さんの4
『塵となって消えなさい──絶対氷結!』
テレビ画面に映るリシアは水色を基調とした肩だしドレス姿──氷の女帝スタイルになって敵──ライガル・メイソンを氷漬けにし、完璧に凍りきったライガルは風に当たるとさらさらきらきらとダイヤモンド・ダストのように散っていった。
……できれば俺も一緒にこの場から散っていきたかったのだが。
「え、ええと……」
目の前には里香がベッドの脇に腰をつけて床に体育座りで顔をうつむかせている。
……この状況で散れるわけがなかった。
「……わった」
「え?」
いつも無駄に元気な里香らしからぬ極小の声。
俺の聞き返しに、里香はすーっと腹を膨らませて空気を溜めるも。
「もう、終わった」
ため息のように出されたその声は里香のアベレージの遥か下、テストで言えば赤点クラスの声量だった。まあなんとか聞き取れたが。
「これが、これがバレるなんて……しかもそれがよりによって健児って……う、ううう」
里香は絞り出すように言うと弱々しく泣き始めた。
あー、困ったぞ。
こういう時にうまいことを言えれば世の中うまく渡れるのかもしれんが、いかんせん俺は人の気持ちに疎くてどう声をかければいいかまったく分からん。
ましてや原因が……なあ。
や、似たようなことを今日の朝(正確には昨日の朝か)経験したけど、あれとはまた少し状況が違うし、俺も感情的だったから全く参考にならない。
しかし、まさか二十四時間以内に二人の女子を泣かせるとは……。
これ学校の奴らに知られたらどうなるんだろうな。
最悪風紀委員会に罰せられるかも。うちの学校ならありえる……というか泣かせた一人そこの副委員長だ。やばい真面目に汗。
って今はそれどころじゃない。
「り、里香。これは……あれだよな? テレビつけたらたまたまやってて『え、何これ?』的なやつだよな?」
確かに里香は統一性のないごっちゃごちゃなやつだけど。
だけどそこに……俺が今想像してるものは加わっていない……はず。
しかし里香は首を横に振り、震えているがしかしちゃんと聞こえる声でこう言った。
「……好きで見てた」
「えーーーむぐっ」
俺が驚きに声を上げると、里香は慌てて立ち上がって俺の口を力任せに塞いだ。
「静かにして。お母さん起きるから」
あ、ああそうか今は深夜だったな。
俺はそれに対して何度も小刻みに頷いて見せると、里香は俺の口から手を離し、へなっと床に座り込んだ。
しっかし、見事に根本を覆された。表すなら地球は天動説ではなく地動説だと判明した時並みに。
だが里香の言ったことは本当だ。なぜなら里香は自分にも他人にも嘘がつけない。
好きな事を隠している俺がいるにもかかわらず、深夜アニメを見たいという衝動に負けて見ることは里香なら十分にありえるし、そのことをさっきのように正直に言ってしまうのも同様にありえる。里香はそうなのである。
瞬間、俺の中でこの場の風景が客観的に映る。
あー、なんなんだこの状況。
今まで里香と一緒にいて、やくざの抗争やら知り合いの大人の不倫現場やらいろいろなイベントを経験してきたが、ある意味これが一番ハードだな。
うーん……うまい言い方も見当たらんし、変に回りくどいよりはダイレクトに聞いた方がいいか。
そう思いながら。
「なあ里香……これは、その、いつから、なんだ?」
直前にビビり奥歯に物が挟まった感じになってしまった。
あーチキンだ俺。一番最低な聞き方。
里香はそんな後悔中の俺に少し赤らめた目を向けた。
「……中学二年の時にさ、空手の試合で私都大会でいいとこまで行ったのに負けた時あっただろ? そん時」
……ん?
まるで意味が分からなかった。その出来事と一体何の関係があるんだ?
俺がいまいち理解してないのが分かったのか、里香は絶望の表情の中に少しだけ笑みを浮かべた。
「まるで覚えてないんだな。まあ仕方ないか。実際健児にあれは気付かれてないわけだし」
「あれ……?」
それに里香は何も返さず、立ちあがって扉のすぐ右端にあるクローゼットの戸を開ける。
ちらっと中を覗くとクローゼットの中は左にはタンスが、右には大きな段ボールがぎっしりと詰められていて、里香はその右の段ボールを一個ずつ次々とタンスから出しては床に置いていった。
その中で一番上に置かれていたと思われたものは上部が少し開きかかっていたため、隙間から中身が見えてしまった。
「んおう」
思わずそんな声が漏れた。
中身はDVDケース。それも段ボールいっぱいに大量の。
しかしそれらは皆カラフルで鮮やかな色彩を放ち、中にはおそらく人間と思われるが二、三等身で顔の半分くらいある目を持った女の子が描かれているやつもあって……。
直球で言うとアニメの、それも深夜によくやっているオタクの人たちが好んで見ていそうなもののDVDだった。
……どうやら里香は本当のようだ。
「……あった」
と、俺が衝撃を受けた光景の横で里香がそう言って掲げたのは――一冊の本。
その表紙には薄紫色でフワフワした長い髪を持った巫女衣装姿の少女がカラーで描かれていて……あ!
「そ、それ失くしたと思った『幸福の女神さまっ!』の一巻! ……おっと」
思わず音量を上げてしまった。
でもそれくらい俺の中では今大きなイベントだ。
なんせ中学の頃一番と言っていいほどのお気に入りだったラノベのシリーズだったからな。
だからいつの日か、読み返そうとして一巻がないことに気付いた時はショックでショックで正直判明初日はラノベ好き失格だと自分を責め、ただ泣いた。
その失くしたはずのラノベが、今、俺の、目の前に、出てきた。
あー、ちゅるちゅる頭の中で白細の線が何本も互いに擦れ合いながら右往左往。
ますます意味分かんないぞこれ。
すると俺の言葉を聞いた里香は。
「あ、これそんなに大切なものだったんだ。タンスにしまってあって盗ってからしばらく経っても健児何も言ってこないからもらっちゃった」
てへぺろ♪と舌を出して。
「ふざけん」
「しー!」
叫ぼうとした俺に里香は人差し指を唇へ。
こいつ、状況にかこつけて……後で覚えとけよ。
「そんでよ、里香。一体今まで出てきたもんに何の関係がある?」
今までのに全く関係性が見えなかったが……?
「いや、あるよ」
だが里香はそういい、持っていたラノベに視線を落とした。
「さっき言った都大会負けた後。私めちゃくちゃ悔しくて、悔しすぎて我慢できなかったから健児に当たろうと家に帰る前に隣の健児んちに寄ったんだよ」
「…………」
まったくはた迷惑な話だ。俺はお前のサンドバックになった覚えはない。
「だけどまあ健児ってば私の相手をしてくれずにラノベばっか読んじゃってて。ほんとあん時はムカついた。大会で負けた時よりムカついた」
「…………」
いや当然だろ。だって俺関係ないし。しかも当たろうとしてたんなら尚更だ。
中に入れただけでも称賛に価すると思うぞ。
「そんで健児がトイレに行っている時なんか一冊ラノベパクってやろうと思ってさ。でも今読み途中の本を盗ったらすぐばれちゃうと思ったから、健児の部屋のタンスの中にしまってあったこの本にしたってわけ」
「…………」
自分で言うのもなんだけど、俺すごくかわいそうたね。
ここまで理不尽なことってあるんだ。俺何もやってないのに。
「まーそれでうちに持って帰ったわけなんだけど、せっかくだし試しによんでみよっかなっていう気になってページ開いてみたんだよね。そしたら絵の部分はいいんだけど、私活字が全然読めないの忘れてて、読書開始二分で寝ちゃって……」
「早!」
里香は恥ずかしそうにえへへと笑った。
おい! ラノベで寝るってどんだけ活字に弱いんだよ。
俺に無茶苦茶しといてそのオチはねえだろ。
「だから内容全然入らなくてね。でも絵は気に入ってたからどうしようかと思ったら……」
ここで里香の顔が歓喜や感動といった表情にみるみる変化し、またこのことで俺は話の結末がなんとなく見えた。
「なんとそんなとき丁度深夜にそのテレビアニメ版がやってることを知ったわけ。夜遅くまで起きる行為は身体を崩す素になるし結構迷ったんだけど、試しに一回だけ見ることにしたんだよね。そしたらめちゃくちゃ面白くてハマっちゃって。そんで他のも見たらどれもこれも面白くてそして……」
「……そして、オタクの世界にのめり込んだってことか」
「違う! 『そして今回みたいなこと起こしちゃった』って言おうとしたんだよ!」
「そ、そうか。悪い」
ん! なんかデジャヴ。
となると次は……。
「だいたい、私はアニメだけが好きなのであって、その他のオタクの人が好みそうなものは全く興味はない! というかだからバレたくなかったの!!」
「あ、やっぱそこなの?」
「え? やっぱって?」
おっとと。予測通りだったもんだから思わず。
俺はとりあえず自分の口元に人差し指を当て、里香に大きくなっていた声を抑えるよう制してそれをごまかす。
里香はあっと口を押さえ、一度深呼吸をして気持ちを落ちつかせた。
「やっぱはよく分かんないけど、もちろん皆に知られていろいろ誤解されるの嫌だったし、私今まで健児の趣味のこと小馬鹿にしてて、最近じゃあ『ハンオタ』って言ったのに実は自分もそうだってこと知られたくなくて……」
しょんぼりと力なくうつむく。
なるほどな。事の全貌は分かったが、ただ正直原因が分かっただけてどうすればいいかはまだ分からない。
「失望したよね?」
「え?」
俺がどうしたもんかと頭の中をめぐらせていると、不意に里香が言った。
「当然だよな。健児の中の私は美人で空手ができる理想の幼なじみだもんな」
いや、まったく違う。どこがどうなりゃお前は理想になる。
「なのに実は夜にこそこそアニメ見てて、そして自分のことはないがしろにしてハンオタ言ってたなんて……最低だ私」
里香はまた床に座り込み、立てた膝に顔をうずめた。そしてまた小さく泣き始める。
その姿を見て俺は――ああああっとおもいっきり髪をかきむしった。
あー、もうなんだよ。勝手に一人で進めんな!
もういい! そんならこっちも勝手に言わせてもらう。
「あんな、お前さっき『健児の中の私』つったけどな、なんで俺の中のお前が分かんだよ!」
「……え?」
「まったく違ってんだよ。俺の中のお前は“理想”じゃねえ。むしろ”最悪”だ。いっつもいっつもトラブル持ってきやがって。じゃなくたって毎回面倒くさくてよ。少しは俺のこと考えたことあんのか」
「そん……な……」
「まあ美人ってとこは合ってるよ。それは保証してやる。ただな、その顔使って俺を丸め込むのやめろ! おかげで俺は毎回不完全燃焼で終わっちまう」
「そんな……そんなつもり……」
「だいたい空手ができるってな、別に俺お前に空手やってほしいなんて言ったことねえから。自分の趣味を都合良く書き換えてんじゃねえよ」
「…………う、うあああああああ」
この畳掛けでとうとう里香は本泣きに入った。
音量は今までで最大を記録し、若干おばさんが起きるか起きないか微妙なラインだが……まあいいや。
里香は涙をポトポト床に落とし、立てた膝を内股気味にして空手部エースらしからぬなんとも無防備な体勢。
ふん、まったくいい気味だ。てか日ごろのことを考えるとこれでもまだ借金残るけどな。
……でも。
でもまあ、これも一応言っておくか。
「あとお前ハンオタのことだけど、別に俺それで失望してねーから」
「うああああ……え?」
途端、里香は泣き止んでキョトンとこちらを向く。
「まあ確かに最初お前は俺を小馬鹿にするために言ったのかもしれないけど、それは正直自分の中ではイラっとする気持ちと同時に、まさに合った言葉だと思った。だから余計イラついたんだが。
あと別にお前がハンオタだろうがそれを隠してようが俺には関係ない。別にこんなことで付き合いが変わりゃしねーよ。俺とお前は年一緒、家が隣で幼、小、中、高同じっつう呪われてるくらいの腐れ縁なんだからな。それに何より――」
『当たり前っしょ。朝も言ったけど健児はラノベだけが好きなハンオタなんだから』
「一昨日の帰りお前が俺を犯人じゃないって言った理由が、俺がラノベだけが好きなハンオタだったからって。あんときハンオタって言われて、クラスの奴ら、担任が信じてないのにお前はそう言って……なんつうか、うれしかった」
「…………」
俺が言い終えると、里香はボーっと、俺の方を見てるようでどこか違う世界に行っていた。
「里香?」
「…………」
「おい里香!」
「え……? あ、はい、了解」
本当かよ。
……まあ、いいか。
「そんな感じだから、そこらへんのとこ勘違いせずにこれからもよろしく」
と言ってポンと里香の肩をたたくと、里香はビクンと震えて俺から遠ざかった。
「…………」
「い、いや、今のは健児のことが嫌だったとかそういうんじゃなくて、ちょっとドキっとしちまったというか……あ、あわわ、悪い!」
と言って里香は後退を始め――
――ドテ、ドン!
ベッドの脇に足を引っ掛けて腰をベッドに落とし、頭をベッドの横幅を追い越して反対側の脇がつけられた壁に打ちつけた。
いや、ここまでデジャヴにせんでも。