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010 平和は続かない

 西田さんと出会った日から、早いもので一週間が経つ。つまるところ合唱コンクールまで一週間を切ったということでもある。

 うちのクラスはといえぱ、楓本人の努力もあって、全員が音程をある程度まであわせることができるようになっていた。


「おっしい!あとちょっと、あとちょっとで完璧よ。すごいじゃない、楓!」

「うん……」


ただし。


「……叶恵、頼む」

「了解。『言霊解除』!」


 叶恵の言霊による補助があって、ようやくといったところである。

 コンクール本番では、本人の生活に重大な支障を及ぼすもの、そして政府公認の特殊なもの以外の言霊は先程のように強制解除させられる。そうでもしなければ歌のうまい人を模倣(コピー)してしまえば、完璧な合唱が誰にだってできてしまう。そういった事態を防ぐための対策として行われる。

 そのため、言霊の補助つきで歌えたとしても、本番では役に立たない。そして、補助ありでやっと音程が取れるほどの音痴にとって、補助なしで歌うことは困難を極める。現に、補助を消した楓の音程はまたばらばらに戻っている。


「うーん、やっぱり補助かけておかないとダメか……。補助つきで歌ってコツでもつかんでくれるとうれしいんだけど……」


 玲二の無意識の言葉は楓の心を傷つける。とっさに私はフォローに回る。


「まあそう焦ることないって。ね、楓。まだあと一週間もあるんだから、なんとかなるって」

「まだ一週間もある?冗談じゃない!いいか、あと一週間しかないんだ。息継ぎのタイミングや強弱の取り方もほぼ完璧に覚えて、その上で微調整を重ねていくような時期なんだぞ?それなのに、息継ぎどころか音程もまともにとれてない。このままじゃ、優勝どころか龍之助たちにだって勝てないんだぞ!」


 玲二は焦っていた。クラスのだれが見てもわかるほどに。その焦りを見せないように、必死だった。ただ、その焦りは悪い方向へと玲二を暴走させていた。


「今日からもっと練習時間を増やしていかないとな……。最終下校時刻が八時だから、その十分前までは練習できる。それでも間に合うかどうか……」

「玲二、ちょっと落ち着いて。そんなに焦ってもいいことはないよ?」

「叶恵ほどのんびりしていたら一日が終わっちゃうだろ。のんびりしている時間なんてないんだよ!」


 叶恵を怒鳴りつけるほど、無関係な人間に八つ当たりをするほどまでに玲二は追い込まれてしまっていた。追い込んだのは他でもない私たち自身だが、その目に余る態度は私の怒りの琴線に触れる。


「玲二、焦る気持ちはわかるけど落ち着きなよ。誰かに八つ当たりしたところで全員がいきなり歌えるようになるわけじゃないでしょ」

「もちろん練習時間は増やさないといけない。でもそれ以前にみんなの意識を変えないと、どうしようにもない。みんな、焦りが足りないんだよ!」

「だから、焦って練習したって意味がないって言ってるの!いい加減にしなよ!」

『いい加減するのは皆のほうだ!』


 言霊として放たれた一言は、クラスの全員の心を惹き付ける。

 いや、引き込んだといったほうがいいだろう。言霊による『洗脳』。適性のない玲二のそれは全員を洗脳するには至らなかったが、一部の人間は目が虚ろになっている。


『春ちゃん先生の為にコンクールで勝つって言った割に、必死になってるわけでもなく、中途半端な努力しかしない。それでほかのクラスに勝つ?必死に努力している他のクラスに?無理に決まってるだろ!』


 耳障りな玲二の声は大きくなる。クラスの誰を救うでもなく、今までのすべてをただ否定するだけの言霊。我慢できず、言霊を使って私も反論する。


『みんなそれぞれやることがあって、その時間を削ってでも合唱のためにって時間をかけていた。それなのに、アンタはそれを中途半端な努力だっていうの?冗談も大概にしなさいよ。それとも、命を削ってまで努力をしろとか、古臭い考えを全員に押し付けるわけ?』

『そこまで言う気はないだろ。勝手なお前の妄想を俺の意見のように語るのはやめろよ。迷惑だ』

『そもそも、あんたが言霊を使ってる時点で多くの人間は迷惑してるんだけど』



 なるべくしてなった、起こるべくして起こった学級崩壊。そのきっかけは些細なものだったとしても、ここまで大きくなると取り返しがつかない。

 物理的な攻撃をせず、相手を言葉の鎖で絡めとる。運動が苦手な人が好んで使う、言霊の使い方である。この方法であれば、何かを壊すようなこともなく、誰かを傷つけることもない。

 二人が二人とも相手の逃げ道を潰しているが、決定的な一言とはなり得ていない。それもそうだろう。時間がないから、もっと焦って練習をすべきという玲二の意見も、焦ってもどうしようにもないから一度休むべきという実里の意見も、どちらも間違っていない。だからこそ、どちらかが譲歩して妥協点を見つけるべきなのだ。

 だがしかし、二人はどちらも譲らない。自分の意見が正しいと信じて。


「私が……私が、音痴だったせいでみんなに迷惑かけて……。本当にごめんなさい……」


 二人だけでなく、回りも論述合戦を始めるなか、楓は一人つぶやく。その目からは、一筋の涙が流れている。


「もう、これ以上は迷惑かけたりしないから……当日も、私が休めば大丈夫でしょ?」

『『それは違う!!』』


 二人の言葉が重なって響く。その響きは、言霊を放った二人自身をも驚かせる。

 実里と玲二の声は、楓や外野の声を止めるには十分だった。


「楓、歌が歌えないことでみんなに迷惑かけているなんて、本気で思っているの?もしそう思ってるんだったら、それは大きな間違いよ。確かに楓が音痴なのは残念だと思うけどね、このクラスの誰一人として、それを迷惑だなんて言ってない。誰も、楓が抜けることなんて望んでないのよ!」

「……ちょっと癪だが、俺も同じだ。合唱をいいものにするために楓を除け者にする気なんてさらさらないよ」


 実里と玲二の意見に異を唱えるものはいない。


「でも、私……」

「でもじゃない!私たちは、たとえ音痴でも楓にいて欲しい。一緒に歌ってほしいと思ってる!」

「上手下手なんて関係ないさ。教えている俺だってプロの歌手じゃないんだからさ。あんまり気にするなよ」

「実里……玲二……」

「ま、結局は本人がどう思うかだと俺は思うけどな。楓ちゃんはどうなんだ?俺たちと一緒に歌いたいか?」

「もちろん、歌いたいよ!」


 泰助が言うが早いか、楓の答えは決まっていた。その答えを聞いて、二カッと笑った。


「そうか、なら大丈夫だろ」




 誰かが、拍手を始める。それにつられて、みんなが拍手を贈る。みんなのために誰かを犠牲にすることなんてない。誰かのためにみんなが助け合える。うちのクラスはそういうクラスだ。


「じゃあ、話もまとまったところで練習再開しようか!」

「玲二……せっかくいい話だったのに台無しだよ……」

「お前、この流れでそれは無えよ……」


 クラスの全員が玲二の一言に肩を落とす中、一人だけキョトンとした顔であたりを見回す。


「いや、だって練習しないと時間がないって現状は変わってないだろ?」

「だから焦って練習するくらいなら一日くらい思いっきり羽を伸ばしたほうがいいってずっと言ってるじゃん。何、ついに頭がおかしくなって数分前に話していたことすら覚えていられなくなった?」

「そっちこそ、現状を把握する能力が欠けてるんじゃないのか?」

「なによ!」

「なんだよ!」

「ハァ……まーた始まったか」

「二人ともいい加減にしてよー。みんなさっきのアレのせいで疲れてるんだからー」


 にらみ合う二人を止めようと叶恵は頑張っているが、その効果は薄いようで、二人の口論は止まらない。それこそ、春ちゃんが来なければ止まらないだろう。


「はいはい、こういうイベントに男女で別れてケンカするのはお決まりだけど、だーれが言霊を使っていいなんて言ったかなー?玲二、実里?」

「え?」

「はい?」


 二人が同時に横を向くと、叶恵がつい先ほどまで立っていた位置には畠山先生がいた。その両手にはなぜか分厚い国語辞典が握られている。その巨大な質量の塊は、そのまま二人の頭へと容赦なく振り下ろされた。


「いったーい!」

「いっつ……」

「全く……。いくら物理的に影響を及ぼす言霊(モノ)を使わなかったとはいえ、一週間前にあれだけのことをやっておいて今回もまた言霊使うとか、何考えてるのよ」

「でも玲二が……」

「先に使ったのが玲二であってもそれに便乗したらダメ。喧嘩両成敗よ」


 畠山先生は涼しげな顔でそういい放つ。欠点のない完全な正論に、二人とも反論などできるはずもなかった。


「まあ、とりあえず今回は実里の案を採用することになりそうね」

「……てことは……」

「今日は放課後の練習はこれでおしまい。全員、速やかに下校すること」

「やったー!」

「そんな……」


 喜ぶ皆と落ち込む玲二を傍目に、畠山先生は複雑な表情をしていた。こういう表情をする先生は、今まで誰も見たことがない。


「先生、でも何で急にそんなことを?」

「それがね……。こんなものが上から送られてきたのよ」


 そういって全員に配っているプリントに目を通してみると、不審者の出没情報が記されていた。


「三十代から五十代の男性が、以下の地域の生徒に声をかける事案が発生……。あ、うちの中学の地域でもあったんだ」

「でも、声かけられただけなら別に問題にするほどでもなくねえか?無視して逃げりゃいいじゃないかよ」

「みんなが野間口君みたいに逃げれたら苦労はしないと思うよ?」

「それに、話を聞く限りでは学校のことについて詳しく聞こうとしてきたらしくてね。最近物騒な連中が活動を活発にしているって言う話もあいまって、今日は集団下校をさせようってことになったのよ」

「そういえば、怪しい奴が近所に出てるってお母さん達が言ってたっけ……」


 おそらく、声をかけてきた人物こそ、お母さんの言う不審人物なのだろうと実里は考えた。ただ、なぜ学校のことについて詳しく聞いてくるのか、その理由までは想像もつかない。学校のことを聞いて何になるというのだろう。多くの情報は市民に向けても公開されており、わざわざ誰かに聞くほどのものでもないはずなのだが……。


「不審者はまだ捕まっていないし、目的も分からない。何してくるか分からない以上、みんなバラバラに帰らないように。最低でも二人一組になって帰ってね」

「畠山先生、明日以降の練習ってどうなるんですか?合唱コンクールまであんまり時間もない中で、放課後の練習が全くできないっていうのは流石にキツいですよ」

「うーん、今のところわかんないわね。何とか練習できるようには交渉してみるけど、どうなるかはまだなんともいえない。こればっかりは私一人じゃどうしようにも無いのよね」


 微妙な畠山先生の表情は変わらない。最年少の先生にはできることは数少ないのだ。



「それじゃ、練習中断しちゃって申し訳ないけど、今日はこれで終了して集団下校してくださーい。できればテレポート組は家が離れている人とかを送ってあげてー」


 それぞれが帰る準備を進めて、誰と帰るかを決める中、私は楓に声をかける。


「ね、叶恵。よかったら私と叶恵と一緒に帰らない?せっかくだからいろいろと話したいこともあるし」

「え、いいの?叶恵ちゃん」

「私は全然かまわないよー」

「じゃ、今日はこの三人で女子トークしながら帰ろう!」


 叶恵、実里のテレポートコンビに楓というなかなか珍しい組み合わせがキャッキャッと騒ぐ中に、泰助が声をかけてくる。


「おーい、実里、今日も一緒に帰るだろー?」

「ごめーん、泰助。今日はパス!女子オンリーで帰るから!それに、さっきのこともあるし……今日は玲二と話したい気分じゃないのよ」

「じゃーしゃーないな。ほら、玲二。いつまでもぶつくさ言ってないでさっさと帰ってゆっくりしようぜー」

「ちょっと待てって、引っ張るなよ!明日以降の練習計画考えてるところなんだから!」


 それじゃーなーと大きな声で挨拶とともに泰助と玲二が去っていったのを皮切りに、一グループ、また一グループと教室から去っていく。


「ほら、あんた達も早く帰りなさい。楓は特に家が遠いから、気をつけて帰ってね」

「任せて頂戴よ春ちゃん!私とカナの二人がついてるんだからこれ以上の安全はないわよ!」

「そこふたりがくっつくと別の問題が起きそうで怖いんだけど。ま、くれぐれも怪しい人には気をつけるようにね」

「それじゃーまた明日、春ちゃん!」


 挨拶をしてすぐに駆け出す実里、先生に一礼して慌ててそれを追いかける楓、のんびりと後をついていく叶恵。その三人を見送り、教室に残ったのは春ちゃん一人となった。生徒を送り出すときの笑顔とは一転して、かなり険しい顔をしている。


「さて。今日の分の仕事は終わらせたから、もうこのまま帰宅してもいいんだけど……」


 その瞳には、明確な怒りが宿っていた。自分の生徒達に手を出された、怒り。

 

「生徒に手を出してくれたお礼はしっかりとしないとだめよね」


 春ちゃんは勘がいい。その上、頭も切れる。だから、犯人が何をしたいかの予測が大体分かっていた。その狙いの延長線上に自分がいること、生徒がそれに巻き込まれてしまったことも。

 それ故に。

 自分の力でこの問題を解決したいと強く思っていた。

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