よんの2
「……今何つった?」
「だから活動部がハンオタが完全なオタクになるための部活で」
「島田君もその一員になってもらうということ」
彼女たちはまた順番にそう言った。
え、えーと。
一瞬にして聞きたいことがボコボコ湧き始めたが、とりあえず。
「何で?」
「何でって、島田君ハンオタじゃない」
「ふざけんなあああ!」
腹から声を上げた。だって栗原さも当たり前のようにそれを言うんだもんよ。
……ところで『ハンオタ』を当たり前のように使ってたな。言うまでもなく里香が教えたんだろうが、なんか常用語になってるこの現状に若干虚しさを感じる。
とまあそれはいいとして。
「お前ら勝手にやれよ! 何でハンオタだからって俺まで巻き込まれなきゃいけねえんだよ!」
まったくその通りである。
俺は完全なオタクを望んだことは一度もない。別にハンオタでもラノベは読めるし俺の人生に支障はない。
しかし栗原はまたも当然の顔。
「部員は多いに越したことはないでしょう?」
「人数稼ぎかよ!」
ありえない。誘いたいならもっとうまい言い方あるだろ?
というか、まず聞きたいのは。
「そもそも何でそんな目的で部活作ってんだ。お前ら二人とも自分の趣味バレたくないんだろ?」
そこなんだ。
二人とも今まで趣味は隠していたクチ。
その二人の秘密が一気に俺にバレてしまったわけだが、しかしその後栗原には隠すよう言ったし、里香には言ってはないが、あいつも風紀委員や空手部エースの肩書きがあるからこれからも隠していくつもりなんだろう。
と、思っていた。今日まで。
しかし只今目の前のその二人はとんでもない矛盾に走っていた。
部活なんてものを作っちまったら少なからずバレる危険性も上がるだろ。
なぜ危険を冒してまでそんな行動を?
俺が理解に苦しんでいると、里香はチッチッチと言って人差し指を左右に振った。
「分かってねーな健児。だからこそだよ」
は? だからこそ?
全くこの展開から予測しえなかった里香の一言で俺はますます困惑。
と、ここで次に聞こえたのは里香の続きではなく栗原のものだった。
「島田君。ハンオタの特徴は分かる?」
絶対今の俺の状態分かってないだろという唐突さであったが、栗原は直後に「気軽に答えてみて?」と優しく笑った。
特徴ねえ。
一番に思いつくことはやっぱり。
「まっさらでもなくかと言ってオタクでもない中途半端なところか?」
答えると栗原はうんうんと小刻みに首を縦に振った。
「まあそういうことよね。だから一つはそれが原因で孤立してしまうところ。極度に偏ったオタク趣味をしているハンオタは、オタク趣味を知らない人たちとも完全なオタクとも相容れない存在。だからどちら側の集団にも所属ができなくて、はみ出してしまう」
んー、俺はそもそも群がるということを考えないからそんなこと思ったこともなかったけれど、でも言われてみれば確かにそうだ。栗原や里香の周りにはいつも集団が出来るけれど、それはハンオタの彼女たちに集まっているんじゃないしな。……そう思うと、今ここに本来はみ出し者のハンオタ三人が集まっているというのは、実は天文学的な数字だったりしてしまうのかもしれないな。
俺が無言でそう思っていると、反論無しと受け取ったのか栗原は続けた。
「二つ目は、私たちが引きこもりがちなところ。完全なオタクの人はいわゆる『夏コミ』とか秋葉原(聖地)に行くから結構アウトドアだけど、私たちはただ趣味のものを愛でているのが幸せなために無意識にインドアになってしまっている」
引きこもりとかインドアとか言われると、どこか怠け者のように聞こえて嫌な気分になるのだが。
うん表現上は、そうだよ……ヒッキーだよ、俺は。
あれ、でも。
「ちょっと待て。俺は正直認めるがお前ら引きこもりか?」
里香は昔からやんちゃでまあここ最近はなかったが、前はあれやこれやいろいろなところ連れまわされたからまったく引きこもりという印象がなく、栗原のことはよく知らんが完全無欠さんだしまったく引きこもりだなんて見えない。
俺がそう思ったことを伝えると。
「まー昔はいろいろやったけど、アニメにハマってからは学校、部活以外はあまり外に出なくなったな。特にハマりきった中三からは全く」
と、まず里香。
「私もよ。学校、習い事以外外には出ないし、フィギュアだってネットで注文して買うわ」
続けて栗原もそう言った。
ん? おい待てよ。
「や、お前。じゃあ何であのリシアの人形学校に持って来てんだよ? あれ確か朝早くにゲットしたって言ってたよな? てことは専門の店で買ったってことだろ」
そう、今の栗原の話が本当なら数日前栗原のハンオタが発覚したあの日の説明がつかない。
したら栗原は言った。
「ああ、あのフィギュアって特定のショップでだけ先行発売されてね。でもネットで写真見て私気に入っちゃってネット販売されるまで待てなくて。だからお父さんにそこまで行って買ってもらって、駅で私が受け取ったのよ」
「…………」
おいお前、父親には趣味言ってたのかよ……しかもパシってるし。
「ちなみに箱からフィギュアが出てたのも、ちゃんと買ってこれたのか駅でお父さんに箱を開けさせて中身を確認したからよ」
「…………」
駅で女子高生の前にリシアのフィギュア(しかもまあまあな大きさ)出させるって、はたから見たら露出狂の一種に間違われんじゃねーの?
親父さん、ご愁傷様です。
「さて、最後の三つ目だけど」
そして栗原はさらっと話を戻す。本当、親父さん……。
「三つ目は、完全なオタクはかなり浸透してきたけれど、ハンオタはまったく知名度がない。そもそもハンオタという言葉も里香が考えたわけだしね。超マイナーなこの位置はいろいろと誤解を招いて、最悪それで今まで積み上げてきた自分の立場を崩壊させる恐れもあるわ。だから普通は趣味を隠すはずなのよ。もっとも、奇妙なことに島田君は例外だけれど」
「奇妙って……」
人を珍獣みたいに言うなよ。別に人の勝手だろう。
まあ、隠さないから俺は誤解をされてるわけで、栗原の言っていること自体は間違っていなかった。
結論、ハンオタには世の中にいいことないってか。
あまり世間体は気にしないことにしている俺であるが、それでもやはりこういう現実を改めて感じさせられるといい気はしなかった。
俺が虚しさに胸の圧迫を受けていると。
「でもね」
栗原は何やら秘めたような笑みを見せながら言った。
「でもね、活動部ならこの三つをまとめて解決できるの」
解決。それもまとめて。
今までの自分を考えると疑わざるを得ない一言。
だが彼女のそれはどっしりと構えられていて、それに俺は自然と耳を傾けていた。
栗原はすうっと息を吸って胸に溜め込み、そして一気に話し始めた。
「まず部活という形で集団を作ることで孤立状態が防げて一つ目は解決。
活動方法は一般公開の表向きとあまり変わらない。ただ会議の内容が完全なオタクになるためのものになるだけ。話し合って活動することで外に出る機会も増えて引きこもりが解消できる。
そしてハンオタを浸透させるのは難しいけれど、それならこっちが完全なオタクになればいい。この部活の、完全なオタクになるための活動を通して完全なオタクになってしまえば、もう趣味を隠す心配もなくなるの――」
「つまり集団作ってハンオタぼっち解決で活動してアウトドアでそんで最終的に完全なオタクで社会適合者だあ!」
最後になぜか里香がまとめておいしいところを持っていった。栗原が何とも言えない表情で里香を見つめる。
……終わりの珍事は流すとして、でも里香が熱くなる気持ちは分からないでもなかった。
さっきの通り俺たちハンオタは偏ってて引きこもりでマイナーという異端者。
でもそれは決して好きでやってるわけではない。俺たちだって寂しいのだ。
俺は周りは気にしないようなこと言ってるけど、実際里香や黒瀬という話し相手をなくしたらどうなるか分からない。
栗原や里香には俺とは反対に行き着く島もないくらいの人気者だが、だからこそ自分の趣味を打ち明けられずそこから寂しさを感じてしまうのだろう。だから二人は部活動で仲間を作って、外に出ようとして、将来は完全なオタクというもっと大きなところに行こうとしてる。
こんなにも思いを理解出来たのには、まあ俺が同類ってわけもあるが、おそらく栗原の語り方も相乗効果を生んでいた。
説明を聞く限り活動部はハンオタということがバレる前に完全なオタクになるという賭けの部分も含んでいる。
にもかかわらず、栗原の口から聞くとそうは感じず、むしろ成功するとさえ思ってしまった。
さすが次期生徒会長最有力候補。演説も抜かりなしか。
しかし。
しかしだ。
「だからと言って俺が入らなきゃいけない理由はない。別に俺は今のままでもいいんだよ。この学校は所属している部員がゼロにならない限りは廃部扱いされないし、活動内容を聞く限りサッカーとかのチーム戦じゃねえんだから人数だっていらんだろ?だったら俺がいなくてもいいだろーが」
さっきはハンオタに嘆きもしたが、だからと言って動こうとは思わない。
俺は現状維持でいいんだ。
学校での位は下がりに下がっちまったが、それでもラノベさえ読めれていれば、自分の時間が保てていればそれでいい。
そうして俺は学校生活を終えていくんだ。
そう。俺はそうなんだ。
俺が今一度自分の方針を確認した、その時。
「はあ、まあ健児は何を言ってもそうゆーと思ったよ」
里香は呆れたようにわざとらしく溜息をつくと栗原と目線で何かを交わし。
「できればこの手は使いたくなかったんだけど」
そう言うともといた自分の場所に戻り、そこにあった自分の鞄に手を伸ばす。
ん? 使いたくなかった?
引っかかりを覚えた俺だが、里香が鞄の中から取り出した一冊の本でそれはすぐに解決した。
活字がめっきりダメな里香が本なんて持ってるはずがなく、辺りに俺の荷物は見当たらない。
だとしたら、その本の、持ち主は……。
「えーっと何々? 『カレッジS×S』の……十巻か。題名読むだけでも苦労しちった」
「返せおらあああ!!!」
俺は今日一番の発声と瞬発力を発揮して里香に突撃するも。
「おおっと♪」
里香にスキップするように軽々と避けられ、豪快に壁と激突……。
まあ、そうだよね。あっち女子空手部のエースだもの。
「こ……の!」
しかし俺もめげていられない!
大事な財産のために何度も俺は立ち上がる決意を胸に――。
「はあ……はあ……無理」
――二十秒だけ頑張った。だって、俺っていつも家に籠ってラノベ読んでる人間。スタミナ考えて?
「お……お前ら返さないと訴えるからな! 先生……いや警察に訴えるからな!」
そして最低の方法にサクッと手を伸ばす。
女子相手に自分でも悲しくなるが、ラノベという俺にとって唯一の人生の希望が奪われようとしている危機的状況にプライドなんて語ってられない。
ま、これで戻ってくるだろうと正直勝負は見えたと思われたが、それに対し栗原は特に動揺もなくこう言った。
「訴えるのはいいけれど、果たして信じてくれるかしらね? 『自分を部活に入れさせるために本を人質に取られた』なんて」
実に冷静な見解だった。
「…………確かに」
途端、全身から妙に力が抜けて俺は地面に崩れ去る。
すると直後に栗原はそんな俺の耳元へと近付いてきて、怖い程やさしく囁いた。
「入ってくれたら返すわよ。それに活動も毎日ではないわ。むしろ三人集まれる日を探すのが困難な方ね。里香は風紀委員と空手があるし、私も生徒会と習い事があるもの。そして完全なオタクになれば島田君に対する冷たい目もなくなるわよ。さあ、どうする?」
そして少し離れてから向けた微笑。
悪魔な程に妖艶なその表情を突きつけられて、俺は全ての思考が止まり。
はあ、何かもう、どうにでもなれ。
「分かったよ。入る、活動部に入る」
「ありがとう♪」
「さんきゅー♪」
……えーっと、何だろう。
二人の笑顔を見て完全に怒りがすっ飛んじまった俺ってただのバカなのかな?
部員が三人となった瞬間から間もなく栗原は切り出す。
「さて、じゃあ早速今日から活動したいんだけど、まあ初日ってことで今回は部長である私が当日からできる活動内容を持ってきたわ。それは――」
彼女が発したその言葉は、極めて鮮明に聞き取れた。
「――オタク用語の勉強よ」
「…………」
あーこーやってこれから俺染まっていくんだなー。