9話
暗転。目を開けると、少し遠くに関所のようなものが見えた。
魏の国、都である烙陽の門である。
周りを見渡すと、小さな村を見つける。
「アリス、まずはあそこ行くぞ」
「え、どうして?」
「服。これはさすがに目立つからな」
獅子怒の返しに、納得の声を出した。
魏の国民の服装と華宮学園の制服は似ても似つかない。
ただ、制服を脱ぐのも躊躇われる。〈アイラギ〉製の服だ。その辺の鎧よりも断然防御力が高い。
そのため、獅子怒とアリスは、首元まですっぽりと覆える服を選び、それを購入。それを制服の上から素早く着終えると、今度こそ烙陽へと向かった。
「なんかごわごわするけど、さすが〈アイラギ〉製だね。全然暑くない」
「ああ。どんな製法してんだか」
少し着心地の悪さを感じながらも、我慢して歩いていく二人。
烙陽の門前で、門兵に引き止められる。
「ここから先は通行証が必要だ。無いなら引き返せ」
槍を構え、二人で交差させるようにして行く手を阻む。
それを見て、アリスが戸惑いの表情で獅子怒へと視線を向けると、獅子怒は笑顔を浮かべていた。
「仕事を頑張ってるお兄さん方にお土産。通してくれない?」
獅子怒は巾着袋から金貨を何枚か取り出し、二人の門兵に握らせる。
「……仕方ないな。上には内緒だぞ」
「わかってますよ」
「騒ぎも起こさないでくれ」
そういうと、門兵の二人が同時に道を開けてくれる。
「あんなのでいいのかな……?」
門兵の間を通り過ぎ、アリスが呟きながら獅子怒を見上げる。
獅子怒は、門兵に見えないように舌を出してバカにしていた。
「時代遅れの国も大変だねぇ」
獅子怒がつぶやき、アリスが苦笑いを浮かべた。
烙陽の町を、宿屋探しと偵察を合わせて練り歩く。
〈チェシア〉という国自体、多種族の国のためか、特徴的な人も多い。都である分、その割合がさらに高くなっているようでもある。
さらに、流石都といったところか、どの街路も活気で溢れ、いろいろな声が飛び交っている。
「さあさ! 今日のイチオシはコイツだ!」
「そこの兄ちゃん、丈夫な武器はいらねえかい?」
「今日仕入れてきた馬だよ! 売り切れごめんだぜ!」
「ちょっと値は張るが、兵法書なんてどうだい!?」
集客のためか、荒げた声はもう怒号にしか聞こえず、その怒号も伝播していく。
「なんか、すごいね」
その空気に圧倒されたのか、アリスが獅子怒の袖を小さくつかみ、周りをきょろきょろと見回している。
「なんかあれだな。今を生きてる、って感じか?」
「あ、なんとなくわかるかも」
獅子怒の言葉に、アリスが同意する。
「そこのお二人さん、かんざしなんてどうだい?」
獅子怒とアリスが歩いていると、背中に木箱を背負った若い女性が引き止めた。
緑色の髪と整った顔立ちをしており、とても目立つ人物だ。
「ほら、これなんてお嬢ちゃんに似合うと思うよ」
その女性は背中の木箱から、数本のかんざしを取り出し、そのうちの一本をアリスに差し出す。
「あ、きれい」
差し出されたかんざしを受け取り、アリスが感嘆の声を漏らす。
「お兄さんもどうだい?」
「は?」
突然話を振られ、素っ頓狂な声を出す。
「別に男用のかんざしだってあるんだよ。ほら、周りを見てみな。結構いるだろ?」
「……ああ、まぁ確かに」
改めて見回してみると、確かに男性でもかんざしを挿している人がいくらかいる。
「どうだい?」
もう一度聞かれ、返答に困ってしまう。
「いや、買いたいんですが」
「宿かい? それなら、二本で泊めてあげるよ?」
「……いい商売するね。じゃ、4本で3日泊めてよ」
「ははは! あんたも言うね。うん、気に入ったよ。ついてきな。うちに泊めてあげる」
そういうと、その女性は獅子怒とアリスの背中を叩き、歩き始めた。
女性に連れられ、その家への道中、話が絶えることがない。
「あたしの名前は蝶羨チョウセンだよ。あんたたちは?」
「百獣獅子怒です」
「東雲アリスです」
「おや、あんたたち〈ヒノモト〉出身かい? 母国は大丈夫なの?」
「ま、信頼できる人が大勢いますからね。1年は持ちますよ」
「あははは! いいね、そういう信頼、あたし大好きだよ!」
「それで、蝶羨さんは烙陽でかんざしを売ってるんですか?」
「いいや。あたしはね、この〈チェシア〉を歩き回ってる行商人なんだ。出身はこの烙陽なんだけど、今日はちょうど〈チェシア〉を一周して帰ってきたところさ」
「へぇ。だったら、この国について詳しいんですか?」
「その辺の奴よりかはね。今、特に珍しいことと言えば、そうだねぇ、あれかな。エルフとアマゾネスの族長同士が密会してたって噂があるね」
「密会、ですか」
「そう。だけど確証はないし、あくまでも噂だからね。こんな情報、誰も信じやしないよ」
「そうかもしれませんね」
数分歩き、少しずつ烙陽の中心へと入っていく。
貴族などの位の高い者ほど、中心にある烙陽城に近い場所に家を持っている。
だが、蝶羨はその貴族たちの住む区画の一歩手前の家で立ち止まった。
「さあ、ここがあたしの家さ」
蝶羨の家は貴族たちほどではないにしても、それなりに立派な家だった。
「あたしの父さんが、昔天皇様に仕えてたんだ。その名残さ」
玄関を開けながら、蝶羨がいう。
「さ、遠慮せずお上がり。それと、一番似合うかんざしを選んであげるよ」
蝶羨の家は、貴族たちの家と遜色ないほどの大きさをしていた。
その大きさから、彼女の父親が本当に身分の高ったことを物語っていた。
「父さん、帰ったよ!」
蝶羨が玄関口で声を張り上げると、奥の部屋から初老の男性が一人出てきた。
「おお、蝶羨。無事で何よりだ」
「このくらいいつも通りさ」
お互いに抱擁を交わす二人。
「それで、後ろのお二人は?」
「ああ、宿を探してたんで、連れてきたんだ。かんざしも4本買ってくれるってね」
蝶羨が、獅子怒とアリスに振り返り、軽く紹介してくれる。
「そうか。私は蝶羨の父親の王几と申す。よろしく」
「よろしく」
「よろしくお願いします」
順番に握手を交わすと、先に上がっていた蝶羨が急かすように待っている。
「ほら、あいさつはそれなりに。あ、父さん、呂希いる?」
「ああ、いるぞ。呂希! お客さんだぞ!」
王几もまた、蝶羨に負けず劣らずの大声を出す。
すると、王几が出てきた扉の奥の方から、ドタドタと大きな音を立てながら駆けてくる少女がいた。
「母さん、お帰り!」
「ただいま、呂希」
呂希は蝶羨へと飛びつくと、力強く抱きしめる。
ひとしきり気が済むと、ゆっくりと離れる。そして、呂希は獅子怒たちへと視線を向ける。
「お客さんなんて珍しいね! ほら、案内してあげる!」
「え、ちょっと、待って待って」
いきなり腕を引かれ、慌てながら引っ張られていくアリス。
獅子怒も、アリスたちを追って家へと上がった。
☆
呂希の案内も済み、ようやくひと段落ついたところで、蝶羨が背中の木箱を外し、中のかんざしをすべて出す。
まずはアリスのかんざしから選んでもらうことになり、アリスは蝶羨と呂希の人形となっていた。
「そんな服よりも、こっちの方が似合うんじゃない?」
「うわ、二枚も着てたの? 暑くないの?」
「あ、ほら! この服あげるから、これつけてみて!」
「あ、あの……えっ、と」
「ほらほら、遠慮しないで! 服も脱いで脱いで!」
「え、待って……きゃああああああ!!」
「騒がしいねェ……」
アリスたちとは扉一枚隔てた場所にいるため、声が筒抜けである。
その部屋を眺めながら、獅子怒は苦笑いを浮かべる。
「まぁ、そういうでない。彼女らは楽しんでおるのだから」
「それもそうですね」
獅子怒は視線を前へと戻す。彼の前には、机を挟んで王几が座っている。
机の上には将棋盤があり、暇つぶしに二人で指しているのだ。
「お客さんは久しぶりでな。こんなに騒がしいのは、私としては嬉しいよ。3日と言わず、もっといてくれても構わんのだがね」
「はは。それは嬉しいですけど、俺たちにも目的がありましてね」
会話と将棋に意識を割きながらも、これからのことを考えていく獅子怒。
まずはどうにかして、烙陽城に侵入しなくてはならない。天皇は烙陽城にいるのだから。
だが、どうやって侵入するか、なのだが。その有効な策も思いつかない。
「何か悩んでいるのかな?」
「……わかりますか」
「人というものは、心がよく外に出てくる。ほれ、この将棋にだってな」
アリスたちの声を聴きながら、会話を続ける二人。
「何か必要なら言いなさい。私は協力するよ」
「あんまり周りを巻き込みたくはないんですが」
「いいや、お前さん方は巻き込まなければならん。まだまだ子供で、それに母国の危機に、このような国に来ているのだ。この国の民である私に、何か手伝わせてくれ」
「……なんでも見通してきますね。そんなにわかりやすいですか?」
「わかりやすいとも。お前さんは、お前さんのじいさんや父親によく似ておるからの」
王几の言葉に、顔を上げて目を見開く。
「じいちゃんまで知ってんのか?」
「知っておるさ。この歳だ。それなりに周りのことは、な」
「そうですか」
軽く笑った王几に、獅子怒も少しだけ笑うと、また視線を将棋盤へと戻す。
「私も、蝶羨の夫も、お前さんの父親には何度も助けられた。じいさんにも、同じくらいな」
「でも、じいちゃんは研究者だ、って聞いてますよ?」
「そうだな。じいさんの頭は狂っていたが」
「ああ、自分の息子に、失敗例しかない恐竜の中身を入れた、でしたっけ」
「だが、確信もあった」
「……無茶苦茶な覚悟」
「中身を制すには、その中身を従わせなければならない。中身が強力であればあるほど、難しさは跳ね上がる。世界にたった一人の、獅子を持つお前さんはどうだった?」
「記憶にない、ですねぇ。昔、いろいろとありすぎたようで」
「ま、ゆっくり思い出すのもいいだろう。お前さんは、私と違って先が長いからな」
将棋盤が混戦を始めたころ、アリスたちが入っていた部屋の扉が大きな音を立てて開いた。
「どうッ!?」
驚き、二人で扉へと視線を移すとそこには呂希が自慢顔でいた。
が、何の感想を聞かれているのかがわからない。
「呂希、どけなって」
蝶羨が横から呂希を押し退けると、その後ろには服を魏の民族衣装に替え、恥ずかしそうに立っているアリスがいた。
白色の生地に花の刺繍がされ、淡色の帯を巻いている。頭は、うなじあたりでかんざしを使って髪をまとめられている。
「変……じゃ、ないかな?」
頬を赤くしながら聞かれ、獅子怒は感心するように答える。
「変じゃないよ。よく似合ってる」
「ほ、本当に?」
繰り返し聞かれ、どう答えれば信じてくれるか考え、苦笑してしまう。
「大丈夫だってアリス! そんなこと、聞けば聞くほど嘘っぽくなるんだから、最初の感想で満足すればいいんだよ!」
そんなところに、呂希が助け舟を出してくれた。
「そ、そっか……。似合ってる……かぁ」
アリスは頬を赤く染めたまま、その言葉を繰り返しては頬に手を当てて嬉しそうにしている。
「さ、次はあんたよ。こっちおいで」
蝶羨に手招きされ、獅子怒は一旦王几との将棋をやめる。
アリスたちがいた部屋に、アリスと入れ替わるようにして入っていく。
「お兄さんは、どんな色が好み?」
並べたかんざしを眺めながら、呂希に聞かれる。
「普通に、男がつけてる奴でいいよ」
「ダメダメ。お兄さん、元がいいんだからもっと着飾ろうよ」
ファッションにはほとんど関心のない獅子怒には、難しい注文だった。
「あんたも服着替えるかい?」
「えー、と」
蝶羨に聞かれるが、返答を聞く前に服を脱がされていく。
「君も二枚着か。何、流行ってるの?」
「急いでただけですよ」
容赦なく服を剥ぎ取られていき、身に着けているものも取られていく。
「あ、お兄さんって強いの?」
呂希が、視線を天叢雲剣に向けて聞いてくる。
その問いに少し考えて答える。
「どうかな。ここに来る前に、夏交壁って奴なら一応、負けはしなかったよ」
「夏交壁?!」
「いや、あんた、それは嘘でしょ?」
呂希が驚いて声を上げ、蝶羨が疑いの眼差しを向けてくる。
「お兄さん! あとで手合せしてよ!」
呂希が目を輝かせながら頼んでくる。
「え? いや……」
いきなりの申し出に、戸惑ってしまう。
正直、この烙陽をもっと視察をしたいのだが。
「損はさせないって! これでも、あたし強いんだから!」
呂希の目には、有無を言わせない光が灯っていた。
「呂希、あんまり困らせるんじゃないよ」
「いいじゃん。父さん死んでから、全然鍛錬なんかできないんだもん」
「だからってねぇ……」
「いいよ、やろう」
「ホント!?」
獅子怒の承諾に、呂希が満面の笑顔を向けてくる。
「ああ。その代り、終わったらこの烙陽を案内してくれない?」
「それくらいお安い御用よ! 決まりね!」
呂希は飛び跳ねたり、回ったりしながら喜びを全身で表現している。
「ごめんね、呂希の願いなんか聞いてもらって」
蝶羨が申し訳なさそうに謝ってくる。
「いえいえ。これくらいならいつでも。ただ、蝶羨さんにも〈チェシア〉について、いろいろ聞かせてください」
「ああ、それくらい構わないさ」
呂希がひとしきり喜んで気が済んだのか、今は真面目な表情でかんざしを選んでいる。
一つ一つ吟味しながら、何事かをぶつぶつ言っている。
「あの、そこまで真剣に選ばなくても……」
あまりの真剣さに、こちらが申し訳なくなってしまう。それでも、呂希はこちらの言葉が聞こえていないのか無反応だ。
すべてのかんざしを吟味した後、一つため息を吐く呂希。
「どれもいまいちー……」
「喧嘩売ってんのかい?」
呂希の言葉に、蝶羨が青筋を浮かべた。どうやら、これらのかんざしは蝶羨の自作のようだ。
しかし、蝶羨の雰囲気はどこ吹く風。今度は、呂希は獅子怒の背後へと回る。
「うーん、くせ毛が激しいし、どうやってまとめるかもねぇ……」
「なんか、すみません……」
別に怒られているのではないのだが、とりあえず謝っておく獅子怒。
「そうだ! これがいい!」
そういって呂希が選んだのは、自分の髪につけていたかんざしだった。
それを躊躇いなく髪から引き抜く。呂希のまとめられていた髪が重力に従って垂れていく。
そして、それを片手に持ち、鼻歌交じりに獅子怒の髪を弄り回す。
獅子怒の髪をまとめるのに悪戦苦闘し、数分かけてようやくまとめあげられた。
「はい、できた!」
その声に蝶羨が反応し、獅子怒の着付けを一旦やめると、視線を顔へと向ける。
「おっ、なかなかいいじゃない」
笑みを浮かべ、そういってくれる。そして脇に置いてあった鏡を獅子怒に差し出す。
それを受け取り、自分でも確認してみる。
「へっへー、結構うまいもんでしょ」
「ははっ、かっこよくしてくれてありがと」
獅子怒のお礼に呂希も嬉しそうな表情をする。
「はい、こっちもできたよ」
それからあまり時間がかかることもなく、着付けもすぐに終わった。
「さ、せっかく着たんだから先に烙陽に出ておいで。呂希、それでいいよね?」
「うーん……ま、それくらいなら」
呂希からも了承を得て、手合せの前に烙陽の観光が先となった。
「アリス、先に烙陽の方に出るよ」
アリスと王几の居る部屋の扉を開けると、途中放棄した将棋をアリスが引き継いで打っていた。
獅子怒の声に、二人が振り返る。
「なかなかのもんだな」
「かっこいいね」
二人は獅子怒の恰好を眺め、それぞれの感想を口にした。
「ありがと」
獅子怒も笑顔でお礼を返し、玄関へと向かう。
その後を追って、アリスと呂希がついてくる。
ようやく、当初の目的であった烙陽の視察へと出向けることとなった。




