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第11回、十字架を背負うもの

 来栖によって紫水小路に連れ戻されてから生活の場としている政所まんどころの事務所の2階の廊下、彼女の特等席になりつつある安楽椅子に背を預けながらまことはぼんやりと暮れることのない夕焼けの空を見上げていた。


「両親の和解に立ち会ったというのに浮かない顔をしておるのう、一体どうした?」


 独りたそがれている丹に歩み寄りながら、政所の代表で代永氏族の先代族長の朱美が彼女に話しかけた。朱美は最古参のウツセミの1人である一方丹は最も若いウツセミであったが、偶然がもたらした幸運により彼女たちは対等な立場の友人関係にあった。丹は喋りかけてきた友人の方を振り向くが、その顔はどこか沈んだものだった。


「ずっと離れていてもお父さんとお母さんが変わらずにお互いを想いあっていることが分かったのは嬉しいんだけど、やっぱり今度はわたしがお父さんや妹と離れて暮らすと思うとちょっと寂しくてね……」


「ちょっとどころの話ではなかろう、その様子だと随分落ち込んでいるようじゃな?」


「うん、正直に言えばね…紫水小路にはお母さんや朱美ちゃんがいるけど、やっぱり今まで暮らしていた現世に戻れないのは辛い」


 外見は自分よりも幼いが実際は遥かに年長である友人に丹は自分の本心を正直に打ち明けた。落胆した様子をしている丹の姿を見れば、彼女が学校生活や父親のいつきと妹と自宅で暮らすことに強い未練を抱いているのは誰の目にも明らかだった。


「これまで親しんできたものとの別れは辛いな。だがお主の父親やウワバミの小僧などはこれからもここを訪れるそうじゃないか、現世の人間とも全く繋がりがなくなってしまう訳ではないじゃろう?」


「お父さんはお母さんに、来栖くんはわたしに血をくれるためにここに来てくれるけど、でもそれ以外の人にはお別れも言えないのは嫌だなぁ」


「丹、お主はよほど現世の知人たちに愛着を持っておるようじゃな?」


「うん、みんないい人たちだった。クラスで仲のよかったカンナちゃんに意地っ張りだけど寂しがり屋なところもある妹の葵、見た目はちょっと怖いけどひょうきんな所もある担任の盛田先生…みんなともう二度と会えないと思うと悲しくて。でも現世に帰るために烙印をつけられたら、物凄く痛くて苦しい思いをするってわたしを心配してくれるお父さんとお母さん、それに来栖くんの気持ちも大切にしたいし……」


 丹は懐かしい人たちの顔を思い浮かべながら彼らと再会する可能性が皆無に等しいことを思うと無性に寂しい気持ちになり今にも涙が溢れ出そうになる。しかし現世に戻るために烙印を刻むことの負担を考えて、自分の身を案じてくれている両親や来栖の優しさを踏みにじる気にもなれず丹は涙を堪えながら、茨の道を歩むことになってでも現世に戻りたい気持ちと親しい人たちから離れることになってもウツセミとしての天寿を全うする方が賢いという気持ちとの間に板ばさみになっている苦悩を吐き出した。


「烙印か…あれを背に刻んでウツセミとしての力を失い皮膚の感覚が鈍れば、わしらには強すぎる昼間の日差しもさほど影響を受けずに済むようにはなる。しかし人間以下の強さになってしまう体で妖気を失い続けることによる飢えとウツセミならば避けられない精気への渇きに耐えていくことは非常に過酷なことじゃ、しかもそれが死ぬまで続くとなればそれだけで温もりのなくなったわしらでさえ恐怖で身も凍ってしまうだろう」


 朱美も烙印をその背に刻まれたものには果てしない苦しみの日々が延々と続くことを承知しており、丹が現世に帰還する手段として烙印を刻むことに恐れを抱いていることも無理はないと頷いた。


「こんなこと言ったら他のウツセミのみんなには悪いと思うけど、わたしそんなに長生きできなくてもいいの。人間と同じくらいの長さしか生きられなくてもその間楽しく暮らせればそれでいい。でも冷静に考えてみればウツセミとしての飢えや渇きに苦しみながら、現世で今まで親しんだ人間のみんなと上手くやっていける自信があるとは言い切れない。もしも渇きを満たしたいって欲求に支配されて大好きなみんなに襲い掛かるかもしれない自分が嫌だし、それでみんなに嫌われるのはもっと怖い……」


 丹は来栖から烙印の触りについて聞かされた時は粋がってみせたものの、ほとぼりが冷めてから耐え難いウツセミの飢えと渇きに苛まれ続けながら人間の中で暮らしていけるのかと熟考していくうちに次第に自制し続けられるとは言い切れない事に気付いた。そして万が一ウツセミの本能に駆られて自分が好意を寄せている人間を襲ってしまえば、一瞬でそれまで積み上げてきた信頼関係が瓦解してしまい忌避の眼差しを向けられることを思うと恐ろしくて堪らなかった。


「丹、しばしお主の寝室を借りてもよいか?」


「別にいいけど、朱美ちゃんわたしの部屋で何をするの?」


「部屋の中でお主に見せたいのがある、あまり人目に曝したくないものだから内々に見せられるために仕切りのある部屋で見せたいんじゃ」


「わかった、すぐそこの部屋だよ」


 突然密室で内密に見せたいものがあると朱美に言われて、彼女が何を自分に見せようとしているのかと思いながら丹は朱美を間借りしている部屋へと案内する。


「すまんが部屋の周りにある障子や襖は全て閉めてくれ」


 丹は朱美に言われた通り、開放されている障子や襖を閉めて外から部屋の中が見えないように部屋を閉め切った。丹が室内の光景を外部から遮断し終えると、朱美は着物の帯を緩めて身に着けている衣装を弛めていく。


「ちょっと朱美ちゃん、一体何をしているの?」


「言ったであろう、あまり他人の目には曝したくないものじゃと。それを特別に見せてやろうというのだから、お主は黙っておれ」


「う、うん……」


 朱美が着物を脱ぎ始めたのを見て丹は友人の意図が理解できず慌てて衣服の乱れを質させようとするが、朱美は丹に反論を許さない強い口調で大人しく自分のしようとすることを見ていろと言いつける。朱美の迫力に圧倒されて丹は口を閉ざすと、彼女が帯を解き着物を脱いでその奥にある襦袢も肌蹴させようとするのを固唾を呑んで見守っていた。


「朱美ちゃん、それ……」


「丹、烙印を受けたものは生涯このような醜い傷をその肌に残すことになる。紅子たちやウワバミの小僧がお主を止めるのも当然じゃろう?」


 襦袢の襟元を肩から下ろして露になった朱美の素肌を見ると丹は絶句する。曝け出された朱美の背中には大きな十字の刀傷が刻まれており、その傷口は白く焼け爛れていて滑らかな乙女の柔肌に無残な傷を残していた。


「烙印って悪いことをしたひとに与えられる罰だよね、昔族長をやっていた朱美ちゃんがどうして烙印を刻まれているの?」


「20年ほど前、源司に族長の座を譲り渡したわしは紫水小路ではなく現世で隠居生活を送ろうと思っておった。伴侶をなくし娘も独立して家を出た人間の男と一緒に暮らそうと思ってな。そしてお主と同じように現世に出て行く上で大きな障害となる陽の光に耐えられるよう、無理を言って自分の背中に烙印を刻ませた」


 かつてウツセミの権力の頂点にいたはずの朱美の背に何故罪人に刻まれるはずの烙印があるのかと丹が訊ねると、朱美は自分も丹と同じような理由で現世に出て行くために烙印を自ら負ったのだと語り始める。


「烙印を刻んだ後、朱美ちゃんは現世にいるその人の所に行ったんだよね。でもどうしてまた紫水小路に戻ってきたの?」


「自慢になるが烙印を負う前、わしは最も力のあるウツセミじゃった。しかしそんなわしでも、いや齢を重ねると共に蝕が増大していったわしだからこそ、烙印の傷口から妖気が溢れ出すことによる妖気の枯渇と、失った妖気を補おうと精気を欲する渇きに悶え苦しんだ。妻子のいない男の身の回りの世話でもしてやろうと思っとたのに、いざ現世に行ってみればわしが一方的にその男から精気をもらい、日に日に衰えていく体を労わられるばかりじゃった。しかも男の看護も空しくわしは半年も経たんうちに今にも消滅しそうなくらいまでに憔悴してもうた」


 自虐的に朱美は頬を歪めて、自分の力を過信していたために同棲していた男に多大な負担をかけてしまったことを述べる。今の朱美は中学生くらいの外見をして顔には皺一つないはずなのに、丹は深い後悔の念にかられている朱美の顔が年輪のように皺を刻んだ老女のもののように思えてならなかった。


「力を大幅に失った後、朱美ちゃんはどうしたの?」


「妖気が流失して体の自由が利かなくなったわしはそのまま消えてもよいと思っておった、既に充分生きた、いや自然の理に背いた長さで生き過ぎておったからな。しかし世話になっていた男はわしが消えてしまうことをどうしても認めてくれなかった。そしてその男は妖気を延々と垂れ流し続けるわしの背中の傷口から直接わしの中に精気を注ぎ込み溢れ出てくる妖気を押し返した上、精気でわしの肌を焼き傷口を塞いでしまった」


「精気を直接注ぎ込んだり傷口を焼いたり…そんなことが出来る人がいるの?」


「そう多くはないが御門の街にも何人かおるぞ。お主の知り合いにも1人おるじゃろう、精気を武器に哀れなナレノハテに引導を渡しておるものが」


「精気を武器にしている人って…朱美ちゃんのことを助けた人も来栖くんと同じような力が使えたの?」


 危篤に陥った朱美を救った人物が、丹の知人でありウツセミの天敵にして守護者のウワバミの任に就いている来栖がナレノハテを倒す時に用いた能力と類似した方法で朱美の傷を塞いだと聞き丹は驚きの声をあげる。


「うむ、荒療治で死にかけていたわしを強引に蘇生させたのはあの小僧の師匠で実の祖父じゃったからな。先代のウワバミが傷を塞いでくれたおかげで妖気の流出はなくなったが、失った妖気は回復できずにわしは臥せってばかりじゃった。あやつの世話になるのが忍びなく思ったわしは、紫水小路に戻って衰えた体を癒すことにしたんじゃ」


「そうなんだ…せっかく一緒に暮らせるようになったと思ったのにそんなことがあって、朱美ちゃんも来栖くんのおじいさんも残念だったね」


「あんな結果になってしまったのは、ウワバミとウツセミの元族長という他の誰よりも締約を守らなければいけなかったわしらが、私情に流されてそれを破ろうとしたことの報いじゃろう。だから実から出た錆とお互いに割り切ったよ」


 来栖の祖父である先代のウワバミと朱美が自分の両親のように種族が違っても互いのことを想いあっていたにもかかわらず、朱美たちの同棲生活は皮肉な結末を迎えてしまったことに丹は心を痛めた。朱美は本来ならば遵守しなければならない掟に背こうと、年甲斐もないことをした罰を受けたのだと自嘲するように口の端を吊り上げた。


「しかしな丹、わしらの経験したことの全てが無駄な訳ではなかった」


「どういうこと?」


「わしらは切羽詰った状態になるまで気付けんかったが、精気で焼くことで烙印の傷を塞ぎ妖気が外に漏れるのを防ぐことができるということは発見できた。ならば烙印を刻まれても早い時期に対処すれば日常生活を送るのには支障がない程度の体調で、ウツセミも現世で生活できるのではないのか?」


 朱美は襦袢の袖を肩にかけて背中に刻印された十字の傷を覆い隠し、衣装を着直しながら自分とウワバミの先代の経験を活かせばウツセミも陽の当たる場所で生活できるようになる可能性を丹に伝える。朱美の命を救った時のように妖気の流出口である傷口を精気を元にしたウワバミの操る剣気で焙れば、烙印を刻まれることで肉体にかかる負荷が幾分軽減される効果を期待できる事に丹は思い至った。


「消滅するくらい弱っていた朱美ちゃんがこうしていられるんだから、早めに傷を塞いでもらえれば普通に生活できるくらいのコンディションは維持できるかもしれないね」


「理論的にはそういった結果も期待できるな。しかし元来ウワバミが精気を元にして発散する剣気はわしらを治療するためのものではなく、打ち滅ぼすためのものじゃ。わしは運よく肌を焼かれた程度の被害で済んだが、お主が剣気を食らって無事でいられるという保障はないぞ」


「それでもやってみるだけの価値はあると思う。どのみち烙印を刻まれたら朱美ちゃんほどのウツセミだって長くはもたなかったんだから、わたしみたいな力のないウツセミは傷口を塞ぐのに失敗して吹き飛ばされるのも妖気が抜けていくのが留められずに衰弱して消えちゃうのも時間的にはそんなに変わらないと思う。元の生活に戻れる可能性があるのならわたしはそれに賭けてみたい、このまま何もしないで何十年も後悔するのは嫌」


 傷口が開いたままでいるよりは生き永らえられる可能性が高くなりそうだとしても、元々はウツセミやそれが変貌したナレノハテを討つための力である剣気を浴びせられることはかなり危険であった。傷口から直接剣気を叩きつけられてしまえば、丹の小さな蝕など簡単に弾け飛んでしまうだろう。


 だが丹は一歩間違えば即死にも繋がる危険を犯してでも、日常を取り戻せる可能性があるのならばそれに賭けてみたいという気持ちを朱美に告げる。着物の帯を締める手を一旦止めて、朱美は真っ直ぐに丹の顔を見つめた。朱美の底知れぬ深さがありながらそれでいて澄んだ瞳を向けられて、丹は自分の内面を見透かされているような気持ちになるが、朱美を直視してその視線に応じる。


「できたばかりの友が危地に進んで飛び込んでいくのは忍びないが、それが望みであるのならお主の好きにすればいい。源司にはわしから口添えしておこう」


 失いかけた住み慣れた世界に戻れる一筋の光明を見出し、それを頑なに信じようとする丹の意志を曲げることは難しいと察した朱美は、丹の意志を尊重することにする。同胞の多くから未だに一目置かれている自分の立場から、現在の族長を務めている源司に話を通すと朱美は丹の願いを叶えるための協力を申し出た。


「朱美ちゃん、ありがとう」


「何をいう、友のために一肌脱ぐことは当然であろう?」


 丹が感謝の言葉を伝えながら朱美の傍に寄っていくと、朱美は白い歯を見せて満面の笑みを返した。


「丹、わしは適切な時期を逃してしまい現世に留まれなかった悔しさを、お主が現世に留まってくれることで晴らしたい。だから必ず処置を成功させよう」


「うん、そのためには来栖くんに協力を頼まなきゃ」


 2人は丹の体が現世で暮らせる状態になれることを祈願した。丹は今のウワバミへの協力を得られるかどうかが、自分たちの宿願の合否の鍵となっていることを自覚してどうにか協力を取り付けられるように決意を固めた。


* * *


 数日後、政所の2階にある丹が間借りしている部屋に丹とその両親である斎と紅子、代永氏族の代表として源司と朱美、そして現世を徘徊するナレノハテとウツセミの監視と対処を担う来栖が集められた。四畳半の部屋には卓袱台と小さな衣装箪笥の他にはものが置かれていなかったが、6人も部屋の中にいるとさすがに窮屈さを覚えた。


 一度は決着がついたはずの丹に烙印を刻むという議題を再度検討することになって、丹と朱美を除く全員がいい感情を持っていなかったが、集められた部屋が狭いことで余計に彼らの神経を尖らせているようだった。


「おい霧島…えっと娘の霧島、もう烙印の話は二度としないって約束したよな?」


 来栖は丹に呼びかけたつもりだったが、この場には霧島姓のものが3名いるため丹を指していることが他の2人に分かるように訂正し直して、この話題を蒸し返すことに遺憾の意を示す。


「あれは来栖くんが一方的に決めただけだよ、それにあの時は知らなかったいいニュースがあるの」


「いいニュース、なんだそりゃ?」


「烙印で付けられた傷を完全に治すことは出来なくても、傷口を塞ぐことはできるってことだよ。妖気が漏れるのを止められれば、普通にある精気の渇きだけを我慢すれば済む話じゃない?」


「妖気が流れるのを止められればそういうことになるだろうな。でもどうやって烙印で開いた傷口を塞ぐんだ、ウツセミの体は銀で付けられた傷は治せないことはお前も知っているだろう?」


「治す方法はないが、傷口をお主たちウワバミの使う剣気で焼いて塞ぐことはできる。実際お主の師である先代はその方法でわしの背中にあった烙印の傷を塞いでくれた」


 来栖は一度開いてしまえば手の施しようのない傷の処置をどうするのかと挑戦的な口調で丹に問いかけると、朱美が自分の体験を交えてその方法を答えた。


「ウツセミやナレノハテを倒すために使う剣気で傷口を焼くだと、そんなのウツセミとっては傷口に塩を塗りこむようなもんじゃないっすか。まして転化したばかりでちっぽけな蝕をしている娘の霧島が剣気なんて受けたら、一発で吹っ飛びますよ?」


「ナレノハテと戦う時と同じ威力で剣気を放てば、丹ではひとたまりもないじゃろうな。しかしお主が剣気を発散する匙加減次第では持ちこたえられるだろう」


「剣気の威力の加減も多少なら出来ますけど、そんなに融通が利くものじゃないっすよ」


「傷口を焼くのに使うのは剣気が拡散した状態で放つはつではない、剣気を局所に集中させて凝縮させて使うれんだ」


「撥でも耐えられるかどうか怪しいのに、斂なんか使ったらそれこそ一発でお陀仏じゃないっすか。冗談はほどほどにしてくださいよ、朱美さん」


 来栖は現世で暴れるナレノハテにダメージを与えるための能力である剣気を丹に使うことだけでも難色を示す。しかし威力が低い代わりに速射が可能でナレノハテに対する牽制で用いる撥ではなく、一撃必殺の破壊力を持つ斂を使うと朱美が言い出すと来栖は彼女の正気を疑った。


「たわけ、われらにも致命傷を与えられる斂を直接叩き込ませるはずがなかろう。剣気を凝縮させている時の余波で丹の体内から溢れ出す妖気を相殺しながら、傷口を焼いて塞ぐのじゃ」


「凝縮させた余波なら撥を食らうよりもずっとダメージは小さいっすけど、そんなに長くは剣気を溜めておけないっすよ。ナレノハテを一発で仕留めるために集中させた剣気を撃たないでおくのは、くしゃみをするのをいつまでも我慢するようなもんです」


 来栖は朱美が提唱する烙印で刻まれた傷の処置の方法に理解は示すものの、爆発的なエネルギーを持つ斂を一点で留めておくのは、幼い頃から剣気の制御の訓練を積んでいる自分でも容易なことではないと肩を竦めた。


 烙印で刻まれた傷を塞ぐための頼みの綱である来栖の剣気にそれほど期待が出来ないことを聞いて、丹が現世に戻ることの難しさを再認識させられた丹や斎の顔が曇る。


「あれができない、これは無理と言い訳が多い小僧じゃな、ウワバミがこんな未熟者では畏敬の念など誰も抱けまい」


「なんだと?!」


「オレも同感です朱美姐さん、烙印の傷口を塞ぐために剣気の繊細なコントロールが要求されることが分かっていたとしても、先代のウワバミなら四の五の言わずに挑戦したでしょうね。そして成功の可能性が絶望的でも必ずそれを成し遂げてみせたでしょう」


 丹が烙印を刻まれた後の処置を試みるのに尻込みしている来栖の態度を朱美が揶揄すると、源司も朱美に倣って先代のウワバミと比べて来栖の度量が小さいと謗る。自分のウワバミとしての力量に疑問を持たれて来栖は歯痒そうな顔を浮かべるが、朱美や源司の非難してくることも的を射ており反論しづらかった。


「来栖くん、やっぱりわたし現世のみんなと離れたくないの。だからお願い、わたしがみんなの所に帰るために力を貸して」


 丹は来栖の顔を真っ直ぐに見つめてじっと懇願するように凝視すると、深々と頭を下げて来栖の協力を請う。斎と紅子は多少現世で生活できる可能性が高まるとしても、やはり烙印を刻むのには危険が伴っていることですぐには丹の思いに共感できないようだった。


「来栖託人、俺からも娘のためにあんたの力を貸してもらえるようにお願いしたい。出来るならば俺も娘を手放したくはないし、俺はウツセミの抱える事情に納得できてもこいつの妹は母親だけでなくて姉までいなくなるのに我慢できないと思うんだ」


「私からもお願いします、来栖さん。私は烙印を刻んでまで家に戻る勇気は持てないけれど、丹はそれに立ち向かおうとしています。でもこの子の願いは叶えてあげたいんです」


 やがて娘の覚悟を認めた斎と紅子は、丹を現世に返すために来栖の助力を願い出てくる。年上の人間に頭を下げられると、さすがの来栖も首を横に振りづらくなってしまった。


「託人、正直な話同胞たちの間では君が先代の後任になったことを憂いているものが少なくない。それは先代が歴代のウワバミの中でも特に優秀だったこともあるけれど、君の若さや精神的な未熟さもそういった意見が出る一因になっている。ならばここで丹ちゃんを現世に返す手助けをしてみて、自分の株を上げてみてはどうかな?」


「ウツセミやナレノハテを始末したウワバミは大勢いても、直接的に活かす手助けをしたものは恐らくお主の祖父しかおらんじゃろう。ならば先代の功績に並び、ウワバミの歴史に名を残すつもりはないか小僧?」


 丹の両親に続いて源司と朱美、現在のウツセミ社会で双璧をなしている有力者たちが来栖をけしかけてくる。来栖は大人たちの期待と発破を受けて、取り組む課題の難しさと失敗した時の代償の大きさ、そしてその見返りになるものとを天秤にかけ始めた。


「来栖くんがわたしのことを心配してくれているのは分かる、でも願いを叶える方法があるのにそこから逃げ出すのは嫌。逃げ出したことをずっと後悔し続けるのはもっと嫌だ」


「…霧島丹、お前って奴は本当に変わってるな」


「そうかもね、でもそれがわたしの個性なのかもしれない」


 丹はもう一度自分の思いを来栖にぶつけて、何とか彼の気持ちを自分に傾けようと試みた。丹の決意を聞き、来栖はそれまで閉ざしていた口を開く。来栖の一言を聞いて丹は苦笑を浮かべた。


「いいだろう、そこまで言うならあんたの受けた烙印の傷口を俺が塞いでやる」


「本当?!」


「ああ、自分の能力に疑問を持たれたままじゃこの先ウワバミとしての仕事がやりづらくなるからな、ここらでいっちょタカをくくっている連中にガツンとかましてやんねぇと。それにじいちゃんよりも格下と思われるのは我慢ならねぇ」


 丹の意志を聞き届けて、来栖は彼女が現世へ戻ることへの助力を申し出た。丹がその言葉に偽りはないかと聞き返すと、来栖は自分のウワバミとしての肩書きに箔をつけるという個人的な動機で丹の依頼を承諾することを述べた。


「託人、ここは丹ちゃんのために引き受けると言って好感度を上げるべきだろう?」


「俺は今でも娘の霧島が烙印を刻むことも、現世に戻ることにも反対っすよ。でも場の空気を読んだのと自分の今後のために渋々引き受けることにしたんす」


「素直じゃないなぁ、君は」


 そっぽを向いて下手な言い逃れをする来栖の姿に失笑しながら、源司は経緯はどうあれ来栖がやる気になってくれたことに満足そうだった。源司はしばらく来栖に目を向けていた後、丹の方に向き直る。丹は源司と正面から相対した。


「丹ちゃん、形式的とはいえ烙印を刻むということは、オレは君に罰を与えることになる。ウツセミにも規範ってものがあるから、族長でも無条件に同胞を罰することはできない。刑を執行するためにいろいろと書類をでっち上げなくちゃいけないから、しばらく時間がかかるけど構わないかい?」


「わたし自身の心の準備はできていますけど、それが必要ことなら待ちます」


「それはよかった、早急に準備を整えるから、日取りは追って知らせるよ」


「よろしくお願いします」


 丹はまだ源司に対する疑念を払拭しきれていなかったが、自分のために労を追ってくれることへの誠意は示すことにした。紅子と斎も娘のために手回しをしてくれる源司に対して頭を下げる。


「やれやれ、また面倒なことになりそうだな……」


「託人、執行の日まで少し時間があるんだからちょっとでも上手く剣気をコントロールできるようにトレーニングしておいた方がいいんじゃないか?」


 来栖は他人事のように源司と霧島一家のやり取りを眺めていたが、源司は来栖が一番頑張らなければならないことを指摘して、烙印の執行までの間に修行に勤しむよう訴える。


「来栖託人、引き受けたからには責任を持って最善を尽くしてもらうぞ?」


「娘のこと、よろしくお願いします」


「まあ、できる限りのことはやらせてもらいますよ……」


 来栖は斎と紅子からの強い視線を受けて、仮に傷口を塞ぐ処置に失敗した時には自分の命も危険に曝されることを感じて背中に冷や汗をかいた。


「2人とも大丈夫だよ、来栖くんなら絶対上手くやってくれるよ」


「…もちろんだ」


 親の霧島夫妻とは違って丹は来栖に信頼の眼差しを向けて、両親を安心させるような明るい笑みを浮かべた。ある意味丹の微笑みは斎と紅子の視線以上に来栖にプレッシャーを感じさせたが、同時に難題へと挑む励みにもなり来栖ははっきりとした返事で首肯する。


 周囲のものたちの期待と不安が入り混じる中、来栖と丹は成功すればウツセミの常識を覆すことになる大きな挑戦をしようとしていた。



第11回、十字架を背負うもの 了


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