009 遭遇
『私はあなた達の担任なんだから』
そういった春ちゃんの言葉は、四人の頭から離れなかった。事情を聴かれている間も、話が終わった後も。そして、放課後になった今でさえ、頭の中で響き続けている。
「担任だから、か。そんなこと言われたの、初めてだよ」
茜色に染まった空に、玲二がしんみりと呟く。秋の空はあっという間に移り変わる。つい先日までは明るかったこの時間には、すでに日は落ちている。
「まさに、春ちゃんだから言える一言だよな。うちの先生達は結構面倒見はいい方だけど、俺らみたいな問題児まで面倒見てくれるのは春ちゃんくらいだろ」
「野間口君、自分が問題児だって自覚はあったんだね……。てっきりバカだから分かってないものだと思ってたよ」
「何だ、馬鹿のわりに自分が問題児だってちゃんと分かっていたんだ。意外だわ……」
「おい、今は春ちゃんの話だっただろ!?何で俺がバカにされてるんだよ、なあ!?」
振り返る泰助に返事をするものはいない。その声に反応したカラスが飛び立っただけだ。
「でも、泰助の言うとおりだな。ちょっと癪だけど、さ」
「そうだろ?やっぱりいい先生だよ、春ちゃんはさ!」
「でも、大人のみんなは春ちゃん先生のことをよく思っていないんだよね」
「そうなんだよなー。なんであんなにいい先生が嫌われているのか、俺にはさっぱりわからん」
泰助はこういうが、私と玲二、そして叶恵もその理由をよく知っている。
嫌われているのは春ちゃんそのものではない。「言霊を扱う人間である春ちゃん」が避けられているのだ。
突然世界中の人間が言霊使いにされたあの事件から十年。もう十年も経ったが、その事実をいまだに受け入れようとせず、順応することなく、言霊は悪だとただただ否定し続け。そんな大人たちは少なくない。そんな大人たちにとって、言霊を使う人間は悪の象徴でしかなかった。もちろん、それがたとえ子供であったとしても。
小学生のころから言霊使いだと迫害され、言霊を使うなと脅され、そして言霊を使うことを責められ続けてきた私達にとって、畠山春という存在は女神にも等しい存在だった。
言霊を使う私たちを化物と罵る大人はいても、そんな私たちとの関わりを避ける大人はいても、自分の実の子でさえ見捨てる親がいても、『言霊使いの私たち』を受け入れてくれる赤の他人は、春ちゃんしかいなかった。
そんな春ちゃんを、大人たちは頑なに認めてくれない。いや、認めようとしない。
ここまで春ちゃんが頑張って、私たちのことを守ってくれてるのに、大人たちは春ちゃんを『言霊を擁護する化け物』としか見ない。それが、私には悔しかった。この人が、こんなにも私たちのことを思ってくれている人が、この誰もが言霊を扱える世界で、言霊を扱うというだけで評価されないことが、私はどうしても納得できなかった。
「みんながみんな、言霊を扱える。みんながみんな、言霊使い。今はそういう世界なのに、言霊を使う人間が迫害されるなんて間違ってるよ!」
「ちょ、ちょっと実里、急にどうしたの?」
「急に大声を出すなよ。びっくりするだろ」
二人に言われ、我に返った。思わず、考えていたことを口にしてしまっていたらしい。
「ご、ごめん。ちょっとボーっとしてた」
「まったく……。ちょっとは気をつけてくれよ。最近は数も減ってきたけど、俺らに説教してくる面倒な大人がどこにいるか分かったもんじゃないんだか……ら……」
私を叱りながら、まるで石にでもなったかのように固まる玲二。その視線の先には、スーツを着た男性がいた。その男性も、同じようにこちらを向いて固まっている。
「あ」
「これってもしかしなくても……さっきの話、聞かれてたよね」
「……だろうな」
距離にして、十メートルにも満たない距離。玲二に確認を取るまでも無く、聞かれているのは分かっていた。
お互いに見つめ合い、硬直すること数秒間。先に行動を起こしたのは、スーツの男だった。
「す……素晴らしい、素晴らしいよ、君達!!」
「……はい?」
どんな面倒な説教が始まるのかと身構えていた私達にかけられたのは、予想だにしていない一言だった。あまりの想定外の台詞に思わず聞き返してしまう。
「いやー、まさかこんな若い人がボクのような考えを持っているとは……感激したよ!!いやホントに素晴らしい!!」
「あのー……さっきから一人で何を……」
「ああ、すまないね。あまりの嬉しさに我を忘れていたよ。僕の名前は西田健一郎って言うんだ」
そういって一枚の名刺をこちらに差し出す。
「"スペルマジックサポーターズ 代表取締役"西田健一郎……」
「そう。僕の団体はもっと世の中の人に言霊というものを知ってもらおうと活動している団体でね。まさにそこの君がさっき言っていたことを日本中の人が思ってくれるように頑張っているんだ」
先ほどの言葉は私の本心であり、それこそ私自身も他の人にそう思ってほしいと願っていることでもある。ただ、こう面と向かって、見ず知らずの人から素晴らしいと言われるのは少し気恥ずかしい。
西田と名乗る若い男は、話を続ける。
「ただ、大人達からの反応は悪くてね。特に、50より年が上の人は話すら聞いてくれないような状態。それで、少し落ち込んでたんだよ」
「で、あそこで佇んでいたところ、俺らの話を聞いた、と。そういうことか」
泰助のがさつな物言いに怒ることもなく、指をならして返事をする。リアクションが少しオーバーではあるが、気さくで話しやすい。まるで、近所のお兄さんのような。西田さんはそんな人だった。
「いやはや、本当に驚いたよ。中学生の君たちでさえこんな風に考えているとは思ってもみなかったからね。今は学校でもそういうことを教えているのかい?」
「うーん……そういうわけでもないと思いますよ。うちにものすごく熱心な先生が一人いて、その先生に色々と聞かされているだけですから」
「へえー。そんな先生がいるんだ。こんなご時世にすごいね」
もっと詳しい話を聞きたい。キラキラした西田さんの目は私たちにそう訴えかけてくる。春ちゃんのことをもっと知ってもらいたい私たちはついつい長話をしてしまった。
「日本でも数少ない言霊の研究者であり、言霊に関すること正しい知識を子供たちに教える〈言霊学〉の提唱者。それがうちの畑山春先生なんだよ。すげえだろ?」
「で、私たちがその教え子第一号なんですよ」
うなずいたり、相づちをしたり、時には質問をしてきたりと西田さんは熱心に話を聞いてくれた。
「ところで、みんな帰らなくても大丈夫なの?もうかなりの時間僕と話してるけど……」
そう言われて初めて気づいた。街灯がなければ先が見えないほどに、辺りは暗くなっていた。
「わー、真っ暗だね」
「いつの間にこんなに時間経ってたんだ……?」
楽しい時間はあっという間に過ぎるとは言うが、これほどまでに早く時間が過ぎ去ったのはいつぶりだろうか。それほどまでに楽しい時間であった。
「うーん……もっとお話したかったんだけどなー」
「さすがに帰らないと怒られちゃうよね。今何時くらいなんだろ」
「えーっと、今は七時半だね。大体三十分くらい話してたのか。いやー僕も久々に長話したよ」
いやー楽しかったよ、と西田さんも言っている。しかし、それにしても遅くまで話をしすぎた気はする。私の家は帰宅時間にはさほどうるさくないが、他の三人がそうとは限らない。特に玲二の家はいろいろとルールが厳しいらしいため、あまりにも遅いと怒られてしまうだろう。
「じゃあ、今日はここで解散にしようか。みんな急いで帰らないといけないだろうからね。また今度、その先生のこととか、みんなのこととか、詳しく聞かせてよ」
「おう!まだまだ話したいことは一杯あるんだ。今度時間のあるときにじっくり話をしようぜ!」
すっかり仲良しになった泰助と西田さんは、がっちりと固い握手を交わす。
「そうだ、西田さん。もしよかったら、二週間後にあるうちの学校の合唱コンクールに来ませんか?そのとき、先生も紹介しますよ」
「へぇー、それはちょうどいいね。ぜひとも、その先生にも直接話をしてみたいからね。何とか予定を空けて行くよ」
「ええ、ぜひ!」
再開の約束を交わしたところで、唐突に開かれた言霊談義は幕を閉じる。普段は家まで歩いて帰る世人も、夜遅いことを気にしてか、各人最も早く帰ることのできる手法をとることになる。実里と叶恵はテレポートで、玲二と泰助は方法こそ違えどそれぞれ空を飛んで急いで帰っていった。
中学生四人を見送ったところで、その男も自分の帰るべき場所へと足を向ける。
「いやー、いろいろといい話を聞けてよかった。俺ももうちょっと頑張らないとな。ふふっ。合唱コンクールか。これは二週間後が楽しみだな」
心から楽しそうな笑顔で笑いながら。そう呟いて男の姿は闇夜に消えた。