2話
「――迷った……?」
彼は大通りの真ん中で、携帯の地図とにらめっこしていた。
「おっかしーな、家からは単純な経路だって言ってたのに……」
などとつぶやきながら、とりあえず辺りを見回す。
時刻は7時50分。早く家を出たのがよく、登校時間にはまだまだ余裕がある。
「とりあえず、誰かに聞いてみるかな……」
もう一度辺りを見回してみるが、住宅地が近くにないからか、車が通り過ぎるだけで、人影が見当たらない。
と、そこに1人の女子学生が角を曲がってくるのを見つけた。
「あの人に聞くしかないかー……」
さらに辺りを見回すが人影は女子学生しか見当たらない。
彼は大きなため息を一つつき、女子学生に声をかける。
「あの、すみません」
女子学生に近づく。曲がってきた時から気付いていてくれたようで、問いかけに応じてくれた。
「どうかしましたか?」
「華宮学園へ行きたいんですけど、道に迷って……。」
少し引きつった笑顔で尋ねる。
それも仕方ない。なぜなら彼はこれまで妹以外の女性とあまり会話をしたことがなく、目立つのが嫌いだ。そして彼女は銀髪の少女である。いや、この世界で髪の色が黒でないことは珍しくはないが、それでも目立つのには変わりない。
「華宮学園ですか?そこなら私が通っていますので、一緒に行きますか?」
「……え?あ、いえ、道を教えてくれたらたぶん行けますので大丈夫です!」
などと一気に断るあたりがヘタレである。
「でも、結構複雑ですよ?ここからだと。口で説明するのも難しいですし」
彼は真剣に考え込んでしまう。女性と歩くなど知り合いでもなければできるわけがない。かといって、一緒に行かなければ道に迷ってしまう。
「……じゃあ、お言葉に甘えて……」
仕方なく、弱々しく承諾するしかないのだった。
「とりあえず自己紹介ね。私は大神狼華。あなたは?」
「栢野です……」
☆
学園への道は、複雑と言われた割に案外簡単だった。
時刻は8時20分。家からならもっと早かったが、道を逆方向に行っていたため、余計に時間がかかった。
「じゃ、私は教室行くから。また会ったらよろしくねー」
狼華はそのまま校舎へと駆けて入っていく。
一人残された彼。
「職員室までってのはさすがに甘え過ぎか」
そうして校舎へと入っていく。
華宮学園は、今のこの国の舵取りを行っている学校。というのも、今のこの国では大人よりも学生の方が超能力スキルによる力が圧倒的に強い。他国に対抗するための手段として、一年に一度行われる帝を中心とした国家首脳の協議によって戦闘力、政治力など、あらゆる方面で高い成績の学校に国の政治を任している。
大人にとってはかなり不本意なことではあるが、他国と渡り合うための手段として仕方なく行っていることだ。
そしてその学校の生徒会は政治を中心的に行い、ほとんどの学校にある守護隊ガーディアンという機関が軍事を中心的に行う。
だが、それでも華宮学園は他の学校とは少し違うのか、目につく学生はほとんどが女子。そのため多くの好奇心の満ちた目で見られる。
(あーもう、あんま見てくんなよ!)
心で思っても伝わるはずがないので、駆け足で職員室を探す。
校内見取り図を持っていたためすぐに見つけられたが、すれ違う学生からずっと見られていた。もちろん校舎の中も女子ばかり。
(なんだよ、そんなに男子が珍しいか? 共学のはずだろ?)
そして気付く。いままで、男子にすれ違うどころか見てもいない。
(……まぁいいか。詳しいことはババアに聞くとしよう)
そうして職員室の扉を開けて入る。
すると感じの良さそうな女教師がすぐに気付いてくれ、近寄ってきた。
「あ、今日転入してきた栢野君?」
喋り方のリズムも独特な感じだ。
「はい、そうです」
「それなら学園長がまずは自分の所に来るようにって。学園長室はこの隣だから、とりあえずついて来てくれる?」
そういって職員室を後にする女教師。彼もそれについていく。
まずはノックをする。
「学園長、栢野君を連れてきました」
そして扉を開け中に入る。彼も一緒に「失礼します」と言い、中に入る。
学園長は椅子に座ったまま、待ってましたと言わんばかりの笑みで迎えた。
「よく来たな、クソガキ。道に迷わず来れたかい?」
「あっはっは。うまく道に迷って来てやりましたよ、クソババア」
会うなり互いに笑いながら悪口を言い合う。
女教師はその光景に戸惑っている。
「え、えっと、学園長は栢野君と知り合いなんですか?」
「ああ、昔からよく知ってる。生意気なクソガキだよ」
学園長は笑いながら言う。
「無礼なのは変わらんな」
「あんたに礼儀正しくする必要もないんでね。気楽でうれしいよ」
打てば響くように悪口を言い合う。ただ、彼はババアというが、学園長の見た目は20代といったところか。
「まあいい。お前は仕事に戻ってもらって構わんよ」
学園長は女教師にとりあえず学園長室から出て行ってもらう。
「しかし、よく向こうの学校が転校を許してくれたね。何をやらかしたんだい?」
「あぁ、いろいろとやり過ぎた」
前の学校でのことを思い出すように、笑いながら言う。
「ほう。言ってみな」
「学校のうるさい不良連中を何回か負かした。1回やったら群がってきたからな、面倒臭くなって全部返り討ちにした。あと、外で余所者を何十人か故国に返した」
彼はなんでもないかのように語る。
「はは、それはやり過ぎだな。で、手に負えなくなってちょうどウチがお前に転校を申し出た訳か」
学園長はため息をつく。
「で、何か進展はあったのかい?」
彼に問いかける。
しかし、彼は大げさに肩を落として見せる。
「いいや、全くだ。自分の名前すらわかんねえままだよ」
そう、彼には彼の名前がわからない。確かにあった名前が誰にも、家族にすら分からなくなってしまった。それは彼が小学校以前から。
「そうかい。じゃあまだクソガキと呼べるね」
と、学園長は返すが、名前がないから「クソガキ」はどうかなのか。
「それよりなんなんだよこの学校。女子ばっかじゃん、共学なのに。男子は?」
「そりゃそうだ。共学になったのは3年前。それにウチの学校は強い能力者スキルホルダーしか集めてないのは知ってるだろう? それに、お前のような動物や妖物などを媒体として超能力を行使する能力者、〈生物型〉は女子の方が圧倒的に多いことぐらい。まあ男子もいるが、2年から登校義務を免除してるからね。いるのは1年3人と3年で生徒会長の霧崎だけさ」
能力者には、〈生物型〉と〈自然型〉がある。〈生物型〉は女子が多いが、ならば〈自然型〉は男子が多いのかと言われれば、それは否だ。当然、超能力と適合できなかった人も大勢いる。
彼は学園長の言葉を聞き、「え……?」と硬直している。
「当然だろう?女子と違って、男子の〈生物型〉は強いと弱いの間に天地ほどの差がある。授業の一環として、ウチでは任務を与えていてね。男子に与える任務はほとんどが長期任務になるからね」
学園長は自慢するように言う。
「ま、この機会にその人見知りを治すんだね。見た目はそこそこいいんだから。だからと言って生徒に手をだすなよ?このヘタレ野郎」
学園長は笑いながら言ってくる。
彼はようやく硬直から抜け出せた。
「いや、その辺は別に構わんのだが」
と、ここでも即否定。それでいいのか。
「そういやババア。大神狼華って生徒はどこのクラスだ? 今朝道教えてくれたからお礼言いたいんだけど」
そう言った彼に、学園長は少し笑みを薄くする。
(ん? 何かおかしかったか?)
彼は自分の言ったことを考え直してみるが、何もおかしなところはないはずと結論をつける。
「あぁ、いや」
学園長も少し歯切れが悪い。
「彼女に対してはだな……、そうだな」
そこで表情を真剣なものにし、言う。
「悪いことは言わん。彼女にはあまり関わるな。人生が狂うぞ」
「……?」
彼にはあまり意味を理解できなかったが、真剣な口調で言われ少し怯んでしまい問い返せなかった。
「ま、それは置いといて」
学園長は努めて明るい口調でいい、
「クソガキ、生徒会か守護隊ガーディアン、部活のどれかに入れ。命令だ」
「やだよ、面倒臭い」
即答する。
「命令だっつったろ」
「じゃあ帰宅部で」
即答。
「クソガキ、学園長の命令を聞け。とりあえず放課後、お前のクラスの学級委員に頼んで校内見て回れ。棟全部だぞ。ウチはでかいからな。お前ならすぐ迷子になれる」
「そりゃどうも。見て回るだけな」
そう断っておく。
学園長は一つため息を吐き、さっきの女教師を呼んだ。
女教師が入ってくると、学園長は言う。
「今日からお前の担任だ。いびるなよ?」
その言葉に少し驚く女教師だが、そこは先生。すぐに自己紹介を始めた。
「き、今日から君の担任の篠崎祥子シノザキショウコです。よ、よろしくね、栢野君」
「そんないじめっ子を見る目で見ないでください……」
教師から少し涙目で言われ、彼は落ち込みながら言う。
☆
彼のクラスは1年10組。1棟3階の、昇降口から一番遠いクラスだった。
華宮学園は全校生徒約600人のあまり大きくない学校だ。それでも一人一人が強く、国の代表校として文句などない。大人の不満を除いて。
今年の新入生は約200人。そして少人数授業を常に行うため、一クラス20人とかなり少ない。
担任と10組の前に立つ。
「えっと、まず先生から入って説明しますから、栢野君は合図したら入ってくださいね?」
そう言い、担任は中に入っていく。
教室の中は休み時間の終わり直後であって、まだ少し騒がしい。
「は~いみんな。今日は転入生を紹介しますよ~」
彼女の独特な声が聞こえてくる。
そして黒板に苗字を書いたところで入るように合図してくる。
彼は教室に入り中を見て、驚く。
(女子しかいねぇ……!!)
そう、教室の中は女子ばかり。男子が一人もいない。
それでも彼は立ち止っていたらいけないと思い、教壇に立つ。
そして担任に自己紹介を促される。
「き、今日転入してきた栢野です。よろしくお願いします。」
と、当たり障りのない転入生の定型文を使うが、人前なので緊張している。
担任に、他には? とまた促される。
「えっと……」
頭をフル回転させてもなかなか出てこない。
そこで担任は助け船を出す。
「じゃあみんな、何か知りたいこと質問してあげて~?」
そこでクラスはまた少しざわつき、前後左右で会話が始まった。
その内の一人が手を挙げたので、言ってもらう。
「じゃあ、まずは下の名前はー?」
と、質問してくる。
彼は少し答えに迷った。なぜなら下の名前がわからないのだ。
仕方なく本当のことを言おうと思った。
「あー、下の名前はわかんねえです、小学校のころから。たぶん苗字も間違ってると思います。小学生の時、何かの超能力で名前がわかんなくなってまして……」
と、答えたがクラスの人は少し訝しんでいる。
(まあそりゃそうか。普通名前も苗字も忘れないもんなー)
ただ彼の場合は忘れているのではなくわからないのだ。
そしてまた手が挙がる。
「中身は何ですか?」
中身とは、さっき学園長が言っていた〈生物型〉のこと。これは動物が特に多いが、時々妖物や精霊などといったものもいる。
「それはたぶんライオンです。対話も擬獣化チェンジも出来ませんけど……」
対話とは己の中身と話をすること。それは自分の心と会話をするようなものだといわれている。
擬獣化はその中身の身体能力を借りること。例えば、鳥類なら背中から翼を生やせたり、犬類なら早く走れるようになったりといろいろある。
「え? ライオンって、一番中身になりにくい奴じゃない?」
「ってか、中身にした人って今まででたった一人って話だよね?」
教室がまた少しざわつく
(前の学校もこんな感じだったなー)
などと彼は懐かしんでいる。
「は~い、それじゃ質問はここまでで、あとは休み時間に聞いてね~」
担任の声が発せられると、教室はすぐに収まる。
「それじゃ、栢野君は東雲さんの隣、窓際の1番後ろの席ね。東雲さんは10組の学級委員だから、困ったら彼女に聞いてね。といっても1年生だからわかんないこともあると思うから、その時は先生にね」
「了解です」
そう言い、彼は真っ直ぐに自分の席へ向かう。途中多くの視線が感じられたが、気にしないように努めた。
席に座ると、アリスが「じゃあ、よろしくね、栢野君」と話しかけてきた。
「え、あぁ。よ、よろしく……」
たどたどしく返事をする。
東雲アリスは身長がとても低い。140少しといった感じだ。彼は、マホと同じくらいか、と思う。
そして1時間目のチャイムが鳴り響く。
「は~い、じゃあ今日の1時間目は先生の数学からですね~」