よんの4
「さ、続けるわよ」
俺が二人の折檻を受けること十分。再びオタク用語勉強会はスタートした。
……なんだってんだよ本当。俺完璧だったよなあ。
でも二人が望んだ返答は違かったわけで。
うーん、やっぱ人間(特に女子)は苦手だな。
「まあ『萌え』は結構広範囲に使われてるけど、実はオタク用語と呼ばれてるものの中にも種類があるのよね」
「「種類?」」
俺と里香は首をかしげる。
種類? なんだそりゃ?
「たとえば『ネット用語』。ネット上の掲示板とかで使われてる言葉のことね。これは視覚で捉える言葉がほとんどよ」
視覚? ますますなんだそりゃ?
まあ俺たちの反応は余裕で予想範囲内だったのだろう。
栗原は俺と里香の『?』を見る前にたとえばと具体的なものをホワイトボードに書き込んだ。
〈 (ry 〉
「かっこ……あーる……わい?」
な、なんだ!? 文字というよりは記号に近い。確かにこれは口では言い表せない。
視覚で入る文字だ。
「読み方は『リャク』。言わなくても分かる文字やぼかしたい文字にこの記号をあてて省略するらしいわ」
……あ、そうか。
省略→略→リャク→ryaku→ry
で、前に『( 』が付いたわけね。
「あはははは! 『略』を略して『ry』とか! 『略』を略しちゃうとかマジうける!」
「…………」
里香がしょーもないことで高笑い。
ええ、この子こういうのに弱いんです。
「ちなみに例文は……」
栗原はそんな里香をまるでいないもののように流してホワイトボードへ。
〈それ以上言わなくても分かr(ry〉
なるほど『(ry』は語尾に付けるわけね。
「ちなみに手前にある『r』は書き途中を表して母音を抜かしているらしいわ。しなくても伝わる、というかむしろしない場合が多いみたいだけれど、でもこれがあった方が省略した文字が分かりやすいから、私たちが初心者のうちはこっちで覚えましょう?」
へえ。とすると『r』はおそらく『る』だったんだろうか。
や、でも『初心者のうち』って。
「別に要は言葉を略せばいいわけだから結構使いやすいんじゃないか?」
少なくとも『萌え』よりは簡単に文が想像できそうだ。
しかし栗原は首を横に振る。
「いいえ、これもなかなか難しいわよ。そうね……試しに今から筆談してみましょう」
そう言うと栗原はブレザーのポケットからメモ帳とペンを取って俺たちに渡した。
ちゃんとペンも三本持ってたよ。準備いいな。
……てか、『今から筆談してみましょう』なんて言葉人生で聞くときがあるとは思わなかった。まあ、いいんだけど。
「健児ー!」
すると早速書き終えた里香が俺に紙を見せた。
『健z(ry』
「名前を略すな!」
健aとかbとかあんのかよ。
「島田君」
今度は栗原。
『私は栗原清美です まr(ry』
「句点略してどうする!?」
まったく意味ねえよ。
「健児ー!」
『(ry(笑)』
「前を消すな! 内容めっちゃ気になる!」
「健児君」
『何話せばいいか分からなi(ry』
「じゃあ言うなよ!」
「健児ー!」
『(ry 』
「(笑)もない!? てかもうネタ切れなんだろ? それ最終手段にすんじゃねえよ」
「島田く――
俺いじめ突入のたm(ry
「あとは同人誌とか売られる『コミックマーケット』での専門用語である『コミケット用語』とかもあるみたい」
「『コミケット用語』……」
へえー、んなのもあるんだな。
すると栗原は「島田君に問題!」と俺を指名。
「『コミケット用語』で『最大手』とは何でしょう?」
……『最大手』?
なんだ? やっぱり一番同人誌が売れてるところを指すのかな?
でもそれだとなんのひねりもないよな。
俺が悩んでいると「はい!」と里香が挙手。
「ジャンプだろジャンプ!」
「…………」
里香、少年誌と同人誌の違いくらいラノベのみの俺だって分かるぞ。
しかもそれ言うなら集英社な。
「さあ、答えて島田君」
そして流す栗原。
……せめて気に掛けてやれよ。
「……分かんねえ。売れてるとこを指す言葉?」
「ブッブー!」
なぜか嬉しそうに発する栗原。
なんだ、自分の方が完全なオタクに近いことが嬉しいのか?
お前だって調べる前は無知だっただろうが。
「正解は……トイレのことよ」
「? どういうことだ?」
トイレ? 前に『男子』とか『女子』とか『公衆』とか付くあの?
「調べたところによると、『コミックマーケット』では会場内はそこまで混雑しないみたい(それでも並ぶところは並ぶらしいわね)なんだけど、トイレの行列は凄まじいらしいの。まあ要は人の量がトイレの飽和量のはるか上をいくからどこよりも列が並ぶのね。それで『最大手』」
はあー、なるほどな。結構言葉考えられてるわ。
だが。
「え、なんでだ!? トイレ業界も同人誌参入!? あ、トイレで同人誌売ってんのか。……なんか過激だな」
約一名理解していない奴がいた。
ここから俺たちは里香に説明する二十分間三人合計で約六百回『トイレ』を連呼することとなる。
「あとは――」
「ちょっと待った」
また栗原は用語の種類を言おうとしていたがそれを切る。
「いつまでやるんだこれ?」
まったく途切れる様子が見られないのだ。
栗原が用語を出す→答える→栗原が出す→答えるの無限ループ。
まだ三つだが、そもそもまったく興味ないし、正直飽きてきた。
「あと二時間よ」
栗原平然。
終了間際、俺洗脳されてるかもな。
しかし栗原はそこで「そうねー」と手をあごに当てた。
「まあ確かにこのままただ勉強しても面白くないし、私たちがちゃんと理解しているかここでテストしてみましょうか」
ん? テスト?
「テストってどんな?」
「そうね……今まで覚えてきたオタク用語を使って黒瀬君にメールしてみるのはどう?」
ああ、あいつにか。
忘れているかもしれないが、黒瀬は俺と栗原のクラスメイトであり、俺たちが目指すこととなった完全オタクである。
確かに、どんな方法よりもあいつにメールするのが一番分かりやすいだろう。
あいつは興味のあることに対しては返答が物凄い早いからな。
逆に興味のないことは考えることをしないから栗原と里香のことも他の奴にも言わないだろうし。
「いいんじゃないか。あ、でも栗原。お前黒瀬のアドレス知ってたんだな」
まあクラスメイトだし栗原うちのクラス委員長だしで無理ないかと思ったその時。
「何言ってるの。あなたの携帯使うのよ」
言うと栗原はポケットから――俺の携帯を取り出した。
……え?
や、確かに俺は黒瀬のアドレス知ってるよ。交換する流れの時があったから。
や、でも……え?
俺は自分のポケットをまさぐる。
ない、入れてたはずの携帯が……ない!
「それも盗ってたのかよ!!」
ラノベだけにとどまらず俺の携帯にまで!
そうか、だから『(ry』のくだりの時メールじゃなくて筆談選んだんだな。
てかなんで俺の携帯に黒瀬のアド入ってんの知ってんじゃあ!
俺は栗原に飛びかかろうとしたが。
……もう言う必要もないけど。
里香に羽交い絞めにされた。
「えーっと『黒瀬誠也』はっと……」
検索しだした。
「やめろーーーーーーー!」
俺の携帯使うって時点で嫌な予感しかしない。
「よし、題名は『オタク用語』で、次は文か」
検索成功。うわああん。
「まずは『萌え』ね。【島田君マジ萌え〜(´Д`;)ハアハア】っと」
「なんでいきなりそれなんだよおおおおおおおおおお!」
「だって自分で唯一思いつけた文なんだから仕方ないじゃない」
「だったら自分の携帯使えや!!!」
ちゃんと『by栗原』って付けろよ!
「次は『(ry』ね。【俺は今オタク用語を使ってのメールに挑戦中だ】」
「『俺』!? お前なんで俺が書いたことにしてんだよ!」
「これあなたの携帯でしょ? それにあなたはもう黒瀬君にオタク趣味を持ってることを知られてるからいいじゃない」
「よくねーよ! 全くよくねーよ!」
「続けまーす」
「…………」
俺、無気力モード突入……になるはずが。
「【なぜかというと、俺は今現在h(、)(ry】」
「なんで自分が今現在Hなこと主張してんじゃー!」
一瞬でモード解除されるくらいのものが来た。
「【なぜかというと、俺は今現在人(、)一倍オタクになりたいと思ってるからだ】って打とうとしたのを略しただけよ」
「どっちにしろ変態だー!」
「何よ。きっと黒瀬君は純粋に理解してくれるわよ」
……ま、あいつならかもしれないけど。
「信じるぞその言葉。違ったら何かしてくれるか?」
「……次行きまーす」
「おい!」
自分の言葉には責任持てや!
しかし俺の吠えを無視した栗原は最後の『最大手』へ。
「【最大手はトイレなんだってね】っと」
「なんでここ手抜き!?」
「そういえば『最大手』では里香に理解してもらったところで満足しちゃって文作るの忘れていたわ。まあ、いいんじゃないかしらこれでも」
あははと笑って栗原はタイピング。
こいつ、俺をいたぶるのが楽しすぎて趣旨忘れてやがる。
「送信」
ポチっというプッシュ音。
「……え、押した!?」
特に溜めも無しに送信しやがったから阻止はおろか心の準備もできなかったぞ!
っという心の声と同時に――
――タラリランララン♪
「「「早!」」」
俺の携帯の返信音だ。
送ってまだ一分も経ってなかった。
嘘だろおい。あいつオタク関連に対してどんだけの瞬発性持ってんだよ。
「……とりあえず開いてみるわね」
栗原は俺と里香の近くに寄ってきて三人で画面が見えるような位置に着いた。
「いくわよ」
ポチ。
【FROM】センター
【件名】送信メールエラー
【本文】相手先ホストの都合により送信できませんでした。
「「「…………」」」
一同唖然だった。
黒瀬のやつ、メルアド変えてやがった……。