5話
その後、ネロは「これから会議があるんだ」と言い残し、寄り掛かっていた窓から外に落ち、そのまま去って行った。
彼はまだ何か不服そうだったが、聞く相手がいなくなったので諦めることにした。
海鯱も「私は奴の護衛があるが、ちゃんと帰りに私の家へ来るんだぞ」と釘を刺し、ネロと同じように窓から飛び降りて行った。
彼は流れ的にアリスと玄関まで一緒に帰る。
「じゃあ東雲さん、今日はありがと」
「アリスでいいよって言ったじゃん」
「俺が苗字で呼ばれてんのに、下の名前で呼ぶわけにはいかないよ」
「それはなんかずるい気がする。だって栢野君、下の名前わかんないもん」
そう言われ、彼は明るく笑う。
「ま、そんなことより。今日はありがと。また今度お礼させてもらうよ」
「別にいいよ。私は頼まれたことをしただけだもん。それに栢野君と歩けて楽しかったし」
アリスが少し赤くなりながら言ってくるが、彼はそんなことに全く気付かない。
そうして玄関まで来たところで彼は用事を思い出す。
「あ、そういやババ…学園長に呼ばれてたんだ」
「待っててあげようか?」
「いや、いいよ。暗くなるし、待たせるのも悪いから。先に帰ってくれたらいいよ」
それでも、「でも……」と食い下がるアリスをどうにか帰し、人気のなくなった校舎を一人、学園長室を目指す。
途中、何人かの女生徒に話しかけられたが適当に応対して切り抜けた。
そしてノックもなしに学園長室へ入る。
「ババア、何の用だよ。早く帰んねえとミコ姉に地獄見せられるんだけど」
入るなりいきなりそう言う彼。
対する学園長は、「そうか、なら長引かせてやらないとねえ」と予想通りの反応をしてくる。
「ま、冗談はさておき。学園生活一日目はどうだった?」
「まあ前の学校よりは良かったよ」
彼はまじめに答える。
前の学校では入学式早々に茶髪であることを理由に絡まれていた。
「この学園は〈生物型〉は多いからな。髪の色は個性として受け取ってくれるし、何より女子が多いから喧嘩しようという気にはなれねえよ」
そう言いながらソファに座り、机に置いてある菓子を食べ始める。
「で、お前は何に入るか決めたのか?」
学園長は朝と似た質問をしてくる。
「どこも入る気はねえよ。それに守護隊だって、ミコ姉がいりゃ充分なんじゃねえか」
「そうは言ってられんよ。〈アキレマ〉が戦闘態勢、他の学校も国の主導権狙って準備してるんだから」
学園長は真剣に言ってくる。
「は?主導権ってあとから奪えんの?それに持っとく必要あんの?」
「お前は本当に何も知らないねえ……」
呆れるように言ってくる。
「敗者は勝者の下につく、が大前提に来るからね。主導権はいつでも獲得可能さ。それに獲られても後から獲り返せば問題はない。しかし、無駄に国を乱す必要もないからな。いつもは同じ国の中で奪い合いはないのだが、ウチの学園は何かと恨みを買ってるようでね。どの学校も打倒華宮を掲げてんのさ。それに、主導権を持っとけば国を思い通りにできるだろう」
ため息を吐く学園長。その間に彼は机にあった菓子をすべて食べ終わっていた。
「私がお前を呼んだのは戦力になるからだ。どれかに入らないと退学にするぞ」
学園長は彼を脅しにかかる。しかし彼は全く動じない。
「確かに前の学校から誘ってくれたのは感謝してる。が、俺は知ってる。それが誰の差し金かをな」
そう返してくる彼に対し学園長は、ほう、と感嘆する。
「驚いたな。ばれぬようにとジジイから言われていたが、まさか見破ってくるとは」
そう言った学園長に対し彼は、ふうん、と少し笑うように返す。
「そっかそっか、やっぱり師匠だったか。いや、さっきの全部推測なんだけど、結構当たるもんなんだな」
「な!?クソガキ、鎌かけやがったな!」
と怒ってくる学園長に「まあまあ」と言いながら、戸棚を漁りだす。
「そんな怒んなって。どうせばれることだ。遅いか早いかの違いだろう?」
「まったく……」
また一つため息をつく。
「とにかく。どれに入るか考えとくんだよ」
「へーいへーい」
生返事をしながら、彼は戸棚から探し当てた菓子を食べながら退出していった。
「本当にどうしようもない子だね、親と同じで……。」
そう呟くが、誰が聞いているわけでもなく、ただ虚空に消えていく。
☆
彼が学園長室を出て玄関に行く途中、見覚えのある銀髪の女生徒を見つけた。今日はこれで3度目だ。
「……。いざ見つけるとどうしようか迷うもんだな」
彼は先輩達にあれだけ言われたため、どうするか考えてしまう。狼華はこちらに気付いたようだが、特に反応は見せない。
「仕方ない、行くか……」
そう呟き、意を決して彼は狼華に声をかける。
「大神さん、ですよね。今朝はありがとうございました」
とりあえず、本題のお礼から入っておくことにした。
「あら、律儀ね。お礼なんていいわよ。私だってついでだったし」
そう言ってくれる狼華。だが、今朝と何か感じが違う。
「いや、お礼だけはと思ってさ……。それより、右足大丈夫ですか?」
彼は先程狼華が歩いているところを見たとき、違和感を覚えていたが、近くに来るにつれ、その正体がわかった。
「その傷、結構深いですよ?包帯してるけど、治療するなら早くしないと。保健室行きましょう」
そう言い、彼は狼華の手を取ろうとするが、叩き落とされる。
「いらないわ。こんなのあたしにとっては軽傷だもの。それに……」
狼華はそこで間を取る。
「私と仲良くしてたらいじめられるわよ?あなた転校生でしょ?灰色の青春時代を送りたいの?」
そう言ってくる。
彼はその言葉にため息をつき、頭を掻きながら言う。
「そう言われても気になるんですよ。あんたが良くても俺はよくない。とりあえず応急手当だけでもしないと傷が残ります。女性としてそれはどうかと思うので」
それでも拒み続ける狼華に業を煮やし、「いいから!」と強引に手を取り保健室に連れて行く。
保健室につくと、保険医の先生は治療道具を彼に渡し、用事があるから、と保健室を出て行った。
「あなた、私の噂を聞いたことがないの?私といると不幸しか起きないわよ。先生も私といることを嫌って出て行ったんだし」
「お生憎様、俺はそういったものを信じるほど純粋じゃないんでね。」
そう言いながら、彼は椅子に座らせた狼華の足の治療を始める。
「包帯とりますよ。雑に巻きすぎて逆に悪いんで」
「あなたの学園生活終了のお知らせね」
まだ言ってくるが、動いてはこないのでそのまま続ける。
足の傷は鋭利な切り傷だった。
「これ、昼休みの決闘……の後にやられた傷でしょ。他にもいろんなところに傷があるし、どういう戦い方してんですか」
「あら、昼休み見られてたの。それにあなたは服の下まで見えるの?だったら私の下着の色あててみてよ」
「黒」
「残念ね、今日は白よ」
などと、男女でする会話じゃないようなことを話し合う二人。
そうして傷の治療を終える。
「かなり上手にできるわね。何度もやったことがあるの?」
「ああ、自分のだけどね。大体の傷の治療の仕方は自分の体で理解した」
少し誇って言っているが、実際には何も誇れないことである。
「それより、これまであんたどんな嘘をついてきたんだ?」
その言葉に少し驚く狼華。
「へえ、何も知らずに近づいてくるなんてほんと馬鹿ね」
そう言い、少し思い出すようにして言う。
「別に大した嘘じゃないわよ。ただ、それが小学校以前からずっと続いてるから、一つ一つが小さくても積み重なって、今じゃ誰もがつくような嘘でも大事に捉えられるだけ」
「それでいじめか。でも高校になりゃ、小学校のこと知ってる奴なんてほとんどいなくなるだろ?」
「私の場合、噂が広がり過ぎてたぶん他国の人でも知ってるわよ」
そんなにか、と彼は呟く。
「この学園でも話してくる相手全員に嘘ついたからね。簡単に嫌ってくれたわよ」
「嫌にならないのか?嘘をやめようとか、思わないの?」
「そうね、でも小学校からずっとよ?あたし、慣れちゃってるし。それに、私は息を吸うように嘘をつく、生きるために嘘をつく。そういう体質なのよ」
「中身、か」
「ええ、その通りよ。嘘をつく動物なんて世界中探してもたった一匹よ」
「オオカミ、ねえ」
何度か頷き、納得する。
「物語じゃ、いつだって悪者。豚に煮られるし、通りすがりの狩人に撃たれるし、腹に石を詰められるしね。ちっさい頃は呪ったわよ、中身を、親を、そして何より私自身を」
鬼気迫る勢いで言ってきた狼華に少し怯む彼。
「でも、今じゃどうしようもないことぐらい理解したからね。私の評判が悪くなっても、家と縁を切られてるから関係ないし。跡継ぎは妹で私じゃない」
何でもないように言ってくる狼華に、彼は何かを言おうとするがうまく気持ちを言葉にできない。
そうして沈黙の時間が流れ、足の処置も終わったところで狼華が口を開いた。
「あなたはどうなの、シド? 両親には会えた?」
「ああ、親とは6歳の時に会えたよ。……って、え?」
狼華の言葉に懐かしい響きと、強い違和感を覚え、顔をあげて狼華を見ようとする。
しかし、その時にはもう狼華の姿はなくなっており、開かれた窓から入る風でカーテンが踊っているだけだった。
「……ロウ?」
頭にいきなり浮かんだ言葉を呟いてみても、誰も返事をするはずもなくて。
ただ、虚空へと消えていった。
「……」
そのまま少し固まっていた彼だが、「みんな、ちゃんとドア使おうぜ……」と呟き、保健室を後にした。
☆
治療道具を保険医の先生に返し、昇降口に行く。
「――あれ? 東雲さん、どうしたの?」
玄関を出ると、アリスが一人誰かを待ってるように立っていた。
「あ、栢野君。用事終わったの?」
「……もしかして待ってた?」
そういうと、少し照れるようにして頷いてくる。
「帰ってていいって言ったと思うけど」
「あ、ううん。これは私の勝手だし。……迷惑だった?」
恐る恐る聞いてくるアリス。
その問いかけに、彼はため息をつき、少し笑って言う。
「いいや、うれしいよ。それだと俺の方こそゴメン。長くなっちゃったし」
「だから私の勝手って言ったじゃん。謝るなら私の方だよ」
いやいや、とお互いに謝りあうが、何度かしているうちに可笑しくなり笑い合う。
「とりあえず帰ろうか」
「そうだね。暗くなっちゃうし」
現在時刻6時過ぎ。部活動も片づけに入っている。それ以外の生徒はもういない。
帰る途中、ずっと他愛のない話を続けていた。彼の家はアリスの家の方向とは違うが、海鯱に呼ばれているため、アリスの家と同じ方向になった。
〈月宮〉と書かれた表札の前で彼は立ち止まる。アリスも立ち止まるが、その家の広大さに驚いている。
海鯱の家は和風と洋風の家を二つくっつけたような造りであり、和風の方は祖父母の居住区だ。かなり広大な敷地面積を誇り、庭も大きいが、これは裏と表の権力の象徴と言える。
「じゃ、俺はここの家に寄るから。今日はどうもありがとうございました」
「いえいえどういたしまして。また困ったことがあったらいつでも頼んでね」
そう言い、手を振りながら帰っていくアリスを見送る。