ごの3
「ねえ、健児助けてよー!」
「……もういいよ。ただある程度終わったら帰れよ」
「やったー! ありがとう健児ー!」
嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねて天使のほほ笑みを向けてくる里香。
嫌だ。お袋の件で力が抜けていたのに、このほほ笑みで全てをチャラにして、ちょっとは付き合ってやるかと思ってしまう自分が嫌だ。
しかしお袋のストーカー手引きがここまで進行してるとはな……。いや、家に隠しカメラ置くこと容認してる時点で末期ではあったが。
……そのうちお袋俺を里香に売るんじゃねえか? 十二万というリアルなトイプードル♂価格で。お袋の小説がせめてあと四、五年は売れ続けてくれるのを切実に願った。
で、この問題はもう置いておくとして、確かに里香がこれほどまで泣きついてくる理由も分からなくはなかった。先に言ったようにうちの学校にはまず補習を受ける生徒なんていないから、もし赤点とって補習行き決定なんてなったら学校中に吊し上げられるようなもんだからな。
まあ、協力するのはいいのだが。
「でさ里香。お前具体的に何してもらいたいわけ?」
「もちろん明日のテスト対策だよ」
「や、それは分かるけどよ。例えばこれ教えてほしいとかそういうのはないわけ?」
「うーん」
里香が人差し指を口に当てて考えること十秒。
じゃあと思いついて口にしたことは。
「とりあえずテスト範囲を教えてくれ」
「…………」
あったま痛てえ。
でもそうか。今日までテストあること知らなかったんだもんな。
それでもさ。
「助ける側である私から申し上げますと、出来ればテスト範囲くらいは友達に聞くなりして調べておいて欲しかったであります」
俺が自衛隊口調でそう愚痴ると里香は下唇を前に突き出す。
「聞いたよぅ。『今日テストあること知ったからとりあえずテスト範囲教えて』って。そしたらみんなから『またまたー』って。みんな私が勉強も運動もできる完璧風紀委員副委員長って思ってるから冗談だと思って取り合ってもらえなくて」
……何と不憫な立場だ。
きっと今まで山張ってばかりで真面目に勉強しなかったツケがここにきて回ってきたんだな。
自業自得というところか。
するとここで。
「分かるわー!」
栗原が共感に声を張らした。栗原も生徒会副会長だし立場的に似てるのかね。もしくは里香以上に不憫なのかも。
「私なんてこの間くしゃみしたら『またまたー』って言われたわ」
「不憫過ぎ!」
いくら何でも周りから美化されすぎだろ。
「いいわ里香! 何が何でも私たちがこの窮地から救ってみせる!」
「ありがとう清美ー! 清美が親友で私は幸せ者だー!」
共感に心を打たれた栗原が急に湧いた使命感から勝手に進行――の姿に里香も心を打たれて――結果、互いは抱き合った。
辺りを包むは二人だけの煌めく世界。
うん、お前ら、一瞬で俺の存在消したね。
「――あ、健児もよろしくね」
「思い出したように笑顔を向けるな!」
最初はご免こうむりたかったものでも、いざ放されると悲しいものですね。
そんなこんな、言ってしまえば茶番を経て。
俺たち三人はテーブルを囲んで教科書、ノートを開き『里香救出(?)のための一夜漬けの会』を開始した。
正直、俺の成績は毎回全教科平均の周辺をウヨウヨなものだから教えるという行為にはあまり自信がなかったが。
「里香、ここの式はこの法則を使ってね――」
「ふむふむ」
――一時間経過。
「清美、これはさあ――」
「――そうそう。ここはこうであってるわ」
「なるほどなるほど」
――一時間経過。
「……うん、その通りよ」
「よっしゃ!」
おお。やっぱ学年で一番勉強できる奴がいると助かる。
会の進行は予想通りというべきか、ほぼ栗原が一人で里香に勉強を教える形になった。
すごいな栗原。まるで学校の授業みたいに一つ一つの事柄を丁寧に詳しく話していて、正直俺も「そうなのかあ」と唸る場面が何回もあった。
へへ、それにちゃっかり俺も所々疑問点を聞いて教えてもらった! この会って俺にとっても結構プラスに働いてるな。ラッキー!
数々の栗原のご教授で随分余裕の出た俺は、たまには教え側にも回ろうと里香のノートを覗いてみる。
ん! あっと。
「おい里香、そこは違げえぞ? こうでこうだ」
「スー……スー……」
「寝んじゃねえよ!!」
数秒前まで起きてましたよね!?
俺は結構分厚い科学の資料集の角で里香を殴る。
「痛! ううう……」
「『ううう……』じゃねえよ。何で事の発端者が寝てんだ」
「いいえ、今のは島田君がいけないわ」
このタイミングでなぜか栗原は俺の名前を出してきた。
「は? 何で俺?」
「だって今島田君が発言した瞬間に寝たじゃない! よって島田君のせいよ!! 島田君の存在が悪いわ!!!」
本気の顔で責めてくる栗原。
おいコラ栗原!!!! 一生懸命なのは分かるけど……泣くぞ?
「いや清美、今のは健児のせいじゃないよ。悪いのは私だ」
と、ここで里香がしょぼんと暗い表情。
「私昔から活字もそうだし勉強とか堅苦しいの苦手で。自分でも直さなきゃいけないって分かってるのにどうしても眠くなっちゃって。今日も二人に必死になって教えてもらってたのに……」
「里香……」
あ、空気が一気に重たく……。
しかし里香はまだ続けた。
「私本当ダメだ。今日清美に教えてもらったのだってその場その場で、教えてもらってから五分も経ったら全部忘れてるし」
…………え?
「ごめん、今何つった?」
「え? だから教えてもらっても五分経ったら全部忘れてるって……」
「「…………」」
俺と栗原は同時に時計の方へ振り返る。
時刻は午後四時ちょっと過ぎ。
なるほど、約二時間半が、全くの無駄だったわけだ。
「きゃああああああ!」
栗原絶叫。
うん、現状ある意味ホラーだよ。
「なぜ? なぜなの? なぜなのおおおお?」
あーあ、栗原壊れちゃった。どうすんだよ里香。
しかし当の本人はお構いなし。
「んー、もっとシンプルというか、直線的というか……まあ一番いいのは私の興味を引くやり方ならいいのかも」
お前すげえよ。この状況でよくそれ言えたよな。
あー、もうこれかなりやべえぞ。
そう思いながら栗原を見ると。
「ふっふっふっふ……そうなのね。それなら……あったわ」
栗原は不気味な笑いを浮かべた。
はい、完全にアウト――と、思ったが。
思ったのだが……『あったわ』?
栗原は席を立ち、自分の鞄を漁りだすと――そこから一冊の本を取りだした。
「実はこれ本当は活動部のためのネタとして今日持ってきたものだったのだけど、考えてみればこれ、里香にはもってこいの本だったわ」
その本の表紙はなにやらフワフワな印象の柔らかい笑顔をしたミディアムショートの青い髪の少女が写っていて。
そしてその隣には大きく題名が書かれていて。
『化学は萌えでだいじょ〜ぶぃ♪』
あ、活動部っぽくなってきた。