ななの1
秋葉原。
そこは電気製品、電機部品の販売店が軒を連ねる日本最大の電気街。
またそこは今や海外各国の観光客が大勢訪れる日本屈指の観光地ともなっている。
またまたそこはフィギュアやゲームなどの専門店も数多く建ち並び、オタクの間では『聖地』として愛される場所。
ウィキペディアを引用すると、そもそも秋葉原とは1869年(明治2年)12月の大火を受け、明治天皇の勅命で現在のJR秋葉原駅構内の地に勧請された「鎮火社」を江戸時代に火防の神として広く信仰を集めていた神仏混淆の秋葉大権現が勧請されたものと誤解した人々が「秋葉様」「秋葉さん」と呼び、火災時には緩衝地帯となるよう空き地とされていた社域を「秋葉の原」「秋葉っ原」と呼んだことに由来して……。
……え、長引かせんなって? 悪い、つい暇でさ。
突然何を語り出したとか思った方は、申し訳ない。あと、この物語の特徴から秋葉原と聞いてもしやと思われた方は、大正解。
何でそんなこと言い出してるかというと、そんな所に俺は今立っているからだ。
只今俺がいるのは秋葉原駅電気街口。時刻は十一時ちょうど。
今日は日曜日。せっかくの休日、俺にとっては「ラノベの日」だというのに、午前からすでに俺の周囲では多くの人が駅内外をせわしく行き交い、待ち合わせと思われる集団もそこら中で団子を作っていた。
「がんばるなあ」
彼らを見て思わずそう呟いてしまったが、そんな俺も彼らのすぐ近くで立っているというね。
そもそもなぜ俺が秋葉原に来ているのかというと、それは前回のオタク趣味論議から一週間と経たずして栗原から部活動として日曜日に秋葉原へ行くという招集メールが届いたからだ……俺のラノベが知らない場所に置かれている画像とともにね。
毎度毎度で盗られているこちらも何か責任を感じてきたが、そんなわけで俺は朝から秋葉原に赴いているのだった。
ちなみに結構今更だがうちの高校、私立西桜高等学校は都内にあるために生徒は東京都に住んでいるのが多く、活動部の部員三人もまた都内に住んでいる。だから俺たちはかかっても自宅から一時間半程で秋葉原に来れるのだ。
そう、来れるはずなのだが……。
「……来ない」
時刻は十一時ちょうどと言ったが、実はここへは十時集合となっている。
よって待ち合わせ時間よりも一時間経っているわけであるが、いっこうに栗原と里香が姿を見せる気配がなかった。昨日から梅雨の中休みとか言って今日も晴れ。電車の遅延もなく、残念な程に最適な活動日だというのに。……ま、実言うとだいたい予測出来てんだけどね理由。
おそらく二人とも、今日という日にビビっているのだ。
その根拠はまず里香とは秋葉原まで一緒に行こうかと思って待っていたのだが、十数分待った後に来たメールが。
【FROM】里香
【件名】無題
【本文】ちょとえと先行てて
日本語覚えたての中国人な感じだった。
次に栗原の場合だが、あいつは未だに遅れる報告のメールをよこして来ない。が、あいつも里香と同じだ。
なぜなら栗原がそもそも俺たちに招集をかけた前日一番初めのメールが。
【FROM】栗原清美
【件名】部活動として秋葉原に行くわ。詳細は追って連絡。
【本文】明日は。
件名と本文が入れ替わったメールなんて初めて見た。
と、こんな感じだ。
まあ無理もない。俺たちハンオタは家に籠って趣味を愛でてる、言っちゃうと事実上の引きこもり。
だから活動部創設の目的の一つに活動で外出の機会を増やすというのがあるのだが、今まで活動場所といえば和室か俺の家。他の場所での活動は俺たちの中で案一つ上がってこなかった。
要は外が怖いのである。出なさ過ぎて。
その事態に気付いて焦った栗原のやつがいきなり段階飛ばしてオタクの聖地である秋葉へ行くと言い出したもんだから、本人を含めて一同てんやわんやとなっているのだ。言うまでもなく俺たちの中で誰一人として経験者はいない。
完全無欠らしからぬ……っと、もう栗原がこの方面含め未知なる事象に対してはザル以上に穴だらけでもろいということは分かりきったことか。
もちろんてんやわんやには二人だけでなく俺も含まれる。さっきだって着いてから十回目のトイレへ行って帰ってきたばかりだ。物凄くビビってるよ。いつもより足だって錘を付けているように、というよりはむしろ錘自体になったかのように上がらないし……。
「…………」
……いや、今日という日に臆している理由はそれだけじゃないか。俺の場合は。
『……女二人、主人公のことが好きだぞ』
またも黒瀬の低くて一定の声が俺の頭をかすめた。これで何度目だろうか……同時に起こる、息苦しさも。
黒瀬のこの言葉は、あの活動の後しばらくしてからふとした瞬間に突然現れ、そして現れたかと思うと、俺は胸の部分に異常な程の違和感を覚えた。まるで肺を絞めつけられたり、かきむしられたりしているような感覚。
「くそ」
苛立ちに胸を叩くも、それが治まる気配は見えない。
俺はそれにまた憤り再度叩こうとしたのだが、振り上げた拳がぶつかることはなかった。
それは、虚しくなったのだ。こんな状態となった根本が栗原と里香であることに。それから……その彼女たちに今日までまともに会えていない(、、、、、、、、、、)自分自身に対しても。
やはり二人は校内では人気者ゆえ、人だかりが出来てるところにだいたい彼女たちはいる。だがその人の溜まりを見ただけで俺は止まりそうになる程呼吸が困難になり、気付くといつも無意識にその場から去っていた。
だめだった。この前に二人からお袋へ意識を無理矢理移したように、別に意識を置き替えるという作戦も時間が経って黒瀬の言葉が反芻しきった今の俺には無意味なものだった。
俺は一体どうなってしまったのだろうか?
黒瀬の言ったことはラノベの中だけの話であって現実のことではない。俺はこれをとっくに分かっている。確かに気付いている。
なのに、それなのに俺の二人を見る目は、変わった。
――もともと俺の中で、里香と栗原はまったく立場が違っていた。
里香とは昔からの幼なじみでずっと一緒にいて、あいつのことは好きな色からうつ伏せで寝るのが好きなことまで何でも分かっている。
いや、何でもは言い過ぎた。最近では風紀委員の、しかも副委員長をしていることを知らなかったり、里香の話を流しているために情報が欠如しているところもある。
でもそうしないとあいつは常に俺の中へ入ってきて、気付くとあいつ一つで染められてしまっていて。
そのくらい、里香は近い存在だった。
反対に栗原は、頭脳明晰品行方正、おまけに才色兼備という完全無欠女子ということは前々から知っているが、逆にこれ以上の情報は今もほとんど分からない。
それどころか完全無欠という大規模な前知識が堅い貝殻として栗原を包んでしまっていて、結果そのせいであいつの中部がなかなか見えてこず、そのためある意味どんな女子よりも計れなくて。
それ程、栗原は遠い存在だった。
うちの学校のやつらでは二人とも校内の有名人であるし、組織の副長ということで同じくらい雲の上の存在的な目で見ているのが非常に多いが、俺の中では二人の距離は逆と言ってもいい程だったのだ。
でも、それはガラリと一変した。
黒瀬の発言によって、二人が俺を好きだと言われた途端、今まで見ていた里香がブレて遠くなり、逆に栗原は濃度を増して近づいてきて。
あっという間に、彼女たちは同じ位置になった。
この変化は俺の中で革命過ぎて。しかも同じ位置に立った二人は、じっと俺を見ていて。
これはいわゆる、というかそうでなくても、意識してるということか。
こんな経験初めてに決まっている俺にうまいやり過ごし方が分かっているわけもなく、俺はただ栗原と里香から逃避するという、傍から見たらきっとふぬけな日々を送ることしか出来なかったわけだった。
『よく考えとくんだな。選択の時は必ず来るぞ』
そして黒瀬が最後に言ったこの言葉も並んで姿を見せていた。
あの時は発言の速さ、対象がピックアップされたが、やはり第一はなぜそんなことを言ったのかという理由やどういう意味かという疑問が上がる内容。
恐らくこれも黒瀬がラノベの常識から考えて言ったことだろう。だから俺はこれをいち早く解けるはずなのだが、今までラノベと現実が十三くらい違う次元の世界だと思っていた俺は、ラノベと現実を照らし合わせることが出来ないでいた。
ラノベは死ぬほど読んできたはずなのに……。つくづく使えない自分に嫌気がさす。
そういうわけで俺は結局何もかも分かっていないということなのだが、結局のところとりあえず、分っていることは何もかも――
「――黒瀬が悪いということだ!」
「……俺がどうかしたか?」
「おおおおう!?」
思わず声に全身を震わせる。
反射的に向いた横には、やはりその声の主である黒瀬がケータイをいじりながら立っていた。
「な、何でいるんだよ」
胸の上に手を置きながら俺が聞くと。
「……今日家にいたら、栗原に急に電話で呼ばれたんだ。『秋葉原というところを教えてほしい』とな」
「…………」
栗原、ビビり過ぎて思わず強力な助っ人呼んじゃったのな。
「ちなみに呼ばれたの何時くらいだ?」
「……五分前だ」
「……………………え?」
待て。栗原がそんなタイミングで呼んだのもおかしいが、五分で秋葉に来れる黒瀬もどうかしてる。前回だいたいの家の場所を聞いたが、そこはとても五分では無理な場所。
もう、黒瀬のオタク魂は冗談抜きに超人だった。
「急な誘いだったのに、五分でよく来てくれた」
一応その一言をかけた俺。すると。
「……まあな。好きでやったことだ」
「ん?」
どういう……あ、完全なオタクとして秋葉を愛してるから好きで五分で来たってことかな。
そう考えて自己完結しようとしていたところで。
黒瀬はケータイから視線を上げて俺を見つめ、言ったのだ。
「島田と二人の今後に興味があるからな」
「!!」
この速度、やっぱりお前は気付いて――
「健児ー!」
「うわっ!」
黒瀬の発言による衝撃間もなく、その五千倍はあるだろう波動を俺は背後から受けた。
あの声、聞き間違えることはない。疑いなく里香のものだ。
どうする。果たして四日間まともに会えなかった俺が、急に面を合わせて正気を保っていられるのだろうか?
いや絶対無理だ。もし今の俺が里香を前にしたら確実におかしくなる。
だが時間は待ってくれない。今も刻一刻と近づいて――
「健児、遅れてごめんな」
「うあああああお!」
すでに真後ろにあった声に、俺は生まれて初めてな声を出した。
「うわ、どうしたの健児? てかこっち向いてよ」
そう言って俺の肩を持ってこちらを向かせようとする里香に、俺は全力で逆らった。
「え、何で? 私だよ、里香だよ?」
少し困惑気味の里香の声に俺は。
「ひ、人違いじゃありませんか? 私は鳥田健児というものです」
と、なんとも残念に返した。
「ちょっと健児何やってんのォ!」
「ぐわあ」
当然疑われ、というかそもそも他人とは思われずにあっけなく俺は里香の本気の腕力によって振り向かされた。
真っ先に視界に入るは里香の顔で。
ああ、もう終わ……………………らなかった。
俺は、確かに里香を見ている。しかし何も異常はきたしていない。
それは、なぜかというと。
「お前何だよ、それ」
そう言って俺は里香全体に向けて指を差す。
なぜなら彼女は――上下ジャージ姿であったからだ。
しかもそれはこの前お袋が旅に出た当日に着ていて、その後も度々見かけていた緑色のジャージ。
うわ、水陸両用ならぬ室内外両用だ。
俺の指摘に里香は。
「いやあ、最近プライベートで外行くこと本当になくて。そしたらいつの間にか私服で着れるのなくなっちゃっててさ。あっちゃあ、鍛え過ぎたー」
苦笑いして、ついでに腕の筋肉を見せてきた。
……なんか、今まで直視を心配していた俺が馬鹿に思えてきた。
「お前……」
本当、呆れてものが言えない。
そんな俺の様子を見た里香は、いつも通り後頭部に付いたポニーテールを持つと言った。
「いやいや見てよ健児。一応気合い入れてここへ来てるんだよ私は」
そう言われて直後、里香のポニーテールを形作るシュシュの赤色が目に入る。
里香は昔から空手の試合や運動会などにはいつもポニーテールに赤色のシュシュをつけてくる。
本人いわくつけると気合が入るらしく、願掛けの意味があるそうだ。
何も言われなくても、気合いを入れたという言葉を聞いただけでそれがシュシュと気付いてしまう。
そのくらい、俺は里香が分かるのだ。
そして――
「島田君!」
声の方へ俺は反射的、何も考えず振り向いた。
そこには垂れ下がるほど余裕のある袖口、すらっとした長身にぴったりと合わさる深い青色が主体の長着、そしてそれを結ぶ太く大きな赤の帯を身にまとい、シャッシャと草履をする音をたてて近付いてきた――着物姿の栗原が、そこにあった。
そして、俺は栗原が分からない。