005 言霊学 その2
問題の内容はわかる。玲二にそうはいったものの、問題の答えにはまったく自信がなかった。その自信のなさは、私の手に震えとなって表れている。
「実里、とりあえず答えを言ってみなって。別に間違っていたって文句は言わないから」
「でも……」
間違えば、何を言われるか。そう考えると、余計に言葉が出てこなくなる。思わず不安げに先生を見つめた。そんな思いが込められた生徒の瞳を見て、先生はその思いを真摯に受け止める。
「学校は学びの場。学ぶ、ということは事実を覚えることじゃない。そんなものは辞書見たり、ネット使って調べれば、学校じゃなくてもできるのよ。そんなことなら家でやっていればいいわ。
《学ぶ》ということは、事実を踏まえたうえで、自分なりの考えを持つこと。そして、学校はその考えを発表する場なのよ。間違った答えも自分なりの考えの一つなのだから、自信をもって発表すればいいのよ」
畠山先生の考え方は、私が知る限り、うちの学校のどの先生の教育論とも違っていた。
「間違った答えだったとしても、その意見は大事なもの。正しい事実は覚え直せばいいんだから、そういう《意見》をいうことが、学校では最も大事なことよ。だから、言うだけ言ってごらん」
畠山先生の言葉は不思議だ。別に言霊を使っているわけではないが、その言葉を聞くと少しだけ自分に自信が持てる。
大きく深呼吸をして、目を見開いた。その瞳に不安の色はない。
「……大丈夫そうね」
「はい!」
クラス中の視線が私に集中している。そんな中で発表するのはやはり緊張する。緊張するが、自信は持てた。
私はもう一度息を吸って、私なりの解答をはじめた。
「まず、言霊分類の方法の名称について。今、日本で使われている言霊の分類法は《対象操作分類法》と呼ばれるもので、『何を対象にして』『その対象に何を行うのか』を基準に分類される。ここまでは合ってますよね?」
一度先生に確認を取ってみると、先生は首を縦に振った。
さらに私は続ける。
「何を対象にするか、で分類をすると、自分を対象とする『自己影響系』、自分以外の生き物を対象とする『他者操作系』、物を対象とする『物質影響系』の三つに分類される。
対象に何を行うか、で分類すると、対象を自在に操ることを目的とする『操作系』、対象の性質や特性を変化させることを目的とする『変化系』そのどちらにも属さない『未分類系』。この三つに分類される。
対象操作分類法は、対象の分類と行為の分類の二つを組み合わせて、言霊を分類するもの。たとえば、相手の動きを封じる言霊は他者操作系、物体特性を変化させる言霊は物質変化系に分類される。これで、どうですか」
私の知りうる限りの知識をわかりやすく説明した答えだ。これでダメならもうどうしようもない。
私の言葉を最後に、教室が静寂に包まれる。永遠にも思える、一瞬の静寂。その静寂は、私を不安にさせるには十分だった。不安で、今にもこの場から逃げ出したかった。
「うーん……。正解、でいいかな。もう少し説明してほしいことはあったけど、要点は押さえてるし、テストの論述問題でも十分合格点あげられる、かな」
畠山先生がようやく口にした言葉で、ようやく私は緊張から解放された。
「凄い……」
「スゲーよ実里!よく分かったな!」
皆が席を立って、私を褒め称える。
「それにしても、何であんなこと知っていたんだ?普段のお前からは想像もできないくらいハキハキと答えていたけど」
「うちの親が仕事の都合上そういうのに詳しくてね。私もよく聞かされていたから、覚えていたんだ。自信は無かったんだけれどね」
普段は口うるさい父親の愚痴が、こんな形で役に立つとは。人生、何が起こるかわからないものである。
「しっかし、実里のおかげでほんとに助かったぜ。ありがとな」
「いやいや、そんなでもないから……」
「ありがとう、実里」
「ちょっとカッコよかったよ!」
「それ褒めてないでしょー!」
褒められて悪い気はしないが、自信のない曖昧な回答でここまで褒められると恥ずかしい。何せ、父親からの受け売りで、自分の知識といえるほど覚えているわけではないのだ。
「でもこれで練習できるな。さて、何の練習から始めようか……」
玲二が練習プランを考え始めたところで、不穏な空気が流れ始める。その違和感にクラスメイトの一人が気づいたときには、すでに手遅れになっていた。
『全員うるさい!!誰もまだ授業終わったとは言っていないでしょうが!黙って席に座りなさい!』
突如として響き渡った春ちゃんの大声に皆が驚く。そして、全員が何も言わずに着席する。私も、言葉のままに席についた。
これは、春ちゃんの言霊だ。対象操作分類法に当てはめるなら、他者操作系の言霊。しかも、クラス全員を一度に支配下におくほどの強力な一言だった。一瞬にして静まり返った皆は、言霊の効果が切れた今でも、恐怖で口を開けない。
「全く……。誰もまだ授業終了なんて言ってないでしょ。皆騒ぎすぎよ」
「でも、答えはあってるんだからもう終わりでいいじゃん」
『黙りなさい泰助。まだ話の途中よ』
口を挟んだ泰助も一瞬で黙らされる。その強い口調は、明らかに少し怒っていた。
「実里の答えには足りない部分があるから、補足説明をして、授業を終わります。それまでは座って、授業をちゃんと受けること。いいね!」
そういうと、春ちゃんは板書を始める。私達は、返事はできなかったが、全員黙ってノートにメモを取り始めた。
板書を終えた春ちゃんはそのまま板書の解説を行う。まず、黒板に内容を書いて、その後に内容の解説をするというのが春ちゃんの授業スタイルだ。
「まだ書いていない人は書き写しながら聞いてね」
黒板に必要なことを書き終えると、必ずこう言って説明を始める。
「分類法の名前については、実里の言った《対象操作分類法》で合ってる。言霊の対象と、言霊の内容の二つの観点で分類するってところも同じ。ちょっと違っていたのは分類の種類。さっき実里はなんて言った?」
「対象は『自己』『他者』『物質』の三つ、操作は『操作』『変化』『未分類』の三つに分類できる。そう言いました」
「それも、つい最近までは合っていたんだよ。つい最近になって、未分類にされている言霊の分類を行うべきだって声が大きくなってきてね。その結果として、『創造系』という新しい分類が新設されたのよ」
黒板に書きだされた新しい事実に誰もが驚いている中、春ちゃんは淡々と話を進めていた。
「先生、それ本当ですか?」
「本当本当。研究者界隈ではもちろんだけど、ネット上でもそれなりに話題になってたみたいよ」
全く知らなかった。というより、クラスに知っていた人間がどれだけいるのだろう。
「その様子だと、誰一人として知らなかったみたいね……。もしかして、授業でやってなかったっけ?」
「いまさら気付いたんですか?」
あきれ返る玲二の返答。それに対して笑って誤魔化す春ちゃんだったが、それで誤魔化せるほど私たちは甘くない。
「せんせー、後でちゃんと教えてくださいよ!」
「ああ、うん。本当にごめ……後で?」
後で、という一言に引っかかった先生は、少し前のめりになって尋ねなおす。
「そうです。さっき先生は『解説が終わったら授業終わり』って言ったんですから、今日の授業は約束通りここで終わってもらいます」
「いや、叶恵。でもね……」
今日中に解説をしたいのであろう春ちゃんは食い下がろうとするが、叶恵はそれを許さなかった。
『それとも、自分が口にしたことを自分で否定するんですか』
「う……」
言霊を使われ、追い詰められた春ちゃんは反論を諦めたようで、お手上げのポーズをとった。
「わかったわよ……。今日はこれで授業終わりにします。その代わり、みんなちゃんと練習頑張るのよ?」
「わかってますって。今から上手くなって絶対に優勝して見せますから!」
ぐっ、と親指を立ててみせたが、春ちゃんの反応は微妙だった。
「叶恵、授業終わりまで何分ある?」
「えっと……あと十五分くらいかな」
「じゃあ朝と同じでパート練習の続きだな。まずはちゃんと音程を覚えてしまうこと。音程を覚えた人は強弱の付け方も意識しながら歌うようにね」
玲二の指示で、みんなそれぞれ自分のパートの練習に入る。上手な人はほかの人にアドバイスをして、下手な人も下手なりに努力を重ねている。普段からまとまりのあるクラスではあったが、今回はそれ以上の団結力を見せている。