表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/12

003 天秤にかけて

 美住中学校では、毎年秋になると合唱コンクールが開かれている。今日で合唱コンクール当日までちょうど二週間前となる。

 二週間も期間がある、というとかなりの時間があるように思えるが、私たちにとってはあまりにも短い時間だった。なにせ私たちのクラスは、合唱以前に各パートの音程すら取れていない人間がいまだに多数いるのだ。


「いやー、私も聞いていてビックリした。まさかあそこまでまとまりのない合唱になってるとは思ってなかったよ」

「今日から朝練ができるようになったので、今までよりも練習時間は増えたんですけど……」


 朝練に加えて、昼休みと放課後。朝、昼、夕と時間を最大限活用して、これから二週間は歌の練習を重ねていくことになるだろう。ただ正直なところ、それでもコンクールで優勝できるほどまでに歌えるようになるかどうかは分からない。


「だから先生、お願いします! 合唱の練習をさせてください!」

「お願いされてもダメなものはダメ!」


 そこで発生するのが、先生たちへのお願いである。

 先生に頼み込んで、授業の時間に合唱の練習をさせてもらう。これはもはや、うちの学校の合唱コンクールでの恒例行事となっているらしい。古くからいる先生や若い先生なんかは行事には好意的に取り組んでくれていて、頼めば早めに授業を切り上げて合唱の練習をさせてくれることも多い。


 もちろん、すべての先生たちがそれを許すはずも無く、お願いして練習をさせてもらえるかは半々くらいのものだろうと先輩たちは語っていた。

 今の授業の担当は、先生たちの中でも一番の若手で、私たちの担任でもあったので必ずいけると思っていたのだが……。


「言霊について勉強するこの授業が、今の時代に置いてどれだけ大事なものなのかわかってる? みんなにとっては一番大事な授業といってもいいくらいのものなのよ?」


 教壇に立っている畠山先生は、私達のお願いを聞き入れてくれそうにもなかった。



「この言霊学の授業では、言霊について正しい知識を得て、正しい理解をして、正しい使い方を覚えるっていう授業をしている。それは何故か、わかる?」

「まだ幼い私たちが言霊を無茶苦茶な使い方をしないようにすることと、過去に言霊が原因で起こった争いを風化しないため、でしょ。もう十回以上聞いたよ」


 授業の度に言われ続ければ、覚えの悪い私だってさすがに覚えてしまう。


「でもさ、言霊の使い方についてはこの授業に限らず散々言われているし、言霊使いの歴史についてだって小学校の頃にも習ってきたんだよ?」

「そうそう、いっつもどっかで聞いたことのあるような話ばっかなんだよ」


 小学校の頃でさえ同じ話を何度も何度も繰り返し聞かされて、その上中学校でも似たような話をずっとされてきた。畠山先生が大切だと言うのもわかる。当然、私たちもわかっているつもりだ。ただ、何度も同じ話を聞かされるだけというのは、苦痛でしかないのだ。


「どうせ同じ話を聞くなら、授業でやる必要はないんじゃねーの?」


そう言うのは、先生の目の前にいる野間口泰助だ。

言い方と態度はほめられたものではないが、泰助の言ったことには私も概ね賛成だ。

それに対して、畠山先生も反論する。


「授業としてやるから意味があるのよ。そうじゃないとただの雑談として聞き流す人もいるでしょ。あと、少なくとも私は小学校では習ってないような詳しいことも交えながら教えてきたはずよ。それに……」

私と泰助の顔を交互に見比べた上で、こう続けた。


「ちらっと見てみたら寝てることが多い奴と、いつみても何度起こしても寝る奴にそんなこと言われても……ねえ。この半年間で自分が何回叩き起こされたか、覚えてる?」

「うっ……」

「それは、ほら……。睡眠学習よ、睡眠学習!」

「そ、それだ実里! 俺達二人とも睡眠学習してたんだよ先生!」

「睡眠学習できてるほどそこ二人は成績良くないじゃない」

「う……」


 私たち二人はもはや何も言い返せなかった。正論だ。

 そもそも、授業の時間を削って練習をしたいというのも私たちのわがままだ。私たちのわがままだけを先生に聞いてもらおうとするのは、あまりにも都合が良すぎるだろう。


 それでも、だ。

 それでも、今は合唱の練習をしたいのだ。

 どうしても、今回だけは勝ちたいのだ。




「畠山先生。俺達、勝ちたいんです。今回の合唱コンで。絶対に」


 急に席を立ち上がってそういったのは、玲二だ。普段ならこんなことに賛成せず、むしろ冷ややかな目で見つめるような玲二も、今回ばかりは違うらしい。


「玲二、さっきも言ったけど、この授業は……」

「この授業が大切なことはよくわかっています。合唱コンの後で、補習でもテストでも受けます。ですからお願いします、畠山先生。合唱練習をさせてください!」


 春ちゃんも少し驚いていた。普段は落ち着いた雰囲気の玲二がここまでいうのは、珍しいなんてものじゃない。小学校からの付き合いの私も初めてのことだった。


「お願い、春ちゃん。どうしても勝ちたいの! だからお願い、この通り!」


玲二に従って、私も席を立って頭を下げると、皆も追従する。

「お願いします!」「お願い、春ちゃん!」「畠山先生、お願いします!」


「あーもうっ! わかった、わかったから一回席に座って!」


 鼻の頭をさすりながらそういった。これは畠山先生の癖で、考え事をしているときや悩み事があるときにする行動だ。

 この行動で、畠山先生がどうしようか、悩んでいると私たちは確信する。座りながらほくそ笑む人や、中にはこっそりとガッツポーズを決めている人もいた。


「わたしがこういうことされたら断れないこと知っててするんだから……」


 春ちゃんが押しに弱いことを知った上でこういったことをするのは卑怯だとは思う。決して口には出さないが、みんな心のなかで反省しているだろう。でも、今回はこの事を利用してでも練習したい。


「……まあ、全員がそこまで言うってことは何か事情があるんでしょ? そこまでやる気なら、合唱の練習してもいいわよ」

「よしっ!」

「でも、全く授業しないってわけにもいかないのよ。ただでさえ他の先生たちによく思われていないのに、授業しなかったなんてバレたら教頭あたりにどんなこと言われるか……。下手したら委員会まで話を持っていきかねないからなあ、あの人」


 確かに、他の先生たちから春ちゃんのいい噂は聞いたことがないが、そこまで嫌われているとは知らなかった。


「と、いうことで。後々問題にならないよう、私の出す問題全てにちゃんと答えられたら今日の授業は終わり。合唱の練習をしてもいいことにします。それならいいでしょ?」


 えー、と思わず不満をあげる生徒たち。何かをすることに不満があるわけではない。不満があるのは内容のほうだ。


「春ちゃん、言霊研究の第一人者でしょ? 研究者(そんな人)が出す問題、答えられるわけがないよ。玲二もなにか言ってよ」

「何で俺が言わなきゃいけないんだ……」

 前の席の玲二に話を振ったが反応が薄い。

「こんなときくらいガツンと言ってよ、委員長」


周りもざわつき始めている。

「はいはい、うるさい。後で補習することになったりしたら皆も面倒でしょ?だから、私もここまでしか譲歩できない。これが限界よ。問題はちゃんと皆が今までに習った範囲の中からしか出さないから、小学校の頃に習っていたり、私の話をちゃんと聞いていたなら解けるはずよ」

「ということらしいぞ、実里。その気持ちはわからなくはないけど、納得するしかないだろ。畠山先生だってかなり譲歩してくれているんだからさ」

「むー……」


 そう言われても私の膨れっ面は変わらない。とはいえ、これ以上は譲れないのであれば、受け入れるほかないのだろう。


「何かほかに言いたいことがあるひとは今のうちに言ってね。これ以上文句がでるようなら、普通に授業するけどどうする?」


不満の声でざわついていた教室は一瞬で静まり返った。この静寂が、私たちの下した答えだ。


「じゃ、さっさと始めようか。みんなもたくさん練習したいでしよ?」


そう話す春ちゃんの目の色が段々と変わっていく。

その目は、自分の好きなことについて話す子供のような目をしていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ