002 あわてんぼうの言霊使い
実里の通う美住中学校では、試験に合格した一部の生徒にテレポートによる通学が許可されている。そのテレポート通学用の場所として、校庭の一角にクッションが設置されている。
そのため、巨大なクッションの上で光が現れては、そこに人を残して消え、そのまま落下していくという奇妙な通学風景がお馴染みとなっている。
十五年前の人々がこの光景を見たとき、誰もが夢だと思うだろう。中にはショックで倒れる人もいるかもしれない。中学校の先生をはじめとした大人たちは口を揃えてこう言うが、実里たちのような子供たちにとってはそれこそ信じられないことだった。
現に、テレポートを使わずに通学してくる生徒たちもクッションのほうに見向きもしていない。たまに幾人かの生徒が、羨望と嫉妬の入り混じる目でこちらを見る程度だ。
実里も学校の試験に合格しており、テレポートで通学している。今日もいつも通りにテレポートしたはずだったが、少しばかり問題が発生していた。座標ずれだ。
テレポートはあらかじめ座標を登録しておいて、その座標に移動するという手段をとることが多いのだが、集中を切らしているとその座標がずれてしまうことがある。今の実里の状態がまさにそれだ。
今回のテレポートで出現した座標は普段より二メートルほど高く、そして二メートルほど水平方向にずれて、クッションのない場所に現れてしまった。さらに、頭を地面に向けた状態になっている。
「えっ、うそ!?」
さすがにこれはまずい。
そう思うよりも先に、口が動いていた。
『変化……』
『空砲、放て!』
実里が言霊を放つより早く、横から突然叫ぶ声が聞こえた。その声によって打ち出された空気の球は実里の脇腹を正確に狙い打つ。
「ぐふぇっ!」
空気の球は実里に当たったところで消えたが、衝突の勢いはそのまま実里に伝わる。その勢いで、実里はクッションへと吹き飛ばされた。
「ふう、危ない登校の仕方だな。こっちまでちょっとヒヤッとしたじゃないか」
「だからって……いきなり吹っ飛ばすことはないんじゃない……?」
「あんな高さから落ちてくれば当然、大怪我は免れない。そんな危険な状況を救ってくれた恩人に対する一言目がその言葉って、ずいぶんだとは思わないか、実里」
私を救ってくれた恩人、もとい、落下する私に容赦なく空気砲を放った犯人はクラスメイト、風間玲二だった。
玲二は、学内では「風使い」と呼ばれている。それは、玲二の使う言霊が風に関係するものがほとんどであることから来ている。風のことなら、玲二に敵うものは先生を含めてもこの学校にはいないだろう。
「でもさ玲二、クラスの集合時間は七時半だったのになんでここにいるの? もしかして玲二も……」
クッションから降りた私は玲二に聞くが、すぐに否定された。
「違う、馬鹿なお前と一緒にするな。そもそも、俺は荷物持ってないだろ」
言われてみれば、玲二はその手に荷物を持っていない。かわりに、その手はバインダーらしきものを抱えていた。
「俺は三十分前には教室に来て、教室で誰が来てないかチェックしてたんだ。そしたら、七時半には練習始めるからその五分前集合っていったにも関わらず、三分前になってもまだ来てない馬鹿が二人ほど、学校まで数秒かからないはずのテレポート組に居てな。その馬鹿二人にお説教にきたというわけだ」
「へー、やっぱ大変だね、コンクールの学級委員さんは」
「大変だねー、じゃない! 他人事みたいに言うが、そのうちの一人は実里なんだぞ!?」
だって他人事だからと正直思ったのだが、流石に口に出すのはやめておいた。私だってもう中学生だ。言っていいこと、悪いことの区別くらいはついているつもりだ。
それに、思ったことをすぐに口に出すのは子供のすることだ。大人のレディーのすることではないだろう。
「とりあえず、遅刻だからな。明日からはちゃんと早起きしてくれよ?」
「はいはい」
適当に返事を返す。そう簡単に早起きができれば私だって苦労しないのだ。
「それで、遅刻者は二人って言っていたけどあとの一人って誰?大体の推測はつくけど」
「あー、多分その推測は合っているだろうな。あいつだよ」
そんな話の途中で、またテレポートの光が発現した。さっきも言ったように、これはいつでも見られる現象だ。
ただ、私たちの真上に発生したことを除けば、の話だ。
クッションからそこそこ離れた位置にいる私たちの上に、その光は現れたのだ。おまけに、学校の四階よりも高いかというくらいの高さに出現している。おそらく座標ずれだろうが、先ほどの私のものとは比べ物にならないほどズレている。
「誰か助けてえぇぇぇ!」
そう叫びながら空から降ってくる女の子に、私たちは見覚えがある。
「叶恵!? なんでそんなところから!?」
「そんなこと言ってる場合じゃないぞ! 実里、受け止めるぞ!」
十メートル以上の高さから落下してくる女の子を受け止める。簡単に言っているが、言うは易く行うは難しである。重さ四十キログラムの物体が、四十キロメートル近い速さで突っ込んでくるのだ。普通に受け止めれば軽い怪我では済まない。よくて骨折といったところだろうか。
ほんの一瞬の思考で、私達は何をすべきなのか、考える。
『変化:ショートカット、二メートル四方のクッション!』
『アップドラフト!』
私たちが少女を受け止めるために取った行動は、それぞれ全く違うものだった。
玲二は「事象操作」を行ったようだ。空気を操って上昇気流を巻き起こし、叶恵の落下速度を落とす。
風の勢いによって落下速度は少し落ちたものの、落下は止まらない。
「ダメだ、このままだと……!」
間違いなく地面と衝突してしまうだろう。いくら速度が落ちてきているとはいえ、そのまま硬い地面に衝突すれば骨折は免れない。
「玲二、そのままゆっくり落として、大丈夫だから!」
玲二が叶恵の落下を押さえている間に、私は「自己変化」を行っていた。私自身の肉、骨、身体を、姿を、みるみるうちに人ではないものへと変えていく。時間にして一秒にも満たない間に、変化を終えた私の姿は、大きさこそ大きく劣るものの、学校のクッションとほとんど変わらない。
丁度、叶恵の真下に構えて落下を待つ。
ボスッと情けない音を響かせ、叶恵は私の上に落下した。
「あーびっくりした……」
「それはこっちの台詞だよ。全く……なんて場所に出現してくるんだ、叶恵。死んでしまうかと思ったじゃないか」
「ごめんなさーい、あわててテレポートしちゃったから、つい……」
植村叶恵はそれなりの速度で落下したようにも見えたが、クッションのおかげで怪我せずに済んだようだ。喋る様子も普段と相違ない。
「いやー、昨日ちょっと夜更かししてたんだけど寝坊しちゃって、あわてて準備してきたの。それで、慌てて飛んできたんだけど……」
「飛んだ先がクッションの上じゃなくて地面の上、か」
「笑っちゃうよねー。慌てて飛び出て死にそうになるなんて」
「笑えない冗談だな……」
普段からどこか抜けてて、ドジをやらかす叶恵だが、ここまで酷いドジはなかなか見られない。きっと、よほど慌てていたのだろう。
「ちょっと、いつまで上に乗ってるのよバカカナ! 早く降りて! 元の姿に戻れないでしょ!」
「わっ、クッションが喋ってる!?」
普段からいたずらを仕掛けているため、叶恵は私が物に変化できることを知っているはずだ。ただ、まだ起きたばかりでまだ寝ぼけているのか、私のことが認識できていないらしい。
「私、私だってば! 実里よ実里! わかったら暴れないで早く降りて、くすぐったいんだから!」
「み、実里!? ごめん、気づかなかった!」
叶恵が跳ね起きて飛び退くと同時に、クッションに変化していた私はすぐに元に戻った。
私はこういう変化にはわりと慣れている方だけれど、長い時間無機物に変身しているのはあまり好きではない。端的に言えば、気持ち悪い。
「ったくバカカナ、何でこんなところに出てくるかね。あのまま落ちてたら怪我じゃ済まなかったでしょーが」
「それ、俺がさっきお前に言ったよな」
余計な口を挟んできた玲二を軽く頭をはたいて黙らせる。
「あ、そういえばまだ挨拶してなかったね。おはよー、実里、玲二」
「おはよう、叶恵。とりあえず今日は遅刻ね」
「それもさっきお前に言ったよな。同じく遅刻した人間が偉そうに言うな」
今度は掌底をわき腹に叩き込む。が、今度は先読みされたのかあっさりと避けられてしまった。玲二のこういう飄々とした態度をとるところが憎らしい。
「とにかく、二人とも明日からは遅刻しないようにしてくれよ?練習時間は限られている。本番までの時間だってそんなに残ってるわけじゃないんだからさ」
「はいはい、わかったって。カナ、早く教室に行こう」
うるさい方の友人を適当にあしらいつつ、ボーっとしている方の友人の手を引いて、校舎へ向かって走り出す。
その校舎のあちこちから、力強く、優雅な、だがしかしまだどこかぎこちない歌声がもれ出ていた。そのバックでは美しいピアノの旋律も聞こえている。