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序章、月夜に彷徨うもの

 今作は現代日本を舞台に、吸血鬼と人間との関わりを描く物語です。

 吸血鬼を扱う話に憧れて続けている筆者の、個人的な趣向が強く入った設定になっておりますが楽しんでいただければ幸いです。

 闇に息づく吸血鬼が実在するかもしれないと錯覚できるような話に出来ればなぁと個人的には望んでおります。

 狂おしいまでに煌いていた真夏の太陽がようやく沈み、夕闇が空に広がった御門市の繁華街。


 その繁華街を覆うアーケードの下には道幅いっぱいに人波が広がって、非常に活気に満ちていた。その通りに溢れんばかりに詰め寄せた人波を掻き分けて通りを駆け抜けながら、来栖託人くるすたくとは擦れ違う幾千もの顔の中から一人の少女の顔を捜し求める。


「霧島ぁ」


 来栖は捜している少女が返事をしてくれるとは思っていなかったが、それでも自分の声を聞き、名を呼ばれれば何らかの反応をするかもしれないという藁に縋るような淡い期待を込めて彼女の名を叫ぶ。だが案の定来栖の呼びかけに対する反応はなく、大勢の人が往来する中で大声をあげた彼に時折奇異の視線が注がれただけだった。


「くそ…霧島の奴、どこにいるんだ?」


「お~いまこと、そんな格好で何してるの?」


 学生は夏期休暇中の上、週末で仕事休みの社会人も多く歩いている繁華街の人混みから特定の人物を探し出すことは、砂漠の砂の中から一粒の砂金を見つけるようなものだと来栖が悪態をついて途方に暮れかけた瞬間、来栖のクラスメイトが彼の捜している少女の名前を呼ぶ声が聞こえてくる。


 反射的にクラスメイトの声がした方に来栖が顔を向けると、複数のテナントが出店している雑居ビルの壁にもたれかかっている乱れた白地の寝巻きを臙脂色の帯で締めた少女に、彼氏連れの眼鏡をかけた少女が歩み寄っているのが見えた。


 眼鏡をかけている少女がクラスメイトの天満てんまカンナであり、カンナが近づいている白い寝巻き姿の少女こそ来栖の捜している霧島丹だった。


カンナが接近してくるのに気付いて丹はおもむろに顔を上げる。カンナの姿を写した丹の虚ろな瞳に危険な光が瞬いていることに気付いた来栖は、彼女たちに向かって弾かれたように駆け出した。


「どうしたの丹、顔色悪いしやつれた感じがするよ。それにゴリ田先生から丹が行方不明になったって連絡があったけど何があったの?」


 顔面は血の気を全く感じさせないほど青白くなり、癖のある髪も着ている衣服も乱れ放題でただならぬ様相をしている友人をカンナは心配そうな目で見つめる。


「カンナ、ちゃん……?」


 丹は焦点の定まらない目をカンナに向けると、力ない足取りで壁から背中を離して一歩前に踏み出し緩慢な動作でカンナに手を伸ばす。腕を持ち上げる仕草は酷く重苦しかったが、軽く曲げられた指先はまるで猛禽が獲物を捕らえようとするような力強さがあった。


「霧島!」


 丹が無警戒に近寄ってきたカンナを捕らえて、その柔肌の下を流れる血液を奪おうとしている意図を察した来栖は、新鮮な生き血への渇望に駆られている丹を少しでも正気に戻そうと彼女の名を呼ぶと同時に、念のため吸血鬼と化した丹の動きを封じようと彼女に向けて剣気を放つ。


 水面に小石が落ちたことで波紋が広がるように、来栖の体を起点にして青い光が空間に発散されていく。そして青白い光の波紋である来栖の剣気が丹の体に命中した。


 これまで自分の体内で生成される生態エネルギー剣気を用いて何匹もの吸血鬼を闇に葬ってきた来栖だったが、さすがにクラスメイトだった少女を剣気で打つのには幾分躊躇いがあった。普段吸血鬼に放つ時よりもかなり加減して、しかも剣気を束状に凝縮し吸血鬼相手にも一撃必殺の破壊力を持つれんではなく、タイムラグなしで打てる代わりに拡散した状態で剣気を放ってしまうはつを使ったことでも、来栖が丹を攻撃することをどれだけ抵抗を感じたか明らかだろう。


 来栖の撥を叩きつけられたダメージで丹の体が大きく揺らぎ、カンナの肩に触れかけていた腕から力が抜けてだらりと垂れ下がる。剣気の一撃を受けて昏倒しかけた丹の脇に滑り込んで、来栖は丹が路上に倒れこむ寸前でその体を抱きかかえることに成功した。


「来栖くん?!」


「悪いな天満、デート中に迷惑かけちまって。霧島のことは俺に任せてあんたはそっちの彼氏とデートの続きを楽しんでくれ」


尋常でない様子の丹と突然倒れこんだ彼女の体を間一髪のタイミングで受け止めた来栖の出現にカンナは不信感を募らせる。来栖は柄にもなく愛想笑いを浮かべながら、カンナに丹のことは気にせずにデートを続けるよう訴えた。


「数日前から家に帰ってない丹がこんな状態なのに、友達のわたしが放っておける訳ないじゃない。わたしも丹と一緒にいるよ」


「こいつのことは俺に任せてあんたは早く行け」


「なんで?! クラスの中で丹と一番仲がいいのはわたしだし、不自然なタイミングで出てきたあなたみたいな不良にようやく見つかった丹を預ける気にはなれないよ!」


 担任の教師から丹が数日前から失踪していることを聞いていたカンナは親友の身を案じて、校内でも指折りの不良で名高い来栖に丹の面倒を任せる気にはならなかった。来栖の剣幕に恋人らしい連れの少年がたじろぐのを尻目に、カンナは自分を追い払おうとする来栖にしつこく食い下がる。


「いいから、早く……」


 これ以上顔見知りのカンナに付きまとわれては厄介だと来栖はどうにかして彼女をこの場から離れさせようとするが、突然左腕に何かが突き刺さったような痛みを感じる。左腕を襲った痛みに耐えるために来栖は歯を食い縛って視線を自分の左腕に落とすと、彼の膝の上に倒れていた丹が首をもたげて来栖の左腕に噛み付いていた。


「丹?!」


「霧島は…家のことで色々あったらしく、ちょっと情緒不安定になっているんだ」


 来栖の腕に丹が噛み付いたのを見てカンナは短い悲鳴をあげるが、来栖は丹の顎がより多くの血を絞り出そうと力を加えてくるのに耐えながらカンナを言い包めようとする。


「お母さんがいなくなったせいで丹は家の仕事を代わりにやっているし、我儘な中学生の妹の世話も苦労しているみたいよね。まだ高校生なのにそんな家にいるんじゃ、少しノイローゼになっても無理はないよね……」


「ああ、こいつは子どもの時から相当ストレス溜め込んでるみたいだからな。それが今になって一気に爆発しちまったんだろう」


 丹が精神的に不安定になった理由を彼女と懇意にしているカンナが推測し始めると、来栖は適当に相槌を打って自分の都合のいいように話を誘導し始める。


「丹は人に気を使ってばかりで自分の悩みは内側に溜め込んじゃうからなぁ…もっと他の人に甘えたり苦しいのを打ち明けたりしてもいいのに」


「ちょっと参っちまったことで、ようやく家の人も霧島に負担をかけ過ぎていたってことに気付いたみたいだぜ…手分けして捜していたから、連絡すればすぐに迎えが来てくれるからここは俺に任せてくれ」


「…わかった、でも丹に何かあったら許さないからね?」


「…ああ」


 話し合いの末、カンナはようやく丹を来栖に任せることを了承する。しかしカンナの心配も空しく既に丹の身にはトラブルが起こってしまっており、来栖はカンナから寄せてもらった信頼に応えられないことを口惜しく思いながら生返事をする。


「行こう雪人ゆきと、待たせてごめんね?」


「友達のこと彼に任せていいの?」


「ちゃんと丹の面倒を看るって約束させたから。でも万が一、丹に何かあったら末代まで呪ってやるんだから」


 来栖は末代までカンナの呪詛を受けなければならないことに苦笑しつつ、恋人と連れ添って去っていくカンナのことを見送った。カンナは何回か丹のことを気にかけてこちらを振り返ってきたが、やがて雑踏の中に飲み込まれて姿が見えなくなってしまった。


「クーくん、わたし一体何を……?!」


 丹の顎は来栖の腕の肉を食い千切るほどの力で噛み締めており、さすがにこれ以上噛まれるのは好ましくないと来栖が腕を引き離そうとすると、来栖の血を啜って渇きを癒したためか丹の瞳に理性の光が戻り、彼女の口が来栖の腕から離れる。我に返った丹は自分が抱かれたまま来栖の腕に歯を突き立てていることに驚いた顔で来栖の顔を見上げた。


「やっと正気に戻ったか」


 唇が来栖の血に塗れて口紅を差したようになった丹の顔に来栖は不意に妖艶な魅力を覚えつつ、正気に戻った彼女に微笑み返す。


「とりあえずここを離れよう、立てるか?」


「う、うん…少し具合よくなったみたい」


 まだ充分な量の血を摂取できていないらしく若干ふらついてはいるものの、丹は来栖の手を借りて立ち上がる。


「ちょっとクーくん、手を握られたままじゃ恥ずかしいよ……」


来栖は無事な右手で丹の左手を取り、覚束ない足取りの彼女の体を支える。丹は血の気が少し戻った頬をほんのりと朱に染めて異性に手を握られていることを恥らって、来栖の手から逃れようとする。


「病人は人の好意に素直に甘えてりゃいいんだよ、まだ独りじゃ満足に歩けないだろ?」


 しかし来栖は血の渇きが完全に満たされていない状態の吸血鬼を野放しに出来ない使命感と、転化後に精気を摂取しないまま徘徊したせいで消耗している丹に対する庇護欲、そしてウツセミと呼ばれる吸血鬼の眷族に転化しそれまで隠れていた女性としての魅力が顕著になった丹の手を握っていたいという情動から彼女の手を離そうとしなかった。


「あぅち…でもクーくんの言う通り、なんかふらふらしてて真っ直ぐ歩けない……」


 丹自身も自分の体調が優れないことから来栖の好意に甘えることにして、2人は通りを行き交う恋人たちのように寄り添って夜の街を歩いていった。


「少し休むか?」


「うん…ちょっと休憩、たったこれだけしか歩いてないのにどうしてこんなに疲れているんだろう?」


 しばらくすると丹が苦しげに息を弾ませてきたので、来栖は近くにあるビルの谷間の裏路地に入り彼女を休ませる。丹は上体を屈めて膝に手を当てて持久走をした後のように喘いでいたが、彼女の体は一滴の汗も滲ませていなかった。


「ウツセミに転化するのに莫大な精気を消耗したのに、目覚めてから消費した分の精気を補わないで紫水小路しすいこうじの外をうろついていたんだから無理もない」


「ウツセミに転化、わたしが……?」


「ああ、置屋おきやから壁伝いに逃げ出そうとして足を滑らせて地面に転落し、大怪我をしたお前を生かすためにあんたの母親が転化させることを懇願したらしい」


「そうだ…確か茜って人に閉じ込められた部屋から窓を壊して外に出て、それで壁の端で向きを変えようとした時に足場を踏み外して……」


 丹は自分が吸血鬼になってしまったことが信じられないようだが、来栖は丹の捜索を依頼される前に聞かされた情報を丹に伝える。丹は来栖の話を聞いているうちに、曖昧になっていた記憶を思い返して彼が嘘を言っているのではないと確信し始めた。


「わたしも吸血鬼に、お母さんを奪った奴の仲間になっちゃったんだ……」


「…もし天満が気付かず俺があんたを見つけられなかったら、あんたは生き血への渇望だけに突き動かされるナレノハテになっていたかもしれない。そう思えば後悔できるだけの理性のあるウツセミでいられるだけマシじゃないか?」


「…後悔できるから余計に苦しいんだよ。わたしたち家族を不幸にした吸血鬼として人の生き血を奪って生き延びる罪悪感を持ち続けるくらいなら、あのままナレノハテになって来栖くんに殺された方がよかった」


 死んでいてもおかしくない大怪我をしたはずなのに自分の体が何事もなかったかのように無事なことと、人間だった時には感じなかった生き血への本能的な渇望から丹は自分がウツセミと呼ばれる人の姿を保った吸血鬼になってしまったことを自覚する。


 彼女の家族の仇敵である悪鬼と同じ存在になってしまったことの悲嘆に丹が俯くと、来栖は彼女の苦悩を少しでも和らげようとするが、丹の抱いた失望の深さはその程度の甘言で埋められるほど浅くはなかった。


「ふざけるな、例え人の姿を失ったナレノハテになろうと俺はあんたを討ちたくない」


 本能の赴くまま人間を襲っている海老茶色の肌をした怪物ナレノハテを先祖代々討伐してきた一族に生まれた来栖もその役割を担っていたが、それが面影を留めていない変わり果てた姿であったとしても彼女を手にかけたくないと来栖は丹に抗議する。


「…クーくん?」


「俺たちウワバミはウツセミの天敵にして守護者だ、だから俺にはウツセミのあんたを守る義務がある。それを無碍にするようなことを言うのは止めてくれ」


 人の姿を失った自分であっても来栖が自分を殺したくないというのを聞いて、丹は顔を上げて彼のことを見つめる。来栖は真剣な表情で丹の顔を見返すと、先ほど彼女に噛まれた左腕を彼女の眼前に差し出した。


「飲めよ、まだ渇きが治まっていないんだろ?」


 来栖は固まりかけた血の跡が残り、まだ傷口からの出血が止まっていない左腕を掲げて自分の血を吸って渇きを癒すように丹に勧める。しかし丹は目の前に絶好のご馳走があるにも関わらず、血を吸おうとはしなかった。


「…いらない、わたし血なんか吸いたくない」


「嘘言うな、本当に血が欲しくないならどうしてそんなにそわそわしている?」


「…わたしの落ち着きがないのなんていつものことじゃない」


「我慢するなよ、人の好意は素直に受け取るものだぜ?」


 丹はすぐにでも来栖の腕から流れる血を飲みたいという衝動を無理矢理押さえ込もうとするが、本来捕食者である吸血鬼の彼女に餌である人間の来栖が血を勧めるという倒錯した押し問答が行われる。


 来栖が飲んでいいというのだから喜んで彼の血を飲もうという本能と、自分の家族から平穏な日々を奪った化け物になったことを認めたくない感情が丹の中でせめぎあい頭を抱えて身悶えしている彼女の傍から離れずに、来栖は辛抱強く腕を掲げ続けた。


 衝動的に人を襲うナレノハテと戦うため体の鍛錬を怠らず、強靭な筋肉を維持している来栖だったがさすがに延々と同じ位置に腕を保持し続けることは難しく、少し高さを下げて腕の筋肉を休ませようとする。腕を下げると同時に傷口の上に溜まっていた血が腕を伝って掌へと滴り落ちていく。


 一瞬来栖のことを横目で垣間見た際、彼の左腕を細い血の筋が流れていく様を丹は目の当たりにした。薄闇に浮かぶ鮮血の赤を眩く感じた直後、丹の理性のタガが外れる。丹は本能のまま来栖の手を両手で取り顔を寄せると、流れ出た血の溜まった掌の窪みに薄く開いた唇の隙間から舌を伸ばして血を舐め始める。


 丹は皿に注がれた牛乳を舐める子猫のように来栖の掌の血を舐めていく。掌に溜まった血を舐め終えると、丹は固まり始めた血の筋を手首から肘のように向かって舌を這わせてなぞっていく。


 異性の自分に手を握られていることにさえ恥らっていた丹がほんのりと顔を蒸気させて恍惚とした表情で自分の腕を嘗め回していく姿と、彼女の舌が自分の肌に触れる感触のこそばゆさで来栖は不覚にも官能的な快感を覚えてしまう。


 吸血鬼が人の生き血に対する欲求のように人間にも魅力的な異性に対する生理的な欲求が存在しているのだと、彼女自身が噛んで作った傷口まで血の筋を這い登ってきた丹が傷口に口づけをするように柔らかな唇を押し当てた姿を見て来栖は痛感する。原始的な劣情に駆られた来栖は足元に跪いて自分の血を一心不乱に啜っている丹のことを右手で抱き寄せようとする。


 しかし丹が唇にこびりついた血の固まりを唇を擂り合わせてこそぎ落とすところを見て、来栖は彼女が人ではなく闇夜に紛れて生きる魔性の存在であることを思い出して我に返る。来栖は丹の後頭部に手を触れかけた腕を慌てて引っ込めた。


「…これで分かっただろ、霧島あんたは人の血を啜って生きる吸血鬼だ」


「…うん、あれだけ血を吸うのを嫌がっていたのに、クーくんの血を飲ませてもらってすごく満たされた気持ちになっている。こんな風に思えるわたしが人間の訳ないよ」


 来栖は丹に彼女が人でなくなった事実を突きつけると同時に、異性として食指が動きかけた彼女が始末する対象にもなりえる吸血鬼だと自分に言い聞かせた。丹も来栖の口から出た事実を否定せず、自分が他人の血を啜ることに喜びを感じる呪われた体になってしまったことを認める。


 頭上から降り注ぐ柔らかな月光と地上でけばけばしく輝くネオンに照らされて来栖と丹の2人、あるいは1人と1匹は丹が吸血鬼になってしまったことに感嘆した。




序章、月夜に彷徨うもの 了

 


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