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001 秋月の朝

言葉は、人の心を癒す薬である。

身近な人から応援してもらえば元気が出るし、例え見知らぬ赤の他人であったとしても、挨拶をされると少しだけだが心が温まる。

 しかし同時に、言葉は人の心を切り裂く凶器でもある。

何気なく言い放ったその言葉で、人を殺すことさえも不可能ではない。

それゆえに、人々は口から出す言葉には気を付けてきたのだ。それは今も昔も変わらない。


特に、日本という国においてはそれが顕著であった。

その国では、言葉に魂が宿ると言われている。



 カーテンが開いたままの窓から、朝日が差し込む。長い夜の終わりを知らせるように降り注ぐ日差しは、睡眠中の少女には少しばかり眩しすぎた。

 鳴り響いたアラームを止め、時刻を確認するとまだ朝の六時少し過ぎ。起きる時間にしては、まだ少しばかり早い。


「あと五分だけ……」

 そう呟くと布団のなかへと潜り始める。こういった場合、大抵五分以上の時間を過ごしてしまうものだ。

 少女にもその経験はあるはずなのだが、やはり目先の欲に勝てないのが人間という生き物である。布団のなかで団子になったまま、深い深い眠りへとついてしまう。

 完全に眠りについてしまった少女に、スヌーズ機能のついたアラームの音など聞こえてはいない。



 秋月家の長女、秋月実里は朝に弱い。先程のように時折朝早くに目を覚ますこともあるが、その場合も再び眠りについてしまうため、早起きをすることなどほとんどない。

「実里ー、いい加減に起きてきなさい! もう七時よ」

 母の茜の声も聞こえていない。一階のキッチンから二階にいる実里に声をかけているため聞こえにくいのは当然なのだが、布団団子の中身になっている上に現在熟睡中の実里に聞こえるわけがない。


「全く、呼んでも呼んでも起きてこない。用事があるから早く起こせって昨日言ったのは誰だったかしらね!」

 朝の忙しい時間に、何度呼んでも反応が無い娘。普段は温厚な茜でも苛立ちは募る。ちなみに、先ほどで声をかけたのは八回目だ。


 もはや呼びかけるだけでは無駄だと判断した茜は強硬手段に出ることにした。二階への階段を駆け上り、そのまま実里の部屋へと向かう。

 ドアを開くと、丸まった布団が目に飛び込んだ。団子のまま、少しも動いていないようだ。

「全くもう、これじゃあ埒が明かない」

 こういう状態のとき、布団を無理やり引っぺがすと大抵文句を言われる。経験的にそれを茜は分かっていたため、無理に布団から出そうとはしない。

 その代わり、息を吸い込み


『実里、いい加減に起きなさい!』


 布団の中にいるであろう実里に届くように声を張り上げた。

 そこでようやく声が届いたのか、先ほどまで何の反応も見せなかった実里が、急に布団の中から這い出てきた。

 ただ、少しばかり実里の様子はおかしい。しっかりと開かれたその目に光は無く、視線はある一点から動かない。そして何よりも、目の前にいる茜に対しても、一切の反応が無い。

突然叩き起こされれば、大抵の人間は文句のひとつやふたつは言うものだが、それすらない。


パジャマ姿のまま、ぼうっと立ち尽くす実里に対して、茜はさらに続ける。

『十分後に朝ごはんができるから、それまでに学校の用意済ませて降りてきなさい』

 それだけ言うと、実里を気にすることもなく茜はキッチンへと戻っていった。

そう言われた実里は、やはりなにも答えない。

なにも答えはしないが、行動はしていた。

 着ていたパジャマを脱ぎ、下着を着けて、制服に着替えていく。

着替えが終わると、今度は鞄に教科書類を詰め込んでいく。

相変わらず目に光はないが、その行動は至って正常で、なおかつ正確なものだった。

 いや、母の言葉に逆らうことなく、何を言うわけでもなく、ただ淡々と学校へ行く準備を続けるその姿は異常と言えなくもないだろう。

まるで操り人形のように、黙々と、粛々と準備を続けるその姿は。



 現在、学校へ行く用意が完全に終了したところであるが、相変わらず実里に変化はない。

 茜に言われた通り、十分で用意を終えたが何か変化が現れる様子もない。そこに聞こえてきたのは、茜の声だ。

「みんなー、朝ご飯できたわよ」

 朝食の完成を知らせる母親の声が響き渡り、それがトリガーとなって再度実里を動かした。

 今度は一階のリビングへと向かう。これまた淡々と、操り人形のごとく。

 階段を降りるその足も、ふらつくことなく安定している。

 だが、最後の一段を降りようとしたときだった。


『洗脳解除。そろそろ目を覚ましなさい』

 茜の一言は、実里に再び変化をもたらした。

 その言葉によって、瞳には光が宿り、安定していた歩調に乱れが生じる。最も分かりやすい言い方をするならば、いつもの実里に戻った、と言うべきだろう。

 そして、普段通りに戻った実里は、普段と変わらない様子で足を一歩踏み出し、茜の想像通りの結果を引き起こした。

「ーッ! ーーーッ!?」

 声にならない痛みにじたばたする実里は、ここでようやく自分がどういう状態にあるかを把握した。階段を下りたところで足を踏み外し、そのまま顔面から床にダイブしているようだった。


「おはよう実里。気分はどう?」

「いたた…あ、おはようお母さん」

かなり派手にダイブしていたが、どうやら母親を認識できる程度には大丈夫らしい。

「あんた、今日は早起きしないといけなかったんじゃなかったの?いつまで寝れば気が済むのよ」

「え?」

呆れた様子で話続ける母をよそ目に時計を見てみると、その針はすでに七時十五分を指していた。


「えーーーーっ!?」

 いつもどおり登校するのであれば全く問題の無い時間だ。

実里に限って言えば、むしろいつもより早く起きたといえるだろう。

ただ、今日ばかりは遅い。遅すぎる時間だった。

何せ、早めに学校に行くという約束を友人たちと交わしていたのだ。

その集合時間は七時半。たとえ一瞬で学校に着くとしても、いろいろな準備をしていては十五分では間に合わない。


「なんでもっと早く起こしてくれなかったのよ!」

「六時半からずっと呼び掛けていたのについには反応一つしなかったのはどこの娘よ!」

正論過ぎて返す言葉がない。

「ほら、早くご飯食べなさい。着替えも道具の準備も終わってるはずだから、急げば間に合うでしょ」

「あ、ほんとだ。いつの間にか着替えてる」

 当の本人に自覚はなかったようだが、今すぐにでも学校に向かえる格好になっている。

 こんな風に、自覚がないのに事が進んでいる経験が実里には何度かある。もちろん、そうなった原因にも心当たりがあった。


「お母さん、また私になにかしたでしょ?」

「したわよ」

物凄く不機嫌そうに訊ねる実里に、母はあっさりと答えた。

「だっていつまで経っても起きないんだから仕方ないじゃない。起こせって言われている以上起こさないわけにはいかないでしょ。それに実里は起こさなかったら起こさなかったで文句言うでしょ?」

「いや、それはそうなんだけどさ……」

 なにもこんな起こし方をしなくてもいいじゃないか。そう言いたいが、確かに起こされなかったら文句を言うのは否定できないので歯切れが悪くなる。

「自分の意思に反して強引に体動かされるのってすごく疲れるから嫌なんだけど……」

「だったら、朱里を見習ってもっと早く起きることね。はい朝ごはん。文句言う暇があったらご飯食べてさっさと行きなさい」

「はいはい」

突き出された食パンとコーヒーを受け取り、そのまま食卓へと向かう。


 その食卓には、いつも通り早く起きていた妹と珍しく早く起きていた父親がいた。

「おはよ、お姉ちゃん。今日は早いね」

「おはよう、実里。今日はいつもより早いじゃないか。どうしたんだ?」

「二人して同じこと言わないでよ……」

 父の向かいの席に座りながら、あいさつを交わす。

 急いでいる事情を説明している暇もないので、食事を優先させることにした。

「いただきます!」

 パンを口いっぱい詰め込み、コーヒーでそれを無理やり流し込む。味なんて感じないが、感じている暇もないのだ。

 時間はすでに二十分を超えている。本当に急がなければ間に合わない。

「お姉ちゃん、そんなに慌てなくても……」

「七時半学校集合の約束してるからもう時間がないの!」

あまりに急ぎ過ぎているので、返事もつい強い口調になってしまう。

「なるほど、それでいつもより起きてくるのが早かったのか。珍しくお姉ちゃんが朝早くに起きてくるからまた雪でも降るんじゃないかと」

「朱里がそれ言うと本当に雪降るからなあ」

 父親の稔と朱里の掛け合いに移ったところで、また食事に集中する。

 パン、コーヒー、パン、コーヒー、パン、コーヒー……。

ハムスターのように口にパンを詰め込み、コーヒーで胃に流し込むその様子は到底年頃の娘とは思えないだろう。顔もきっと台無しだ。

 母である茜曰く、私に似て素材はいいのだが中身が非常に残念とのことだった。


 パン、コーヒーのセットを十セットほど繰り返したところでようやくお皿が空になった。

「そういえばお父さんも今日は早いけど、どうしたの?」

「ああ、今日はちょっと早番の仕事が入っててね。ちょっと早めに起こしてもらったんだよ」

 どうやら、二人の話はまだ続いていたようで、今度は父の早起きの理由について話しているらしかった。

 このふたりは本当に仲がいい。仲がいい、というよりは気が合うといったほうがいいのだろうが。



 集合時間まではついに残り五分を切った。

「ごちそうさま!」

 ここから先は、本当に時間との戦いになる。

 まずは食器を大急ぎで片づける。プラスチック製のお皿とコーヒーカップは、カシャンと軽快な音を立てて水桶の中に放り込まれる。

「実里! 食器を投げない!」

返事をしている暇なんてない。すぐに洗面所に向かい、急いで身支度をする。

 まずは歯磨き、続いて洗顔。最後に、ちょっとだけ寝癖を直した。

寝癖の立っているところに水をちょっとつけただけのかなり雑な方法ではあるが、それでも何もしないよりはいくらかましだろう。

 普段と比べればかなり時間は短縮できたが、それでも二、三分ほどかかってしまった。


「これで準備よし、っと」

 時計は確認していないが、すでに時間ぎりぎりのはずだ。

 そのまま玄関へと向かいながら、母に声をかける。

「おかーさん、いってきまーす」

「実里、荷物は?」

「忘れるとこだった! ありがとお母さん!」

 準備だけは無意識に終えていたが、その鞄を持って降りるということはしなかったらしい。


 大急ぎで荷物を取りに二階の部屋へと戻ると、準備の終わった鞄がぽつんと置いてあった。

ご丁寧に、部屋の中心にだ。

「ここまでするんだったらいっその事、鞄くらいもって降りてきてくれたっていいのに、ねっ」

 鞄を担ぎながら呟く。自分に言うのもおかしな話なのだが、準備していた時に実里の体を動かしていたのは実里自身ではないのだから仕方ない。

 もう一度降りて靴を取ると、今度こそ学校へと向かう。

「おかーさん、今度こそ行ってきまーす」

「行ってらっしゃーい」

 もう靴を履いている時間もなさそうだった。

仕方がないので、そのまま玄関から飛ぶ(、、)ことにした。

学校へと行くために、実里は大声で叫ぶ。


 昔は秘伝の術ともいわれ、今では世界中の誰もが日常的に使うようになった『言霊』を使うために。


『テレポート、ショートカット:中学校の校庭!』


 瞬間、実里の視界は白色に染め上げられる。

 周囲からは白い光が実里を包みこむように見える。光が実里を完全に覆った後、一瞬。ほんの瞬きをする間。

 その間に、実里を包んでいた光は実里本人ともども消えていた。

ご覧いただきありがとうございます。

下手の横好きで、遅筆ですがこつこつ書いていきたいと思いますので

どうぞよろしくお願いします。

2014/3/24 一部修正

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