜に滅ぼされた王国の遺跡……良いわぁ。あんたにはこの良さが分からないのね」
「ああん? 滅んだのは俺らがついさっき越えてきた山が昔噴火したときに埋もれたってだけだろ。大人が子供だましの空想に耽ってうっとりしてんじゃねえよ」
「あら、噴火ほどの大規模自然災害は昔は神の怒りと思われていたのよ? 世界を終わらせる大いなる意志だってね。だからここは、終わった世界なのよ。――詩的な表現だって思わない? たまには女性をおだてることだって男には必要な素質よ。あんたみたいな筋肉馬鹿にもね」
「余計なお世話だ。俺は根性のある女しか認めねえ」
「あら、あたしは近年まれに見る不屈の魔女よ?」
「…………山登り。予定では一日の行程だったのに、お前が途中何度も足痛いってごねたもんだから二回も山中で野営する羽目になった。根性が足りないんだよ。俺たちは良い迷惑だ。メル・アグリフォンがまだ逃げてるのはお前のせいだぞ」
「やーん。ゴルザスが虐めるわー。助けてザイアくん」
「うわっ!」
珍しくゴルザスさんが優勢だと思いながら二人のいつもの楽しそうな掛け合いを横で聞かせてもらっていると、突然セイラさんが腕に抱き付いて来た。ビックリしたし、恥ずかしい……だって、その……胸が。
「あ! おい! ザイアを味方にするのは卑怯だぞ!?」
「ザイアくんも同じ気持ち? あたしって迷惑?」
腰を低くして、上目遣いに見つめてくるセイラさん。彼女がおちょくって来ていることは分かっているけど、僕も男だから、やっぱり顔が熱くなってしまう。
「い、いえそんなことは! セイラさんの魔法にはいつもお世話になっていますし、体力には個人差があるものだから女性で魔法使いのセイラさんが僕たちより疲れやすいのは仕方がないことだと思います!」
胸の谷間から必死に視線を逸らして叫ぶように答えた。
「そうだよねー! 分かってくれてる! 長旅に駆り出されたときの魔法使いの気持ち分かってくれてるよ! ほーらゴルザス。ザイアくんみたいな可愛い男の子でもあんたより心が広いみたいよ?」
ゴルザスさんに向かって得意げに微笑みかけるセイラさん。腰に手を当てて僕たちの様子を黙って見ていたゴルザスさんは、はあ……と溜息を吐いて両手を顔の横に挙げた。――セイラさんの勝ちらしい。いつも通りの決着だ。セイラさんの方が口が達者だし、ゴルザスさんも何やかんや言って落ち着いた性格だから、大きな喧嘩にはならない。こういう時、いつも二人が夫婦みたいだと思うのだが、前にそれを言って二人に散々否定された(その時は二人がいつも以上に険悪な雰囲気になってしまった)ので、その感想は胸の中に仕舞っておくことにする。
「分かった分かった……分かったから腕放してやれ。ザイアが困ってる」
カラカラ笑って、セイラさんは素直に腕から離れてくれた。良かった……ああでも、なんだか、喪失感……。
いつもならここで話は締められるのだが――一通り笑った後、「……まあでも」彼女は少し目を細めて、
「ちゃんと役目を果たさなくちゃいけないってことは、分かってるから……」
と、帽子の鍔を下に引っ張って深く被り直しながら続けた。
役目を果たす……役目を果たす、か。
セイラさんの呟いた言葉を、胸の中で繰り返す。
そう、僕たちはもう、メル・アグリフォンを倒す局面にいる。
今代の魔王を、人間側の代表である僕たちが討つ。
僕たちはここに遠足に来たんじゃない……大いなる儀式の締めくくりの為に、この世界の終わりへと、足を踏み入れたのだ。
「……とうとうですね」
決意を新たに、もう一度岩の荒野――魔境を見回す。
……ここに、メル・アグリフォンが、魔王が居る……。
「そうだな。決着は近い。だが陽も傾いてきているし、今日はここで野営するぞ。メル・アグリフォンが潜伏していると思われる古城ともほどほどに離れているし、岩陰もあって良い立地だ。山を越えてきたばかりでお前ら――特に運動音痴の魔女は疲れているだろうし、諸々の準備も必要だ。今日は戦いの前の休息とする」
「りょうかーい……って、クリルくんは?」
両手を上げて万歳したまま、きょろきょろ周りを見回し出すセイラさん。
確かにクリルさんの姿が見えない。山中での最後の休憩の際に、下手に休み過ぎると馬が疲れるからと言ってゴルザスさんとクリルさんの荷物組は先に出発したのだが……
「ん? お前らの分の水まで間違えて持ってきてしまったっつって途中で引き返したぞ。そんな大きな問題じゃないと言って引き留めたんだが自分だけ引き返すって……合流しなかったのか?」
ゴルザスさんが訝し気に僕らを見た。……あれ?
「? いいや会ってないけど? 薄情者のあんたと一緒に先に到着したんじゃなかったの?」
セイラさんが答える。全くその通りなので僕も横で頷いた。いやゴルザスさんを薄情者とは思わないけれど。
僕たちの答えを黙って聞いていたゴルザスさんは、一度森の方角を振り返り――首を振って、それとは反対側の荒野の先へと向き直って、遠くを見るように目を細めた。
……僕も何となく察しがついた。セイラさんも思い当たっているらしく、やれやれと溜息を吐く。
……本当、僕たちの勇者は勇ましい……。
「……遭難したと思うか?」
「違うと思います」
念のため尋ねられた質問に、僕が即答した。
「あの人、一人で魔王を倒す気です」
サブタイトルの意味がだんだんと分かっていくと思うので、楽しみ(?)に待っていてください!