ごの5
それからなんとか栗原や里香にも協力させてお袋を説得したが、結局それに三十分を要してしまった。
なのにお袋様からは九時までに終わらせろという指令。いよいよ赤点回避が危うくなってきた……いや、もう今が諦めるタイミングでさえ……。
「まだよ。まだ希望はあるわ」
だが栗原はボロボロの戦隊ヒーローのような、絶望にさらされながらも、しかしわずかな逆転の光を信じているような『生きている顔』で言った。
……正直そこまでならんでいいと思ってしまうのは俺だけなのか?
俺の低温な心の声をよそに栗原は「そうよ、一夜漬けにこだわりすぎたわ。視点を暗記というところに広く――」みたいなことぶつぶつ唱えながらポケットからケータイを取りだしてリビングを出た。
家の人に電話でもかけんのかな? 高校生とはいえ九時って結構遅いしな。や、でもさっき大丈夫って言ってたはずだが、やっぱ心配になった?
それから十分あまり経過した後、栗原は戻ってなりニコッと笑顔で一言。
「三十分後待って」
「待つ?」
何だ待つって? 明らかに一夜漬けに似合わない言葉だと思うけど。
それでももう他に何かやることが思い当たらなかったため、栗原に従い待機。
そして三十分後。
「ついてきなさい」
栗原は携帯で何かを確認すると、リビングに半身だけ出してそう俺たちに言ってきた。
今からどこへ? と思ったが、栗原の自信ある表情も気になりそこからついていくこと十秒、辿り着いた場所は――俺の部屋だった。
そして先頭の栗原は特に迷うことなく中へ。……せめて許可取ろうよ。
しかし俺の部屋に何の用が?
そう思っていると、栗原は。
ポチ。
部屋に備え付けてあるパソコンの電源を入れた。
「おい!」
俺はパソコンの前から栗原を離そうとしたがなかなか離れようとしない。
里香と違ってそこまで力がないので全力でいけば離せないこともなかったが、女子に力づくの対応をしているところをお袋に見られたりもしたら今度こそ俺の社会生活が危うくなるのでそこまで力が出せなかった。 まあいいさ、パソコンにはロックをかけてるからパスワード分からなきゃ使えんし。
〈パスワードを入力してください〉
(迷うことなく)ポチポチポチポチポチ。
〈※※※※※〉
ポチ(エンター)。
〈ようこそ〉
「…………」
何でパスワード知ってんだお前。
最近常々思うこと――俺のプライバシーって、どこからがプライバシーなんだろう。
栗原はパソコンの立ち上がりを確認すると、メールボックスの欄をクリック。
おい、彼女の浮気調査か。
まあメールのほとんどはケータイでしてるからパソコンの中にあるのはオンラインゲーム会社からのメールくらいしかないが。
しかしメールボックスの画面が出ると。
「……ん?」
新着メールが届いているのを確認。
しかしそのメールの送り主は、全く知らないアドレスだった。
え、何? 結構怖いぞ。
俺が得体の知れないそのメールにビビりまくっていると。
カチ。
里香は迷わずそのメールをクリック。
おおーいさっきっから俺のパソコンだからってアグレッシブ過ぎやしませんか?
すぐにそのメールの本文は画面に現れた。
『頼まれたものです。言われた通りこのアドレスに送っておきました』
「言われた通り?」
何だ? 俺何も誰にもパソコンにメール送ってなんて言った憶えないんだけど。
ますます怖くなってきたぞ。
しかしそのメールには続きがあり、下には――添付ファイル。
ああもうこれ絶対ワンクリック詐欺ってやつっしょ? 俺始めてだけどテレビで見たことあるわ。
カチ。
「――ってクリイイイイイイイイッッッッッッック!!!」
やべえ十万円とか請求来るよ! 試験前日に誰が想像するかこんな事態いい!
……しかし、画面に現れたのはある意味想像だにしなかったものだった。
『来たわねカゼス。私の新たな衣装変更を見なさい』
「ドレスチェンジ!?」
そして変身を始めるリシア。これって……。
「うわ、これ『カレッジS×S』だ!」
「うお!」
俺を邪魔だとばかりにはねのけて割り込んできた里香。
やはりこれはアニメ版『カレッジS×S』だった。
前回里香のハンオタが判明した騒動の時以来の動くリシア。
うーん動くのも多少は新鮮な感じもするが……それでもあまり好かんな。
栗原は動画が動いているのを確認すると画面から俺に視線を変えて、
「さて、私と島田君は外に出るわよ。里香が集中して見られないからね」
「は? どういう……」
しかし理由を聞く前に「ほらほら」と背中を押されて結局俺と栗原は部屋の外に出て、「ごゆっくり」と最後に栗原がそういうとドアを閉めた。
「一体どういうことなんだよ栗原?」
この家俺んち。ここ俺の部屋。あのパソコン俺の。
なのに何でこんなにアウェー感満載なわけ?
何とも言えないやるせなさに頭をぐるぐるさせながらも栗原に聞くと、ようやく彼女は話し始めた。
「実はあのメールは私の知り合いのある大学教授からのものなの」
「だ、大学教授!?」
「そう。まあ正確にはお父さんの知り合いなんだけどね」
ああ、そういやお前の話だと栗原家って上の中の金持ちなんだっけか?
となると働いてる親父さんも会社の中で結構上の方の人で、人脈もある程度あると考えてもあまり不思議じゃないな。
でも。
「何で俺のパソコンに深夜アニメの動画を送ってきたんだよ?」
ここが一番気になった。
だからもうこの際何で栗原が俺のパソコンのメルアドを知ってて何でそれを大学教授さんに教えたのかという突っ込みは省いてやろう。
栗原はそれに「この言葉は知ってる?」と言って。
「サブリミナル効果」
「サブリミ……何だって」
早口で言ったら噛みそうな単語だということは分かった。
「サブリミナル効果よ。有名な話は映画のコマとコマの間にコーラを飲むよう呼びかける映像を挟んだら映画館のコーラの売り上げが激増したっていうやつね。一コマっていう一瞬の映像――刺激なのにも関わらず無意識のうちに影響が表れる効果を言うの」
へえ、そんなのありえるんだな。
……ん? てことは。
「お前、あの動画」
「ええ、あのアニメにもメッセージが何十秒かに一コマ入ってるわ。里香の頭にちゃんと勉強の内容が入るメッセージをね。『勉強が頭に入るようにするにはどうすればいいか』って教授にさっき相談して作ってもらったの。あ、教授って心理学のね。
まあもっとも教授からは効果には個人差があって、さっきのコーラの話もねつ造じゃないかっていう話があるって言われたけど」
すげえな。教授に相談してすぐに映像作ってもらえてしかもそんな備考を教えてもらえるって。
「お前んち本当に上の中か?」
「今日はたまたまよ。たまたま」
……たまたまでできることじゃないと思うが。
そこから待つこと二十五分。
「見終わったぞー。いやあ今見てたのは先週のだけど、やっぱり何度見てもいいなあ」
上機嫌の里香が部屋から出てきた。
お前の危機的状況を考えるとそんな気分になってる場合ではないんだがな。
さてそれなら。
「じゃあリビングに戻って勉強しましょう!」
そうして何時間ぶりかの筆記用具を握る勉強を再開。
すると……。
「うお、なんかすごいぞ! よく分からないけど集中できる!」
と言って里香は楽しそうに参考書を眺めていた。すごい、いきなりサブリミナル効果発動。
そのあとも快調なペースでペンを走らせる里香。
このままいけばこれもしかするともしかして本当に里香を救出できるかもな。
そうして勉強すること数十分。
「じゃあここら辺でどれくらい覚えたかチェックするわね」
栗原は手書きの問題が書かれた紙を里香の前に出した。
お前いつの間に。
「五分で解ける十問十点満点の問題よ。じゃあスタート」
――そして五分後。
「「…………」」
俺と里香は一枚の紙を前にただ見つめたまま止まっていた。
『西条里香 一点』
「一……点?」
どういうことだ? 問題を見た限りさっきまでのがちゃんと頭に入ってれば普通に満点を取れる問題だったのに。
「里……香?」
見ると、里香はえへへと照れた笑いを見せて一言。
「や、ちゃんと頭に入ってるんだと思うんだけど、それを引き出せないというか……要はタンスにちゃんとしまったのに開き戸が開かない感じ?」
「…………」
俺たちと一緒にサブリミナル効果もびっくりしたところで、タイムリミットとなった。