さんの3
「あー食った食ったー」
俺が里香の誘いを全力で断ってから食卓は進み、俺と里香は食後の余韻に浸っていた。
おばさんは俺たちの食器をまとめて持って行って洗浄中。さすがにそれくらいはできると言ったんだが、
「里香の話し相手になってくれたほうがおばさんうれしいわ~。昨日の夜みゆきさんが旅に出ることを聞いたら里香飛び上がって喜んでたし~」
と言われて座ったままということだ。
あ、忘れているかも知れないが「みゆきさん」はうちのお袋のペンネーム宮田みゆきを指す。
おばさんは根っからの宮田みゆきのファンで、お袋の執筆活動のためならといつもできる限りの助力をしてくれる。
「ふーあっちー! オニオンスープ熱いうちに一気に飲み過ぎた」
隣に座る里香はそう言うとジャージの上を脱いで水色のタンクトップ姿になった。
「…………」
一応ここに男がいるんですけどね。まあ昔からそうだからいいんですけどね。
すると同時に腕の大アザも露わとなった。
まあ当然昨日の今日で消えるわけもなく、よく今日から練習に出たものである。
するとまだ暑かったのかタンクトップをつまんでパタパタと空気を入れ替え始めたため、俺が気を使ってよそを向くと。
「あ、そうだ。健児、聞きたいことがあんだけどさ」
本人は俺の行為に気付かぬままこちらに話を振ってきた。
「はあ。なんだよ、和室で剣道はやらないぞ」
里香のズボラに若干イラっとしながらそう答えると。
「あっはー今のは違う違う」
ピカイチの笑顔で否定する。……あーっもー不完全燃焼!
てかさりげなく『今のは』って、この後話振る可能性あるんかい!
という突っ込みも笑顔にかき消されたやるせなさに悶えていると、里香はその笑顔を少し真面目の顔に変化させて言った。
「フィギュアの件だよフィギュアの。何かあった?」
あーそうか。
俺の中ではそれはもう今日の朝に完結していて、しかも栗原が壊れたこともあり、はたまたお袋が旅に出たのもあってすっかり忘れていたが、そういえば里香に事の顛末を知せていなかった。
しかしなあ。正直に言ったら栗原の趣味がばれるし、里香は黙っていることは出来るけど、もし誰かに聞かれたりもしたら嘘がつけないから口外しちまう危険があるし……。
よし、しらばっくれよ。
「何かあったって、何が?」
「何がじゃないよ! 何かあったんでしょ」
「ぬお!」
里香の顔が急激に俺の顔に近付いた。
く、くそう里香の好奇心!
本当こいつのは一度噛みつくと離れないすっぽん並みなんだよなあ。
「…………?」
跳ねあがる心拍数をこらえながらとりあえず無言で首をかしげると。
「あーもう! 絶対何かあったよ!」
そう言って里香は両手で頭を力いっぱい挟んだ。
うーん、やはりこのままで逃げ切るのは無理そうだな。
もういっそフィギュアの件自体覚えてない記憶喪失設定にするかと思い始めていた俺だったが。
「だって昼休みにいきなり風紀の委員長と生徒会長、副委員長の三人が教室まで来たと思ったら生徒会長から『今回のあなたの行為は少々強引でしたが、無罪の生徒を守ったあなたの行動を評価し、今回の件は大目に見ることにします。しかし次回からはくれぐれも責任を持った行動で職務に当たってください』って言われてわけ分かんないまま去って行っちゃったんだよ? これ健児絶対なんかしたでしょ?」
里香はイライラもろとも吐き出すかのように今日起きたことを全て話した。
……あ、なるほどそういうことか。
だから今日の昼休みは栗原いなかったんだな。あの時はいないことが逆に何か企んでるんじゃないかとかいう恐怖に繋がってたけど。
帰りのホームルームでは何もなかったし、ということは栗原の奴、隠しながらうまく俺や里香の問題解決に成功したんだな。おー、それはよかった。
「聞いてんの健児!!」
「うおおおお!」
里香が耳元ででかい声で俺の耳がキーン。
一つの大きな問題が解決しただけでこの状況は決着していない。
まあでもそういうことなら知らないふりで簡単に終われるだろう。
「……何も……ないぞ……と思う」
あかーん! 最後の最後で詰め甘い俺ー! 動揺しすぎだ。
「……本当に?」
案の定里香がジト目。
……ええーいこうなりゃ勢いで逃げるぞ!
「な、何もやってねーよ! メシごっそさん。じゃあ俺そろそろ帰るわ」
言って逃走しようとした俺を。
「あ、ちょっと待って~」
と、おばさんは止めた。
「せっかくだから~お風呂入っていけば~? ご飯食べて汗かいたでしょ~?」
「え?」
いやいやいや。
別にそこまで気を遣ってもらわなくても家は隣だし、それに替えの服も持っていない。
俺が断ろうとすると。
「というかね~、みゆきさんから健児君の替えの服を受け取ってるのよね~」
と、おばさん。
「…………」
してまた。
「あ~それとね~。歯ブラシとかも一緒に受け取ってるから多分うちで泊まっていけっていうことなのよね~。まあうちは全然構わないわよ~? いろいろうるさいうちのお父さんも当分帰ってこないし~」
と、おばさん。
「…………」
『――今日から食事三食香ちゃん家でお世話になってね』
お袋のあのメール……食事三食ってもしかして生活しろってことか!?
お袋てめえ! 遠慮を知れよ!! 恥かいたわ!!!
そしてそこまで準備してたならまず先に俺に言え! そして生活費を置いていゆけ!
かくして、今日という困難の一日は西条家に泊まるという形でようやく終わりを告げたのだった(正確にはこの後里香からの疑いや和室で剣道からひたすら逃げ回ったのだが、ただ逃げ回るだけの不毛なものだったので略)。
……だが。
その日は、終わったのだが。
それは日付が変わって翌日午前一時。
「……行こう」
俺はおばさんから借りた部屋でそれまでぐっすり寝ていたのだが、なぜか急にトイレに行きたくなって目が覚めた。
あーあとあくびをしながら廊下に出て、里香からの逃げ回りからの後遺症か首やら肩やらなんか重いなーと思いながらトイレを目指していると、俺は電気代とか気を遣って電気をつけずに廊下を歩いていたのに、なぜか先の壁の一部に明るく白い蛍光灯の光が当たっているのが見えた。
気になった俺がその光の根源を探ってみると……。
「……里香の部屋からだ」
そしてどうもそれは里奈の部屋の扉の下の隙間から洩れていることが判明。
少なくとも約二年前までは早寝だったのに何やってんだあいつは。
そう思い。
「え、里香起きてるのか?」
幼なじみの変化に驚きを感じた俺は扉の前でそう言った。
すると。
「え、健児!? え、あ、ちょってあッ……」
――ドン!
そんな声とともに何か重い音。
「おい里香? 開けるぞ」
少し心配になった俺が扉を開けてみると、部屋中央には里香が腰を床に付け、足を部屋左端のベッドに乗せた姿でいた。
まあ見るからにベッドから落ちたことが分かった。さっきの音もこれだろう。
何やってんだと俺が里香に手を差し伸べようとした時――
『――見せてあげるわ。新しい服装変更を』
「え?」
右側から聞こえたその声に俺は耳を疑った。
知っている。俺は知っている。
いや、声は知らない。誰だよ?
でも、その声が発した単語は知っている。
「だ、だめ! 見ないで!!」
里香のそんな叫びに似た声が聞こえたが、俺はもう自分自身を止められなかった。
部屋右端に置かれた小型プラズマテレビに、それは何やら服装を変えているようで胴体に白い靄がかかっていたが、それでも顔はきれいに映し出されていた。
「黄色の髪、水色の瞳……」
目の前に、動くリシアがいた。