fool-02「始まりのキオク」
おはこんばんにちわ! 中々更新する曜日が安定しなくてマジすいません!
あの夜、わたしは満天の星空の下で目を覚ました。周囲に灯りになるようなもののない真っ暗な場所だったが、星の明かりが強かったため夜目がきくようになればある程度辺りの様子を見回すことができた。
そこは大きな城の大広間だった――何故かわたしにはそこが城であることが直感的に分かった――が、人が居なくなって相当な年月の経過した古城であるらしく、大理石の床には至る所に大きな亀裂が走り、そこからは草花や蔓、木の根といった自然の力が容赦なくはみ出していた。城の中にもかかわらず、目覚めた時に星空が見えたのは、昔は絢爛豪華な意匠が凝らされていたのだろう天井がくり抜かれたように綺麗さっぱりと抜け落ちてしまっていたからだった。
そのような野外同然の廃墟の中で、わたしは冷たい床の上に仰向けに寝ていた。寒い夜だったが、凍えてはいなかった。厚い毛皮の毛布が体にかけられていた。それに、脇腹の辺りに温かな感触があった。
毛布を捲って中を覗くと――幼い子供がわたしの脇腹を枕にしてすやすやと気持ち良さそうに眠っているのを見つけた。暗い色のフードを目深に被った、黒い髪の少女だった。
そのときのわたしの驚きと言ったら、言葉にするのも難しい。腰を抜かしたり、叫声を上げることこそしなかったが、茫然とした。そんなもの信じていないはずなのに、幽霊に会ったのかと思った。
何故なら彼女は、星明りの下で豊潤な長髪を濡らす黒を別にすれば、優しく垂れがちの眉から、形の良い筋の通った鼻、薄い淡桃色の唇まで、何もかもがあの日死んだ金髪の少女と瓜二つだったのだ。
衝撃に胸を打たれた。
違う。似ているだけの違う人間だ。あの子のわけがない。――そう頭では分かっている。だが、それでも、理性は否定しているのに、溢れそうになる感情を抑えられない。心の最奥でずっと鍵をかけられていた鉄の扉を内から叩く自分がいる。
彼女が再びわたしの前に現れてくれた。
彼女が再びわたしの前に現れてくれた。
嬉しい、が、今の感情はその一語で呼び表せない。哀しみ、怒り、切なさが、パンドラの箱の中身のようにふつふつとした混沌の中で煮えたぎっている。
――ああ、わたしは……
右手を胸に置くと――そこに、あれの感触はあった。忘れていない。彼女は確かに死んだ。わたしはそのことを忘れていない。
ゆっくりと肺の中の空気を吐き切って、深く息を吸い込んだ。
大丈夫だ。ただ、思っていたより突然に、贖罪の機会が巡って来ただけ。
わたしは周囲を見回した。
わたしには、このような廃墟で眠った記憶がなかった。第一、前の日は、自分が拠点の一つとするある場所――少なくともちゃんと雨風のしのげる室内――に居たはずなのだ。そのはずなのだが、起きたのはこの通り、見も知らぬ荒れ果てた廃墟だ。仕事柄、野宿は別に珍しくないとはいえ、全く知らない場所で目覚めたという状況は、わたしの人生の中でも奇異な経験だった。
しかし、初めて見る場所のはずなのだが、わたしは何処かこの石の大広間に既視感を覚えた。
わたしはここを知っている?
思い出される幼き日の記憶――それを確かめるためにも、わたしは彼女を起こすことにした。
肩に手を置いて揺すると、少女は薄目を開けてぼんやりした眼差しでわたしを見上げた後、よじよじと毛布から這い出て、ゆっくり上体を起こした。そして大きな欠伸をして、眠たそうに外套の袖で瞼をこすってから、もう一度わたしを眺めた――そして鋭い悲鳴を上げて後ろにぺたんと尻餅をついた。
口をパクパク開けて震える人差し指をこちらに向ける女児――完全に犯罪者の視点だった。
……ポジティブなリアクションを期待したわけではなかったが、女児に怯えられたのは、大人として流石にちょっと傷ついた。
取りあえずわたしが子供に危害を加えるような人間ではないということを知ってもらおうと、出来るだけ優しく話しかけてみた――ら、ますます後ずさられた。
どうすれば良いんだ……。
……いや、唐突に知らない男に眠りを中断されたのだから警戒して当然か。これは正常な反応だ。わたしが特別どうという問題ではない。
そう思い直し、再び、先程よりも優しい笑顔を心掛けて話しかける。――距離が更に広がった。
……もしかすると、わたしは笑顔が下手なのかもしれないな。うん……。
開いていく少女との距離に胸の苦しさを覚えずにはいられないが、ここで諦めるわけにもいかない。
とにかく警戒を解いてもらう必要がある。彼女とコミュニケーションを取ることが出来たら、状況も進展するはずだ。わたしの身に何が起こったのかを知る手がかりを得られるかもしれない。そして彼女の正体も。
わたしの本性は口数少なく社交性に欠ける無表情な人間だが、そのことはしばし忘れて、表情筋を駆使して顔に親し気な笑顔を作成し、もう一度、彼女に声を掛ける。
――しかしその前に、震える声で、彼女がわたしに尋ねていた。
「あなたは、誰ですか?」
幼い少女の声にしては、やけに響く玲瓏な声。
それは文法も発音も、わたしの知るあらゆる言語と一致しない、未知の言語――のはずだったが、わたしには彼女の言っている内容が理解できた――どころか、初めて出会ったはずのその言語に、一種の郷愁さえも覚えた。
それは錯覚ではなかった。
わたしは間違いなくその言語を知っていた。
それは遠い昔、始まりの記憶に、わたしが最初に出会い、聞き、話し、書いた、母国語だった。
幼い心が創り出したには、あまりにリアルで生々しい幻――高大な城壁に囲われた華やかな王国、その中心に鎮座する天突く巨大な王城、父と母、妹、翼の生えた馬、火炎を吐く巨大な龍、そして紫色のローブに身を包んだ妖しい魔術師――全て現実だったのだ。全て現実に起こったことだったのだ。
目を凝らさなければ見えない。
しかし、あると分かっていれば、大理石の床一面に描かれた巨大な陣を見つけることは容易だった。――世界と異世界を繋げる魔法。
引かれた線の一つをなぞる――あの日の記憶が蘇る。
帰って来たのだと、理解した。
この世界に、わたしは再び足を踏み入れることができたのだと。
――だが。
わたしは苦笑した。
全ては遅すぎたらしい。ここがもしあの城ならば、母も、父も、妹も、民も、復讐すべき相手すら、とうの昔に滅んでしまっていることだろう。そしてそれは、もし、などという言葉で片づけてしまうにはあまりに確固とした事実なのだ。
それに、もう一度父母に与えられた名を名乗るには、わたしの魂はあまりにも汚れてしまっていた。
……だけれど。
国のことはもう手遅れでも。
あの子の面影をその身に宿すこの少女を、今度こそわたしは――
ふと、少女の訝し気な視線に気付く。――そうだった、まだ質問の答えを返していなかった。
わたしは少し逡巡してから答えた。目的も教義もなく、何も考えずに数多の魂を狩り尽して来た――愚かな死神の名を。
「イディオ」
身を起こすと、上着の裏で、銃がかちゃりと鳴った。
「……お前と、初めて会ったときのことを、思い出していたよ」
わたしは地面に蹲るメルの額にリヴィンデンの銃口を突き付けて言った。激しい運動、というか戦闘の後で、少し息が切れている。
「確かにあの日は星が綺麗だった。――だが、わたしはやはり宝石箱をひっくり返したような、などということは言っていないと思う。きっと、いつかの別の思い出と、混ぜてしまっているのだろう……」
メルは、何も言わない。その瞳も、何も語らない。
ただ無感情にわたしを見つめる。この局面にありながら助けを請うこともしない。
彼女はもう諦めてしまったのか。それともこいつは最早メルではない何かなのか。
或いは、その両方なのか。
つい先程まで草木萌ゆる草原だったはずのこの場所は、大きく抉られ、地肌が露わになり、大地の傷痕と化した。黒く焦げた草花が足元で嫌な臭いを立てる。まるで爆撃された後のような焼け野原の中心で、わたしは彼女の生殺与奪の権をようやく握ることができた。
この状況に持ち込むために今まで節約して来た予備の弾も使わざるを得なかった。わたしが銃を抜いてから、およそ一分後の決着。これだけ長く続いた殺し合い――いや、殺し合いではない。そうならないよう、わたしは一発の弾丸で全てを終わらせるような真似をしなかった。
だが、未だ、迷っている。きっと今は、おしゃべりに興じて良い時間などではない。考えなくては……考えて……
一方的な会話は途切れ、後には、じりじりと草の燃える音だけが聴こえる。
後は……
――厳然とターゲットを見下ろす。
側頭部の角は既に大きく発達し、捻じれた切っ先が鋭く天を突いている。――忌まわしきシンボル。原罪を背負いし魔王の証。
「……それ、もう生えなくなったんじゃなかったのか?」
苦笑交じりに尋ねる。メルは何も答えない――と思ったら、僅かに唇が動いた。
「……殺してください……」
灰の混じった生温かい風のささやきに、今にも消え入りそうな――懇願。あまりにも哀しい、魂の悲鳴。
――ああ、畜生……あんなに死ぬの怖がっていたくせに。
ズルいじゃないか。勝手に自分だけ覚悟決めておいて。わたしにはギリギリになるまで何も明かさないでいて。
大人だって弱いんだ。そんな簡単に割り切れるわけないだろう?
お前みたいに潔く、諦めれるわけないだろう?
――わたしにお前を殺せるわけがないだろう?
だからお前も、そんなこと言わないでくれ。
突然――巨大な傘が勢いよく開いたような、爆ぜる風の音と風圧。
黒い灰が舞い上がり、一瞬、視界が完全に閉ざされる。彼女を見失う。
――マズい。
咄嗟に上着の裾で灰煙を振り払い、瞬間生まれた外の明りへと、左手で口元を庇いながら突き抜ける。
わたしが飛び出るのと同時に、真っ赤に燃える巨大な炎球が空から元居た灰煙の中へと隕石のように撃ち込まれるのが見えた――紅い閃光――大気を揺らす轟音とそれに続く衝撃――肌を焼く灼熱の炎波。
一つだけでは終わらない。続けざまに、続々と、炎の球は降り注ぐ。手当たり次第に焼き尽くす。徹底的な殲滅こそ、絶対強者たる魔王のスタイルとでも言うように。――きっと、弾切れの心配もないんだろうな……。
鋭い気配をそこに感じて、奔りながら、わたしは夜空を見上げる。白い満月――の前に、羽を広げた蝙蝠のような歪な影が浮かんでいる。
地上の炎が夜の闇を照らす。浮かび上がったのは――有翼双角の黒い天使だった。
……ああ、とうとう翼まで生えてしまったか。
少しは落ち着いてきたと思っていたが、楽観的な希望は捨てよう。
どうやら覚醒はまだまだ初期段階のようだ……きっと、これで終わりではない。そして、このままいけば最終的に、メルはいよいよ魔王に行き着く。――それは嫌だと泣いていた。メルは、そうなるくらいなら死んだ方が良いとも、言っていた。
さあ。考えろ愚か者。
一生で一度くらい賢い選択をしてみせろ。
わたしはリヴィンデンを星空に向けた――戦いはまだ終わってくれない。
読んでくださってありがとうございました。