よんの3
「オタク用語……」
「そう、オタク用語。まあ要はオタクが使ってる普通の辞書じゃ載ってないような言葉。たとえば『萌え』とかね」
立てた人差し指をくるんと回して『萌え』と栗原。サーッと鳥肌。
や、偏見ってわけじゃなく、俺が今まで『萌え』と栗原は水と油のような正反対で合わさるはずのない関係の位置にいるものであり、栗原はそういう存在と勝手に決め付けていたところに栗原自らの『萌え』で一気に覆されて想定外外外となったためだ。
この俺でこれだぞ? 俺より栗原信者な他の奴らが聞いたらどうなっちまうんだろな。
「まあ『萌え』くらいは俺も聞いたことある。オタクがアニメやゲームのキャラに対して言いまくってるあれだろ?」
「そうそうそれよ。でも島田君、『萌え』を具体的に説明できる?」
「具体的……」
感情の一種ではあると思うが……うーん、これを具体的にと言われてもな。
俺がうまく答えられないでいると栗原は。
「ちなみに一般的には主にかわいいキャラなどを見た際に心の中で突発に芽生える熱い感情のことを言うそうよ」
「へー……って、もう分かってんじゃんお前」
「ええ。というか、もう粗方用語は調べたわよ」
「おい」
今ってオタク用語の勉強会なんだよね? 早速企画が破たんしてますけど。
しかしここで栗原は「だけどね」と額を抑えた。
「今のように『萌え』について書かれたものを暗記するのはできるけど、実際にそれを自分のものにすることができないのよ」
「自分のもの?」
「そう、自分のもの。ネットにこんな例文があったわ」
そう言って栗原はホワイトボードにその文を書いた。
〈サナたんマジ萌え〜(´Д`;)ハアハア〉
……まあ、これを例文というのか分からんが。
「で?」
「いくら意味を暗記してもこういうのが思いつかないのよ!」
「…………」
要はあれか。意味を知っても応用ができないってそんなとこか。
しかしそれが『萌え』であるという現状……。
「なぜなの!? 私中、韓、英、仏、伊、独その他諸々の単語でそれぞれ文章を作って言えるのに、それなのに何で『萌え』の意味を知ってもオタクの人たちが使うような言葉が思いつかないの? どんだけ異文化?」
栗原は狂ったように怒りを露わにした。なんとも言えない複雑さが俺の中に生まれる。
なんとも言えないが……その中に虚しさがあるのは分かる。
「何よこの文! 『サナたんマジ萌え〜(´Д`;)ハアハア』。『(´Д`;)』って何語よ!」
「落ちつけそれは顔文字だ!」
やばい、また栗原が壊れた。
しかしこの前は元凶である俺が言って止まったが、今回はそれが『萌え』だし直し方が分からん。
「他にもオタク用語にはこの例文のように文章が思いつかない単語がかなりあるのよ。それを今回ここで議論し、理解を深めれば三人とも完全なオタクに近付いて例文みたいなことを思いつけるようになると思ってここに持ってきたわけ」
握る拳をぷるぷる震わせながらそう言った。
いろいろ思うところはあるが、まあとりあえず栗原の望むようにしとけばそのうち直る……かな。
「なるほどな。まあとりあえず今話してたし、最初は『萌え』からいくか」
「やるわよ!」
「おー!」
俺の声に栗原、里香が続く。
……あれ、なんか仕切ってんぞ。俺解け込み始めちゃった?
や、これは栗原を直すためだから……ねえ?
しかし仕切ったはいいものの。
「でも考えりゃ『萌え』って難しいな。オタク用語の中では一番身近にあるもんなのに。まあこれが『好き』の一種ってことぐらいは分かるが」
そう、これ最初にして結構な難関だった。
もしかしたら俺たちハンオタもオタクと同じく『萌え』の感情を持ってるんじゃないか? だからオタク系の趣味を持ってるんじゃないか? と思う人もいるかもしれないが、それは違う。
前に言ったように俺はラノベを一種の芸術として好んでいるんだ。表紙や挿絵に描かれたキャラににやけることもあるが、それも芸術として。おじいちゃんが盆栽を見てる状況に近いかな。
そして栗原が悩み、里香が何も言ってこないところを見ると、二人も俺と同じような感じなのだろう。
まあそういうことなのだが。
『萌え』からやろうと言い出したのは俺だし、俺が最初に案を出さなきゃいけないのだが全く浮かばない。
それは他も同じらしく、そこから暫く模索の沈黙が続き、約十分後。
「あ、はい!」
その沈黙を破ったのは里香だった。
「『萌え』って私たちが熱心に趣味としているものに対して抱いてる感情に近いんじゃないか? それに対してなら私たちも『萌え』を使えるんじゃないかと今思った」
なるほどな。
オタクのキャラに対してというアウェーから自分たちの身近というホームに考え方を移してみたのか。
でも思ってみるとそうかもしれないな。オタクがそうやってキャラを愛でるのも趣味なんだろうし。
「たとえば私だったら空手だな。空手萌えー!」
里香の顔が少しにやける。きっと今空手を想像しているんだろう。
んーまあそういうことなんだろうが。
『空手』と『萌え』をひっつけるというね。
「萌えろ空手魂!」
「それは違う!」
そこは『燃えろ』だろ!
ぐるぐるメガネしてバンダナしてるやつらが空手やってる情景が見えちまった。
「それなら次は私ね」
続いて栗原が口を開いた。
「自分自身の成長萌えー!」
「ナルシストか!」
さっきの奴らが鏡を見て自分自身に声援送ってる情景が見えたぞ。
「何よいいじゃないそれが私の趣味なんだから。それより島田君はどうなのよ?」
俺の発言にムッとしたのか栗原は少し苛立ちを含んだ言い方をした。
……少し抵抗があるが、二人とも言ったし俺も言わなきゃフェアじゃないか。
「ラノベ萌えー!」
「え、ラノベとか何ハンオタのくせにオタクぶったの島田君(笑)」
「しかもキャラに対してじゃなくてラノベ自体とか。にわか、健児にわか(笑)」
「てめーら殺す!」
勇気出して言ったのになんだこれは! 悪かったな俺にラノベ以外の趣味なくて!
俺は二人に殴りかかったが……まあ展開は予想できるだろう。
里香に返り討ちにあって終わった。
くっそう……でも負けてばっかなのも癪だ。
「今やったけど違和感ありありだったし、里香の案ははずれだな」
嫌味ったらしくそう言ってやった。女子相手に力で勝てず上げ足取りに行くなんてかなり最低であるが、でも少しスッキリした。
その言葉に里香はムーッと頬を膨らませると。
「むむ! だったら健児は他に何か思いついたのか!」
あ、やべ。こういう反論来ること考えてなかった。
まあしかし、実際違和感があったのは本当だった。
「思いついてはないんだが、なんか今のって実際オタクが抱くもんと比べて熱が低い感じを受けたな」
「? どういうことだ?」
「や、うまくは言えんが、さっき俺『萌え』って『好き』の一種って言ったけど、この度合いってかなり高めなんじゃないか?栗原が言った例文にも『ハアハア』って興奮を表す文字があったくらいだし」
「……つまり、『萌え』の好き度は私たちが熱心に取り組んでる趣味に対しての好き度よりも高いってことか?」
「そういうことだな」
俺が言うと、里香は「んん」と小さく唸った。どうやら俺は論破したらしい。
何と! 俺は里香に勝ったようだ。やった!
と、勝利の余韻を噛みしめていたら。
「じゃあ興奮するほど『好き』なことに使うってことか。でも私たちの身近でそんなのは健児くらいしか……」
「「!」」
里香がぼそっと何かを言った瞬間、突如里香と栗原は目を合わせた。
視線で……何か、会話?
という俺の確認もままならないつかの間、二人はやめると即座にこちらへと向き。
「「島田君(健児)マジ萌え〜(´Д`;)ハアハア」」
オタクみたいに言えたーーーーー!
や、まったく例文通り……ではないか。いやなぜか俺を指してた。
けれど、そうなんだけれど、気持ちもこもっててちゃんと自分で思いついて言ったのが伝わった。
え、何で!? 目を合わせた瞬間に何があった? しかも『(´Д`;)』もちゃんと表せてたよ!
「「…………」」
何々!?
なんか二人が期待の目をこっちに向けてる!
この展開……あ、そういうことか。
「お前らもマジ萌え〜(´Д`;)ハアハア」
お! 結構完璧近く言えたんじゃないか? 特に『(´Д`;)』の部分。
趣味言うところの下りを考えると、その時みたいに俺は同じように言えばいいんだよな。
今回の場合は俺に対して言ってきたから、俺は二人に返せばいいと。
よし、どうだこれで! さっきみたいに笑われることもないだろう。
……え、なんで二人そんな顔怖いの?
え、何何! 怖い怖い! え! あ! うぎゃああああああああああああ!!