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ハンオタ!  作者: 板戸翔
エピローグ
37/37

おしまい

 ――ガタガタガタ。

 その日の放課後……というのは栗原が里香家から消え、俺が彼女を止めに駆けた朝の日の放課後。

 俺は両手に携えていた箒と塵取りを片手にまとめ、空いた手の方で障子の入口を開けた。

 開くとまず見えたのは何よりも先に、部屋の明度。

 うちの学校の和室は窓も障子という実は結構凝った作りをしていて、そこから入ってくる夕日の直射は、障子を通すことで柔らかな光に変わっていた。

 しかしながら、梅雨というのに今日もよく晴れていたな。や、梅雨だからといって毎日毎日エンドレスに雨というのも困るのだが、それでも梅雨の時期の晴れというのは少し奇妙にも感じる。一時は活動部の活動日ばかり晴れてるから、雨降れば外での活動に制限がかかるし栗原とか里香が晴れるまじないか何かやってるんじゃないかと本気で疑ったが、でも、そうでもないようだった。

 だって、活動部の活動がない今日も、晴れているのだから。

 ともかく、和室はそんな落ち着かせた日光の明るさで包まれていて、俺はその雰囲気に和みを感じつつ――またそれは似合わないとも思った。

 少なくともうちの学校の和室には似合わない。ここ活動部の部室に、それも放課後にこんな落ち着いた雰囲気は。

「……よし」

 いろいろ考えて突っ立っていたところで仕方がないと、俺は持ってきた箒で畳の床を掃き始めた。

 うーん、掃除機は使えないものかな。箒じゃ効率が悪くて音が無くてなんとも……寂しかった。

 ……はは。寂しい、なんて。つくづくここに似合わない言葉だな。

 動き始めても考えてしまう俺。

 だが、どうしようもなかった。これが俺の末路なのだから。

 俺がとんでもなく恰好悪くて、そして今一人で和室を掃除をしているというこれが、今日の結果である。

 ま、今までここにはお世話になっていたし、きっちりきれいにしてやろう。せめて、今日ぐらいは。

 そう思って、俺は黙々と掃き続けていた。

 のだが、だからといって何も思考せず無心の状態を貫き続けることは無理だったので、和室の設備のあれこれを観察しながら掃除していると、どうでもいいような疑問がふとよぎる。

 なぜ活動部の部室は、和室だったのだろうか?

 内容的に、別に和室じゃなくても活動できる。場所だって和室以外にも絶対あったはずだ。敷地はうちの学校無駄に広いからな。

 ……あれ、どうでもいいのに気になってきちゃった。是非とも今度部長である栗原に聞いてみたいもんだ。

「…………」

 栗原に、か。

 ああ、聞いてやろう、栗原に――ここにいない、あいつに。

 いつか、聞いてやろう。

 いつか、絶対に。

 ま、いつかがいつと問われたら困ってしまうのだが。

 そうだなあ。いつだろう。

 あえていうなら――そろそろかな?

「あら、ここを掃除していたのね?」

 その声、この場所に似合う声に、俺は入口へ首を回す。

 俺と同じく両手に箒と塵取りを持ってやってきたその女子生徒を見て、俺は別段驚きもせずに、言った。

「随分早い戻りだな――栗原」


 それは今日の朝に遡る。

 栗原がお袋さんに連れられて俺から遠ざかっていっていた時。

「……ちょっと待ってください」

 栗原や、お袋さんのさらに奥から聞いたことのある低い声が聞こえ、ひょっとした予感に俺が首をのばすと。

「黒瀬!?」

 案の定、黒瀬が栗原のお袋さんの前に立っていた。

 俺の声に黒瀬は一度こちらを見て、若干笑ったようにも思えたが。

「あなた、何か用かしら?」

 お袋さんの苛立ちが込められ過ぎて見え見えの声の方に、すぐ視点を戻した。

「……初めまして。栗原さんと同じクラスの黒瀬と言います。今日は栗原さんでなく、親御さんであるあなたに一つ――忠告しにきたんです」

「忠告?」

 お袋さんは突如現れた青年に予想外すぎる言葉を放たれ、まったくわけがわからないといった様子が後ろ姿でも分かった。

「一体どういうこと? 見ず知らずのあなたに忠告されるような覚えはないのだけれど」

「……それがあるんですよ。栗原の発言次第では」

 そう言うと黒瀬は少し近づき、お袋さんの背後にいた栗原へ話しかける。

「……栗原。正直に、本音で答えてくれ。今後も、この学校にいたいか? 活動部を続けたいか?」

 『活動部』のところで栗原はぶるっと縦に震えた。直後にその場で体をもじもじと軽く小刻みに揺らし始めると、やがて彼女は―俺の方へ振り返った。

 栗原の顔が視界に映る。その顔は、どうすればいいか訊ねているような顔に見えた。

 それに俺は……何も言えなかった。黒瀬の意図が全く見えず、余計なことが言えなかった。

 ただ、栗原が俺をひたすらに見つめていたので、俺も栗原から視線を外すような真似はしなかった。

 その時間は、当事者からすると三分くらいあったんじゃないかという間だったのだが、おそらく本当は数秒あまり。

 栗原は、瞳に抜けていた正気を少しだけ取り戻し、ギュッと下唇を噛むと、黒瀬の方に向き直り、言った。

「この学校にいたい。それで、活動部も続けたい」

「清美ッ!」

 ついにお袋さんの怒りが漏れ始めた。怒気に栗原は体を縮こませたが、黒瀬は……。

「笑っ……てる?」

 また、そんなように見えた。無表情なやつだけれど、今日の彼の表情、笑顔は離れていても認識できた。

「……しっかり聞きましたか? これで僕の忠告は意味をなします」

「だから何を言っているの! それなら私もあなたに忠告させてもらうわ。私をただからかっているだけなら、よしておいた方がいいわよ。一応、私はここのがっこうのPTAの会長をしているのだから」

 脅しともとれるお袋さんの発言。こんなんでPTA会長の権力使うのかよと思ったが、それでも黒瀬を見ると、まるで余裕といったような感じに思えた。

「……そのPTAの会長さんであるあなたにも、僕の忠告は有効なんですよ。なぜなら、この学校であなたに勝る権力を持っているのが、目の前(・・・)にいるんですから」

「!」

 黒瀬の言葉に、おそらくお袋さんは、そして俺自身も驚いた。

 目の前って、まさか……。

「黒瀬君、あなたに? どういうことかしら?」

 お袋さんの言葉に黒瀬はすぐ頷いた。

 何でだ? 確か黒瀬はサッカー部には所属しているが、委員会には何も入っていなかったはず。というか、入っていてそこで委員長であったとしても、場合によっては教師たちの上にも立てるPTAの、会長であるわけだから、どう考えても勝る権力なんて……。

「……あ」

 あるわ。

 それは栗原にも、また俺にだって。

「……この学校の方針は生徒主導。規則も、罰則も、予算も、何もかも大抵の事は生徒たちに一任され、生徒たちが決めてます。対象がいかなる事柄でもうちの学校に少しでも関わることなら、全生徒数の三分の二の支持が集めればそれは容認されたり、成立したり、または――叶ってしまうんです。この言葉の意味、分かりますよね?」

「――っ」

 お袋さんは栗原の腕を掴んでいた手を離し、その手を強く握り始めた。相当悔しいのだろう。

 それを見ていた黒瀬は尚も、話を続けた。

「……栗原は生徒会副会長やクラス委員長、また活動部部長もこなす学校全体の人気者、あなたの自慢の娘さんです。そんな生徒の『学校にいたい。活動部を続けたい』という願いを聞いたらすぐにでも全生徒数に限りなく近い支持が集まるでしょう。さて、もういいですよね? 今、忠告しましたから」


 こうして、栗原のお袋さんはひどく憤慨しながらもその場を去っていき、急展開を迎えた展開はさらに急展開を迎え、結果的にはひとまずハッピーエンドと言えるところに収束したのだった。

 そしてその後はいつもの学園生活が……とは簡単にはいかなかった。

 のちにやってきた担任の川瀬先生に放送室の無断乱用についてかなり叱られ(『仏の川瀬』で有名な先生もさすがに許容量を超えた出来事だったようだ。あるいは誰かがすでに三度怒らせていたか……?)、また何も持たずパジャマ一丁で登校してきた俺に対しては特に激が飛び、一度帰らされて制服に着替え、荷物も持って再登校してきた時はまだ一時間目が始まったばかりだったのだが、先生の怒りは止まらず、俺が裸足で走っていって汚した廊下全てをきれいにするまで授業を受けるなと言われ(教師としてどうなのだろう)、結局二時間目の途中までいつもの日常は返ってこなかった。

 その一方栗原はというと、川瀬先生の説教のあとにすぐ教室に戻ることができ、そこでひとまずクラスの皆に朝の放送について謝罪をしたそうだ。後々学校全体にもするらしいが、本人いわく謝罪の後にクラスの皆から温かな拍手をもらえたらしいのでそちらも問題ないであろう。

 その件については大丈夫なのだが、問題がもう一つ。お袋さんである。

 黒瀬によってひとまずは解決したものの、やはり親子間で話し合う必要があると、栗原は授業の終わりと同時に一度家へと帰っていたのだった。

 そして今、そこから一応戻ってきたことになるが。

「さっきも言ったが随分早かったな。ちゃんと話し合ったのか?」

 時間は午後五時ちょっと過ぎ。移動時間とか諸々を考えると三十分も話し合っていないと思われる。

 だけど栗原は、ニコッと口角を上げた。

「心配ないわ。話し合いは滞りなく和解まで進んだから。まったく今まで通りの生活を私は続けられるわよ。もちろんフィギュア収集もね」

「ほー」

 思わずそんな声を漏らしてしまった。

 いや、今まで栗原はフィギュア収集を趣味にしながらも完全無欠に支障をきたしていなかったのだから、お袋さんが許すのも当たり前といえばそうなのだが、しかし家出にまでもつれたものがこうもあっさりと解決してしまうものなのか?

 ……いや、案外するのだろう。ここはラノベの世界でなく、現実なのだから。

「だから、早速今日も一体ネットで注文しちゃった♪」

「おいお前、その時間あったなら早く戻ってこいよ! 俺一人で三割方掃除したん――」

「冗談よ。さ、早く終わらせちゃいましょ? そ・う・じ」

 うきうきで俺の発言に被せ、掃除を始めた栗原。本当に冗談なのか怪しいところだったが、発言内容には賛成だったので、俺も手を再度動かし始めた。

 なんせ俺たちは放課後始まってすぐに、今日中に本校舎一階全てを掃除し終える、なんていう放送室の乱用による罰則を風紀委員会から食らってしまったのだから。

 さすがに里香が所属していても無罪放免とはならなかった。当たり前だ、ほぼ現行犯逮捕だし。

 それに俺のフィギュアのやつだって、あれは濡れ衣だったから里香は無茶をしてくれただけで、別に罪を犯したのが俺であったからということではないようだ(あの日一緒に帰りたかったという気持ちはおそらく本当だが)。

 そんなわけで有罪判決。ただ委員長にそれを言い渡されている間、隣にいた里香がずっと笑いをこらえていた姿は非常にムカついた。今度たとえ勝てなくても、絶対拳一発は入れてやる。

 殴って、そんで言ってやる。「ありがとな」と。

 結局のところ、今この時をエンディングとするならば、それは俺が主人公である物語のではない。

 黒瀬であったり、里香であったり、また栗原であったりと、これはそんな彼ら彼女らが見出した『おしまい』なのだ。

 波乱のクライマックスでの主人公の発言が「え……」とか「黒瀬!?」だけって恥ずかしすぎるだろ。それもあんなに頑張った気でいた手前からの。

 最後で見ると主人公は黒瀬でヒロインが里香と栗原。とんでもなくみじめだった俺は、役どころでは三枚目の脇役ってところかね。

 ま、そんな役だけれど、でもヒロインに質問する権利くらいはあるだろう。

「なあ栗原。何で活動部の部室を和室にしたんだ?」

 すると栗原は「ああそれ?」と作業を継続しながら。

「里香に初めて教えてもらったアニメが、和室を舞台とするおかしな部活の物語だったのよ。それで」

「理由それ!?」

 現実はそんなもんらしい。ラノベみたいに伏線なんて張られていなくて、こんな偶然と呼べる出来事で決まってしまうのだ。

「だけれど」

 しかし栗原はそこから続けた。

「そのアニメでの登場人物たちが、楽しそうだったのよすごく。興味なかったから詳しくは観なかったのだけれど、でも楽しそうなのは伝わってきたわ。だから、私もそうなりたかったの」

「へえ。んで、お前はそうなれたのか?」

「それは島田君が一番知ってるんじゃない? 私の本音を大声で校内に放送したあなたなら」

「……根に持った?」

「当り前よ。私の放送に対するあんな仕返し、二度と忘れてやるもんですか」

 特に怒っている様子もなく栗原はそう言った。

 俺はそれでも一応罪滅ぼしの意味として。

「まあ、学校の皆はあれが俺の言葉として受け取ってるからな。だから……その、これからも活動部の活動に、付き合って、やるよ」

 歯切れ悪くも、言った。これからもオタクを目指すなんて放送しちゃったしな。完全の。

 それに、栗原は。

「それも当たり前。そもそも島田君は部員でしょ?」

「…………」

 まったく可愛くない。こっちが頑張ってんだからもう少し歩み寄ってくれたっていいのによ。

 そんな感じのを俺が心の中でぶつぶつ言っていると、何やらガサゴソという音が聞こえてきた。

 振り向くと、栗原が自分の鞄の中を漁っていた。

「おい、何やってんだ?」

「いや、フィギュア出そうと思ってね」

「…………」

 恐ろしすぎるわ。お前、ゴールデンウィーク初日で懲りてないんかい。

「よいしょ」

 そこから栗原が出してきたのも、あの落としたリシアだったりした。

 俺があまりの恐怖に引きまくっていると、栗原はその様子に気づいて。

「大丈夫よ。今度は活動部の活動で必要な道具として生徒会と風紀委員会から許可もらってるから」

「…………」

 あ、栗原さん、お壊れだったんですね。権力の乱用がエスカレートしてる。

 自然過ぎて気付かなかった。ナチュラルブレイク!

「さて、それじゃあせっかく出したことだし軽く活動しましょうか」

「あの、掃除……」

 言いかけたが、ぶっ壊れ状態の栗原がそんなこと聞いてくれるわけもなく、やめた。

「じゃあ、今からフィギュアのいいところを教えてあげる」

「おい、それなら前にやっただろ?」

 オタク論議の時に。

 だが栗原は首を横に振った。

「いえ、あの時は島田君たちの止めも入ったし伝えきれてなかったの。まだいいところがあるのよ」

「何だよ?」

「キスができるところよ」

「スカートめくりと言いお前はもっとフィギュアを大切にしろ!」

 怒鳴ってしまった。フィギュアのハンオタに、フィギュアのことで。

 でも栗原はそれにひるむことはなかった。

「島田君、馬鹿にしちゃいけないわ。あなた、リシアとキスしたいって思ったことないの?」

「いや……その……ないってのは……嘘になるけど」

「それが出来るのよ。フィギュアではね」

「…………」

 あれ? 俺今ちょっと、いいなって思っちゃった。

「さ、物は試しよ? 目を瞑ってみて。想像で補えばよりリアルにリシアとキスできるわ」

 言ってフィギュアを近付けてきた栗原。

 ……ま、まったくしょうがないな。そこまで推してくるなら、付き合ってやるか。部員だし、完全なオタクにならなきゃいけないし。

 俺は目を瞑り、待つこと数秒。やがてそれは、来た。

 それは確かにキスしている感覚があって、それは唇に触れていて。

 もっと具体的にはしっかりと密着していて、それで柔らかく、温かく、まるで本物の――

「――え!?」

 目を開けると、すでに目の前にはリシアのフィギュアも、それを掴む栗原の姿もなくて。

「さ、もう和室はこんなところでいいんじゃない? 次に行きましょう?」

 見るとフィギュアは置き場に困ったのかちゃぶ台の中央に置かれ、栗原は和室を出ようとしている最中であった。

「お、おい栗原! さっきのってフィギュアじゃなくて……」

 と、聞こうとして。

 俺はすぐに平常心を戻し、やっぱりやめた。それは栗原が壊れているからではない。今じゃないと思ったからだ。

 さっきのは明らかにフィギュアによるものではなかった。だとすると……。

 でもそれは多分、今分かるべきことじゃない。

 事実を知るのは。

「……ま、そうだな。んじゃ次行くか」

 俺が今度こそ、主人公になれた時でいいんじゃないかと、そう思ったんだ。

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