さんの5
翌朝七時。
──ヴィーン、ヴィーン、ヴィ……。
「……ふああああ」
俺は携帯の目覚ましバイブ振動の合図に布団から上半身を起こし、大あくびをした。
ああ……眠い。
あれからすぐ里香とは別れたのだが、部屋に戻って布団に横になっても体は覚醒状態で、結果三時を過ぎるまで記憶が明瞭だ。
ああ、本当何なんだよ。
たまたま今日からお袋が旅に出て、たまたま里香家に泊まることになって(まあお袋が仕組んだことだが、それでも里香の親父さんがいたらできなかったわけで)、そんでたまたま深夜に起きたら困難発生……。
何この偶然。神様が俺をはめようと企んだとしか思えない。
しかもよりによって相手が里香って……。
運命のいたずらにしたらかなりやりすぎだろ。
神様、あんたのやったことは学校だったら廊下にバケツを両手と頭に乗せて二時間は立たされるレベルだぞ。
しかもそんな困難が二十四時間で一つ目ではないというね。
俺は昔から運が悪い方(主に里香のせいで)ではあったが、ある意味今回のは史上最悪だ。
こんなに悪いとは、もしかして近いうち死ぬんじゃないだろうな?
……やべ、シャレになんねえ。変な悪寒がしてきたよ。
「はあああ!」
盛大に息を吐いて切り替える。
まあいろいろ考えることはあるが、とりあえず起きないと今日も学校だ。
「よっと」
俺は上半身上体の体勢から二足歩行体勢に変えようとして――左足を捻挫した。
「…………」
まじで近いうち死ぬかもなあ。
幸い捻挫は軽く、痛みはすぐに引いたので着替えて顔を洗ってからリビングがある一階に降りると。
「あ〜ら健児くんおはよう〜」
おばさんはニコニコ笑顔でこちらを向きながら鍋に溶き卵を菜箸で伝わせて入れていた。
うん、食欲をそそり立てるいい匂いがリビングにたちこめている。さすがおばさんだ。
朝一番少しだけ気分を上げてフワフワ気分の俺だったが、すぐに現実に引き戻される。
リビングのイスにすでに着席している里香を確認したからだ。
あー、どうする俺?
まあけんか別れした後よりかはこじれてないが、でもけんか別れなら最悪一番初めに謝ればいいわけで、今回の場合、どう第一声を切り出せばいいか分からない。
でもそれはあっちも同じだろう。いや、考えてみればあっちの方がむしろ声をかけづらいよな。
よし、ここはこれからもよろしくと言った手前、俺から声をかけるか。
俺は里香の隣の席に着き、
「おはよう里香」
といつもより若干明るめに言ってみた。
すると、
「……おはよう」
「おう……」
「…………」
「…………」
会話が続かない。
まあ今のはすぐに話題を出さなかった俺も悪いが、でも里香の雰囲気がいつもよりダントツに重くてしかもこっちを向かずに言ってきたわけで。
……その姿にちょっとビビってしまった。
「…………」
「…………」
その後も続かない会話。
いつもの俺たちなら我先にと里香が話題を出していたからこんなことに困るなんて想像したこともなかった。
これなら面倒でもいつもの里香に戻ってほしいなと思い始めた時。
「……一緒に、いていいのか?」
「え?」
里香がいきなりそんなことを言って弱々しいチワワのようなすがる上目で俺を見て。
ギュッ。
俺の制服のワイシャツを小さく掴んできた。
え、何これ。本当に里香なのか?
目の前にはいつものようにポニーテールを束ねる幼なじみのトラブルメーカーがしっかり見える。
しかし同時に見せる彼女の仕草が心拍数を一気に上昇させ、意識は反比例するようにふわふわしてきてだんだんと遠のく。
やばい、引き込まれる――
「こんな私でも、一緒にいていいのか?」
「!」
瞬間、俺は我に帰ることができた。里香の言葉で。
「いつもトラブルばっか持ってきて、面倒臭くて、美人の顔で丸めこんで、自分の趣味書き換えて、そんで夜にコソコソアニメ見てて……昨日も健児にバレたくなかったはずなのに自分に負けて見てて。そんな最悪な私だけど、それでも一緒にいていいか?」
「…………」
そうか。里香は昨日からそんなことを考えていたんだな。
……自分の顔を美人と言うのはどうかと思うが。
まあ今のは昨日俺が言ったことを復唱しただけで、それがずっと頭に残ってるんだな。
まったくこいつは本当に……困った俺依存症だ。
なら、かける言葉は簡単か。
「やっと自覚したか」
「……ごめん」
「謝っても遅いんだよ」
「…………」
「……いろよ」
「え?」
「言ったろ、これからもよろしくって。だから――」
息を吸い直し、一気にそれを放つ。
「――一緒にいろよ」
俺は強くその言葉を里香に向けた。
どんな言葉、どんな行動よりこれを言うべきだと思った。
誰にでも思いつく言葉だけど。憐れみの気休めだと思われるかもしれないけど。
でも多分これが、今の里香には必要なんだと思ったから。
「ずっと」は言わない。そこまで俺はお人好しじゃないからな。
でも少しだけ、せめて里香の俺依存が治るまでなら、一緒にいてやっても……悪くは……なかった。
それを聞いた途端、里香は両目を抑えて。
「目やにがあったから顔洗ってくる」
と、そそくさ洗面所に向かって行った。
せっかく我ながらいいことを言ったと思ったのに目やにとか何空気を壊すようなことを。
面白くなく少し頬がふくれた俺であったが。
「は~い、ご飯できたわよ~」
「おっほほー!」
おばさんが持ってきた溶き卵スープにあっさり気分上々な俺であった。
「えっへへー健児ー!」
「ひっつくな歩きにくい!」
朝食を食べ終わった俺は制服やら教科書やら登校の準備をするために一度家に戻り、出てくると里香は すっかり昨日までの里香に戻って抱きついてきた。立ち直り早すぎだろ。
……今思うと、俺と里香が一緒に居続ける限り里香の俺依存症って治んないんじゃないか?
だが時はすでに遅し。
「てかお前何で朝練行かないんだよ!」
「まだ朝練は自由なんだよー。だから今日は健児と登校ー♪」
うん遅かった……というか悪化した。
このまま面倒な感じで学校まで行くのかと思ったその時。
「おはよう! 島田君」
遠くから手を振りながら走ってくるうちの制服を着た女子。
……遠くでも分かっちまった。あの整い顔でモデル体型は。
「……あれ、こっちに来るのって確か栗原さん……だよな? なんで健児の名前を?」
どうやら里香も気付いたようだ。というかあっちは有名人だしいくらなんでも気付くか。
「おはよう! 島田君……ってあれ? 隣の人って西条さんよね? どうして島田君と?」
近くまで来た栗原は、すぐに隣の里香を確認して首を傾げる。
対面する栗原と里香。
そう言えばお互いかなり学校内での人気を誇っているのに、二人同時に見たことは一度もなかった。二人は少なくとも一回昨日の昼に対面していたみたいだがな。
まあやっぱり学校内から多くの支持を得る二人が揃うと『夢の共演』って感じだな。うちの生徒の中にはこれを見たら失神するやつも出てくるんじゃないだろうか。
少し大げさかも分からんが、信者の二人に対する信仰度は結構すごいものがあるのだ。
お互い最初は頭の上に疑問符で見つめ合うだけだったが、そこから先に切り出したのは里香だった。
「おはよう栗原さん、昨日はどうも。私は健児と昔からの幼なじみで、今も一緒に登校しようとしてたんだ。そっちは?」
「私も島田君と一緒に登校しようと思って、はるばる隣町からここまで来たのよ?」
「…………」
「…………」
なぜか対話早々黙った二人。
え、何で?
数秒の間ののち、「どうしたんだ?」と俺が聞こうとした、瞬間。
「「あははははははははははははははは」」
突然二人はお互いを見つめ合いながら同時に笑い始めた。
その笑いは、どこか怖さを含んで……いや、怖さでしかなかった。
「…………」
まあ、こうして俺にとっての問題児二人は風紀委員と生徒会役員ではなく西条里香と栗原清美として初対面を交わし、この出会いが俺の生活を揺るがす全ての始まりとなった。