5話
武蔵。本名は立華武蔵。大罪家、断花の分家である。
大罪家には数多くの分家はあるが、そのほとんどが本家とは縁を断ち切っている。
しかし、立華家は例外だ。本家とのつながりが強く、なのに必要以上に接触しない。
本家は裏を支配し、分家は表で活躍する。そうして、本家の断絶の危機には分家が手助けをする。そうやって裏家は今まで保ってきた。
立華家は、表では数十年前まで成り上がりの七神柱の一柱である大神家を担っていた。それほどまでに、力のあった家だった。
だが、その栄光も本家である断花家の断絶の危機で一瞬にして没落した。断花家現当主、断花霊弐が幼くして当主となったため、分家の傀儡となったのだ。そのせいで、表で一番力のあった分家である立華家にまで被害が及んだ。
そんな断花家ではあったが、霊弐が15歳を迎えたころ、事件は起きた。
物事を理解し、その本質すら見抜き、人を魅了していく技を覚え、実に聡明に育った霊弐。彼は、自分で傀儡としての人生に終止符を打った。
口出しをしてきた全ての分家を、容赦なく殺戮した。
彼の初めての殺しであり、それゆえに加減を知らなかった。近づく者をことごとく排除し、自分一人で裏家を回し始めたのだ。
彼女、立華武蔵という人物は明るく、陽気な性格である。誰にも平等に接する、そういわれ続けている。しかし、彼女の本質はそんなものではない。
権力者も御曹司も庶民も、能力者も一般人も、男も女も馬鹿も天才も子供も大人も老人も、そのすべてを平等として見てきた。その結果、彼女がどうなってしまったのか。
『つまんない』
その一言に尽きた。
彼女は口癖のように、しかし決して人に聞かれるこのないように、ずっと呟き続けた。
『世界は灰色だ』『人間は人間でしかない』『区別なんてつける必要ない』
そんなことばかり考えて生きてきたのだ。
彼女は、ただ異常を探していたのだ。日常から逸脱した非日常。世界を180度ひっくり返して感じられる体験を。
それゆえにとった行動が、裏家への介入。
しかし、両親は決してその行為を許してはくれなかった。当然だ、霊弐に殺されてしまうのだから。
諦めきれない思いではあったが、そんなときにある人物に出会った。
代継大利。頭のイカレた研究者。
だが、武蔵は彼の研究にときめいた。神を発現させ、神話時代の再来。そんな夢物語に、あこがれた。その日から彼の研究を手伝い始めた。ほぼ完成していた大利の研究に手を加え、実体のない神を中身のように人を器として発現できるようにしたのは武蔵の尽力によるところも大きい。
だが、そんな中で実体のない神が、同じように研究を手伝っていた人物を器として入り込み、そして逃げられた。
大利はかなり悔しがっていたようだったが、武蔵はそこまで悔しがりはしなかった。むしろ喜んだ。自分の考えた、人を器にするということが結果的には成功したのだから。
大利の創り出した人工神のうち、特にお気に入りだったのはゼウスだ。
ゼウスはとても気さくな性格のくせに、誰かを器にしようとはしなかった。いや、できなかったのだろう。
武蔵はゼウスの器になれるような人物を探していたが、一向に見つからなかった。
他の人工神たちは特に好き嫌いもなく、どんな人物でも器として受け入れた。だが、ゼウスだけは決して器を受け入れられなかった。
途方に暮れていたある日、ゼウスが脱走した。
彼女は必死に探し回ったが、実体のない人工神を見つけることなど不可能で、これにはとてもショックを受けた。
それでも研究は進み、ひと段落つこうかという時期に。
彼が、来た。
建野大和。能力者になれない、不遇な一族。
初めて大和が中央管理局を訪れた時は、なぜこんな奴にゼウスが憑いたのかさっぱり理解できなかった。その日に彼女と大和が直接会うことは無かったが、それでも興奮した大利の話を聞いて、ようやく理解できた。
つまり、ゼウスは能力が高すぎる故、能力のない者を選んだのだ、と。
そしてさらに詳しく話を聞いていると、一般人のくせに鷹藤に通っているという。このご時世、学力よりも能力の方がものをいうのに、帝都の代表校である鷹藤に入学しているのだ。
そして、武蔵の興味はゼウスから次第に大和へと移っていった。
ゼウスを返してもらったあとも、何かにつけて大利から大和について聞きだし、少しずつ話してくれるようになったゼウスからも教えてもらい、そして行動に移した。
もっと近くで見たい、感じたい。
その一心で、前の学園から鷹藤へと転校した。
大利からの援助もあり、転校生にも関わらず副会長という地位も手に入れた。大利からは、大和を監視し、学園全体を観察しろと言われていた。
武蔵は逆らうことなく、むしろ大和に近づく口実として喜んで従った。
最初は遠目から観察していたが、彼だけは他とは違った。一般人として鷹藤に入ったからには、周りからの目はきついものがある。なのに、彼はそれを一切気にした風はない。しかもそれに流されてすらいた。
なのに、なのになのになのに。
彼女はいつしか心が惹かれていた。大和という人物だけ、彼女の目には色があった。
世界は灰色に変わりない。人間は人間でしかない。区別なんかつけられない。だけど、大和という、彼の存在だけに色がついていた。大和は大和だった。他の人とは違うと思った。
初めての感情に戸惑い、驚いてはいたが、それでも好奇心が勝った。
どう接近しようかぐだぐだ考えていたが、それすらばからしくなった。
直球勝負、駆け引きせず、考えなんか至らない。
「だーれだ?」
「……えっ!? いや、え?! 誰ッ!?!?」
目隠しから始まった彼らの出会いは、周りからしてみれば異質でしかない。
武蔵は、いくら没落していようがもとは大神を名乗った立華家。さらに学年が一つ上であり、人気者で部活に入っている。対して、何の取り柄のない建野大和。あるとすれば、能力に見放されたということぐらい。
武蔵は大和を見つけるたびに、コミュニケーションとして目隠しをしていた。彼女にとって、大和を見つけることなど容易だった。どこにいても、灰色の世界に色を持つ人物が、たった一人歩いているのだから。
今では、なぜ心が惹かれたのか理解できない。場に流されていたのだって、今思えば当然のことだろう。下は上に逆らえない。力だけの世界ではないのだから。
それでも、武蔵は深く考えない。
私は大和に惹かれている。灰色の世界にある、たった一つの極彩色。それだけで構わなかった。
だから、言ったこともある。
「大和、大好き」
「僕はそうでもない」
冗談の言い合いの中でのことだったので、真剣に受け止めてはいなかっただろう。だけど、少しだけ顔を赤くした大和を見れば、それだけで十分だった。
大和については知り尽くしている。そう豪語する彼女は当然、獅子怒たちとの関係も知っていた。その経験が、彼を縛り付けているのだろうとも予測している。
間違ってはいない。大和にはさすがに直接聞けないが、それでも確信めいたものがった。
そんな彼を見ていて、武蔵はどうにかしようとあれこれ考えた。大利や、数多い友達にも訊いて回った。結果として、彼女は一つの作戦を行った。
「ねぇ大和、今度の大会で優勝したら私の言うこと一つ、何でもきいてよね」
「はぁ? なんで? 大体、そのお願いは男の方からするもんだろ」
過剰なスキンシップとも取れる行為をしていた成果だろう、最近では大和はくだけた発言や冗談をよく言ってくるようになった。
「別に女がしたって構わないでしょ。どうなのよ?」
「はいはい、優勝できればね。擬獣化すらできない武蔵に、能力者の集まる大会で勝てるならね」
「ふふん、そんなこと言ってられるのも今のうちよ! 絶対後悔させてやるからね! 練習しときなさい!」
「うわー、後悔したー。なんで武蔵とそんな約束したんだろー」
「棒読みすぎる! 感情込めてもう一回!」
「え、なんでマジで練習しだすの? ていうか、武蔵はそれでいいの?」
「構わないわよ? 重要なのは、なんでもひとつ、いうことを聞くってだけだからね」
「お、お手柔らかに……」
別に優勝できる自信があるわけではない。むしろ無理だと思っている。
それでも、何か適当に理由をつけて言うことを聞かす気だ。女に頼まれて拒む男はいない。そんな打算的な考えもある。
「あ、そうだ。これだと僕だけ条件があるからさ、フェアに行こうぜ?」
「ほっほう、どんな条件でも飲んで差し上げましょう」
「組で最下位だったら、僕は一週間ほど武蔵を無視する」
「いいでしょういいで――無理! そんなの飲めません!」
「さっきいいって言ったー。言いましたー。撤回はありえませんー」
「いーやーだー! しかも全然フェアじゃないし! 私の方が難易度高いじゃん! 最高ランクじゃん!」
「自分で言ったんだろ。責任持てよ。僕のだって、別にそこまで難しいことじゃないじゃん」
「条件変えろー! 大和のおばあちゃんに言いつけるぞー!」
「え、それは勘弁。いや、でも他の条件ってのもなぁ……」
「ひっく……、うう、うわーん!」
「女子を泣かせてしまった!?」
子供のようなやり取りをするたびに、武蔵の目に色が映る。それは大和から離れることはないけれど、それでも世界を鮮やかに見ることができた。
だから、武蔵は成長しない。いや、成長したからこそ、停滞を選んだ。
この極彩色を、いつまでも見ていられるように。




