表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ハンオタ!  作者: 板戸翔
活動部の外出――が
36/37

ななの7

 っとそんな決め台詞的な言葉を吐いたにもかかわらず約十分後、俺は立ち止まっていた。

 理由はというと……。

「俺、電車通学のこと、忘れてた」

 朝起きてそのままの恰好のため、定期も財布も持っているわけなかった。

 カッコ悪すぎだろ!? 何俺、こんなんで学校行けないとか!?

 家に帰れば定期も財布もあるし、何ならうちの高校は三駅先なだけだから歩いても三十分程で着けるのだが、時間が一分一秒惜しい今、そんなしょうもないロスをしているわけにはいかなかった。

「あー、何とか誰かに持ち合わせ売ってそのお金で切符買えないかな?」

 何て無意味なことを考え始めた俺。だから起きたままの恰好なんだっつーの。

 右手には栗原の手紙とメイド喫茶の特別会員カードを持っているが、これらもとてもではないが売れるものでは……。

「……ん?」

 俺がそんな残念な思考からおもむろに右手に掴むそれらをチラッと見た時、正確には特別会員カードの方を見た時に気付いた。

 もっと正確に言えば、そのカードの裏を見た時だった。そもそも俺は、前々から少しそれをおかしいと思っていた。

 それは、このカードの裏側に、何も文字が記載されていなかったからだ。普通カードには裏に小さく書かれた注意事項がズラッと並んでいるものだが、このカードにはそれが一切なかったのだ。

 そんな違和感を感じていた俺だったが、今は特に違和感、いやもはやそれは確固たるものだった。

 そのカードの角の一部が、めくれていた(・・・・・・)のだ。

 見えた内側が銀色であるところから、カードの表面に張られていた・・・・・・と思われるものが、少しだけめくれていた。おそらく走っていた時に俺が汗ばんだ手で強く握り続けていたために、表面の一部がふやけたか、ズレたかでめくれてしまったのだろう。

 おれはそのめくれた角に手をやり引き剥がすと――

「――っ!」

 今度はそれを裏返して、表側に張られたものも剥がすと……。

「……ふはははは」

 俺は思わず笑った。笑わずにはいられなかった、黒瀬に対して。

 それは、カードに意味の分からない細工をしていたための嘲笑ではない。

 『ピンチの時に使え』と言ってカードを渡してきた、友人に対しての感激による笑いだった。

「黒瀬、お前最高だ!」

 俺は駅の中へと走り始め、引き剥がして露わになった――西桜高校の最寄り駅までの定期券を改札機にかざした。


「はあ……はあ……着いた」

 定期券で改札をくぐった十五分後、ようやく俺は学校に辿り着いた。しかし学校まで電車の中以外フルで走ったのは初めてだ。体力のない俺にとってこれは相当こたえた。

 思えば、里香に追いつかれたのも俺がいかに筋力がないかを露呈していた。今後はこういう時のために筋トレとかもしとかないとな。……や、頻繁にこんなのあってほしくもないんだけど。

「……さて」

 息を整える兼自分の残念さを認識する時間のための数秒の停止ののち、俺は高校の正門をくぐった。今の時刻は七時ちょっと過ぎ。朝のホームルームはそれより一時間半程先だが、それでも部活の朝練に来る生徒のため簡単に入ることが出来た。

 というか、これは前回俺にフィギュアの濡れ衣を着せた真犯人の捜索の時にすでに実証済みか。はは、あの時が懐かしく感じる。あれから終わらそうとしていた栗原を俺が止めて全てが始まったんだ。

 そんでまた、今回も俺は栗原を止めようとしてる。いや、絶対止めてやろう。栗原はどこへ行った? やっぱ問題の鎮静化を考えると職員室か?

 などと考えていると……突然と事態は、やってきた。

 ――ピンポンパンポーン、という音声とともに、やってきた。

『皆さんおはようございます。生徒会副会長の二年四組、栗原清美です』

 栗原自身から、やってきた。

「放送室か!」

 俺はパンパンに張り切った両足を一度ずつ手で叩き、無理矢理急速可動させた。

『突然の放送で申し訳ありません。部活動の朝練習をなされている方々は、そのまま練習を継続していただいて構いません。しかし、私がこの放送を使って今から少し話をすることはお許しください』

 栗原の声はそれこそ先程のチャイムでないが、無感情で冷たく、機械を通しているとしても人間の声帯から発せられた声とは思えなかった。

 そうか、あいつ……!

『私には、実は皆さんに黙っていた秘密があります。そしてそれは、この西桜高等学校の中の組織のトップである生徒会の副会長として、あるまじき行為でした』

「え、秘密?」 「何だろう、何かいけないことでもしたのかな?」

 靴をそもそも履いていなかったため、スピードそのままで校舎に入って廊下を駆け抜けていると、朝練に向かう最中だろうかという体育着姿の女子二人を追い抜いた時、二人はそんなことを言い合っていた。

 やはりそうだ。栗原のやつ、放送を使って生徒に、朝練に来ている生徒に全てを明かすつもりなんだ。

 生徒数約千人を有するうちの学校ではその約七割の生徒が部活動に所属している。その中で朝練を実施している部活を……少なくても三割と仮定して、さらにそこから熱心に朝練に来る部員の数が半分と見積もっても……えーと、とりあえず百人はいるだろう。それだけいれば、放送によって伝える価値は十分にあった。

『私には、昔から趣味がありました。それは――フィギュアを集めることです』

「くそ!」

 放送に苛立ちを抑えきれず拳を握って空に突くと、通り過ぎていく廊下の窓から陸上部員勢の吃驚する声々が入ってきた。

「嘘、栗原さんってそんな趣味があったの!」 「え、てことは栗原さんもオタクってこと?」 「いや、でもそんな話聞いたことないぞ?」 「え、じゃあ何? 黙ってたってことは、オタクに偏見持っていたの? あの島田みたいな感じで?」

「…………」

 俺はそれらを聞いて握っていた拳を……何もしない。足も止めない。

 待ってやがれ、あと少し。

『でも私は、そのせいでとある生徒(、、、、、)に迷惑をかけてしまいました。遊具を持ってきてはならないこの学校に私はフィギュアを持ってきてそれを落とし、翌日先生が落としたフィギュアを取り出して持ち主を尋ねたとき、あろうことか私はまったく関係のない別の生徒(、、、、、、、、、、、、、)に罪をなすりつけたのです』

「オオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」

 俺は怒りのあまり咆哮した。今のはだめだった。

 俺には島田健児って名前があんだよ勝手にぼかしてんじゃねえよ! とある生徒って何だ! しっかり関係した生徒だろうが!

 お前が謝って、キレられて、本音を言って、黙ってるよう押し付けられて、部活作って無理矢理入れて、連れ回して、散々連れ回して、家に泊めろとねだって、泊まれなくて、止まれなくて、消えて、突然消えて、それが突然じゃなくて、いろいろ残してて、それでも気付かれなくて、手紙残して消えて、「今度はちゃんと渡せたわ」なんてしてやったと思ってて――同時にそう思えた自分に強い後悔を与えた、今も与えてる名前だろ! ふざけてんのも大概にしろよ!

 本音はどこだ栗原ああああ!! 

『これは生徒会副会長として許される行為ではもちろんなく、またこのような行為を犯す私にクラス委員長、そして――活動部部長という、組織の長を務める資格はありません』

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

『従って私は――』

「おおおおおおおおおああああああああああ!」

『――生徒会副会長、クラス委員長並びに――』

「あああああああああああああああああああ!」

『――活動部部長から、退くことに――』

「追いつこうとしてんだからちょっとは待てやこらあああ!!」

 ――ドカン!!

 けたたましい破壊力ある重低音が、放送から、また直に二重で聞こえた。

 俺が、放送室の扉を蹴破ったことによるものだった。

 放送室の奥では栗原がイスから立ち上がり、こちらへ目をまん丸に見開いてただただ愕然という様子だった。

 そんな栗原に、俺は必死で荒い呼吸を抑えつけながら近づく。

「サンキューな。|濡れ衣着てもらっちまってさ(・・・・・・・・・・・・・)」

「!!」

 そんなことを大声で、放送で流れるように言って、栗原をさらに驚かせながら。

 きょとんと俺を見つめる栗原に、俺はわざと意地悪く口角を上げて見せた。

 ハ、お前がその気なら、こっちだって考えがあんだよ。

 俺は未だ立ち尽くすだけの栗原からマイクの主導権を奪い、ゆっくり話し始めた。

『あ、どーも。栗原と同じく二年四組の島田健児です。知ってる人は知ってますよね? ええ、オタクに偏見を持ってるという噂の、あの島田です。えー、ここまで聞いてもらった人には本当申し訳ないですが、今までのは全部忘れてください。実は今栗原さんが言っていた落としたフィギュアってのは――本当は俺のなんです』

「! ちょっと、何言って――」

 俺の声でやっと平常を取り戻した栗原が俺に詰め寄ってくるが、俺はそれを片手で制止する。

『俺は、フィギュアを集めることが好きです。しかもその趣味を俺は、ずっと隠してました。それは皆にオタクだと思われることが怖かったからです。この趣味がばれたらオタクではないなんて、とても言い張れないから。でも――だから何だってんだよオオオオ!!』

「――っ!」

 思いがけないタイミングでの俺の怒声に、隣で栗原は体をぶるっと震わせた。

『隠していて何か悪かったか? 俺がお前らに何をした? むしろやってきてんのはお前らだろ? お前らが作ったくそったれな世間体のせいでこっちがどんなに迷惑してんのか分かってんのか? ああ!?』

 ポタポタと、髪の毛から汗が垂れ始めていた。パジャマもびっしょり濡れて肌に張り付き、若干動作を弊害する。

 だがそれを俺は全く気にすることなく、ただ取り付けられたマイク一点に向かって一心不乱に、全身全霊で声を打ち続けた。

『大体お前ら散々オタクを美化してる割に、この放送聞いてる中にオタクは何人いんだよ!? もしかして一人もいねえんじゃねえのか!?」

 オタクと呼ばれる奴がおそらくうちの学校には黒瀬しかいないことがいい例だ。一般人にとってオタクは実感のない架空のような存在にも関わらず、それを彼らは『いいもの』としてろくに探ろうともせずに分類した。だからオタクが受け入れられた今も、こんな現象(・・・・・)が起きている。

『ざけんなよ! お前らが勝手にオタクを神格化させたせいで俺は隠さなきゃいけねえ! お前らが崇める『オタク』があるせいでこっちは『にわか』と思われる恐怖にさらされなきゃいけねえ! お前らが定めた『オタク』のせいで、どっかの誰彼彼女は『ハンオタ』なんて代名詞になってなきゃいけねえんだよオ!』

 『オタク』がどこからがオタクなんて、本当は分かるはずもないのに。

 それなのに世の中は勝手に定義した。民主主義のデメリット。

 俺たちは、ハンオタでありたくもなく、かと言って本当は別にオタクになりたいわけでもない。

 俺たちにとって一番なりたいのは、何者でもない、ただ趣味を趣味としている自分自身なんだ。

 それなのに、世間は俺たちを圧迫し、それを許さない。

 そんな非情すぎるこの世界なのに、それでも俺たちは――栗原は、必死に順応しようとやってきてたんだ!

「島田……君?」

 ここまで静かに聞いていた栗原が、疑いを込めた声でこれに訊ねてきた。

 はは、さすがにここまで来たら完全無欠さんにはばれちまったか。

 ま、いいや。じゃあいくぞ栗原、よく聞いとけ。

『空想の信者さんたちに一つ教えといてやるよ。これでも俺はお前らの『オタク』になろうと努力してやってたんだ。例えば『萌え』。これは好きなものを想って言うとうまく言えんだよ。絵文字だって、『(´Д`;)ハアハア』だって言えるんだぜ」

「!」

 栗原の息の吸引音がわずかに感じられた。どうやら完全に理解したようだな。

『知ってるか? アニメのDVDが付いてる参考書ってあるんだぜ。俺はそれを友達のために試験前日の一夜漬けの材料として使ってやった』

 そうだよ。

『他にもいろいろやった。中ではオタクになるために論議もした。ただのオタクの論議なのに、まるで戦争みたいな熾烈な戦いだったよ。ま、そうしたのは俺自身なんだけどな』

 そうだよ栗原。

『もちろん秋葉原だって行った。昼はメイド喫茶に行かず、あえておでん缶を食べた! メイド喫茶はベタだからな!』

 最初からずっと俺の声は、お前であって。

『ここまでべらべら一方的にずっとしゃべってきたけど、別にこれはお前らのせいでやらされたから当たってるってわけじゃねえ。逆だよ。今言ってきた、今までやってきたことが、全部どうしようもなく楽しかったから言ってんだ!』

 最初からずっと俺の声は、お前の――本音なんだよ。

『言いたいことは、目的は粗方終わった。だからこれが最後だ。俺はこれからも続けたい! 楽しいから続けたい! 俺はオタクになることを、まだ目指したい! それをお前らは黙って見てろ! 以上!!」

 さあ、栗原。お前が言わないから、俺が言ってやったぞ。

 お前は俺の声を聞いて。自分の本音を聞いて。

 お前は、どう思った。どう感じた。

 どう、お前はお前と向かい合ったんだ。

 疲労と酸欠でふらふらになりながらも、機材を支えに、俺は隣に体を向けた。 

 ら。

「……うあああ、あああああああ」

 栗原は、泣き始めていた。

 滝のように両目から涙があふれ。

 拭っても拭ってもすぐに滝は潤いを戻し。

 その拭いていた両手も、すぐに水浸しと化した。

「何で……何で……」

 栗原は依然涙が溢れ続けている瞳をこちらに向け、俺に聞いた。

「何で……助けに来たのよ」

 赤く腫れあがった目元をしっかりと広げて、俺を見て。

 あれだけサイレン鳴らしといて、俺に聞いた。

「決まってんだろ」

 だから、俺は。

「また押し付けに来たんだ……今度は、ハッピーエンドを」

 にひっと笑ってそれを言ってやって。

「? 意味が分からないわ」

 なんて返された。

 あれ、我ながらいい閉め方と思ったのだが、どうやら独りよがりが過ぎたようだ。

 でも、まあ。

 栗原の号泣を見るのは二度目だが、今回もまたこれで栗原が確かにここにいるのが分かったし。

 ふう、なんともとんでもなく長い朝であったが、やっとこれで一件落――


「――清美、何をしていたの!」


 俺が気を抜きかけたその時、後方からそんな声が聞こえた。

 それはさっきまで隣で聞いていた声に似ているが、それよりも少し低く、年月が経過して熟成されたような声だった。

 また、その声はどんなに拭っても止まらなかった栗原の涙を、一瞬で止めた。

「……お母さん」

「え……」

 ぽつりと言ったそれに俺も振り返る。後ろには、見たことあるブランドらしきスーツやバックを装備し、化粧もしてロングヘアーといういでたちであるが確かにその風貌は栗原を思わせる、まさしく栗原のお袋さんそのものであった。

 その栗原のお袋さんは。

「行くわよ、清美」

 そう言って栗原に近付くと、無理矢理手を引き始めた。

「ちょっと、やめて」

「何言ってんのよ! 私がなぜここにいるか分からない? あなたの行動で私がどれだけ恥をかいたと思っているの! 早く帰るわよ」

 抵抗する栗原に対し、お袋さんは苛立ちを露わにしてさっきよりも強く引き始めた。

 え……何これ。

何が、始まった?

 引き合いの最中、栗原のお袋さんはチラリと俺の方を一瞥した。

「放送、聞いてたわ。はあ、まったく。この学校は進学校だから大丈夫と思っていたのだけれど、あなたの最近の奇行を見ててもそうではなかったみたいね。これは――転校する必要がありそうね」

「転……校……」

 その言葉を聞いた瞬間に栗原は一気に力を失くし、お袋さんにずるずると引きづられ始めた。

「おい……」

 何だよ……何だよこれ。あんなに、がんばったってのに。こんな、こんな終わり方って……。

 しかしだからと言って俺はどうすることも出来ず。あまりに突然過ぎた出来事に、その場に立っていることしか出来ず。

 急展開の末に見えた光景は、栗原の姿が、無情に着々と縮小していく姿だった――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ