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第四幕:幼き日の追憶

近頃は雨が続き、湿度は高めに感じる。梅雨なので仕方がないことだが、雪奈は髪が痛みやすいのであまり好きではなかった。

「退屈だなぁ……」

広大な敷地に建てられた趣のある平屋建ての日本家屋。その縁側からの景色は完成された日本庭園。初めて訪れた人なら感嘆するだろうが、十二年も住んでいると、飽き飽きしてくる。

「雪奈」

声のした方を見る。少しやつれてはいるが、雪奈によく似た容姿の女性が佇んでいた。

「お母さん!」

言ってすぐに立ち上がり、その胸に抱きつく。

「まあまあ。いい加減中学生なのだから、よしたらどうなの?」

「だって嬉しいんだもん」

雪奈は感情をよく体で表す少女だった。

「ねぇ、お母さん」

「どうかしたの?」

雪奈は庭を指差し、母である昭菜に言う。

「あそこにいる男の人、傘差してないけど風邪引かないのかな?」

昭菜は驚きを隠さずに、なだめるように娘に告げる。

「そんな男の人なんていないわよ?」

「そうなのかな……」

でも確かに雪奈には見えていた。雨に打たれる、大きな鎌を持った男が。

「邪魔よ、道を開けなさいノロマ!」

背後から髪を掴まれて引かれる。痛みに耐えながら後ろを向く雪奈。

「あ、明里姉さん、痛い……!」

「うるさい、うるさい! 口答えする気? 生きてる価値なんてないくせに!」

雪奈が倒れるまで髪を引っ張る。倒れたところを、馬乗りになってビンタを繰り返す。

「失せろ、失せろ、失せろ!」

足で押さえられているため両手が使えず、雪奈はされるがまま頬を打たれ続ける。口の中が切れ、血の味が広がる。苦痛に顔を歪める。

「何、その反抗的な目は! 気に入らないのよ、そういうところが!」

何を勘違いしたのか、明里は拳を振り上げる。

「お止めください、明里様!」

昭菜が雪奈に覆い被さるようにして止めに入る。

明里は舌打ちをすると、無言でその場を去っていった。

「大丈夫、雪奈。あぁ、可愛い顔が台無し」

雪奈の顔はひどく腫れ上がっていて、涙を流していた。

「ごめんなさいね。私が強ければ、雪奈を守ってあげられるのに」

雪奈を強く抱き締める。

「大丈夫。お母さんは体が弱いんだから、無茶しないで」

精一杯笑って見せる。だが、それを見て昭菜まで泣き出してしたまった。

そも、雪奈と明里は姉妹ではない。従姉妹の関係に当たる。父は雪奈が生まれてすぐ死んだと雪奈は聞かされており、写真も残っていない。母は熾樹に嫁いだ身であり、生まれつき体が弱いこともあってか厄介者扱いされている。

二人の部屋は離れの一室。広さにして五畳だが、二人で暮らすには十分だ。食事は毎日決まった時間に運ばれてくるため、用意する必要はない。

熾樹家は完全秘密主義で、中の様子を外に漏らさないようにするため山奥にあり、出入りはほとんどない。また、子どもは一切敷地の外に出ることが許されず、教育も独自で行うという徹底ぶり。教育熱心と言えば聞こえはいいが、実質刑務所とあまり変わりはない。

毎日同じことの繰り返し。息抜きで遊びに行くことも出来ない。さらに、従姉妹の明里からの暴力が日に日に強まり、傷が耐えない生活になっていた。

明里はグループの重役になることが確定しており、幼い頃から厳しい教育をされていたことを雪奈も知っている。そのストレスが祟ってのことだろうと雪奈は暴力に耐えるために思い込んでいた。それが自分への「教育」とも知らずに。

「雪奈は、どうして明里様の暴力に抵抗しないの?」

母の絞り出すような台詞に、雪奈は答える。

「明里姉さんにもいろいろ思い詰めるところがあると思うの。だから、少しくらいは私が我慢すればいいと思うの」

「そう、もう手遅……いえ、なんでもないわ。部屋に戻りましょう」

その時の昭菜は、いつもよりも険しい表情をしていたのを雪奈はよく覚えている。

雪奈は梅雨が嫌いだ。心まで雨になる。服が乾かないのも難点だ。だから、明里に池に落とされた時は、本当に困った。

「雪奈。明日は会議だから、大人しくしてるのよ」

「うん。分かった」

会議は、グループにとって大切なもので、週に一回は必ず行われていた。昭菜も例外なく参加する。

「私は大丈夫だから、安心して会議に出て。ほら、私って足速いから」

屋内でどれだけ役に立つか分からないが、雪奈は足の速さに自信を持っていた。

「えぇ、そうね」

会議があるため、明日は授業もない。なので、たっぷりと寝過ごそうと雪奈は心に決めた。

食事や入浴などを済ませると、その日はすぐ布団に潜り込んで眠りについた。


苦しい。息が出来ない。首を絞められていると気付いたときには、意識はすでに朦朧としているため手遅れだ。狭まる視界で雪奈が見たのは、己の首を絞める明里だった。声は出ない。これでは助けも呼べない。意識が途切れかれた時、不意に首から手が離れる。

「ごほっ、ごほっ!」

横向きになって空気を吸う。全身に酸素が行き渡る感覚が心地いい。だがやっと解放されたという安心よりも、何故明里に首を閉められていたのかという恐怖が勝ち、過呼吸に陥る。

苦しむ雪奈にの腹に、明里は容赦なく蹴りを入れる。続けて二発目、三発目、四発目。四発目で仰向けになった雪奈に、全体重を乗せて足を踏み降ろす。先程までと比べ物にならない衝撃に、何もない胃から胃酸だけが逆流し、吐き出される。そのせいで食道や咽が焼けるように痛む。吐き気もおさまらない。

雪奈の苦しむ様を見て満足したのか、明里は足早に去っていった。

誰もいない部屋で一人苦しみ続ける。気が付くと、雪奈は涙を流していた。

「大丈夫かい?」

唐突にした男の声は、とても優しい声色で、男は大きな鎌を担いでいた。

「深呼吸をして、ゆっくりと」

何故かは分からないが、雪奈は男の言う通りにしていた。そうすると、腹の痛みが段々和らいできた。座れるようになるまで回復してから、男に訊ねる。

「おじさんは誰?」

「私は冬克。君は?」

「雪奈。お母さんは昭菜なんだ」

「そうか……君が、昭菜の。よく似ているね」

言われて雪奈は照れる。

「一つ、お願いしてもいいかい?」

「何?」

「私と会ったことは、皆には内緒にしておいて欲しい。二人だけの秘密だ」

秘密。今まで誰とも秘密を共有したことのなかった雪奈は、それだけで気持ちが昂った。

「じゃあ、私も一つお願いしてもいい?」

「ああ」

一呼吸おいて、雪奈は言う。

「また、会いに来てくれる?」

「……、」

冬克は少し考えたあと、笑顔で答える。

「あぁ、約束だよ」

「じゃ、指切りしよ!」

小指を組んで、二人で歌う。

「「指切りげんまん嘘ついたら針千本」」

「飲ませたあと解剖してその針取り出し永遠ループ。指切った」

「思ったより恐ろしいこと言うね、雪奈は」

「そう? でも、約束だよ。また会いに来てね」

笑顔で言う。

「約束だ」

笑顔で返す。

「そろそろ行かなきゃならないから、また今度会おう」

「またね、おじさん」

雪奈は手を振って見送った。また一人になる。

明里は、何故あんなことをしたのだろうか。それを考えると、雪奈は息が詰まり、吐き気がして思考が出来なくなる。完全にトラウマになってしまったようだ。思い返すのもおぞましいので、一刻も早く忘れるために吐瀉物の処理を始める。

片付けが終わってしばらくして、昭菜が帰ってきた。

「ただいま。大人しくしてた?」

「うん。お母さんの娘だもん。当然だよ」

笑って見せる。昭菜は何かを悟ったようだが、それを押し殺して雪奈の頭を撫でた。

「そう。偉かったわね」

こんな親子の仲睦まじい姿が、いつまでも続かないことを昭菜は知っていた。雪奈も無意識にそれを感じ取っており、精一杯甘えているのだ。いつ来るか分からない別れに対し、備えているとも言える。

結局昭菜は雪奈に何があったのか聞けないまま過ごすのである。

それから数日に一度、冬克は雪奈のもとを訪れるようになった。彼はよく屋敷と外とを出入りしているらしく、話は自然とその方向に行くのは必然だろうか。冬克の話を聞いているうちに、雪奈は外への憧れを抱き始める。だが、前に一度外に出たいと言った時は気を失うほどの苦痛を精神的にも肉体的にも与えられたことがあり、それ以来その気持ちは自分の内に閉じ込めている。叶わない夢とでも言うべきか。

梅雨も明け、蝉が合唱を始めた頃になっても冬克は雪奈を訪ね続けた。雪奈の憧れは日毎に増す。けれどそれを表に出すことは許されない。

そんなある日のことだ。昭菜が呟いた。

「雪奈、外に行きたくない?」

それは思ってもいない幸運だった。雪奈は即答し、昭菜は微笑んだ。

いつ出るの、と雪奈は問う。夜になってからよ、と昭菜は答える。少し疑問に思ったものの、今まで募った憧れが爆発し、そんな疑問など些細なことでしかなかった。

夜。あらかじめまとめておいた荷物を持って、静かに移動し、屋敷の門をくぐる。これがいわゆる夜逃げだということは雪奈にとって知るよしもない。

計画は上手く行ったかに思えた。だが、誤算が三つ。

一つは深夜で交通機関が動いていなかったこと。

一つは出ていくところを見られていて、追っ手がすぐに現れたらこと。

そして、最後の一つは。他でもない、昭菜自身の身体の弱さだった。

二人はすぐに連れ戻されてしまう。それが雪奈は残念でならなかった。

屋敷に戻ると、二人は別々の部屋に通される。雪奈の部屋には、服が置いてあった。それを着ろ、と案内の男が言う。

黒を基調としたドレス。胸元には大きなリボン。腰の辺りには革のベルト。要所要所にはフリルが付いている。一般的にはゴシックロリータと呼ばれる衣装だった。

着替えを終えて部屋を出ると、さらに案内される。そこは、代々当主が受け継ぐ部屋だ。その部屋を継ぐということは、同時にグループのトップに立つということでもある。

「失礼します、お爺様」

襖を開け、中に入る。大奥のように、壁際に男が並んでいる。その手には銃火器。一番奥にあるデスクを挟んだところ葉巻をふかす老人が一人。その脇には大きな鎌を担いだ男。

「おお、やはり似合っておる。ワシの目に狂いはなかったのぉ」

褒められて雪奈は照れる。部屋の真ん中には昭菜が正座をしていた。雪奈も隣に座る。

「さて、貴様ら。自分達が何をしたか分かっているな?」

老人の声に感情はない。ただ淡々と言葉を綴る。

「私が、全て悪いのです」

昭菜が、かすれ声で言う。

「罪は全て私にあります。ですから、雪奈だけは……」

「まぁ、いいじゃろう。その娘は引き続き人質になってもらうがな」

老人が手を上げる。すると、傍らにいた冬克が歩み出る。そのまま昭菜の前に立ち、鎌を構える。

「ねぇ、おじさん? 何をする気なの?」

答えない。

「おじさん」

答えない。

「おじさんってば」

答えない。が、呼ばれる度にその表情が歪んでいく。

鎌が振り上がる。雪奈は叫びながら目を覆う。

しかし、鎌が振り下ろされることはなかった。

「おじ、さん……?」

男は泣いていた。膝から泣き崩れ、四つん這いになる。

「私には出来ません! 私には……娘の前で、妻を殺すことなんて出来ない!」

「……え?」

目の前の男が、自分を自らの娘だと言ったことが、雪奈には信じられなかった。

「嘘だよ……私のお父さんはもう死んだって、お母さんも言ってたし!」

雪奈は母を見る。声もなく泣いているだけで、何も言わない。

「嘘ではない。そも、その男は社会的には死んでおるがな」

老人は上機嫌に言うと、懐から拳銃を取り出し、「役立たずめ」と呟くとその引き金を引いた。

銃声は部屋の中で残響する。雪奈の真横で何かが倒れた。

倒れたまま動かない母を見て、寄る。弾は心臓を貫いており、畳に紅が広がっていく。鼻腔に刺さるのは火薬と血の香り。

母の死体に、雪奈は泣きすがるしかなかった。

部屋に雪奈の泣き声と老人の笑い声だけが響く。

冬克には耐えられなかった。今の状況が。今の境遇が。

今の、人生が。

喉が切り裂けんばかりの雄叫びを上げながら、その鎌を己の胸に突き入れる。老人の笑い声が止む。刃を引き抜き、吐血すると、最後の力を振り絞る。

「雪奈……。こんな不甲斐ない、弱い父を許してくれ。……あぁ、本当に、昭菜によく似て……」

ドサリ、と音をたてて、冬克は息絶える。

「おじさん……? 嫌だよ、一人にしないでよ……!」

一度くらい、お父さんと呼んでみたかった。呼んであげたかった。

「結末は少し予想外であったが、まぁよい。代わりはいる。それよりも、こんなくだらん芝居を見たのは久方ぶりじゃ! お前らもそうは思わんか!?」

老人が笑う。周りの男達も笑う。

「笑うな……」

殺したい。こいつらを殺したい。

「笑うな……!」

それには武器がいる。幸い、目の前には鎌がある。これで、全員殺してやる。

「私の家族を、笑うなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

鎌に手を伸ばす。

「やめろ、それに触れるな!」

老人が叫ぶが、もう遅い。手が触れる。その瞬間、死神の鎌の所有権は雪奈に移る。そして、その能力を使い部屋にいる全員を皆殺しにした。

現実の助けをこう声も、流れ込んできた魂の叫びに消されて何も聞こえない。

気が付いた時、雪奈は紅い海に立ち尽くしていた。そして理解する。穢れている、と。全身に返り血を浴びている自分は穢れてしまった、と。

「逃げ、なきゃ」

おぼつかない思考が判断する。外はいつの間にか雨になっていた。

鎌に関する知識は、所有権を得ると同時に流れ込んできたので問題ない。

ブーツを履いて、庭を歩く。雨で少しずつ血が流れていくのが分かる。

虚ろな瞳で空を見上げる。雲で隠れて光はない。

騒ぎを聞き付けて人が集まってくるが、霊体化しているため雪奈の姿は霊感のある人間にしか見えない。一時的に解除出来ることは分かっているが、姿を見せれば追っ手が来る。

いたまでもここに留まる意味はない。ゆっくりと、しかし確かな足取りで雪奈は門をくぐる。そして、そのまま闇に溶けていった。

その後、死神の鎌を失った熾樹グループの経営は傾き、雪奈は三年間、一度も霊体化を解かなかった。


被害報告:

死者14名。その内一人が身元不明。熾樹グループの意向により非公表となる。

少女が一人失踪。これは公表されるが、三年たった今でも目撃情報はない。


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