69話『薩摩スイーツ大作戦』
「進み、可くなり続ける薩摩で居たいのです」
「……」
「……」
九郎は出された芋焼酎をぐいと飲み干した。
本格の原酒である。焼き芋を液体にしたような甘い風味と度数が高く口の中が軽くひりつく刺激があり、旨い。
そして立ち上がり、
「……じゃあこれで」
「待ってくだされ!」
いつものように逃げようとして、鹿屋黒右衛門にしがみつかれるのであった。
ここは日本橋にある薩摩藩からの交易品を扱う店、[鹿屋]でのことだ。
九郎は縁があってここの常連と言うか、関係者の一部に組み込まれているのである。薩摩人の瞬間ニトロ湯沸し器めいた性質は関わり合いたくないものがあるが、砂糖に焼酎や肉などがお手頃な価格で手に入る店なのでやむにやまれず付き合っている。
のだが、意味不明な提案に乗って無駄なリスクを負うのは御免であった。九郎は黒右衛門を引き摺りながらも出ていこうとする。
「九郎殿! 進可とは……! 薩摩とは……! 惟新とは……!」
「知らん知らん。好きに進化でも蠱毒を煮詰めるでもしておれ」
「見捨てるなど殺生な! 信じておりますぞ、菩薩の薩は薩摩の薩……!」
「菩薩に謝れ」
などと遣り取りをしていると、店の中にあった銅鑼──何故銅鑼があるのか九郎には理解不能であったが──がけたたましく鳴らされて、複数の人間が走り近づいてくる足音が聞こえた。
すわ、援軍かと九郎は持っていた鞘に収めたままのアカシック村雨キャリバーンⅢでいつでも防御できるように意識する。なにせ薩摩人集う店だ。突然斬り殺される可能性も無いとは限らない。
(なんで己れ、そんなのに付き合っているのだ)
一瞬冷静になった頭がそういう悲しい考えをよぎらせたが、いつだって自分の望んだ人間関係が築けるわけではない。大事なのは持っている手札にどう対処するかだ。九郎は無理やり己を納得させる。
障子戸が吹き飛ぶ勢いで──訂正、障子戸を破壊しつつ九郎と黒右衛門が居る部屋に現れたのは、[鹿屋]のマスコットである[さつまもん]と[からいもん]だった。
臨戦態勢の薩摩郷士と巨大な手足の生えた着ぐるみ薩摩芋である。意外とこれらが江戸ではゆるキャラとして人気があるのが九郎にも不思議なことであった。キャラグッズのさつまもんお面なども結構売れている。世も末だと思った。
ともあれ訝しげに九郎は目を細めながらその二人を見ると、床の盆に置かれた茶碗に罅が入りそうな怒声──訂正、実際に罅が入った。示現流なら珍しくない光景である──を上げてさつまもんが叫ぶ。
「死罪!」
言葉と同時に跪いたからいもんは取り出した脇差しで腹を──どこが腹かは不明だがそのあたりに、突き立てて横に切り裂いた。
続けてさつまもんが抜き放った刀で芋の頭をどか、と鈍い音を出しつつ叩き切る!
動きを止めたからいもんの、切られた腹と頭からもろもろと赤紫色の薩摩芋が零れ落ちていく。
黒右衛門は汗を手拭いで拭きとって爽やかな笑みを浮かべて九郎にこう云う。
「ふう、これでお許し願えますな」
「とりあえず切腹すれば話を進められると云う考えがなあ」
呻きながらも、諦めたように九郎はひとまず腰を下ろす。
土下座感覚で切腹をする薩摩人だが、それ故に土下座されたと同じように相手の要求を受け入れるのが被土下座者の務めである。
罅の入った茶碗を持って眉をひそめながら眺めつつ、九郎は尋ねる。
「それで具体的に何をするのだ」
「これでございます」
黒右衛門は微動だにしないからいもんの死骸から、彼の体を構成するマテリアル芋を一つ掴んで九郎に手渡した。
「今年取れた芋です」
「ほう」
「今年は農家の間でもやたら豊作だったのは良いのですが、あぶれた芋を江戸で売って金に変えてこいと達示がありまして……」
「ははあ……」
ちらり、と黒右衛門が視線を送るとさつまもんが力強く頷いて隣の部屋との戸を開けた。
明らかにそこは保管する場所ではないのだろうが、恐らくは九郎に見せるために山盛りになった薩摩芋が積まれている。
薩摩芋が薩摩藩で栽培されるようになったのは意外にここ十数年の前からのことである。薩摩藩は火山灰性質の痩せた土地と毎年のように訪れる台風によって大大名の石高とはいえ、その実質は取れ高も半分ほどで飢饉と隣り合わせの国であった。
そこに痩せた土地でもよく育ち栄養もある薩摩芋が琉球から持ち込まれて一気に広まった。また、困窮救済の作物でありながらも貿易の品目になる為に種芋の藩外への持ち出しが固く禁じられたほどである。
尤も、今まさに飢饉に先んじて将軍からの令で種芋を献上され小石川薬草園で栽培が試みられているのだが。
「幾ら江戸でも好まれるとはいえ毎日同じ芋ばかり売ってもむしろ飽きられてしまうと懸念しておりまして……天ぷらもそう大量に作るのは難しいもので」
「まあ、薩摩の連中が油をたくさん購入していたら己れでも警戒するなあ」
「いやそれは偏見ですが。ともあれ揚げ物は火事の原因となるのでできれば避けたいのです」
江戸ではこの頃、貝や芝海老などをかき揚げにした天ぷらが人気で蕎麦屋などでも出している店が多い。濃い目の蕎麦汁に浸して飯のおかずにすれば、若い男など米を丼三杯は平らげる。
店でもさつま揚げや芋の天ぷらを作りおいて売っているが、大量に作成するとなるとどうしても管理面での問題がある。現代と違って木造家屋ばかりの江戸の街では火事は警戒し過ぎと云うことは無い。それに、店で火事を起こせば火元責任者の黒右衛門は火炙りか遠島の罪を受ける。
「しかしのう……己れは別に料理の専門家でも無いのだが……芋ねえ……」
九郎が腕を組みながら芋の利用について考える。
蕎麦ならば上に載せるものを変えるだけで種類を作れるが、芋そのものを使って作る料理に詳しいわけではない。
(芋炊き込み飯や味噌汁に薩摩芋を入れるのは聞いたことがあるが、どうもあまり己れの好みじゃない……)
甘いものを主食に持ってくるというのは慣れていないのである。
しかし芋を使った菓子なども作り方となると思い出せない。異世界に居た頃は少しばかり菓子作りもしたことはあるのだが。
「そういえば戦後食糧難の時に畑に打ち捨てられていた芋のつるを茹でたり炒めたりしてな……」
「飢饉食を参考にせんでくだされ。と言うか幾つですか九郎殿」
「むう」
別に九郎が戦中戦後世代と云うわけではなく、子供の頃食べた事があるだけなのだが。火を通すとぬらっとした食感で歯ごたえもよくそこそこに旨かった記憶がある。生醤油を絡めるとそれだけで飯のおかずになった。
貧しかった少年時代の記憶は置いて、九郎はやがて思いついた事を提案する。
「そうだ。前にこの店で焼き芋を買った時に思ったのだが」
「なんで御座いましょう」
「いやな、焼き芋と称してはいるが出しているのは蒸し焼きの芋だっただろう? [石焼き芋]にして出したらどうだ? 他で見た事は無かったからな、物珍しさで売れるかもしれぬ」
「そっそれはどのようなものでしょうか」
身をずいと乗り出してきた黒右衛門に、思わず体を引いて手で抑える九郎である。
薩摩芋が日本、ひいては江戸に入ってきてまだ時間が立っておらず調理法も研究が進んでいないこともあるのかもしれないが、当時江戸で食べられていたのは殆どが蒸し芋であったようだ。
土鍋を使いじっくりと低温で焼いた芋を本郷の木番屋が出し始めたのが寛政五年(1793年)──現在九郎が居る享保から六十年ほど先の事になるのだがさすがにそこまでは九郎も食の歴史に詳しくはない。
「別に大した方法ではないのだが……ちょっと庭でやってみよう。砂利石などは有るか?」
「はい。藩士が立ち木を打つ音が火事の知らせみたいで困る、という苦情を受けたので近頃は岩を打たせておりまして。それで砕かれた欠片がたんまりと」
「厭な砂利だのう」
薩摩人の怨念とかが込もっていそうな物質である。
現代においても鹿児島では砕けた花崗岩が山間などに多く見られるが、それらも当時から脈々と現代でも続いている薩摩人が岩を砕いて回っている為だと言われている。一部の観光地などでは薩摩マターとして缶詰に入れられて売られているらしい。
九郎と黒右衛門は奥の廊下を進んで庭に出る。大店だけあって築山や小ぶりの池もあり、菊などの栽培も行われている広い庭だ。無論、木剣で岩を殴りまくる場所も設置されている。以前に盗賊が入ったこともあり用心棒代わりに薩摩藩士とその従者などが住み込みをしているのだ。
適当に薪を持ってこさせて、鍋に石を詰め込む。九郎が準備をしていると店に居たさつまもんを始めとして薩摩武士共が合わせて四人並んで注視するので、どうもやりにくい気分であった。なお、もう一体のマスコット[きもねりん]は人気なので武家屋敷に出向していることが多い。
手癖でマッチ代わりに腰のフォルダから引き抜いた炎熱符で薪に火をつける。すると薩摩武士がどよめいた。
いきなり紙が燃えたのだから当然だが、九郎は最近隠すのも面倒になっているので適当に誤魔化す。
「ああ、これは稲荷明神の霊験あらたかな札で、狐火が出るのだ」
この時代でとても便利な単語が[霊験あらたか]であった。とりあえず霊験あらたかなら空も飛べるし氷も作れる。不思議に思われても、「そういうものなのだなあ」で納得してくれるのである。
すると薩摩武士達も、
「ううむ」
と、感嘆のような唸り声を出して九郎を一種、畏怖のような目で見るのであった。
薩摩では稲荷神社の信仰が盛んであり、それも島津氏の祖である島津忠久が出生の際に、稲荷神が現れて狐火を灯しお産の手伝いをしたと云う説話が残っているからである。
九郎が見せたような狐火を胡散臭いだの、如何わしい妖術だのと口に出すには断じて憚れることであった。
狐娘がお産の騒動に巻き込まれて慌てて火を出したりして見守っていたと思うと少しばかり和む光景だが。
さつまもんが、仲間が特に意味もなく上役に斬り殺されたような厳しい面で云う。
「やはり九郎どンは薩摩ン為に生まれたごっおごじゃっど」
「凄まじく厭な生まれた意味だな」
異世界から帰ったら薩摩じゃなくてよかったと思いながら、手を翳し火にくべた鍋の中で石が熱されたのを確認する。
「これに薩摩芋を突っ込んで半刻ぐらい待つのだが……見張っていても別に時間は短くならんぞ」
九郎が一応そう云うと似たような厳しい面構え、似たような全身を漂う薩摩的雰囲気の武士たちはやはり同時に大きく頷いた。
「うむッ! では打ち方三千回すれば丁度よか頃合いじゃっどッ!!」
「者共! 各々木剣は持ったなッ!?」
「応ッ!!」
言うが早いか、裸足で飛び出して木剣をトンボの構え──えいや、と片手で振り上げたような姿にもう片方の手を添える袈裟斬りに便利な上段の構えである──にして岩に向かっていった。
「きぃえええーッ!!」
「ちぇえええいいッ!!」
などと日本橋中に響きそうな奇声を上げて岩を狂ったように殴りまくる。
いや、実質狂っているのであろう。正気に於いては薩摩で生きられぬ。そう云う時代であったのだ。九郎は再び罅の入った茶碗で焼酎を飲みながら染み染みと薩摩武士を眺めるのであった。
「……一応言っておきますが薩摩武士のすべてがこうでは御座いませぬからね?」
「わかっておる」
「江戸暮らしになるとつい正気に戻る者も居るのですが、こっちに慣れると国元に帰った時に困るので敢えてこう云う立ち振舞いをしている側面もありまして」
「わかっておる、わかっておる」
九郎は悟った顔で敢えて否定はしなかった。
現代でも鹿児島ではこのような風習は一部にしか残っていないとされている。恐らくは県民の半分程度だろう。
時間を計る立ち木打ちがあるので九郎はのんびりと待つことにした。
「そういえば芋を火に入れて食ったりはせぬのか?」
「焼けてしまいます」
「む、まあ火加減は難しいな。アルミホイルも無いしのう」
「あるみ……?」
「なんでもない」
今でこそ焼き芋の時間が大体は知られているがそうでもないのに焚き火──正確には土に埋める感じで──に芋を放り込むなどはしなかったのだろう。
普通に茹でるか蒸すかして食べた方が確実ではある。
おおよそ、半刻後。
薩摩人達が三千回の鍛錬を終えて、殺気が洗練されたような雰囲気で戻ってきた。とりあえず冷やして水で割った焼酎を全員に振る舞うと一斉にぐい、と飲み、
「んまかァ……!」
「わっぜか冷えちょっ……!」
などと運動の後の冷酒にしかめっ面に似た嬉しい顔つきをするのであった。彼らは三日に片歯、三年に片笑窪。笑みを浮かべるのは六年に一度だと教えられている。軟弱にならぬようにである。
厳しい薩摩の生活の中でも酒は一番の楽しみだ。ついでに獣の肝か何かと火縄銃があればなお良い。
喉を潤させた後は、九郎は箸でひょいと石に埋めていた芋を掘り出して浅草紙で包んで手早く焼けた皮を剥いてさつまもんに渡した。
「!」
「どげんじゃッ!?」
目を見開いて真っ黄色の芋をばくばくと齧るさつまもん。
周りの武士がそわそわと見ている。
「どげんか聞いちょんが、応えられいッ!!」
「……」
「此奴ゥ!! 唐芋を我がモンにして食い切るつもりじゃッ!!」
「言語道断の振る舞い!! こン痴れ者をたたっ斬れェ!!」
「落ち着け。芋で争うなよもうみっともないのう」
芋一つで一触即発の事態に九郎が他の武士にも焼き芋を手渡してやる。
するとひとまず静まったようで、全員が同じような顔つきで口に芋を押し付けるようにもぐもぐと食っている。
黒右衛門にも食べさせると彼は嬉しそうに、
「おお、これは美味。蒸かした芋より甘く、とろけるようですな」
「石を熱しておくだけだから火事も起こりにくかろう」
「左様です、左様です」
顔を綻ばせて九郎の手を取る黒右衛門である。武士の方はめったに笑いはしないが、商人だけあって薩摩人の中でも愛想が良い。
特にこの九郎と云う助屋の旦那は新しい発想の商品を次々に惜しげも無く考えてくれるのだから大事に思うのも当然であった。
恐らくは、
(薩摩に何かしらの恩義があるのだろう……)
と、口には出さないが勝手に思っている。勝手に思われても九郎は困るのだろうが。
「お返しに幾らでも、薩摩芋と塩漬け豚は持って行ってくだされ」
「そうか? うむ、豚肉が手に入るのはここぐらいだから助かるのう」
薩摩藩に於いては芋の普及と同時に大量に取れる芋屑を餌にした養豚も近年より盛んになっており、大々的に江戸で売りだすわけにはいかないが隠れた需要はあるので江戸に持ってきているのである。
出汁取りにも良く、取った後はまた味付けして食える塩漬け豚肉は九郎を始め、晃之介や影兵衛などにも好評だ。
口の中に芋を同時に収めきった薩摩武士達がまったく同じ仕草で茶碗を差し出し、黒右衛門の部下の丁稚が芋焼酎を注ぐとやはり同じ仕草で口にそれを含み一息ついた。
「おいはもう、唐芋侍でよかな」
「ああ、よか」
頷き合う。どうやら気に入ったようだ。
江戸の住人が蒸かした芋を飽きてしまわぬかと云う懸念だったので、普段から芋をくい慣れている彼らが満足する様子ならば充分であろう。
「後は広告を読売あたりに渡して、[元祖]とか[薩摩発祥]とか書いて売り出しを知らせることで、江戸近郊で芋が作られるようになり後追いの焼き芋屋ができても客が本店を選ぶようになるからな」
「成る程」
さつまもん達が第二陣の薩摩芋を石焼き鍋に投入しているのを尻目に九郎は宣伝の助言をした。
幾ら薩摩芋の栽培が試験的に始まっているとはいえ江戸近くで作られるには数年掛かるだろう。その間にブランド力を付けて、「やっぱり薩摩から来た芋の方が美味い」と評判付けられれば最善だ。
実際の江戸で人気だったのは川越のあたりで作られた芋が、地質が合ったのか甘くて美味いと人気だったと伝えられている。六科の実家があるあたりである。
さつまもん達が第二陣の岩殴りに駆け出したのを見送って、黒右衛門はまた九郎の手を取って上目遣いに云う。
「九郎殿、実はもう一つ」
「面倒い」
「……お頼み申し上げます! 無論ただとは言いませぬ、内証ですが、これを……」
そう云うと、黒右衛門はくすんだ黄金色の砂が詰まった袋を渡してきた。
九郎もぎょっとしたが、匂いですぐに気づく。
「これは……鬱金か?」
「はい。琉球で取れた純正の鬱金で御座います。専売制で殆ど市場には出回らず、一部の金持ちしか手に入らぬのですが……その市場値段はこの一袋で七両ニ分」
「高いのう……」
「琉球産は効果が段違いですが値段も桁違いなのです」
しげしげと九郎は袋に入れられた独特の薬臭さがあるさらりとした粉を眺める。
鬱金と云う植物は割と繁殖力が強く、江戸時代でも享保以降に目黒などで栽培されていた記録が残っているがその産地によって成分、効能は大きく変化する。特に、鹿児島以南で取れるものが非常に優れているのである。
収穫時などにも見張りが付くほど持ち出しに警戒されている鬱金は琉球との貿易をしている薩摩にとっても価値の高い薬の一つであった。
金を払えば手に入ると云うわけではなく売り手と買い手は殆ど決まっており、[和漢三才図会]などで紹介こそされているものの普通買えるものではなかった。
九郎は目を細めて、
(石燕の体に良いかもしれぬな……)
と、酒飲みの彼女を思い、
「仕方ない、話だけは聞いてみよう」
そう云って頼み事を促すのであった。
黒右衛門の愛想のよく笑う顔を見ていると、どうもその辺りの事情も調べて肝臓に良い鬱金を対価に出してきたような気がしてならなかったが。
「実はですな、大衆向けの焼き芋とは別に、大商人や大名向けの高級菓子を考案していただけないかと」
「高級菓子?」
「前に九郎殿が氷菓子を振る舞ったことが家老の耳にも入りましてな。砂糖と言えば長崎か薩摩。しかし南蛮の菓子については向こうに一日の長がありまして。それで変わった菓子を作る九郎殿に頼み、氷を普通に使うのは無理だろうから常温でかつ目新しい菓子をと」
「そうは云うがな、己れは菓子職人じゃないぞ」
九郎が困ったように云う。レシピ本でもあれば別だが、記憶に頼って作るには自信が無い。
なにせ材料が足りなかったり焼き時間を失敗したらすぐに台無しになるのが菓子作りだ。料理の基本に忠実に作る代表として菓子をひとまず作らせてみれば良い、と言い出したのはジャム作りに定評のあるノストラダムスだったか。
そんな変な事を覚えているのは魔王の影響だが、九郎はどうしたものかと頭を悩ませる。ざっくりと目新しい南蛮菓子でここで手に入る材料で作れるものと言われても、信長のシェフでも無いのだ。そうそう思い浮かばない。
九郎が唸っていると、
「ふふふ、困っているようだね九郎君!」
いつもの声が聞こえた。
*****
無人の野を行くがごとく当然の態度で店の廊下を歩いてきたのは、毎日が忌中日で見たら親指を隠せと噂されている妖怪絵師、鳥山石燕だ。
すたすたと近づいて来た彼女は薄笑いを浮かべながら腕を組んで軽く壁に寄りかかりながら云う。
「通りすがりの町絵師さ……何の変哲もないのが特徴のね!」
「芸風変わってません?」
「見た目や肩書は特別じゃないのだが実は……みたいなのが格好良いと云う好みに変わったのだそうだ」
ひそひそと話しかけてくる黒右衛門に応える。
九郎は胡散臭げな眼差しを向けて、
「なんでここに居るのだ、お主は」
「なに、九郎君の関係者と言えば簡単に通してくれたよ。しかし薩摩人の関係者の九郎君の関係者の私となると……薩摩人の関係者と思われないだろうか不安だね?」
「済まぬがもう一度言ってくれ」
「だから九郎君と薩摩が……ああもういいよ。それはともかく。何かお困りならこの美人助手こと私を頼ってみても構わないのだよ?」
「……」
「……」
「……構わないのだよ!」
沈黙の攻撃に耐え切ってクールに設定を通す石燕である。
(まあ良いか)
助手に雇った覚えは無いが、別段構わないだろうと思って九郎は説明をする。
「いやな、南蛮の高級菓子を作れぬかと相談を受けていたのだが己れはちょっとのう」
「九郎君。まさに私向けの案件ではないか。若い頃──ゴホンゴホン! 今でも若いんだった私は。ええと、少し前に長崎に行っていた時は輸入された南蛮の料理書なども目を通してあるのだよ」
「ほう! それは頼もしゅう御座います!」
黒右衛門に石燕は皮肉げな笑みを送って、帯に差してある細い文箱から筆を取り出してさらさらと紙に必要な材料を書き記す。
「とりあえずこれだけ用意してくれたまえ」
「ええと、鶏卵と砂糖と小麦粉、それに白牛酪ですか」
洋菓子によく使われる三つの素材と、牛乳は無いのでそれを加工して作られた薬が白牛酪である。
インドから輸入した白牛の乳から作られたもので当時は高価な薬として売りだされていた。
前三つはともかく、将軍が作らせた[御用達品]が材料に含まれるのは高級菓子の箔付けと云う面では重要な事だろう。
黒右衛門は早速、手代などを呼び寄せて砂糖はともかく他の具材を買いに走らせるのであった。
やがて……。
材料が揃った頃に丁度、さつまもん達の儀式が終えて再び戻ってきていた。そして再び冷えた焼酎と芋を食べ始める。
「それじゃあ調理を始めようではないか」
喪服にたすき紐を掛けて袖を捲り、鉢や鍋などを並べた石燕は得意気に胸を張ってそう宣言した。
まず卵を割って卵黄と卵白を分けていく。
卵白の方を入れた器に砂糖を加えながら茶筅で泡立てる。
それに小麦粉と白牛酪を追加して軽く混ぜる。
別の底が薄い器に複数流し入れて、それを蒸し器に入れる。
「手際が良いのう。大したものだ」
「いやまあ、なんと言いますか。鼻歌を歌いながら料理している姿は普通に美人なのですがねえ」
「否定はせぬが」
などと九郎と黒右衛門が見物しながら感想を言い合う。
蒸している間に卵黄に砂糖、白牛酪と水を混ぜながら小麦粉を足して粘りを足していく。
蒸し器の上で器を暖めながら卵の凝固作用を使って全体を纏まるまで混ぜる。
さすがに暑いのか、汗を掻いた額やうなじを軽く拭う事が何度かあった。
さつまもん甲乙丙丁は皆一様に顔ごと視線を逸らして、開けっ放しになった隣の座敷に掛かってある[日新菩薩]と書かれた掛け軸をじっと見ていた──が。
その内の一人──さつまもん丁とするが、彼だけうっかり石燕を見続けていたのである。
それに他三人が気づいた。こうなれば大変だ。
「きさン!! なァンぼけっと見とっちょかァ!!」
「おなごンこっしか脳になっかとかッ!! こん外道!!」
「待て、おいはあン先生ン姿が故郷の姉か母みたいじゃっど思うちょっただけで……」
「議を云うなッ!! わァは姉や母に見惚れっとかァ!」
「死罪じゃッ!!」
雷鳴のような怒鳴り声が響いた。
一人で居るならば腹を切るだけで済む薩摩人だが、複数の見栄が絡むと殺し合いが始まるのが常である。
殺される方もただでは殺されてやらぬ。菓子作り見学は血の雨が降る場面になりかけたが……
「ほら、皆さん方。タレができたから味見をしてくれないかね?」
石燕はにこりと笑い、小皿に持った淡黄色の柔らかなクリームを四人と九郎に黒右衛門の前にそれぞれ出した。
鼻息あらく、何だこんな誰とも知れぬおなごの作った軟弱な菓子……とばかりの顔でさつまもん達はそれを舐めて、全員顔面神経痛のような顔になった。
両頬が綻び笑みが浮かびそうになる甘味に、必死に女子の前で笑わぬように顔面を耐えさせているのだ。
甘い。彼らに取って甘味とは、芋のほっこりとした素朴な甘さか、サトウキビの汁気のある液状の甘さだ。
しかしこれは雲丹のような食感で口腔内の味蕾にそのまま染みこむ、ねっとりとした脂めいた甘さなのである。
未知の美味に耐えるための労力は殺し合いよりも遥かに困難であった。
軟弱になるな、強健であれと育てられた彼らにしても、石燕のような女が手ずから作った甘いものを口にして、悪い気は因果地平の彼方に消えてしまったようである。
黒右衛門は武士ではないので素直に顔に皺を寄せて味わった。
「んん……甘い。鳥山先生、これは一体」
「南蛮の甘い蜜、[かすたあど]と云うものだよ!」
「ははあ、大したものだ」
九郎も感心したように指に付けて舐めた。確かに、カスタードクリームの味がする。魔王城に居た頃にイモータルが何度か手作りした味わいによく似ていた。
「これだけでも売れそうですが……」
「ふふふ、ここで更に先ほど作った皮を用意する」
云うと石燕は蒸していた器を取り出す。
泡だった卵白に小麦粉が膨らみ、卵黄を加えていない為に全体的に白っぽいふわふわした皮ができあがっている。
彼女は指先を熱で薄く赤らめながらそれに器用にカスタードクリームを詰めて包み、見た目は饅頭のように作り上げた。
「さあ、食べてみてくれたまえ」
まだ熱いそれを口にすると、やわらかな上顎にくっつきそうな甘くもふわりとした食感の皮に、ねっとりとした甘いクリームがとろりと中から出てきて得も知れぬ旨さを出す菓子であった。
九郎はハッとして云う。
「石燕、これ確か萩のつk」
「かすたあどの菓子だから[かすたあ殿]──薩摩風に[かすたどん]とでも名付けようか!」
「だからこれ萩のつ」
九郎の言葉を遮って賞賛の叫びが上がりかき消された。
「素晴らしいです鳥山先生!」
「先生!」
「先生!」
「姉上殿!」
「ふふふ褒めたまえ褒めたまえ」
あまりの旨さに半ば信者化したさつまもん達に褒めたたえられる石燕である。こんな扱いを受ける女絵師は彼女ぐらいだろう。
九郎は半分齧ったかすたどんに目を落としながら、誰にというわけではないが、
「……すまぬな、仙台」
と、一応謝るのであった。類似品に注意しよう。
*****
何やら銘菓誕生の歴史が改変された気がしないでもないが、もはや気にしても仕方ないので諦めながら九郎と石燕は帰路についていた。
かすたどんの作り方は詳細に石燕が図付きで渡しておいたので、何度か練習すればあの店でも作れる様になるだろう。
その彼女は白く長い布を首に巻いて秋風に靡かせながら、機嫌良さそうに九郎の隣を歩いている。
「本当にそんな報酬で良かったのか?」
九郎が云うのは、彼女が巻いている布の事だ。全体は長く、首にぐるりと巻きつけているものの半丈(約一.五メートル)は余って首から垂れていた。
石燕は目を閉じながら涼しげに、
「金銭ですぐに報酬を貰ってはそこで恩の貸し借りは終わってしまうのだよ、九郎君。あのかすたどんが大評判になった時に私の恩の価値は最大まで上がると思わないかね?」
「ああ、そのへんはちゃんと考えているのだな」
石燕ばかりか、九郎も鹿屋にかなり恩を貸しているのである。
作り方はやや煩雑だが高級菓子としては十二分に通用する味のものなので重用されるだろう。鎖国をしていた江戸だが外国のものを食ってはいけないわけではなく、江戸市中でも大店がカステラ作りのパフォーマンスなども行っていたようだ。
それに、と彼女は言葉を続けた。
「これも良いものだよ九郎君。この木綿布はね、薩摩に現れる妖怪[一反木綿]を捕まえたものだそうだ」
「一反木綿? 名前ぐらいは聞いたことがあるが、あれ薩摩の妖怪だったのか」
薄ぼんやりと、昔見たアニメで片目を隠したちゃんちゃんこの少年が乗り物にしていた妖怪を思い出した。
「そう。薩摩では死人を桶に入れて墓地まで運ぶときはこの一反木綿を掲げるんだ。それに怨念が取り憑いた結果、ゆらゆらと風に乗って現れて人の首を締め窒息させる妖怪になったと言われている」
「そんなもの首に巻くなよ、縁起が悪い」
「なあにこの一反木綿は捕まえて立ち木に被せて三千回ぐらい打ち付けたら死んだのだとさ。それをまた縫い直したものだと言われたね。だから一反木綿とはいうけれど、長さも幅も半分ぐらいになってしまっているのだよ」
「退治の仕方が薩摩すぎる」
妖怪も商売上がったりだ。布で一反と云うと着物一つを縫える程の大きさになってしまうが、確かに石燕の巻いているそれは白い襟巻きに見えなくもない小ささだ。
勿論一反木綿以外にも芋焼酎や黒砂糖など、嗜好品の類をあれこれと貰ってきたのではあるが。
石燕は、芋のみで作った混ぜ物の無い上等な芋焼酎を入れた柄樽を持った九郎を嬉しそうに見ながら、
「色々土産も貰ったからね。今日は飲もうか九郎君」
「今日も、だろう……おっと、そうだった石燕」
「うん?」
九郎は両手が塞がっていたので一旦柄樽を地面に置き、懐から鬱金の袋を取り出して、彼女に手渡した。
すぐに匂いでわかったようだが珍しいものなので石燕は二三度まばたきをしてそれを見る。
笑うようにして九郎は云う。
「酒の飲み過ぎに気をつけて体をいたわれよ。鬱金をやるからのう」
「これを……もしかして九郎君、これを貰う為にあの店で?」
「そうだな。お主にやろうと思って」
再び柄樽を持って前方を向き直し、歩き出しながら真顔で九郎は頷き、そう応える。
石燕は──袋を握って胸元を抑えて、自分で思ったよりも心臓がどくどくと無駄に血を作って送っている事を確認し、その手で首元に巻いている一反木綿を摘んで顔の口と頬を隠し覆った。
やはり、顔は涼しくなった秋風で冷やせぬ熱を持っているし、少しだけ口はだらしなく半開きになって笑っている。
「石燕?」
話が途切れたので九郎が不審に思って歩きながら振り返り彼女を見てくる。
石燕は目を細めながら、わずかに弾んだ声で、
「なんでもないよ。九郎君、ありがとう」
「ん、そうかえ」
その時、一陣の風が吹いた。
強いものではない。ただ、石燕の巻いていた布の余って伸びていた部分が吹かれて動き───。
近くに居た、九郎の首に巻き付いた。
彼は少し困惑したように、
「むう、実は生きておるとか無いよな? この一反木綿」
「……どうだろうね。ふふふ」
「まあ良いか。帰るぞ、石燕」
「うん、そうだね九郎君」
九郎が首に巻き付いた一反木綿を取らなかったのは両手が塞がっていたからだが。
二人は緑のむじな亭に戻るまで、その布の両端を首に巻いたままのんびりと歩くのであった。
一反の距離よりは近い場所で。