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ハンオタ!  作者: 板戸翔
活動部の外出――が
35/37

ななの6

「私にとって、健児は王子様だった」

 互いの視線が交差する数刻の沈黙を経て。

「私を助けてくれる、白馬に乗った王子様。そんな健児が、私はずっと好きだった」

 里香は、初めにそう語った。笑うことなく、至極まじめな表情で。

 それにまた、俺も笑うことはなかった。一切。

 聞こえなかったわけではない。むしろ聞こえすぎている。

 辺りを包んでいた公道特有の喧騒は、いつの間にかいなくなっていた。

 いや、いないわけじゃない。ちゃんと『ある』。ただ『ある』だけで俺の耳に届いていない。

 里香の声以外、音は『ある』だけ。

 そしてそれは音以外でも言えることだった。視界を彩る光の束も、肌をかすめる風の感触も、鼻をつつく排気ガスの特異臭も、そして里香の告白を受けてから口の中に溢れ始めた苦味も、それら全てが『ある』だけだった。

 感覚的には、俺のラノベに集中するために外界を遮断するモードに近い。これは外界を受け付けず、自分だけの、ラノベの世界に入りこむ。

 ただそれと違うことは、今いるのはラノベの中ではないということ。

 辺りが俺一人ではない、俺と里香の二人しかない世界だということだった。

「覚えてるか? 昔の私」

 そんな二人しかない、二人だけの世界で、里香は言った。

「私って、今も何かに興味が湧くとその衝動が抑えられなくてそれしか見えなくなっちゃうけど、昔は特にそれがひどくてさ。やることなすこと度が過ぎてて、気付いたらいつも誰一人私と遊んでくれなくなってた」

「……ああ、覚えてるよ」

 期間は小学生時代ほぼ丸々。里香には、全くと言っていい程友達と呼べる存在はできなかった。

 別にいじめられていたわけではない。というかむしろそれは周りの方が気にかけていたことだ。里香にいじめられないためにと、そう思って皆彼女を避けていたのだ。それ程当時の里香は一つ一つの行動が常に過激だった。

 俺が返すと、「でも」と里香は顔を少し緩めて話を続けた。

「皆私から離れていったけど、健児だけは違った。健児はいつも私といてくれて、私がやりすぎて困った時も助けてくれた。いつでも、いつだって健児は私のそばにいてくれた」

「それは大袈裟だ。俺だってお前のことを避けていたぞ。ずっと迷惑だと思ってた」

「うん、聞いた」 

 里香はクスッと笑った。里香の趣味を知った日にそれで一度泣かせたからな。忘れてるわけないか。

 しかし栗原はまた「でも」と言って話を繋げた。

「皆何かと理由をつけて逃げるように私の前からいなくなっていくのに、健児はそれをしなかった。頼りに来る私を強く突き離そうとはしなかった。いくら隣に住んでる昔からの幼なじみだからって、私から距離を置く手段はあるはずなのに」

「…………」

 俺は何も言わなかった。確かに、どんなに里香が強引に迫って来たって、いろいろやられたあげくに天性の笑顔でうやむやにされたからって、彼女を遮断することはできた。皆と同じように理由なり何なりつけて避け続けても良かったし、何なら里香の親父さんは俺と一緒にいることを良く思ってないのだから、親父さんを絡めても良かったわけだ。

 なのに、俺はそうしようとしなかった。何だかんだで、いつも里香に連れ回されていた。

 そうされることを、俺は許していた。

「だからそのときの私はこう思ってた。私と健児はお姫様と王子様の関係で、お姫様である私が困っている時、助けに来てくれるのは絶対王子様である健児なんだと。私たちはそんなお互いが理想で、切っても切り離せない関係なんだと」

「お姫様と王子様……」

 だから里香は俺の中の自分が理想であるなんて思っていたんだ。それでおそらくは、そうあり続けるためにそんな自分を貫いていた。女子は男子よりも大人になるのが、背伸びをし始めるのが早いと思うけれど、里香はそんなことはなく、ほぼ自我も変わらずに育ってきていた。俺は、今までずっと里香の隣にいてあいつの変わらない俺依存症を見てきたから、それが分かる。

「さすがに小学校を卒業してからは本気でそんなことは思わなかったけどな」

 俺の呟きに里香はそう言って苦笑いを見せた。

 だがその引きつった表情はすぐに消えた。里香は消した。

「だけど、それを確実に思わなくなったのは最近。健児に私の秘密だった、アニメ観賞の趣味を知られた日、健児に言われたのがきっかけだったんだ」

「……ん?」

 あの日は里香との長い関係の中でいろいろと初めてだった日だったが……。

「悪い、あの時は最初は驚いてて、その後はお前にただキレてただけだから、何がきっかけか正直見当つかん」

 でもその後里香がそれまでの彼女から変わったようには見えず、朝の登校時にはいつもの俺依存症の里香が戻って、むしろ今までより依存症の度合がさらに上昇していたようにも思えたんだが。

 俺がよく分からずそう言うと、里香はふっと噴き出した。

「深夜健児に初めて本気で怒られたってのも要因の一つであるけど、私にとって本当に重要だったのはその後の朝ごはんの時。私が健児に『一緒にいていいのか』って聞いたら、健児言ってくれただろ? 『一緒にいろよ』って」

「ああ」

 覚えてる。途中俺が「気付くのが遅い」とか言って、その後一瞬お互い無言になったのも。

 忘れるわけがない。あれは俺がまたこれからの里香を受け入れると、決意ともとれる一言だったから。

 すると俺の即答を聞いた里香は、やさしく微笑んでいた。

 里香にとってもそれは重要だったと言わんばかりな、意味が込もった表情だった。

「私はそれまでも健児の事がずっと、ずっと好きだった。でもそれまでの好きは、私が小学生のときに設定づけたお姫様と王子様っていう関係がどこか尾を引いていて、それまで私が好きだった健児は、王子様として私を助けてくれて、いつもそばにいてくれる健児だったの。私はそんな健児に今までずっと甘えてた」

 ここで里香が、今日三度目である、「でも」。

 でも、これは三回の中で一番力が入っているように思えた。

「健児に『一緒にいろよ』って言われて。今までと全く違う私を見たのに。理想の私、お姫様じゃない私を見たのに健児はそう言ってくれて。そこで初めて私は『健児』を好きになった。王子様でも何でもない、健児本人を、私は好きになったんだ」

 言い終えた里香は――笑っていた。

 満面の笑み。それも、今まで見たことない、この世のものとは思えない綺麗な笑顔だった。

 俺はその美しさに目を奪われ思わず見とれてしまったが、やがて俺の胸に痛みが生じ始めた。

 それは物理的な痛みでなく心理的な、言ってしまうと彼女の笑顔に対する――罪悪感だった。

 そしてまた、里香の笑顔もやがて少しずつしぼんでいき。


「でも」


 三度目があったということは、四度目もあったりしたのだが。

 四度目のそれは重みが全く今までと異なり、それを言った後、里香の表情はどこまでもどこまでも、底なしの悲痛に沈んでいった。

「好きになった直後に清美が現れて、それに私は焦った。長い間健児といて、やっと健児本人を好きになれたのに、ここにきてそんなことが起こるなんて思わなかった。

 その後清美に活動部の創設のことを聞いた時は正直悩んだ。清美も私が健児の事を好きなことに気づいていて同時に『約束』も持ち出してきたけど、それでも不安だった。健児がこのまま清美に持って行かれちゃうんじゃないかと思ったら、胸の中が言葉では言い表せない程辛かった。アニメで知ってたから、自分がもうどうしようもないくらい健児が好きなのが分かった。

 それだからというか、結局、前に健児にも言ったように健児と一度一緒に部活をやってみたかったし、もっと健児に近づきたかったから話に乗った。だけど不安は的中して健児はどんどん清美の方へ近づいて、清美ばかり見始めていって……それで今、健児はどこへ行ったかも分からない清美を必死で追ってた」

 俺は、言い終えた里香が一体どんな表情なのか分からなかった。

 今のを言い終えた彼女を直視なんて、出来るわけがなかった。

「ねえ健児。健児なら分かるよね? 恋愛ものの物語における、幼なじみの立場」

「……っ!」

 そんな視線を外す俺へ、里香は不意にそう言った。

 唐突な投げかけだったが、俺はすぐに分かってしまった。ラノベ好きな、俺は。

 でもそれは言えない。俺が分かったそれは、今ここで言うにはあまりにも酷だった。

「噛ませ犬」

「!」

 するとその言葉を、里香自身が、言った。

 俺が分かっていたことを分かった上で、淡々と、それを言った。

「どんな恋愛もののアニメを見ててもさ、主人公と結ばれるのは大抵主人公の幼なじみと競っていた第一ヒロインなんだよね。主人公といいとこまでいく幼なじみはほとんどのアニメでいるのに、最終的に主人公と結ばれる幼なじみはほとんどのアニメでいなくなってる。健児、それってラノベでも同じだよね」

「…………」

 何も、言えない。

 事実過ぎて、返す言葉が、見つからない。

「ねえ、何でかな健児」

 何も言わず、結果的に無言の肯定をしてしまったとことんクズな俺に、里香は質問した。

「何で、幼なじみって報われないんだろうね?」

 そんな、非情なんて次元でない質問を。

 俺が泣きたくなるような質問を。

 里香は、泣きそうな声で、俺に言ったのだ。

「……くっ」

 もう、地獄にいた方がマシに思えた。

 こんな時だが、それともこそなのか、また黒瀬の言葉が過去から引き出された。

 『よく考えとくんだな。選択の時は必ず来るぞ』

 間も入れずに言った、黒瀬のこれ。

 もしそれが今だとしたら、それはあまりにも残酷過ぎた。

 どちらを選んだにしても、どちらかが傷ついて……いや、これではどちらとも傷ついてしまう。

 たとえ片方を選んだとしても、選ばれなかった片方は傷つき、そして選んだ片方もその片方を思い、傷つく。

 こんなの、こんなの選択なんて言えねえじゃねえかよッ!

 …………。

 ……そもそもこれは、ラブコメではなかったのか?

 俺が黒瀬に自分の置かれた状況をラノベとして伝え、それを黒瀬はラブコメと言ったが。

 そもそもそこが、ラブコメという定義から、違ったのではないか?

 ……というより、まず初めに現実にラノベの世界を当てはめることからして間違っていたのだな。

 そうだ、だから、違ったんだ。

 はあ、黒瀬。俺は散々思ってきたが、やっぱ違かったよ。

 いや、正確にはいろいろ合ってたけど、でもラブコメではなかった。

 だって、ラブコメなら、こんな終わり方はしない――


――クス。


「……え?」

 一瞬の空気が抜けた音に、俺は耳を疑った。

 しかし。

「――ふはっ」

 明らかに空耳ではなかった。俺はその音の出所へ視線を向けると。

「ふは、ふはは、ふははははははは!」

 里香が、腹を抱えて笑い出していた。

「里……香……?」

 俺はもうわけが分からなくてフワフワ浮いた声でそう尋ねると、里香は笑うのをやめ、指で出てきていた涙を拭いてこう言った。

「あー面白かった。健児のやつ、まんまと引っ掛かってやんの――嘘に」

「う……そ……?」

 聞いた直後も、まだよく分かってなかった俺であったが。

「嘘おおおおおおおおおおおおお!!??」

 すぐに事の顛末を理解し、そして事の重大さに驚愕した。

 里香が、嘘をついたのだ。

 あのまともに嘘がつけなかった里香に、俺は騙されていたのだ。

「そ。う・そ・だよーん♪」

 ノリノリでそう言った里香。どうやら本当の本当に嘘だったらしい。

 え、でもだとするとどこから!? こうなってくるともう俺の事を好きだと告白したところも、里香と栗原が交わした『約束』ってのも怪しくなってきた。

「え、おい里香どこからが嘘で――」

「――そのまえにさ」

 俺がそれについて問おうとしたとき、里香はそれを遮ってきた。

 表情を、素に戻して。

「健児、やることあるでしょ? 清美のところへ行くっていう」

「……あ」

 気が付くと、辺りはすでにいつもの、里香以外の五感も感じる世界に俺は戻っていた。

 そればかりか、先程以上に辺りが鋭敏に感じられた。……違う、これがいつもなんだ。さっきまではただがむしゃらに前進して、見えない栗原を追い過ぎて視野がかなり狭まってしまっていたんだ。

 俺の辺りを見回す様子に、ニコッと里香。

「どうだ? 目薬感覚の私の嘘は?」

「……ははは」

 してやられた。まさかここまで里香が考えていたとは。

 どうも今回、初めてピンチを里香に助けられたらしい。

 それから里香は俺に近寄り、力づくで俺を反転させると、背中をポンと両手で押し。

「さ、行ってこい主人公。行って私たち三人のラブコメ続行だ」

 そんなことを言った。

「は? 私たち三人のラブコメって……」

 何で里香が、前に黒瀬が俺に言ったラブコメ発言を知っているとも思ったが、それがおそらくさっき嘘をついていた時にアニメでたとえていたやつの延長で俺たちの立場をラブコメに重ねたのだろうことがすぐに浮かんだ。騙されたおかげで、頭がよく回る。

「清美はフィギュアのハンオタだから、私や健児と違って物語ってのを、ラブコメってのを知らない。知らないから、|清美は今ルートを間違えてる(・・・・・・・・・)。ラブコメなはずなのに、それとは違うルートに進んでる。これじゃ、噛ませ犬も立場がないんだよな」

 「だから」と言って、里香はもう一度俺の背中を押す。

「行って清美に物語を、ラブコメを教えてきてよ。そんでまだまだ続けんだよ。噛ませ犬は、まだまだ全然噛まれ足りないんだよ!!」

 最後大きく声を上げて、また俺の背中を押した。強く、強く押された。

 でもその圧力は、暖かくて、元気が出て。

「分かったよこのマゾ! 行ってくらあ!」

「おう! 行ってこい!」

 右手でピースサインを作った里香が見送る中、俺はまた走り出した。でも今度ははっきりと栗原の場所が予想できている。

 初めから分かっていたことじゃないか。栗原はハンオタ。フィギュアを愛でることを趣味とし、それが好き過ぎて極度のインドアとなり下がった人間だ。

 だから栗原は外を知らない。もっと言うと、行動範囲が限りなく狭い。

 そこから栗原がやろうとしていること、活動部への迷惑を避けようとしていることを考えると、それができる場所は一つだけだ。

「西桜高校」

 絶対に栗原はうちの学校に行って、活動部を守ろうと何かしら行動するはずだ――自分を犠牲にしてでも。

 栗原がそんなことをする前に、必ず追いついてやるさ。もうさっきの里香とのやり取りで、自信しか感じなくなっていた。

 だから、力をもらったから、里香の最後の言葉が、たとえとかでなく本音っぽかったことは考えないことにした。それと、里香のポニーテールを結んでいたシュシュの色が赤色(・・)だったということも。

 朝部屋の窓から見た里香のシュシュはおそらく違う色だった。もし赤だったなら、俺は覚えているはずだ。

 里香にとってシュシュの赤色は勝負へ赴く時の色。それをなぜ里香が、俺を追いに来る前に変えてきたのかは、分からない。

 でもそれを、俺は今考えない。今考えるべきことはそれではなく、栗原にラブコメを教えてやることだから。

 栗原、教えてやるよ。ラブコメってのはな――

「――ヒロイン誰もがハッピーエンドって決まってんだよッ!!」

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