ろくの2
「私すっかり忘れていたのよ。ええ、どうして今まで気付かなかったのかしら」
放課後、俺が和室のちゃぶ台につくと(本当はラノベだけ奪還して帰ろうとしたが、里香の腕力の前にあえなく敗戦し、無理矢理つかされた)、栗原は下方斜めに目線をやりながら何やらわざとらしく言った。
「もったいぶるなよ。それは何だ」
ただでさえ今日の俺は余裕がないってのに。
栗原の行動に苛立ちを高めると、彼女は俺をみつめこう言った。
「私たちがハンオタだということを」
「…………」
お医者様はいらっしゃいませんかー? 栗原のぶっ壊れが末期ですー。
「違うわよ。『ハンオタ』というジャンルそのものを忘れるわけないじゃない」
栗原は俺の心を読みとり早急に否定した。
「あ? じゃあ何だってんだよ。てかそれ以外に意味はあるのか?」
「あるわよ。言いたかったのは私たちはそれぞれのハンオタってことよ」
……それぞれ。
ああ、何となく分かったぞ。
「つまり、俺たちは同じハンオタでも各々に専門分野が違うということを忘れていたというわけか」
俺が言うと、栗原はコクっと頷いた。
もう言うまでもなく俺たち三人、活動部のメンバーはハンオタだ。
しかし今栗原が言ったように、栗原はフィギュア、里香はアニメ、そして俺はラノベ専門。
一口にハンオタと言っても種類がある。いや、種類があるからこそのハンオタなのだ。
栗原が言いたいことは、今まではその部分に着目していなかったということだろう。
ということはだ。活動内容もだいたい見当がついた。
そしてそれを悟った栗原は、俺の発言からまもなく立ち上がって。
「本日の活動部の活動内容は、ハンオタである私たちが各々の専門分野を披露し合って完全なオタクに近付くことよ」
はいはいなるほどね。
パズルのピースをうまくはめ込んで一つの絵にするように、足りない部分は他人と補い合って一つの何か、今回は完全なオタクになろうってことか。
まあ一番手頃で多くの知識を得られる方法ではある。
あるけどな。
同時にこれには俺たちがハンオタだからこその問題が存在するじゃんか。
「披露し合うのはいいんだけどよ、俺たち最終的にどのオタクの分野が魅力的か喧嘩になったりしないか?」
俺たちがハンオタである理由。
それはオタク文化のなかで一つだけ興味があって他は全く興味がないということ。
言い換えれば一つだけ最高だと思っていてあとは全部眼中になし。や、むしろ眼中の釘と言ってもいいだろう。
そんな俺たちが、もし、自分の専門分野を披露し合ったら。
……絶対なるぞ喧嘩。
「そんなの大丈夫よ」
俺の心配をよそにあっさりとした栗原の言葉。
おいおい本当かよ。一体どんな作戦立ててんだ?
「私がフィギュアが一番だと証明するから」
「ねじ伏せる気かよ!」
作戦なかったでーす。力が全てなようでーす。
「待てや。俺が納得するとでも思ってんのか? 百歩も千歩も一兆歩も譲ったってそんな結論に至ることはありえないな」
「それは私も同意見だ。一番はアニメなんだよ!」
当然俺と里香は反発。
それに栗原が。
「じゃあ誰の専門分野が一番かお互いぶつけ合って決着をつけましょう」
「いいだろう」 「おっけー」
そう言って俺と里香も賛同。はい、約一分で和平から戦争になりましたっと。
でもこれに俺が賛成したのは、正直そうなっても同じ、いやそれ以上に利益が発生すると思ったからだ。勝負の方が相手を潰そうとよく敵を観察し、相手もこちらを潰そうととっておきの情報を持ってくるから結果的和平よりも知識は蓄えられる。
ただ勝負となると。
「審判はどうする? 当てあるのか?」
審判がいなければ着く勝負も着かない。
ただの道端の喧嘩だって何度も殴っている方よりも手を出さず何度も殴られたって立っている奴の方が強さで勝っていると見える時もある。
どんなときだって勝敗を決める審判は必要なのだ。
俺の問いかけに二人は。
「「…………」」
無言。
まあそうだよな。自分たちがハンオタであることを周りに言ってないんだからあてもある人物もいるはずない。
そしてそれは俺も同じで……。
「……あ」
そうでもなかった。あるっちゃあった。
でもそうするには一つ問題も……。
「……そうか。うちの活動内容を考えれば」
「?」
ぶつぶつと呟く俺に栗原と里香が首を傾げる中、俺は一人和室を後にした。
よし。
今日は梅雨でも晴れているから、きっとあいつはグラウンドにいる――
「――で、説明してくれない?」
十数分後再び和室に戻ってきた俺を、栗原は殺気に満ちた目で見つめながらそう言った。
要は俺に対して怒っている。里香も少し困り顔だ。
理由は、俺が起こした行動にあった。
「…………」
俺の隣では、黒瀬が無表情でケータイに目を落とし突っ立っていた。上は青、下は白の半そで半ズボンのユニフォームとロングソックスというサッカースタイルで。
栗原は何度も俺と黒瀬で視線を往復させた後、はあと一度溜息をついて俺を手で招く。
その呼び掛けに応じるままに栗原の近くへ寄ると。
「(島田君、当てってもしかして黒瀬君のこと?)」
小声でそう聞いてきたため、俺はそれに頷いた。
俺が先程『審判』として思い当たった人物とは黒瀬のことだ。まあうちのクラスで唯一の完全なオタクなんだから一番初めに思いついたのは必然と言えた。
だから俺は一度和室を後にしてサッカー部が練習する校庭へと向かい、ドリブルの練習中だった黒瀬に声をかけ、連れてきた。
練習中なのによく呼べたと思うかもしれないが。
「黒瀬ー! お前にオタク関係で頼みたいことあるんだけどー」
と叫んだら、黒瀬は途端にモードが変わったようにディフェンス役の部員たちをマラドーナを彷彿させるドリブルでサクサク抜いていき、シュートを決めるとそのままのスピードでコーチらしき人のところへ寄っていって、何やら話を済ませてこちらへと向かってきた。
……あのテクニックは技術と受け取っても、一体どうやってコーチを丸めこんだのだろう。黒瀬のオタク魂には本当に驚かされるばかりだ。
その後俺は詳しく黒瀬に事情を説明し、今ここに至ったというわけ。
ここまではほぼ順調な(練習中なのに黒瀬がケータイを持っていたこと以外は)流れ。
しかしこれには一つ問題があった。さっきの栗原と里香の反応もそこに起因している。
「(確かに黒瀬君程向いている人はいないでしょうけどね。でも私と里香の立場を忘れていたとは言わせないわよ?)」
小声ながらも怒気のこもった栗原の声。
栗原と里香が立場上、自分たちがハンオタであることを周りに知られたくないということはもうご承知の通り。そこから活動部は設立され、なぜか俺も巻き込んで完全なオタクになろうということで全ては始まり、またそれは現在進行形。
にもかかわらず。
今俺は部外者である黒瀬を連れてきている。そして流れから黒瀬が今回の活動に絡んでいることも直感しただろう。
それで二人は最初あんなリアクションだったのだ。俺が黒瀬に自分たちがハンオタであるということをばらしたと思って。
黒瀬の場合は一度活動部の活動初日にメールという形で接触しようとした(結局あいつのもとに送れなかったけど)が、それは俺が自発的に書いたという設定にして自分たちを関係さようとはしていなかった。
それはいくら自分たちの理想である完全なオタクといえど、黒瀬も他と同じく例外ではないということだ。
でも俺だってそんなことぐらい百も承知だ。何も考えず連れてくるほどそこまで馬鹿ではないさ。
それを裏付ける言葉が黒瀬から発せられた。
「……で、『オタク文化について論議する』というのは具体的にどうするんだ?」
「え?」
「……何だ、決めてないのか。俺は島田から『今回うちの部活がオタク文化について論議するから専門家として来てくれないか』と言われてここへ来たんだが」
それを受け栗原は俺に目で聞いてきたので、俺は眉を動かして答えた。
俺は確かに黒瀬に事情を説明したが、それが全て本当のこととは言っていない。
黒瀬にはこう言ったんだ。活動部がいろんなことをする部活で、今回はオタク文化について議論することがテーマで部員各々で調べてきたのだが、俺はラノベしか分からないし他の二人もさっぱりだからその情報が本当かどうか分からない。だから今回黒瀬に専門家として来てもらって判断してほしい、とな。この説明なら、俺たちがオタクとは限らない。
それでも普通の奴なら部活でオタク文化の議論と聞いたら多少は疑問に思うかもしれないが……。
黒瀬の方を見ると相変わらず無表情でケータイをいじっていた。
こいつは興味のない余計なことは思考しないからな。そこら辺は大丈夫だ。
俺の眉でうまくごまかしたことを理解した察しの良い栗原は、黒瀬の方へ笑顔を向ける。
「来てくれてありがとう。ええその通りよ、是非今回は黒瀬君に専門家としていろいろ教えてほしくて。いいかしら?」
聞くと黒瀬は無言で頷き、一層の笑みで感謝を表した栗原は――なぜかここで俺の方を向いた。
「まだ具体的にやり方は決めていなかったけれど、そうね、それなら――」
と、ここから時間も場所も変わることになる。
「……で、何でうち?」
俺は自分の家のリビングのイスに座り、同じくテーブルの向かい側で座ってオレンジジュースを飲む栗原(今回も無断で飲んでるけど好きなのか?)にこの現状を訊ねる。
「だって、やるなら徹底的にやりたいじゃない」
栗原はコップを片手に満足げに笑みを浮かべて言った。や、今の発言うちでやることと関係あったか?
しかし徹底的というのは本当らしく、テーブルの下を通して見える栗原の足元には何やら大きな紙袋が一つ置かれていた。
和室で栗原が言ったことは、『各々一度家に帰っていろいろ準備をしてから俺の家に再集合する』というものだった。
幸い黒瀬も俺の家からそこまで遠すぎるわけでもなく、全員一時間後には俺の家に到着していた。
うちで再会した黒瀬の服装は相変わらずサッカースタイルで、本人いわく早めに終わったら再び練習に戻るつもりらしい。……じゃあ何をしに一度家に帰ったのだろう。
ちなみにリビングの配置は俺の隣に黒瀬、テーブルを挟んで栗原と里香が座る。お袋は今日編集担当の人と打ち合わせがあるということでうちにいるのはこの四人だけだ。
全員がリビングに集って少しした後、さてと栗原は椅子から腰を上げて。
「じゃあ、和室で話した通りのやり方で行くわよ。誰から行く?」
そう言って俺と里香を順に見た、瞬間。
「はーい! 私からー!」
里香が元気よく挙手をし、まだ決定していないのに早くもDVDをセットし始めた。まあ、里香がまずやりたがるこの展開は予想出来てたけど。
ちなみに今回の活動のやり方は会社などでよくあるプレゼン方式。俺たち活動部の部員三人が順に一人ずつ専門分野を発表していって同時にそれを議論し合い、最終的にはどれが一番良かったか黒瀬に審査員として判定してもらうというものだ。
……議論と言っても最終的にはほぼ喧嘩となってしまうだろうが、審査員は黒瀬だし、余計なことは挟まず考えずに判断してくれるだろう。
「ふっふー! テレビのある健児の家ならこっちも全力を出せるぞー!」
そう言って栗原のと同じくらい大きな紙袋を片手で掲げる里香。
そういや和室ってテレビはおろかパソコンやスクリーン的なのもなかったな。や、和室だから当然なんだけど、あそこだとアニメのハンオタである里香には不利なだったってことか。
そう思うと栗原もしっかり考えた上でのうちという選択だったのか?
……違うな。あいつが考えてるのはきっと俺招集用のラノベ窃盗だ。いつもうちにきたときにこっそりと盗んでいくから気を付けねえと。
DVDをセットし終えると、里香はこちらを向いてにんまりと笑顔を作って。
「じゃあ、今からアニメについて話しまーす!」
開始しようとした、その時――
――ピンポーン。
インターホンの音が家中に響いた。
誰だろう? 宅配便かな?
うちではインターホン前の映像が見れる受話器が備わっているため、画面に映像を出力すべくボタンを押すと。
「お、おばさん!?」
画面に映った人物は、年齢に反して見た目が里香の姉にしか見えない若さを持った里香の母親――西条智香であった。
「あら~その声は健児君? こんにちは~」
画面を出力したところで音声はあちらとも繋がっているため、インターホン越しに聞こえた相変わらずのほわほわとした口調に、俺はそれに動揺をした。普段はそんな声に和ませてもらっている俺であるが、今日、今、このときそれは例外であった。
「里香、いったん中止だ! おばさんが来た」
「え、お母さん!」
里香は手に持っていたテレビのリモコンのボタンを必死に連打したが……うまく赤外線が繋がらなかったらしく。
『お兄ちゃん、愛してるよ❤~妹パラダイス~』
テレビから、そんな甘々の女の子の声が大音量で響いて。
「あ、その声は里香~? 他にもなんか遠くで『お兄ちゃん~』とか『愛してる~』とか随分とかわいい女の子の声が聞こえたわね~」
おばさんは、しっかりとそれを耳にしていた。
「あ、あわわ……あわ」
その事実に、里香は衝撃のあまり半分意識を飛ばす。それもそうだ。だって里香、おばさんに自分の趣味のことを話してないのだから。俺が趣味を知ったあの深夜だっておばさんにばれるのを怖れていたしな。
別におばさんが娘のオタク趣味を知ったところで特に対応は変わらないだろうが、おそらく里香はそこではなく、おばさんの性格のことを気にしているのだろう……。
ただこの状況をまずいと思うのは里香だけではない、俺もだ。後にそんなアニメを見ていたことを知られて里香がアウトになったら、それを俺が一緒に見ていたことをおばさんを通してお袋にも知られることになり、結果俺もアウトになるんだよ。
どうする、どうやってゲッツーを阻止する?
とりあえずテレビの方を確認するとDVD特有の本編映像や特典映像などの選択画面になったために、もう音が出る心配はなさそうだ。
ならば。
「あ、もしかしたら里香と一緒にうちに来てる僕のクラスメイトの栗原の声かもしれません。おい栗原、今のもう一度言ってみてくれ」
「――ゴホッゴホ!」
視線を送ると、栗原は寝耳に水と飲んでいたオレンジジュースを詰まらせた。
「無――」
理と言おうとした栗原――に里香が音速級の速さで土下座を作り黙らせる。
さすが。自分の気持ちに嘘をつけないからこそなせた速攻魔法だった。
じゃあ、里香に逃げ道なくされたところでいこうか栗原。さん、はい!
「お、お兄ちゃん、愛してるよ❤」
ドン! 終えた途端栗原がテーブルにぶつける勢いで顔を伏せた。俺は唇を噛んで必死に笑いを耐える。
寄せてきたけど……はっきり言ってまったく似ていなかった。
「ほ、ほら……今の」
それでも発言を通すために笑いを抑え込みながら俺が言うと。
「ああ~栗原さんって~里香から話は聞いているけどすごい子らしいわね~」
すでにおばさんは栗原の名前を聞いた時点で話のポイントが移っていたらしい。
栗原……やらなくても良かったかもな。
あ、ところで。
「そういえばおばさん何か用ですか? お袋は今いませんけど」
何のためにおばさんが来たのか聞くのをすっかり忘れていた。
するとあ、そうそうと――一つの薄くて四角いケースを顔の部分にもってきた。
「里香~、これ落として行ったわよ~」
俺はそれを見た瞬間、一時フリーズを起こしてしまった。
おばさんが見せたケースは、ピンクでツインテールの小さな女の子がひらひらとしたこれまたピンクの服装を身にまとった姿で描かれていて、上には『魔法少女リル』という題名らしきもの。
「リルのDVDいいいいいいいい!」
困難再来。おばさんが持っていたのはアニメのDVDケースだった。
里香の絶叫に自分を取り戻した俺は、とりあえず受話器から里香を連れて離れる。
「(何落としてんだよ! というか気付かなかったのか?)」
「(お母さんから紙袋の中身隠して家出るのに頭いっぱいで落としたこと全然気付かなかったんだよう)」
答えた半泣きトラブルメーカー。
おいおい、もう里香が落としたことはバレてるからさっきみたいにごまかしは効かないぞ。
だがどうにかしないと俺も終わるし……ぐぐぐぐううううう!
状況の打開策をと俺は必死にない知恵を振り絞っていた――ら。
――ガチャ。
なぜか玄関の方で音がした。まるで、ドアが開いた時の音のような。
そして同時に気付く。ここ最近、話し相手の大半が栗原と里香で今日もそっちに意識が集中しがちだったが、しかし今日はその二人だけではなかったことに。
「まさか……」
胸騒ぎに玄関を覗くと――玄関のドアを開けておばさんとコンタクトを交わす黒瀬の姿があった。
(何してんだあいつー!)
突然の黒瀬の暴走に理解不能な俺だったが、おばさんの目の前で取り押さえるわけにもいかず様子を見ることにした。
すると黒瀬は。
「……今オタク文化について論議しようとしていいて、そのDVDは西条がそれに使うようです」
(ええええええええええええええ!)
おばさんにカミングアウトした。
少しも曲げずに、そっくりそのまま。
「おい黒瀬!!」
すでに手遅れの域だが、さすがにこれ以上暴走されては困ると俺が黒瀬に向かおうとした時。
「ああそうなの~? 論議に道具を使うなんて里香張り切ってるわね~」
「え?」
予想外すぎるおばさんの言葉に俺は唖然となった。
しかしおばさんはまだ続ける。
「何か面白そうだし、見ていっていいかしら?」
それに対し黒瀬は。
「……ええ、何も知らない一般人にも審査員がいた方がいいですし」
そしてニコニコ顔で中に入るおばさんと、招き入れる黒瀬。
……二人の会話が異次元でよく分かんないけど。
あのさ、ここ、俺んち。