7話『安全装置』
九郎がお八と知り合ったのは穀雨の頃の夜半であった。
その日は石燕のおごりで、九郎と多芸多才の剣士、録山晃之介が夕食に軍鶏鍋などを食いに行ったのであった。
江戸に来る前は様々な方へ旅をしていた晃之介の話を石燕が聞きたがったのである。特に旅の途中、酷く不気味な隠れ里に迷い込んだことや、伊豆にて狒々という化け物を晃之介の父が見事に捕らえたことなどは大いに興味をそそった。
狒々は山に住む毛むくじゃらの妖怪で、猛獣そのものでもある。覚りのごとく心を読んだかと思えば人を攫って喰らったり、女に子を産ませたりするという。
伊豆の山に住んでいた巨大な猿がそのような事をしていたかは兎も角、困っていた伊豆の民衆は旅の武芸者であり弓槍の名手である晃之介の父、綱蔵に頼みこれを捕縛したという。
「なるほどね、うむ、創作意欲が湧く」
とその場ですらすら筆を動かし狒々を仮に描いてしい、それは晃之介が驚くほどすぐに描いたにしては見事な絵だと言う。
九郎は相槌を打ちつつ軍鶏鍋に舌鼓を打っていた。軍鶏の皮を鍋に入れて脂が出た所で内臓と肉を皮の脂でじっくり焼き、その上からたっぷりの葱と牛蒡を入れて酒、醤油で味付けしたものだが、内臓と皮から旨味が解け出して、濃厚な味と香りがまた熱燗に合うのである。
その日締めたばかりの軍鶏を使っているから内臓の臭みなどは殆ど無く、時折箸にあたる砂肝の歯ごたえが堪らぬのであった。
鍋をつついては幾度も酒をくぴりんこと飲み干す少年を時折心配そうに晃之介が見たが、石燕は気にしていない笑みを浮べている。
やがて酒宴は終わり、別れることとなって晃之介が二人を送ろうかと提案したが、九郎が大丈夫だと断った。
晃之介も、
「九郎ならば問題はあるまい」
と頷いて、その場で別れるのであった。
女と子供の夜歩きだが、なにせ九郎は相当な使い手であることを彼は認めている。余程の相手が来ない限り返り討ちにしてしまうだろう。
特に異常もなく石燕の家にたどり着いた頃には、石燕は酔いで顔が熱っぽくいかにも眠そうにしていた。家の中から出てきた同居している百川子興が引っ張るように寝床に連れて行く。
帰ろうとすると子興に、
「九郎っちも泊まって行かない? 危ないよ?」
と、勧められるが問題ないと伝えて辞去した。
江戸の夜中は驚くほどに暗闇である。多くの町人は暗くなる前に夕飯を食って、暗くなれば寝てしまう。夜にやっている居酒屋なども夜五ツ……遅くともだいたいは夜四ツ(現在の夜十時頃)には閉まってしまう。
辻に設けられた番太郎と呼ばれる夜番の家や奉行所などには明かりが灯っているが江戸全体は真っ暗と言ってもよいほどだ。夜の灯火を付けるのは安い鰯油を使っても金のかかることなのであった。
現代で言うならば夜に明かりを求める為に懐中電灯しか無いようなものである。照らす範囲も小さいし電池の効率も悪いとあれば、やることもない人たちは早々と眠ってしまうだろう。
(現代の東京からは考えられぬな)
と昼間とは様相を変えた街を歩きつつ九郎は思った。
辻や路地の数を間違えて道に迷わぬようになるべく一直線に九郎は緑のむじな亭へ帰っていく。ただし、番屋に近づいて声をかけられては面倒なので明かりは避けていく。
途中にある小さな祠を囲むようにしている笹薮を面倒だから突っ切っていた時のことであった。
(おや……?)
と九郎が月明かりに任せて目を細めて前を見ると、赤い着物を着た町娘がこのような時間なのに提灯も持たずに出歩いているのであった。
一人で人気のない道を歩いているなど、危険極まる。九郎は江戸の町の治安など世紀末よりマシ程度にしか思っていない。
顔を顰めながら足早にしている町娘に近づき声をかけた。
「おい」
「うえええ!? な、なんだコラァ!? 敵か!? やんのか手前!?」
「……落ち着け」
かなり荒っぽい口調が返ってきた。
話しかけられてビビりまくった町娘……後ろ姿から見た時よりも年の頃は下のようだ。十代の半ばかそれ以下だろうか。
怒鳴り声を上げながら懐から取り出してこちらに押し付けるような構えをとっているのはどう見ても海苔で巻いた握り飯である。
笑っていいのか、真剣な顔の少女を半眼のまま見ながら尋ねた。
「お主、こんな時間に出歩いていると危な」
「て、て、手前あいつらの仲間か!? 追手だな!? ただじゃ殺されねえぞ!」
「その握り飯でどうしようというのだ……」
話を聞かない娘に頭を抱える。
とりあえず落ち着かせるように提灯を地面に置いて両手を開き見せた。
「別に怪しいものではない。こんな子供のごとき姿をした暴漢無頼がいるものか。お主のような娘子が出歩いているから声をかけただけよ」
「お、おう。確かによく見りゃあたしより弱そうな糞坊主じゃねえか。ビビって損した……謝れ!」
「知らん」
びしりと額をはじくと娘は「あう」と声を出してとりあえず落ち着いた。
赤くなった額を抑える相手に呆れたように腰に手を当てて九郎は云う。
「娘よ、家は何処だ? 危なっかしいから送ってやろう」
「あん? んだ手前調子くれやがって。送り狼か!」
「なんでこんなに喧嘩っ早いのだこやつ……いいからさっさと家に帰れ」
煩そうに言いながらも一応は、この娘が家に帰り着くまで後を追ってみようとは思う。こういう手合いは大人しく連れて行くと言っても聞かぬものだから密かに着いていったほうがいいだろうという判断である。
娘は三白眼を尖らせながら言った。
「うるせえ! あたしは家に帰るんじゃなくて火付盗賊改に行かなきゃいけねえ……ああもう、こんなとこで無駄話してたらヤベエだろうが! 急いでんだよ!」
「火付盗賊改? ……おお、己れ凄いワクワクしてきた」
かつて時代劇か時代小説かで見た覚えのある単語に心躍らせる九郎であった。
「安心しろ娘よ、己れも付いて行ってやろう」
「んだよ誰が頼んだんだ呆け! 手前に関わってる暇はねェんだよ!」
「うむ、それならば……」
九郎は近くの石塊を拾いながら道の先を見て言った。
「あのような輩を排除してやるから共に行こうぞ」
「なっ……」
娘が強張ったようにそちらを見る。まさか、もう追手が来たというのか。
そこには、静まり返っている竹藪の出口がある。
それだけだった。
「?」
「隠れてないで出てこないかっ!」
九郎が叫んだ。
声が響いたものの、風以外で草薮は揺れる音を立てなかった。
それだけだった。
「……気のせいだったみたいだの」
「莫迦だろ手前阿呆が!」
「だってこういうパターンだといると思うだろ!」
意味のわからぬ言い訳をする九郎は、足早に駆けて行く娘を追いかけるのであった。
石塊を投げ捨てた深い藪の中から小さなくぐもった声と倒れ伏す音が聞こえたが、夜風に解けて二人の耳に入ることはなかった。
****
少女、名をお八と云う。
九段北にある武家御用達の大きな呉服屋[藍屋]の一番下の娘であった。藍屋の主には七人の子供が居り、順番に数字を名に加えていったのだがさすがに[お七]という名は縁起が悪いということでお八と名付けられた。
というのもお七と云えば天和の頃、恋煩いから起こした放火の罪で火炙りとなった『八百屋お七』の名は江戸の町人の耳に新しい。既に講談や芝居なども行われていたようである。さすがに娘をそれと同じ名前にするのは如何なものかと思った父親が変えたのである。
尤も、親の心遣いの成果ならずと云ったようで、お八は荒っぽい火のような性格になったのではあったが……
今年で十四になるお八であったが、粗暴な性格や言葉遣いと、生来あっての不器用さからあまり実家の店では、
[評判が良くない]
らしいのである。
呉服屋の娘なのに裁縫の一つも出来ぬ、と手代から陰口を叩かれることもある。それに気づいても実際裁縫の不得意なお八は反論のしようが無く、感情を怒りという態度で外に出すしか発散の仕様が無いので、余計に荒れている。
藍屋の鼻つまみ者と(当人は思っている)して過ごしていたわけだが、最近新しく入った下働きの女、お弦だけは彼女に対する態度が違った。
誰にもにこにことして言われたことを良く聴き、気立ても良いやや年増の美しい女なのだが、店に来てひと月も経たぬうちに信頼されるようになった。他のものから距離を置かれているお八にも優しく接してくるのだという。
「だがそれが気に食わねえ!」
「やだこの年頃の子面倒くさい」
ぽっと出の優しさに絆されるお八ではない。
火付盗賊改への道程で事情を尋ねていたのだが、地団駄でも踏まんばかりにお八は癇癪を起こしている。
「つうか誰にでも好かれるように接するなんてのは取り入ろうとしているに決まってんだあの節穴共! あたしは一発であのお弦とかいうずべが悪党だとわかった! あたしは詳しいんだ!」
「そうかえ」
火でも吐かんばかりに怒鳴るお八に短く返した。
自分の素晴らしい推理能力を肯定されたと感じたお八は多少溜飲を下げながら地面を蹴り飛ばすような足取りを続けたまま云う。
「ぜってえ悪党の証拠掴んでやると思って様子を伺ってたんだがよ、今日、あの女をつけて行ったら船宿でむさ苦しい悪党面の親爺とお楽しみしたからその親爺の後を追ったら案の定盗人宿に入りやがった。忍び込んで計画まで聞いたきたぜ。ざまあみろ」
「危ないことをする……父や母が心配しているぞ」
「しねえよあの節穴夫婦め。そんで、あたしのお陰で店が助かったと知ればあたしの凄さが節穴にもわかるってなもんだ」
口の端を釣り上げたような笑い顔を見せながら云うお八である。
九郎は、
(成程、両親に認められたいがための行動か)
と跳ねっ返り娘のことを認識した。もちろん口には出さないが。
「事情はどうあれ大事のようだな」
「ああ。なんでもあの女が引き込みをして、今晩にでも押し入るつもりらしいからよ。こうしちゃいられねえって火付盗賊改に行くんだ」
「番所では駄目なのか?」
「違う町の事件なんざ聞いてくれねえよ。それに番太郎共は腰抜けだからな。泣きっ面に焼け火箸突っ込むって評判の火付盗賊改じゃなけりゃな」
「火付盗賊改怖っ……ええと、先に実家に襲撃を伝えるのは?」
「あたしが云うことなんざ信じるはずねえだろ。説教して蔵にでも押し込められてるうちにあの悪党どもがやってくらあ」
「ふむ……お主なりに、色々考えているようだな」
「当たり前だ! 褒めろ!」
「よしよし、ハチ子は良い子だな」
「ぶっ殺すぞ。あとハチ子ってなんだ」
子供をあやすように笑顔で頭を撫でたのだが、剣呑な目つきのまま手を跳ね除けられて睨みつけられた。
反抗期って怖いなあと思いながらも九郎は心の中で苦笑して闇夜をお八と進んだ。
静まり返った町をしばらく進むと、月明かりにうっすらと照らされる立派な門の建物が現れた。払方町にある旗本三千五百石を頂戴している火付盗賊改方長官、篠山常門の屋敷であり看板に[火付盗賊改]と太ましい文字で書かれている。
火付盗賊改方は町奉行のように常に同じ場所にあるのではなく、代替わりする長官の屋敷を拝領して本部としているのである。
奇妙な感動を九郎が覚えているとお八は鍵のかかった入り口を蹴り飛ばし始めた。
「おい! 門を開けやがれ! 一大事だぞ! 聞いてるのか!」
「……これこれ」
一応窘めるが、彼女なりに必死の意思を目から感じて九郎は物言い出来なかった。
お八からすればまさに実家が襲われるか否かの瀬戸際なのだ。
しばらくすると部屋着を着たままの与力が煩そうに現れた。門を蹴り立てているのが少女と見て更に迷惑そうな雰囲気を濃くするのである。
「おい、娘。夜中に喧しいぞ」
「それどころじゃねえよ! 押し込みが来るんだ! さっさと長官にでも伝えてくれ!」
「長官はもうご就寝なさっている。何処の娘だ? 今晩押し込みが出るなど聞いておらぬぞ」
「予め知らせる莫迦な押し込みがどこにいるってんだ! いいからとっとと用意しやがれ!」
「なにを、無礼な」
年端もいかぬ少女に乱暴な口調で夜中にまくし立てられて腹立たしげに声を立てる与力である。
押し入りが既に行われたというのならば出て行き、その調査をして然るべき盗賊を捕らえるのが仕事ではあるが夜中に正気かどうかもわからぬ小娘の証言だけで組織を動かすことは彼の一存では決めかねるし、もしそれが偽の情報だとすれば信じた自分が、
「愚か者だと思われる……」
と考えるだけでお八の騒ぎを耳に入れるつもりはほぼ無かった。
この与力、保身の男であった。がつがつと手柄を求めなくとも十二分に裕福な暮らしができていた為、与力職についていた役人はこのような職務怠慢も珍しくなかったという。
見かねて九郎が説得してやろうかと手を差し伸ばそうとした時、後ろから声がかけられた。
「おいおいおいおい、なんだぁ? なんの騒ぎだよおい。へへっ拙者にも聞かせろよなあ」
酒絡んだような声で話しかけてきたのは浪人風の着流しを着た中年男だった。立派に蓄えた顎髭をしていて、片手には大きな徳利を持っている。ゆらゆら揺れていていかにも泥酔しているようだったが、九郎が見るに、
(ふらついているように見せながら重心は腰の二本はいつでも抜けるようにしている。目つきも鋭く酔っ払いとは思えぬ)
と破落戸風の侍に警戒する。
だが彼を見た与力は慌てて背筋を正した。
「こ、これは中山殿! なんでも御座いませぬ。夜更かしをした悪餓鬼が騒いでいるだけでして」
突然与力がへりくだったような態度に出る。その表情にはまざまざと侍に対する畏れのようなものが浮かんでいた。
話をさっさと終わらせようとする与力に噛み付くようにお八が怒鳴る。
「ざっけんな! テメエじゃ話にならねえから長官呼べっつってるだろ!」
「この餓鬼いい加減に……!」
投げ飛ばそうとでもしたのだろうか。お八の着物の襟に手をかけようとした与力だったが割り込んだ九郎が、
「まあまあ」
とその手を掴んだ。
余計に苛立ち払いのけようとしたが、小さな小僧から掴まれただけのその腕が、
(まるで岩に挟まったかのように動かぬ……)
ので与力は顔を赤くしたり青くしたりしながら何事か怒鳴ろうとした。
そこに侍が口出しをする。
「なんだか知らねえが面白そうだな。おい嬢ちゃん、何が合ったか話してみな」
気さくに告げてお八と視線を合わせるように屈んで酒を一口煽った。
愉快げな瞳だったが何か品定めしている蛇のような印象を受けて、九郎はどうも悪い感じを受け取るのであった。
(こやつこそ悪人の目なのだが……)
思いながらも乱暴な口調は崩さずに男へ事情を説明するお八を心配気に見ていた。男も気にする様子はなく「ほう」だの「へえ」だの相槌を打っている。
やがて男はすっくと立ち上がり告げた。
「よぉしわかった! こいつぁでかい山だ。おいそこの手前、長官を起こして、居る奴らだけでも集めさせ半刻までに出発させろ」
「し、しかし中山殿……」
「手前が拙者の指示を無視して押し込みされたってぇなると、御役御免じゃすまねえだろうなぁ。ま、それでも拙者は構わねえけどよ。介錯はさせろよな?」
冷や汗を額に浮かべた与力がお辞儀をして引っ込んでいく背中に向けて、
「拙者は先に行って楽しんでくるからよ、急がねえと手前らの手柄ぁ全員」
人殺しの目をした男は嗤い告げた。
「やっちまうぜ?」
やけに背筋が寒くなるような、それでいて楽しげなぞっとする声だった。
****
中山影兵衛は火付盗賊改方付の同心である。その日は非番で、いつも通り酒を飲みに行ったりどこぞの大名屋敷で行われている違法賭博に潜入調査……という名目で普通に博打を打ちに行ったりしていたのであった。
同心である影兵衛に対して与力の男が妙にへりくだった態度をとっている理由は幾つかある。
一つに彼が三男とはいえ、丹後守四千石旗本の家柄をしていること。下級役人には役不足の家柄である。
もう一つが影兵衛の祖父が火付盗賊改の実質初代長官とも言える中山直房……通称[鬼の勘解由]という、与力同心らの間では伝説的人物なのであった。
最後に、これが最も畏れられることなのだが、この男同心として人間としても、
「危険な」
男だと思われているのであった。
押し込み、火付け、辻切りなどを幾度も現場を押さえて防いだ嗅覚と勘働きは凄まじいのだが、その現場ではほぼ必ずといっていいほど相手を斬り殺してしまっているのである。
これまでに手をかけた悪党は両手両足の指では足りまい。悪党とはいえ無益なまでに手をかけていたら同心と言えどもお咎めを受けるはずなのだが、そこはこの男の家柄や情況証拠の捏造などを使った巧妙な手腕で叱責や謹慎を受けることはあれども、大事には至っていないのである。
何人の腕自慢の剣客が相手でも殺害たらしめるこの男、[切り裂き同心]と呼ばれ江戸の有名な同心二十四衆のうちの一人であった。
「さぁて楽しみだなあおい。何も知らねえ商屋を襲おうとした盗賊共が、何も知らねえうちにぶっ殺される様ぁ気分がいいぜ」
「不安だの……」
酒臭い息を吐きながら恋人に会いに行きそうな足取りで藍屋への道を走る影兵衛に九郎が並走しながら肩をすくめた。
大人である影兵衛に合わせた速度で走っていて、小脇にはお八を抱えているが九郎に疲労の色は伺えない。
「つうかおい、離せ! あたしだって走れるんだよ!」
「無理をするでない。足元がよれていたではないか。一日中追跡だの張り込みだのしていれば疲れたであろう」
「疲れた演技だよ!」
「意固地な……よいから暴れるな」
諭すように云う九郎にうなり声を上げながら走る横顔を睨むお八である。
確かに抱えられているというのにこの男はすいすいと、飛脚のような速度で走っているのであり自分がどうやっても追いつけなさそうではあるのだが……
火付盗賊改方に残るという選択肢はもとよりこの性格のお八には無かったようである。
「変なとこ触んじゃねえぞ」
「変なところ……? お、おいまさかハチ子よ、自爆装置とか付いていないよなお主」
「意味わかんねえよ! あとハチ子じゃねえ!」
「ああよかった。魔王の侍女には付いてたから念のため」
「誰だよ!」
会話をしながら走っていると影兵衛が速度を緩めて足を止めた。
「お二人さん、お楽しいお喋りのお途中で悪ぃが、見えてきたぜ。あれだな」
顎を向けた先にある大店が藍屋だ。三階建ての建築で正面から見るに、二階の明かりは今だに灯っているようだ。
「まだ起きてるのか? うちの親父とお袋」
「帰って来ぬお主を心配しているのであろう」
「……そんなわけあるか。あたしみたいな厄介者が居ようが居なかろうが気にするたまじゃない」
「ま、お主がどう思おうと、中に入って心配されたのならば素直に謝ることだの」
「……」
口を不機嫌そうに噤むお八である。
正面から入ろうとする二人に影兵衛は制止の指示を出した。
「おっと待ちな。正面から戻ってお弦だか云う女に気づかれて見ろ。怪しまれて逃げるかもしれねえ」
「それは確かに面白くねえな」
「だろ? くく、拙者に任せときな。裏口はどっちだ? 嬢ちゃん」
影兵衛に言われて裏口を案内する。
何をするのかと九郎が思えば、大胆に影兵衛は裏戸へ近寄って行き、小さく音がなるように戸を叩いて潜めた声を中に伝えた。
「おい、俺だ。お務めに来たぜ。開けてくれ」
しばらくすると中から声が返ってくる。
「まだ待ってなよ。旦那とお内儀がまだ起きてるんだ」
「何も気にすることはあるめえ。どっちにしろ口止めしちまえばいいんだからなぁ」
凶悪に顔を歪めた笑みを作りながら押し入ろうとしている影兵衛は、それが演技だと事情をしっている九郎からしても本当の盗賊のようであった。
むしろ影兵衛が裏切って本当に押しこみを行おうとしているのではないかと心配に成る程、悪党の気配が濃ゆい。
ややあって音を立てぬようにゆっくりと裏戸が開けられた。
肩が入る程度まで開いた途端、影兵衛が手を伸ばして室内に滑りこむ。同時に唖然とした引き込みのお弦の手を掴んで、もう片方の手で口を塞いだ。
くぐもった声でもがきながらお弦は云う。
「だ、誰だい!?」
「騒ぐんじゃねえ。拙者ぁ火付盗賊改だ。きひひ、残念だったなぁ女」
一瞬はっとした顔になって逃れようと暴れるお弦だったが、影兵衛は鼻で笑って一度九郎達へ視線をやった後にお弦の口を抑えた手に力を加えた。
潰れるような折れるような鈍い音がした。
如何な力で握りつけたのか、女の顎の骨を砕いたのである。
「あ……!」
「噛み付かれちゃたまらねえからな。殺さねえだけ有難いと、思いなぁ!」
「ぐううう!!?」
無造作に影兵衛は女の腹を突き破るような蹴りを放ち部屋の隅に叩きつけた。
悪党とはいえ女相手にやる所業とは思えず九郎はげんなりした様子になり、不安からかお八はいつの間にか顔を青ざめて九郎の背中を掴んで身を隠すようにしていた。
「ははっ、自分が一番賢いとでも思ってそうな強気の女をぼろぼろにすんのは最高だよなぁおい」
「同意を求めんでくれ」
あまりの痛みに鼻も涙も垂らし、歯も折れたのか血の混じったよだれを出しながらお弦は悶え苦しんだ。
恐らくは九郎とお八が見ていた為にこの程度ですましただけで、一人で侵入したとなると切って捨てていた可能性が高いと影兵衛の殺意が高揚している瞳の色を九郎は感じる。
倒れた女の首に手をかける影兵衛を見てさすがに声をかけた。
「おい、無抵抗な女を殺すのはやめておけ」
「安心しなぁ、ちょいと締めて気絶させるだけだ。がたがた騒がれても鬱陶しくて殺したくなるからな」
本当に大丈夫だろうかと楽しげに首を絞める影兵衛を見る九郎であった。
とにかく、賊の入り口は占領した。八畳程の広さの裏口につながる部屋で、物は整理されて壁際に置かれている為夜中でも動くのには支障は無さそうだった。
「拙者ぁここで待ち構えてるからよ、坊主は嬢ちゃんを家の中に送ってやれ。終わったら手伝わせることがあるから戻ってこい」
「あいわかった……ほれ、行くぞハチ子」
「あ? ああ……」
ちらちらと顔をうっ血させ動かなくなったお弦を見ながら九郎に手を惹かれてお八は店を進んだ。
明かりは殆ど無かったが、夜目の効く九郎は特に惑うこと無く二階の階段を見つけて明かりの付いていた部屋へ向かった。近づくに連れ、お八の足取りが重く九郎と握った手も強くなって行った。
襖の前で九郎は膝を付き戸を小さく叩いた。
「誰だ?」
やや枯れた男の声がした。
九郎は襖を開けて姿を見せる。見たことのない少年に、部屋の中で座っていた髪にやや白いものが混じり始めた立派な服の男とその女房らしい中年の女は一瞬やや警戒の色を見せた。
藍屋の主人の芦川良助と妻のお夏である。
「夜分に済まないな、己れは火付盗賊改の方から来た者なのだが……」
「火付盗賊改……」
嘘は言っていない。実際にこの店には火付盗賊改のある場所から来たのだ。
とはいえこう言われれば火付盗賊改付の同心、その手下の目明しか何かのような部下だと勝手に解釈したようだった。関係者で無いのに「~の方から来たのですが」という口ぶりは現代でも消火器の訪問販売詐欺などでよく使われる手でもある。
とまれ、九郎は続ける。
「実はな、宅の娘、お八からの通報でこちらに押し入りが来ると伝えられたのだ」
「お八から!? そ、そのお八は今何処へ!?」
「連れてきておる。叱ってくれるなよ、大手柄であるし、お主ら両親を助けようとこの夜中まで必死に調べて来たのだ」
九郎が襖を大きく開けると、正座して俯いたお八の姿が両親二人にも見えた。
ほっとして息を吐く両親と顔を合わせないように体を強ばらせているお八はぎゃあぎゃあと騒ぐ娘とは別人に見えた。
立ち上がってかけより母親が抱きしめた。母親の瞳は潤んでいる。
「心配したんだよ、あんたが帰ってこなくて気が気じゃなかったんだ。晩御飯はまだだろう? すぐに用意してあげるよ」
「あの……あたし……ごめん……」
父親の良助も優しい顔でお八の頭を撫でて言った。
「危ないことをして……どうして私らに相談せなんだ」
「だって……信じてくれると思わなくて……」
「娘を信用しない親などいるものか。よく無事で戻ったな」
「う、く、九郎が一緒に居てくれたから……」
と彼を指さそうとすると、今だに右手を九郎と繋いでいたことに気づいて慌てて離し飛び退くようにした。
「うおお!? い、何時まで握ってるんだあほ!」
「そう言われてもな」
「お八、送ってくださった人に乱暴な!」
「……うー、ごめん」
「よい、よい」
九郎は年寄り臭い柔らかな笑顔で応える。
親から嫌われてるだの何だの、道中で散々聞かされていたが良い親子ではないか、と九郎は感心していたのである。
立ち上がって九郎は、
「ご主人。火付盗賊改の本隊が来るまで暫し時間がかかる。一応同心を連れてきておるが押し込みが早まった場合に逃す危険があるのでな、他にこの店に寝泊まりするものがいるのならば連れて何処かに隠れておくがよかろう」
「では三階にでも皆を集めて置きます。九郎殿は?」
「己れは同心の手助けをしてくる」
云うとお八が不安そうな目を向けた。
「大丈夫かよ、危ねえんじゃねえか」
「安心せい、これでも見た目より腕っ節は強いのだ」
九郎の快活な顔には一点も恐怖は見受けられなかった。
****
黒装束の集団が藍屋にたどり着いたのはそれから四半刻もせぬうちであった。
人数は十人。全員が伊賀の忍びのような黒い服を着ていて頭巾を目深に被っている。先頭に立つのは一際体格の良い、[潮騒の掛吉]と呼ばれる押し込み専門の盗賊頭である。
上方から流れてきた盗賊衆であるが、大阪、京都でも押し込みをしていて家中の者を皆殺しにしていくという凶悪な盗賊だった。江戸でも既に仕事を行なっていて、奉行所にもその名が届いている程である。
武家相手に商売をしている藍屋はその金で長屋の経営や古着屋の胴元も務めていて、金をうなるほど稼いでいるという情報があった。そこに体良く引き込みを潜り込ませることに成功したのだから当人らのやる気は高い。
閉ざされた裏戸に合図をすると静かに開けられる。
ただし、裏戸を開けたのは手ぬぐいで頭を隠した九郎であった。室内は当然真っ暗なので小柄なお弦と九郎の見分けはつかない。
十人全員が入った所で戸は閉ざされて鍵まで閉められた。
ぎょっとして盗賊らが立ち止まると、にわかに明かりが灯り一人の男が立ちふさがっているのが見えた。
中山影兵衛が今再か火種を燃やした煙管を吸いながらにやにやと笑みを浮かべて見ている。
「何者だ」
低い声を掛吉は上げると意外そうな顔で笑いながら影兵衛は云う。
「ちょいと待ちな。拙者ぁ怪しいもんじゃねえですよぉ」
「何者だと聞いている!」
「だからぁ」
一歩、踏み出しただけに見えた。
「怪しいもんじゃねぇっつってんだろうがボケが!!」
怒号と共に掛吉の首がちぎれ飛んで壁に当たった。
抜き打ちで首を刎ねたのだ。即死であった。冗談のように首の断面から血が噴き出た。
背筋に氷を入れられたようになった盗賊らは、振って刀の血糊を落とす侍を莫迦のように呆けて見た。
「火付盗賊改方同心、中山影兵衛だ。神妙にすんなよな? せいぜい暴れて楽しませろぉ!」
影兵衛は凶獣の如く盗賊へ向けて切りかかった。
盗賊らも幾度も殺しをやった経験はあり、他の破落戸と争い殺しあったこともあるが、この相手は異質だった。
「どうした? もっと笑えよ! 楽しい楽しいお務めの時間なんだろぉが! 少なくとも拙者ぁ楽しいんだからよぉ!」
血で滑った刀を振るう度に手足が切り落とされる。後ろから切りかかった仲間があっさりと躱されて心臓に刀を突き通されてぐりぐりとねじり回される。
この影兵衛という男、火付盗賊改方の中でも最も刀術に秀でていると言っても過言ではない。剣術道場でも名が知れていて江戸の剣客の中で彼に敵うものはそう居ないとまで言われている。後輩への指導も得意で「中山先生」と彼を慕うものも多いのだが……
一度斬り合いの場に出れば必要以上に殺しているとしか思えないのであった。
「この野郎! ただで済むと思うな!」
「くははははっ、そう怒んなよ! お互い殺したり殺されたり助け合い譲り合いの精神で行こおおおおぜぇえええ!」
悪党の腹から臓物をぶち抜きながら高揚した声を上げる影兵衛。
その光景にさすがの九郎も顔をしかめる。だが、相手とて所詮は悪党。殺すつもりで来ておいて殺されるのが理不尽とは思わぬ。もとは現代日本の生まれだが、異世界で長らく過ごす間、死は身近であったから慣れてはいる。
九郎も戸を突き破り逃げようとする盗賊の一人を落ちていた角材で頭を殴り飛ばし沈黙させる。逃がす義理は無いし別段影兵衛に助太刀がいらぬところをみるとこれが己の役目だろうと思えた。
時代劇では峰を返して打っていたが実際は容赦無いな、と次々斬り殺していく影兵衛を見ながら思う。ふと、一人の盗賊が店の中に逃げていったのが見えた。
「む、いかん」
と九郎も追いかける。が、九郎すら巻き込まんとする影兵衛の剣風から逃れるために少し遅れた。
賊は何処かに既に切り傷を追ったのか、血の跡から追跡は容易だった。
表は閉まっている為に上に逃げたらしい。隠れるつもりか屋根伝いに逃げるつもりか……ともかく、上の階には店の住人らがいる。九郎は飛ぶような速さで階段を駆け上がった。
三階の大部屋に上がると既にそこに盗賊が侵入していた。追いかけてきた九郎を見て、
「それ以上近づくな!」
と大声を出し、角材を持った九郎と怯える数人を睥睨し匕首をちらつかせる。
部屋の隅に追いやられている住人の中に、殴られたらしい店の主人の良助も居た。そして、お八は盗賊が人質代わりに片手で掴んでいる。
九郎は盗賊を睨みながら云う。
「もう止めよ。あの男の前から逃げおおせたのなら素直にお縄に付けば死ぬことはあるまい」
「うるせえ! その棒を捨てやがれ! さもなければこの娘……!」
匕首をお八の顔に近づける。お八は目に見えて顔を青くしていた。
盗賊の意識は九郎へ向けられている。
少しでも気を逸らさせれば九郎が持っている棒で盗賊を叩きのめすだろう。
(なら、この手に噛み付いてでも……)
とお八は考えて、口を開こうとしたが歯ががたがたと震えるだけで力が出なかった。
涙がぼろぼろと零れてしまっている。
(くそっ、動けよ! 情けない姿見せるな! あたしだって役に立つんだって……)
だが、目の前の盗賊に対する怖さに震える体は動かなかった。それを自覚すると余計惨めになってお八は泣くほか無いのであった。
九郎は震えるお八を見て盗賊に声をかけた。
「わかった、この通り棒は捨てよう」
と階段の下に投げ捨てる。
そして彼は刃物を人質に向ける盗賊に対して皮肉げな笑みを浮かべて言い放った。
「だが得物を突き付けるのはいいが──安全装置は外しておくべきだったな」
「?」
「?」
「?」
意味不明であった。
「今だっ!」
意味不明だったが一瞬間が合いた。
その虚を突いて凄まじい早さで飛びかかった九郎が盗賊をひっ捕まえて投げ飛ばし、壁に叩きつけたのであった。
「ぐむ……」
と動かなくなった盗賊を見て店の手代や番頭らが一斉に跳びかかり縄でふん縛った。
九郎は満足気にそれを見ながら指鉄砲の形をなんとなしに作り、
「うむ、一度言ってみたかっただけだったんだが、意外と効果がある」
と独りごちるのである。セーフティのかかったままの銃を構える間抜けなどそう居ないために無理にでも積極的に使わなくては使う機会もないだろうと思えた。
そして床にぺたりと座ったままのお八に声をかけた。
「おい、ハチ子よ、大丈夫だったか。すまぬな怖い思いをさせて」
「え、う、うん……」
言葉が詰まったようにしているお八を九郎は屈んで傷が無いか、刃物を突きつけられたお八の頬などをぺたぺたと触り確認した。傷はないが体温が上がり、顔がぼうっとしていてかなり疲れているように九郎は見えた。無理もない、体も心もへとへとだろうと思う。
すると横からお八の母が涙を流しながら頭を下げて礼を言ってくるのであった。
「ありがとうございます、ありがとうございます」
「いや、ここに賊が入り込むのを防げなんだ。こちらこそ面目無い」
「あ、の」
「ん?」
お八が袖を引っ張るのだからそちらを向くと、彼女は懐に持っていたすっかり硬くなった握り飯を取り出して渡してきた。
今の彼女にはそれぐらいしか感謝の気持ちを伝えるために渡せるものが無かったのである。
「その……お礼……」
「これお八、命の恩人にそのような粗末な……」
「いやよい。うむ、この握り飯、塩加減が旨いな……ありがたく頂戴するぞ、お八や」
九郎が美味そうに、自分が作った握り飯をがつがつと食べて褒めるのを聞いて、お八は暴言も吐かずに口を噤んでいたという。
****
あの晩、火付盗賊改方が藍屋に集結し始めた頃に既に九郎はその場を離れていた。単に取り調べとか受けるのは面倒臭いと思っただけである。藍屋の主人らに適当な理由を言い含めて屋根伝いに飛び跳ねながら通りに降り立ち去った。
名前以外誰にも素性を話していないから大丈夫だろうと思ったのである。また縁があればその時に話せば良い。
そしてあくる日の緑のむじな亭である。その日も客入りは少ないが、しばらく前よりはマシといった程度の人入りであった。
昼九ツ前(現代で十二時前頃)、店で給仕をしているお房に来客があった。
「おはよーっす! お房、久しぶりじゃねえか! 元気にしてたか!?」
「お八姉ちゃんは相変わらず元気そうなの」
「あったり前だっつうの! おっ六科の兄貴は相変わらず辛気臭い顔だなあおい!」
「……そうか?」
「はははそうだぜ」
自由気ままに厨房まで入り疑問の声を上げる六科の背中をばしばしと叩いた。六科は気にすることはなかったが。
このお八という藍屋の末娘、六科の義理の妹にあたるのであった。お八の姉のお六が六科に嫁入りした為に親戚となったのであったが、お六が亡くなってからは藍屋とは縁が薄くなってしまっていた。
しかし、お八だけは時折遊びに来るのであった。お房という年の近い友人がいるし、元々お八は六科の妻お六に懐いていた為今でも付き合いがあるのだが……
「それにしてもお八姉ちゃん、今日はどうしたの?」
「おう、聞いてくれよ。実は昨日うちに押し込みが入ってよう。家の中血生臭すぎて飛び出してきたんだ」
「押し込み!?」
「それでさ、あたしを助けてくれた人がすげえ格好良くてさあ! ええとだな、『せえふてぃは外しておくべきだったな』」
キメ顔で台詞を繰り返すお八。
「せえふてぃって何?」
「いや、知らねえがそれを言った瞬間盗賊をぶん投げて強ぇのなんの。今度あったらちゃんとお礼……」
と会話の途中で大欠伸をしながら階段を降りてくる人物が居た。
二階に居候している九郎である。昨晩の騒ぎで昼前まで寝ていたようだ。
眠そうな目を揉みながら階下にいるお房に声をかける。
「ああ、腹が減った。朝飯はあるのかえ?」
「もうお昼なの」
「なんと……一食抜かすとは勿体無い……ん?」
お房の隣に居て顔を驚愕のまま固定しているお八に気づいた。
あ、ハチ子だとは気づいたものの寝起きで特にかける言葉は浮かばずに寝起きの顔のままぼりぼりと頭を掻く。
絞りだすような声がお八から上がった。
「お、お房。こいつは……?」
「うちの居候をしている九郎なの。ところで、お八姉ちゃん。その盗賊から助けてくれた格好いい人と次に会ったら何をって?」
お八の顔が椿の花のように赤くなった。
眠い、と呟きながらあくびをしている九郎に指を突きつけて怒鳴る。
「あ、ええと、その、昨日はありが……ちょ、調子に乗るなよこの野郎!!」
叫んで走り去っていった。
九郎は半目のままお八の逃げていった入り口を見てお房に尋ねた。
「なにを喚いていたのだ? ハチ子は」
「さあ……」
二人揃って首を傾げる。
昼間の緑のむじな亭は、活気とはまだ遠い。
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その日、とある祠を囲むようにある竹藪で。
近くに石が落ちてあり頭にコブを作って気絶していた陰間の少年が発見されたがそれは完全な余談である。