別れ。笑顔。夏の空の下で。
耕太と美紅がそれぞれの道を歩み始めた翌日、耕太と山方家は駅へとやって来ていた。別れの時は刻一刻と迫ってきていた。
楽しい時間はあっという間だ。この数日間様々なことをしたし、様々な場所へと行った。花にとっては久しぶりの親子水入らずの時間を過ごせただろう。耕太から見ても花は楽しんでいた。しかし、そんな時間はすぐに終わってしまう。永遠の終わりではない。しかし、愛する者との別れはたとえ一時であっても辛いものだ。
今日の正午過ぎ、山方夫妻は東京へと帰っていく。
「またしばらくの間お別れか……」
耕太は駅構内のベンチに一人で座っていた。
現在の時刻は十一時。山方夫妻の乗る電車の発車時刻まで一時間近くある。耕太はその間三人でいろいろと回ってきてはどうかと提案した。もちろん山方家は四人でも良いと言ったのだが耕太は拒否した。耕太がいることで伝えられないこともあると考えたのだ。
「寂しくなるな……」
小さくため息をつく。
耕太にとって根と葉月は大切な存在だ。十年離れていてもお互いを忘れたことはない程に大切に思っている。二人との別れは花はもちろん、耕太にとっても寂しいことなのだ。
「さて!辛気臭いのはやめだ!また冬休みには会えるしな!」
耕太はベンチから立ち上がり自分を奮い立たせるように太ももを叩いた。
別れが辛いのは花も根達も同じこと。ならば自分は笑顔で二人を送ろうと耕太は心に決めたのだった。
「耕太君。ここにいる間いろいろと世話になったな」
「いえ。またこっちに来るときは泊まっていってください」
時刻は十一時五十分となり、花達は駅へと戻ってきた。現在は最後の別れを行っている。
「今度は文化祭かしらね」
「そうだな。畑農の文化祭は盛り上がるらしいからな!」
「そのときは畑農を案内しますよ」
耕太はあくまで笑顔を貫いた。そして隣の少女も……。
「ウチも案内する!」
「ああ、そのときは二人共頼むよ」
いつもの元気な少女。いつもと変わらないはずなのにどこか違う。その違和感に耕太や根達は気づいている。気づいているからこそいつもどおりに接する。下手に気にかけてしまうと全てが決壊してしまうから。今はその時ではない。
「お、そろそろ時間だな」
「そうね」
「それじゃあ花、耕太君。また文化祭でな」
「はい。待ってますね」
「待ってる」
いくら別れを惜しんでも時間は止まってくれない。別れの時がやってきたのだ。
「耕太君。花のことを頼む」
「任せてください」
その言葉は学校での花を頼むということか、根達が去ったあとのことを言っているのかはわからない。しかし、耕太はしっかりと力強く頷いた。
もちろんわかっている、任せてくれと力強い意志を込めて。
根達は少しばかり名残惜しそうに駅の改札をくぐっていった。
「行っちゃったな」
「……」
花は何も言葉を発しない。耕太はそのことに気を悪くするでもなく、ただただ改札の奥を見つめていた。
「ハナちゃん。何か飲む?」
「……ココア」
「暑いのに?」
「……」
「はいはい」
耕太の家へと帰宅した二人は居間で向かい合って座っていた。花に先程までの笑顔はなく、話しかけても最低限の言葉しか発しない。それでも耕太は花に話しかけることをやめることはなかった。
「ほい。ココアね。熱いから気をつけなよ」
花の目の前にココアを置くとカップを両手で持ち小さく飲み始めた。
「……あつい」
「熱いって言ったじゃん」
耕太は花の言葉にカラカラと笑う。
「……」
「どうした?」
花はカップを持ったまま耕太の隣へとやってきた。耕太はそれを拒否することなく受け入れる。
そして、服の裾を小さく掴む花の小さな頭へ右手を乗せる。さすが女の子というべきか、髪の手入れはよくされていた。その頭を優しく耕太は撫でる。ゆっくり、ゆっくりと。
「……うぅ」
「我慢の時間は終わり。ここには俺しかいないよ」
「コウ……」
ぐちゃぐちゃになった毛糸の束をほぐすように耕太は花に言葉をかける。その言葉はコンクリートで固めたダムを決壊させる。
居間には普段の花からは想像もできない泣き声が響いた。
「うぅ……。恥ずかしい……。恥ずかしいよぅ!」
「そんなに悶えなくても」
花は小一時間ほど泣いたあと、ころっと元に戻った。目元を赤く腫らしてはいるが。
「泣き顔なら十年前に見たし」
「うあぁあ!もう!コウのバカ!バカバカ!」
ぽかぽかと耕太を叩く花。耕太はそれを嫌がることなく受けていた。
「バカー!」
「ぐほぁ!」
花が力を入れるまでは。
「ちょ!ハナちゃん!タンマ!それ以上はいかん!」
「うりゃー!」
「ぐへぁ!」
花の拳が耕太に突き刺さり、耕太はその場に倒れた。
翌日。耕太と花は駅へとやって来ていた。
「おはよー。ハナちゃん、耕太」
「おはようシズ」
「おはようしーちゃん」
そこに黄色いワンピースにショートパンツというなんとも夏らしい格好をした静音がやってきた。
今日は久しぶりに幼馴染三人で遊びに出かける予定だ。
「よし。じゃあ、どこ行く?」
「そうだなー。よし!ひとまず東に行こう!」
「さんせーい!」
「そんじゃ行くか」
三人は仲良く並んで東へと向かって行った。
東の中でも中央に位置する地域。多くの大学やショッピングモールなどが密集するこの地域は耕太にとって苦手とする場所である。
「ここは相変わらず人が多いな……」
「耕太が早速酔ってる」
「もー!シャキっとしてよコウ!」
「しょうがないだろ。人が多いとこは苦手なの知ってるだろ?」
「知ってるよ?だから連れてきたの」
「鬼か!お前は鬼なのかよ!」
「ほらほら!置いてっちゃうよ耕太!」
「あ!ちょ!待てって!」
「あはは!待ってよしーちゃん!」
三人の笑顔と声に乗せられるように夏特有の暑い風が吹く。三人はそれを笑顔で切り裂きながら走っていった。
ところは変わって畑市の中でも一番高い山の頂上。そこに錦公正は立っていた。
「夏の空か。綺麗な青空ってのもいいけど入道雲のある空も夏らしいよね」
ゆっくりと手を空へと伸ばす。届きそうで届かない。遥か上空にある景色。それが何故かもどかしくて、しかしそれでいいとも思える。そんな空を公正は山の頂上から見上げていた。両親が追い求めていたものに届くような気がして。
「ん?」
そんな公正の耳に最近は聴き慣れたカメラのシャッター音が届く。
「綺麗だね」
「そうだね。家にある写真の中にここからの景色があったんだ。小さな頃から僕もよく連れてこられてた」
「好きだったのかな?」
「多分ね」
そんな何気ない会話。夏休み前はできなかった。同じ部活にいるのに、同じ学年なのに、共通の友人がいるのに。でも、今は違う。両親が追い求めていた空というものがつないでくれた。空は繋がっている。両親が言っていたとおりだった。そんな空が繋げてくれた関係を公正は心地よく思っていた。
「私も好きだよ」
好きという言葉に一瞬ドキっとする。自分に向けられていないことなんてわかっている。わかっていても自分へ向けたいと思ってしまう。これが所謂恋というものなのだろう。苦しくて、切なくて、心地良い。
「僕も……好きだよ」
「そっか!一緒だね!」
「……そうだね」
でも、今はそのままでいいと思っている。もう少しだけ空の繋いでくれたこの関係をつなぎ止めておきたいから。
「また、見に来よっか」
「うん!そうだね!」
でもいつかは……。あの寄り添う二つの雲のように……。
「さあ!もっと写真撮ろう!あんまりぼーっとしてると夕方になっちゃうからね!夕方の空も魅力的だけど、この時間の空も魅力的だから!」
「うん。そうだね!」
寄り添ってみたいと少年は思う。
夏はまだ始まったばかりだ。
続く
お久しぶりです!りょうさんでございます!
実に約四ヶ月ぶりの更新となりました。新生活も始まり、なかなか時間の取れない日々が続いております。なるべく更新もしていきたいと思っているので辛抱してお待ち頂けると幸いです!
それではこれからも『農業高校は毎日が戦争だぜ』をよろしくお願いします!