6話『道場商売』
昼七ツ(午後四時頃)の少し早い時間だったが、買い物から帰って昼寝をしていた九郎は起きだして試食とばかりに酒の用意をし始めた。
昼間に買ってきた緑のむじな亭の新メニューを試すのである。
眠気の残る顔を井戸水で洗いに行くとお雪が大根の葉を丁寧に水でゆすいでいたので少しばかり分けてもらった。
これをさっと湯に通して刻み、醤油と絡めるだけで中々に乙なものである。また、お雪は葉と大根をたっぷり入れた塩だけで味付けをした粥が好きだとか世間話も少々した。これはお雪が長屋に越してきた時に、まだ満足に米も炊けなかった頃の六科の得意料理だったのだと懐かしそうに語るのであった。
雨上がりの好天が夕方になるに連れて冷えて来たので折角だから燗にして酒を飲もうと銚子を三本程湯で温める。
まずは焼き味噌を作る。細かく刻んだ葱と味醂で解いた味噌を混ぜ合わせて杓文字に塗り、さっと火で炙る。
味噌の甘味と葱の辛味が合わさり、胡麻などを足しても香りがついてこれがまた辛口の酒に、
「合う」
のであった。
口の中に唾を溜めながらもう二三品手早くつくり上げる。
ふつふつと湧いた湯で茹でた蒲鉾を醤油に漬けて五分ほどで上げると、蒲鉾全体が茶色く染まって出てくる。さぞ醤油を吸って辛くなっているように見えるがこれが不思議とまろやかな味わいになっているのである。
焦げ目をつけた豆腐の上に先物の茗荷を載せて蒲鉾に使った醤油を垂らす。酒の肴として食っても美味いが、これを崩して飯の上に載せてもいくらでも食えそうであった。
鼻歌まじりに酒とつまみを器用に全部盆に乗せて運んでいると声がかけられた。
「やあ店員さんこっちこっち」
誰も入っていなかった筈の店の席に、喪服の女が座って手を降っていた。
既に酒をやっている顔つきをした鳥山石燕だ。
おめでたい気分が台無しである。九郎の心を覆っていた紅白幕が鯨幕へと早変わりした。
「お主、このような店で飲み食いはしないのではなかったか。不味いから」
「そうだね。酒は下酒しか置いていないし蕎麦は不味い、店主は無愛想と来たものだからね。つまり、酒は持参で勝手にやってるのさ」
と九郎の好物である『嘉納屋』の酒を入れた大徳利を卓の上に乗せながら笑いかけた。
思わず喉を鳴らした九郎は気恥ずかしくなって仕方なく石燕の前に座り、つまみを置いた。
手酌しようと猪口を持ち上げたら横から、
「さぁ、ぬし様もよう飲まんせ」
と言葉がかかり小さな手で銚子を傾けて九郎の猪口へ注ぐ。
とりあえずぐい、と口に酒を含んで振り向くと、昼に川に投げ飛ばし別れた筈の色香漂う少女風の陰間、玉菊が酌をしていた。
吹き出した。
「げほ……!」
「大丈夫でござんすか、喉につっかえたならわっちが口吸いで……! よっしゃ!」
「今よっしゃつったか!? っていうかなんでお主が居るのだ玉菊!」
「ぬし様の体に残るわっちの匂いを辿りんす」
「色々嫌な発言すぎる!」
もじもじとしながらエロ視線を向けつつそんなことを云う玉菊に心底嫌そうな顔をする九郎であった。
玉菊という少女と見紛うばかりの容姿をした陰間を九郎が助けた経緯は前に述べた通りだったが、猥褻にいたろうと迫る玉菊を九郎は川に投げ落としたのである。
ところが玉菊は水練等はからっきしであり、また着物が水を吸って危うく溺れそうになったので仕方なく九郎が自分で投げ込んだというのにわざわざ助け上げたのだ。いくらホモとは云え子供を溺死させるのは本心でない。
とりあえず服を濡らして寒さに震える玉菊を近くの湯屋に放り込んで、番頭にこころづけを僅かに渡し世話を頼んだ後に放置し立ち去り、本来の目的である買い物へ向かったのだったが……
服を乾かし別れた九郎を探しだしたのは恐るべき嗅覚か、勘働きだ。
ちなみに玉菊が喋るのは似非廓詞である。吉原の遊女でもない陰間なので聞きかじったそれを適当に使っているのであった。
にやにやと笑みを浮べている石燕が尋ねた。
「その少年は一体誰なのかね九郎君」
「あ、ああ。今日会ったばかりの知り合い未満なのだが……む? 少年?」
九郎は顔を近づけてくる玉菊を嫌そうに押しのけながら疑問の声を出す。
「よく見た目で玉菊が少年と分かるな、石燕。確かに女装した陰間だが、見た目は少女のようではあるというのに」
「ふふふ何を言っているのかね九郎君。いかに線が細かろうが髪が長かろうが、男と女は異なる生物と言っても良いのだよ? 具体的には骨格から違う。衣服で腰回りは隠しても、しゃれこうべの形で分かるとも」
「そういうものか」
「これでも腐乱死体から白骨死体までわざわざ見物に出向きその場で描き写したことが何度もあるのでね。違いも分かるさ」
得意げに石燕は告げる。人の集まる中、墨絵で死体を模写する女の姿は他の人には大層不気味に映っただろうがそれを気にする石燕ではなかったのである。ちなみに、このような死体を描いた気持ちの悪い浮世絵も江戸では販売されていたようである。怖いもの見たさという感情は今も昔も変わらぬようだ。
石燕は友好的に玉菊に開いた手を伸ばす。当時の日本では現代で言う握手の習慣は無かったが、女郎や陰間などは手を握り挨拶をすることはあったのだ。
「やあ、初めましてだね玉菊君。私は鳥山石燕……地獄の底からやってきた超絵師さ」
「はじめましおざんす」
言いながら玉菊は手を石燕に近づけ、彼女の広げた手をすり抜け、当然のように喪服の上から石燕の胸をわしりと掴んだ。
「!?」
「こ、これは豊満で揉み心地も素晴らしいでありんす! 思わず礼拝の言葉を叫んでしまいます! おお拝なり! おお拝なり!
いやいきなりで失礼だけれどもこれは疾しい行為ではなく胸のし、しこ、しこりを探る医療行為に特化したわっちの診察方法……おっ拝! おっ拝!」
興奮して叫びだした玉菊の顔面を石燕はそのまま手で鷲掴みにした。
「うわあああ! 手の目が、手の目がこちらを覗いてありんすゥ!!」
「いきなり何をするのかねこの雌娼太は」
石燕の手のひらに書かれた呪術的眼球図を目前にして錯乱状態になった玉菊を、奥から飛んできたお房がアダマンハリセンでぶちのめした。
「こんの、尾籠小僧がぁー!」
「ありんすー!?」
アダマンハリセンの特徴は使用者の感情を感知してその衝撃威力を増す魔法がかけられている。ツッコミの意思を込めれば音は大きくされど痛みは少ないのだが、怒りに任し振るえば大人を吹き飛ばす力を発揮するのである。
地面に叩きつけられた玉菊を見下ろして、呆れたような或いは困惑したような声音で九郎は云う。
「何をしておるのだ、お主は。見境無しか」
「わ、わっちはそんなつもりじゃござんせん! ただ男でも女でいつでもどこでも助平色好みな事がしたいだけであって尻軽だと思わんでくりゃれぬし様!」
「言ってる事があやふやしてるの、この淫乱め!」
「あふぅん」
アダマンハリセンで額を強く小突くと妙に色っぽい声を出して地面に沈む玉菊である。
九郎は気絶した玉菊を表まで引っ張っていき、たまたま通った石燕馴染みの駕篭持ちにこころづけを渡して玉菊を遠くに捨ててくるように頼んだのであった。
安心したように九郎は息をついた。
「ふう……なんかあやつを相手にしていると世界観が狂いそうな気すらしてくるなあ」
「全く困ったものだね」
「お主もそのはしりだからな」
九郎は半眼で呻いた。
ともあれ騒がしいのが居なくなったので、せめて客寄せになれとお房からの指示もあって表に近い席に二人は座り酒をやった。
醤油漬けにした蒲鉾は気泡のごとき小さな隙間に染み込んだ醤油が馴染んでおり、それを切り分けてころりと噛みちぎり酒を呑む。たんに切った蒲鉾を醤油に絡ませて食うよりも深い味になっており、摩り下ろした生姜を乗せてもまたこれがぴりりと舌に効いて酒が進む。
美女と小僧が美味そうに開け放たれた店の中で酒と肴を楽しんでいるのを見て、ちらほらと客も目をやり、入ってくる者も居た。
不味い店と云う評判はそう消えはしないが、そもそも知名度自体が無かった為にその点は楽観視しても良いだろうと九郎は考え、石燕と酒を楽しんだ。
酒の締めとして食べられる蕎麦も、まあ不味いのだが食えぬ程ではない味に向上している為に特に文句も聞こえない。何より、材料の一つとして予め大辛(現代で云う一味唐辛子)を入れて辛さで味を誤魔化すという方法を九郎が取らせたのだ。
この時代に唐辛子が売っているかどうかと九郎は昼間期待少なめに探したのだが、あっさり見つかった上に移動販売をしている唐辛子売りの姿に指を差して笑ってしまった。何せ、二尺はある大きな鷹の爪型の張り子を持って売り歩いていたのだ。見紛うはずもない。
この唐辛子の路上売スタイルは大道芸も兼ねており、
「ひりりと辛いは山椒の粉ァ~すいすい辛いは胡椒の粉ァ……」
などと歌いながらその場で客の注文通りに調合して売っていたという。時代は下るが、絵が売れていなかった頃の葛飾北斎もこの商売をしていた。
夜も更けると先ほど玉菊を不法投棄しに行かせた駕篭持ちが時間を見計らったようにやってきたので石燕はそれに乗って帰って云った。
日常的に利用するには駕籠は金が余程かかるのだが、遺産がうなるほど残っている石燕からすれば一人では使っても使い切れぬ程なのであった。駕籠かきも上客として色々融通を利かせるのである。
客も帰っていった店内をお房が片付けるのを九郎は酒を舐めながら見ていたらアダマンハリセンでぺしぺしと邪魔そうに叩かれたので、勝手に自室にしている二階へと上がって云った。
(色々あって疲れた……)
と思い寝床を用意し始める。
布団というかただの布であるが──親子二人暮らしの家に居候したのだから当然彼の寝具など無かった──それをかけてごろりと横になる。
異世界に居た頃とは随分環境が違うが、もう慣れていた。九郎と云う男は何処に行ってもすぐに馴染んで暮らし始めるのだ。
(日本からあっちの世界に行った時はどうだったか……)
数十年前のことだが、異世界では迷いこんですぐに傭兵団に拾われてそのままその集団で暮らしていた。やはりすぐに適応したような記憶がある。
(しかし最近──ここに来てからはやけに昔の夢を見る)
それも時には、彼の知らないような視点で夢が展開されることさえあった。
(……確か、魔王が云うには魂と魔力の契約を結んだならば無意識の共感が起こるとか……そんなことを言っていたな)
特殊な契約をした為に魔王と一部の意識が繋がっているのではないかと推測できる。
(能力者同士は引かれ合うとか、一万年と二千年前とか円環の理とか……まあ、あやつは適当吹かすのが得意だったがらどこまでが本当やら)
魔王が嘘混じりの薀蓄をしたり顔で語る姿が浮かんで苦い顔になった。
その法則を利用して別世界である地球の日本に九郎を転送する座標を設定したのだったが、結果を見ると大いに年代がずれている。失敗しているのか、或いはこの世界に何か自分が関わり合いのあるものが存在したのか……
(わからぬが……どうでもよいか)
床につく事にした。考えても詮なきことである。
魔女か魔王の含み笑いのような風の音が聞こえた気がした。
****
薄曇りだが出歩くには調度良い暖かさの、とある日のことであった。
特に目的もなく九郎が江戸の町を散歩している。お房も連れずに一人なので足取りは早い。なにせ九郎は体格こそ子供であるのだが筋力が大人相応にあるために、軽い体重を支える足の力も相対的に強いのだ。その気になれば八尺の高さを一息に飛び越えるほど跳躍もできるし、半日ばかり小走りをしていても疲れることがない。
たまたま辿り着いた根津神社にお参りをし、屋台店の団子屋で茶を一杯飲んだらまた足は自然と歩き出し江戸の町をかき分ける。
伝馬町などは長屋がみっしりと並びごみごみしているのであるが、現代の町並みに比べて遥かに緑が多く少し遠くに向かっただけで大藪や畑の広がる長閑な田舎にたどり着く。ここが東京とは、
「とても思えぬ」
と九郎も思ってしまう程だった。
そんな町外れの河原で天日干ししている炭団屋(炭の切れ端を集めて泥で固めて再利用する商売である)などを珍しげに見ながらそろそろ戻るか、と思っているとぽつんと建っている道場を見つけた。
この当時の江戸の町には剣術道場が多く、町に一つは必ずある程だ。このような外れにもあるのだな、と九郎はなにとなしに近寄った。
あまり流行っていないようで稽古をしている声などは聞こえなかった。
窓から覗くと、体格の良い男が一人、木剣を無言で振るって鍛錬をしている。
鬼気迫る様子といったわけでもなく平常の訓練をしているのであろうが、木剣が空気の唸りを上げた音を立てている。
男もかなり鍛えこんでいる様子で、服の上からでもがっしりとした筋肉がわかるほどであった。
九郎は体格だけではなく息を乱さずに剣を振るう男の雰囲気を見て、
(かなり、使える)
腕前だと判断した。
別に九郎は剣の達人といったものではないが、異世界で滅法剣の強い戦士等は何人も見てきたのである。
入り口を見ると『六天流道場』と大層な名前の達筆な看板がかかっている。
そしてその隣に「当流派は古今妙技にて並ぶもの無き候。我が極意に学ぶと思ふべし者是非に門を叩き御覧あれ。他流試合にて強さを競わん者も歓迎致す。挑戦金二分、勝てば一両進呈」などと書かれていて妙なことをしているものだと九郎は顎に手を当ててしげしげと張り紙を見た。
この時代、剣術道場は乱立していたのだが門人の少ないところも多く、維持できるかはまさに道場主のやりくり次第だったのである。
うまく大名などに知られそこの門弟を通わせられれば安定もするのだが、そうでないところは伝手を利用して人入りを増やすなり、他道場に出稽古に行き名を知られるなりしなければならない。
このように金を餌に道場破りを誘うやり方というのも、なにやら可笑しなものを感じるが……。
(並ぶもの無き妙技とは大きく出たものだ……)
悪戯気が出た九郎は懐から一分金を二つ取り出して門を叩いた。
「頼もう」
中に入ってみると道場の間取りは思ったよりも広い。故に、男が一人で稽古しているのが余計侘しく見えた。
木剣を振るっていた男は動きをやめて鋭い眼差しを入り口に向ける。
だが、入ってきたのが少年だと見るや、なにか虚を付かれたような顔になり目を丸くして腰に木剣を収めた。木剣自体にも腰に固定するような金具が使われているようだ。
「なんだ? 入門者か?」
若い声だった。正面から見ても男は二十を幾らか越えた程度の年齢だろうか。短く切り込んだ髪が申し訳程度に結ってある。
男、名を録山晃之介という浪人である。幼い頃から父と旅を続けながら教えられた武芸を身につけ、一年前に江戸にたどり着き道場を建てたのだが、父が急死した為に建てただけで門人の居ない道場の主に若くしてなってしまったのである。
旅はしてきたものの世渡りや商売などは苦手な為に道場のやりくりができず、苦肉の策として道場破りから金を巻き上げながら生活しているのであったが……
九郎は不敵に笑いながら云う。
「いや、道場破りの方だ」
「お前が……? やめておけ、怪我をするぞ」
「安心せい。金ならある」
金を道場の床に置いた。
別に一両が欲しいわけではないが面白そうな道場を見つけたので暇つぶしに挑んでみようという気分になったのだ。つまりは九郎的に、
(俄然、時代小説っぽいな……)
と思って楽しんでいるのである。
最近の小僧は金を持っているな、とここ数日大根の漬物と湯漬けの飯ばかり食っていた晃之介は思う。
道場破りに挑みに来るものは、まあそれなりにいるのだが浪人崩れや無頼が多く九郎のような少年は初めてであった。
挑むのならば答えなければならない。
「冷やかしではないのだな」
「おう、だが木剣を用意してなくてな。貸してくれぬか」
と道場破りとはとても思えぬような事を云うのだから毒気を抜かれたような気分になる。
九郎はきょろきょろと道場を見回すと木剣が無造作に突っ込んである壺から引きぬいた。
人の居ない割にはなにやら色々道具が置かれていると思ったがすぐに気をそむけ、晃之介へと向き直る。彼は試合の定位置に既に移動しており、剣をだらりと持ち九郎を待っていた。
まずはお互い正眼の構えで伸ばした剣先からさらに離れて一間(約1.8メートル)。やや遠い間合いで二人は向き合った。
「六天流、録山晃之介。行くぞ!」
「ジグエン流九郎だ。参る」
九郎が木剣を頭の右上あたりに振り上げた構えを取った時だ。
一瞬の動作で晃之介が構えていた剣を腰に戻した。
「?」
その動きの意図が掴めずに九郎は動けずに凝視する。
次の瞬間晃之介が背中に背負っていた半弓(長弓の半分の長さの弓のこと)を構え、同時に放っていた。
「どわぅおお!?」
狙いは正確に九郎の体の中心を穿つ射線で、先端に厚く革を巻き殺傷力を落とした矢が飛んできた。
その矢を躱せたのは、訓練用だから遅い矢だったことと九郎の体重に似合わぬ脚力が床を蹴り、まさしく消えたように短い距離を動けたからだろう。
九郎は剣の構えを乱しながら大声で訪ねた。
「ま、待て!? 剣術道場ではないのか!?」
「俺の流派六天流は剣術だけではなく、弓術、槍術、短刀術、棒術、拳まで扱うんだ。紹介が遅れたな」
「大体初撃で勝負がつかなかったか? 今まで」
「よくわかったな。そして大体お前と同じような事を聞いてくる」
「だろうよ!」
思わず片手を離してツッコミを入れてしまうが、晃之介は面白そうに笑った。
剣術勝負かと思えば弓を撃ってくるなど予想外にも程がある。
これは罠だ。そう、奴は確実に日銭を稼ごうとする狩人である。九郎は、
(異世界で給料日前にパチンコを打っていた傭兵仲間と同じ目……!)
だと直感した。妙な自信と飢えた狼のようで油断はならない。
「俺の道場に挑んだからには、俺の流派の戦いに付き合ってもらおうか」
床に散らばっていたがらくたのようなものを足で蹴り上げ、手で掴みながら晃之介は云う。
それは木製の小太刀のようだった。よくよく見れば床には木槍や棒も転がっている。
「手加減はしない……! 主に飯のために……!」
「うわあ、お主ノリノリだな!」
投げ放たれた小太刀をくぐるように躱しながら晃之介へ一足飛びに接近する。木剣は担ぐように背中に這わせていた。
間髪を入れずに二の矢が九郎へ向かうが、しっかりと発射される心構えと矢を見てさえいればがあれば容易いとは言わないまでも、避けられる。更に踏み込んで矢を体に掠めさせながら白兵しようとした。
地面に沈んだ九郎へ、下方向から打撃としての力が挑まれた。晃之介が器用に足を使い地面から跳ね上がるように槍を振るったのだ。勢いを殺されぬように体を捻り飛び上がり、猿叫のごとき気合を発しながら木剣を振るう。
「チェエエストォォオオッ!」
「なに!?」
渾身で振るわれた一撃を受け止めた晃之介の木剣が押され、罅すら入り始めたのを見て彼はもう一方の手で棒を構え二本で対抗する。
攻撃をしておきながら九郎は、
(そう言えば木剣同士の戦いであった)
と手応えに驚いた。今までの戦いの経験からすればアカシック村雨キャリバーンⅢを装備していれば相手がいかな防御を取ろうと決まっていたからであるが……
考えながら押しこむ力を増加させる。
即座に九郎の勢いで晃之介の木剣が砕け散ったが、木剣を握っていた柄を投げ捨て拳を固めて棒で剣を抑えながら、
(殴り抜いた……!)
と思ったのだが、咄嗟に九郎は拳を手のひらで受け止め衝撃を殺す。
抑えれた反動に任せてまさに吹き飛ぶように離れる九郎だったがその顔に痛痒は見えない。ただ、体重自体は軽いので押されれば大きく間合いを広げられる。
速射で追撃の矢が放たれる。体勢の崩れた九郎は今度こそ避けきれないと思えたが、
「なんと!」
いつの間にか晃之介から剥ぎ取り奪った太い木棒で矢を弾き落とした。
怯えずに構えれば九郎にとって可能である。
仕切り直しだ。二人は構え、間合いを測るのであった。
****
四半刻ばかりの戦いになっただろうか。
途中から道場の武器が尽く使用不能になってしまった。矢は使われぬように九郎がへし折ったし、お互いに使える武器を拾っては打ち合い、決してやわな作りではないそれらを壊し尽くしてしまったのである。
六天流は素手での戦闘も行われる。対する九郎も見た目と力の差を生かした奇妙な体術で相対したのである。
しかしどうやら一二手殴りあった後に、二人共お互いの技量を認めたようで何方からとも無し、構えを解いて戦いを止めた。技量を認め合ったのもそうだが、まあ二人共相手には見せないがいい加減手が痺れて痛かったのである。
九郎が息を吐きながら云う。
「……疲れた。ここまでくれば引き分けでよかろう」
「ああ。これ以上やって道場を壊してもなんだ……俺が困る。しかし、さすが示現流となるとそこらの男とは違うな」
「示現流?」
「最初に名乗っていただろう」
「あー……」
実際は異世界で世話になった傭兵団長ジグエンが勝手に作った剣法なのだが、いちいち説明するのも面倒なのでとりあえず首肯した。
教えられたのはとりあえず力こそパワーで打ち込む。防御されたら防御ごと打ち抜く。あと奇声とか発すると相手が驚くし気合が入るとかそのような内容だったが、まあ対して変わるまい。
実際団長はこれで鉄マッスルゴーレムも真っ二つにしていた。人間とは思えぬ。
本当の薩摩示現流の達人に出会って違いなどを問い質されたら死ぬ気で逃げようと思いながら。魔王城で読んだ漫画の知識によると、薩摩人のふりをして下手に受け答えができぬと容赦なく斬り殺される危険がある。怖ろしい土地と民族だ。
晃之介は言う。
「大抵のやつは最初の弓に反応できずに終わるか、武器を持ち替え戦うのを卑怯だなんだと苦情をつける」
「わからんでもないが」
実際に訓練とはいえ対人で弓を使う流派など他に見ない上に、杖で殴ったり小太刀を投げたりと、とても侍のやるような技ではないと不評を食らっているのだ。
しかし晃之介は本来武士が修めるべき武術は一八もあり、たかだか五つばかりの武器を操れるのを卑怯だというのがおかしいのだと考えている。
もとよりそれらを使う流派に挑むのだから、相手もそれを妨害するような工夫をすればよいのだ。それこそ、より隙が少ない小柄や鋲を投げつける流派だってあるのだから弓矢を使おうが文句を言われる筋合いは……まあ少なくとも晃之介は無いと思っている。なにせ自分の道場であるし、挑むのが剣術とは書いていないからだ。
理屈はわかるがいささか時代錯誤かもしれない。
彼の方から他の剣術道場に他流試合や練習を申し込む時は剣のみを使うというのであるが……
「前など仕返しに浪人が大勢連れてきたからな。『多対一、これがうちの流儀だ』とかなんとか。全員倒して懐から挑戦賃を頂いて捨ててきた」
「意外と儲かっているのではないか?」
九郎の言葉に晃之介は乾いた笑いを漏らした。
つい、いい気になって酒を飲みに行ったら、流しの遊女に絡まれて殆ど散財させてしまったとは恥ずかしくて言えない。
「ちょいと驚かしてやるつもりがいささか、泥臭い戦いになってしまったのう」
「いや、お前のような子供にいいようにされるとは俺もまだ修行が足りない」
「見た目よりは子供でないのだが……まあよい」
苦笑して体を起こす。
「金二分は木剣を壊した弁償賃にしておくれ」
「……ああ、貰おう」
一瞬悩んだ晃之介であったが、確かにほとんど壊した練習器具は買わねばならない。
ありがたく頂戴することに決めたのである。
「しかし調子に乗った子供を負かしてうちの生徒にでもしようかと思っていたんだが、互角ではそうもいかないな」
汗を手で拭い爽やかな顔を浮かべて晃之介は云う。
改めて見ると気持ちのよい笑顔を浮かべる好青年である。九郎は既に殴りあったこの相手に奇妙な友情を感じてすらいた。
「しかし暑いな。水でも浴びていくか?」
「そうだの、これも何かの縁。いい店をしっておるから、終わったら飲みに行こう」
九郎は人懐っこい笑みを浮かべた。
****
川に汗を流しに行った時に。
上流から盥に乗った見たことのある顔の陰間が三味線を弾きながらどんぶりこと流れてきて、
「あーりーんーすー……うわっ、男ぶりの良い美青年と美少年がふんどしで戯れているとかここは如何な極楽浄土でおま!? っしゃあ! わっちも参加ぁ!」
などと声が聞こえてきたので晃之介から借りた弓で盥を沈没させてさっさと緑のむじな亭に向かったのは言うまでもない。