第9話 怖い顔の治癒士、薬草を学ぶ
リエナが治癒所に来るようになって、三日が経った。
最初の日は薬草の納品。二日目は「ちょっと観察させて」と言いながら一日中治癒所の隅に座っていた。三日目の今日は、朝から大きな布袋を抱えて現れた。
「持ってきた」
「……何を」
「薬草。十種類。あと、メモ帳と羽ペンと、インク二瓶」
リエナが袋を治癒所の作業台に広げ始めた。薬草が次々と出てきた。青いもの、白いもの、細長いもの、丸いもの。それぞれ小さな布袋に分けられていて、丁寧にラベルが貼ってある。
「今日から本格的に始めよう。カルの治癒魔法と薬草の組み合わせ研究」
「……患者の対応がある」
「知ってる。患者が来ない時間にやる。グランじいさんには話してある」
グランが奥から「話は聞いた。邪魔するな」と声だけかけてきた。
俺はリエナの準備の速さに少し圧倒されながら、作業台に近づいた。
「……どこから始める?」
「基礎から。まずカルの光がどんな性質か調べたい。色、温度感、持続時間。それと薬草を当てた時に変化があるかどうか」
リエナがメモ帳を開いた。羽ペンを構えた。目が真剣だ。
俺は、こういう目を知っている。前の世界でシステムの仕様書に向き合う時、俺も同じ顔をしていた気がする。問題を解こうとしている人間の顔だ。
「……わかった。何をすればいい」
「まず手のひらに光を出して。ゆっくり、できるだけ一定に」
俺は右手を開いて、光を流した。白に近い、温かみのある光が滲み出た。
リエナがじっと見た。メモを取った。また見た。また メモを取った。
「……熱くないの?」
「……自分の手には何も感じない。患者には温かいと言われる」
「ふうん」リエナが顎に指を当てた。「じゃあ次、このアルニカを光の中に入れてみて」
薬草の小袋からアルニカの葉が取り出された。俺の手の上に置かれた。
瞬間、光の色がわずかに変わった。
白から、ほんの少し黄みを帯びた。
「……あ」
リエナが声を上げた。
「変わった。色が変わった。カル、今何か感じた?」
「……光が、少し引っ張られる感じがした。薬草の方向に」
「引っ張られる!」リエナが猛烈な速度でメモを取り始めた。「それ重要。つまり薬草が魔力の方向性に干渉してる可能性がある。ということは——」
リエナの独り言が止まらなくなった。俺はその間、光を出し続けながら、リエナの顔を見ていた。
生き生きしている。
こういう顔をする人間を、俺は久しぶりに見た気がした。
◆ ◆ ◆
午前中は患者が五人来た。
一人目は足首の捻挫を抱えた若い女性だった。治癒所の入口で俺の顔を見て一瞬固まったが、「治してもらわないと仕事に支障が出る」と自分に言い聞かせるように呟いて、そのまま入ってきた。近頃こういう患者が増えている。怖いけど、来る。怖いけど、頼む。それでいい、と俺は思う。
二人目は子供の発熱。母親が子供を抱えたまま入口で躊躇していたが、子供が「このひとしってる、なおしてくれるひと」と言った。先週来た子供だった。母親が驚いた顔をして、それから諦めたように中に入ってきた。
三人目は長引く咳。四人目は背中の打撲。それぞれ丁寧に診た。
五人目は、先週も来た荷下ろしの男で、今週は肩が痛いとのことだった。
「また来たのか」
「あんたが一番話しかけやすいんだよ。顔は怖いけど、逃げないから」
「……逃げる理由がない」
「それがいいんだよ。他の治癒士は、うちみたいな下町の客は面倒くさそうにするからさ」
男は肩を出した。俺が手を当てると、光が流れた。筋肉の疲労と、軽い炎症がある。荷下ろしの仕事で同じ筋肉を使い続けているのが原因だ。丁寧に解きほぐしていく。
「……仕事を減らせ」
「そんな訳にいかないよ。妻子がいるんだ。でも最近、ここに来てから少し楽になった気がする。継続して診てもらえると助かるんだけど」
「……では週に一度来てくれ。継続して診る」
男がぱっと顔を明るくした。「週一でいいのか? 神殿の治癒士は毎回金を取るから、なかなか来られなくて」
「……ここは払える分だけでいい。グランさんの方針だ」
「そうか……。ありがとう、兄ちゃん」男が少し言いよどんでから続けた。「あの、最初は顔が怖くてびびったけど、今はもう慣れた。むしろ安心する。なんでだろうな」
「……慣れたんだろう」
「そうかもな。じゃあまた来週」
男が帰った後、リエナが作業台から声をかけてきた。
「さっきの治療、咳の人の時に光が少し青くなってた」
「……そうか?」
「うん。炎症の種類によって色が変わるのかも。足首の人の時は白のままで、背中の打撲の人はうっすらオレンジで、咳の人は青だった。記録した」
俺は自分の手を見た。全く意識していなかった。自分の光がそんなに細かく変化していたとは。
「……お前が見ていると、俺も気づいていないことがわかる」
「そういうの、大事だよ。自分の手元しか見てないと、全体像が見えなくなる。あたしも薬草採りの時に師匠に同じことを言われた」
リエナがさらさらとメモを書き足した。俺は次の患者を呼んだ。
◆ ◆ ◆
昼飯はグランが三人分作った。野菜と干し肉を煮込んだ汁物と、固いパンだ。
三人で作業台を囲んで食べた。こういう昼飯が、最近の日課になっていた。
「リエナは孤児院出身だと聞いた」
グランが言った。リエナが「うん」と頷いた。
「薬師の師匠はどこで?」
「孤児院の近くに薬師のばあさんがいてね。子供の頃から薬草採りを手伝ってたら、そのまま教わることになった。ばあさんは去年亡くなったけど」
「……今は一人か?」
「孤児院のみんながいるから一人じゃないけど、師匠はいない。だから自分で研究するしかない」
リエナがパンを千切りながら、さらっと言った。
重いことを言っているのに、声のトーンが変わらない。
俺には、その感じがよくわかった。
前の世界でも、つらいことをつらいと言えなくなった時期があった。言っても何も変わらないと学んでしまうと、人間は言葉の重さを消して話すようになる。
「……薬師のばあさんは、どんな人だったか」
リエナが少し止まった。
「口が悪くて、でも面倒見がよくて。薬草のことになると止まらなくて。あたしに似てた」
「……それはそうだろう」
「え?」
「……師匠に似るのは当然だ」
リエナがしばらく俺を見て、それから「そうかも」と小さく笑った。
グランが汁物をすすりながら「いいものだ」と呟いた。何がいいのか聞かなかったが、なんとなくわかった気がした。
◆ ◆ ◆
午後、患者が途切れた時間に、本格的な実験に入った。
リエナが薬草を一種類ずつ俺の光に当てていき、変化を記録していった。アルニカは黄み。カモミールはわずかに白が増す。ミントは光が細くなる。ラベンダーは光が広がる。
「面白い……。薬草ごとに全部反応が違う」
「……俺は自分で気づいていなかった」
「それは光を出してる側だから。外から見ると全然違う」
リエナがページを捲った。もうメモ帳の三分の一が埋まっていた。
「カル、一個試してもいい? 患者に使いながら、薬草を同時に当ててみたい」
「……患者が承諾すれば」
夕方近く、慢性的な頭痛を訴えて来た中年の女性に事情を説明した。
「薬草を一緒に使う実験をしたいが、嫌なら普通に治療する。どちらでも構わない」
女性は少し考えて「試してみて」と言った。
俺が光を当てながら、リエナがラベンダーを患部の近くにかざした。
変化は、すぐに起きた。
光が広がった。いつもより広い範囲に、均一に広がっていく感覚がある。
「……っ、あ、痛みが……早い」
女性が目を丸くした。
「いつもは治療に少し時間がかかるんですけど……今日は一瞬で」
俺は光を止めた。自分の手を見た。
「……ラベンダーが、光の広がり方を変えた」
「うん!」リエナが興奮した声を上げた。「見てた。光の範囲が一・五倍くらいになってた。つまり同じ魔力量でも、薬草を補助に使えば治療効率が上がる!」
女性が「ありがとうございました」と頭を下げて出ていった。
治癒所が静かになった。
リエナがメモを書く音だけが続いた。俺はその音を聞きながら、今の感覚を反芻した。
光が広がった。届く範囲が増えた。
(……レンに、少し近づけるかもしれない)
声には出さなかった。でも、その考えが頭の中で静かに光った。
◆ ◆ ◆
夕暮れ時、片付けをしながらグランが言った。
「今日、何か変わったか」
「……ラベンダーと光の組み合わせで、治療範囲が広がることがわかった」
「それだけか?」
俺は少し考えた。
「……一人では気づかないことが、二人だとわかることがある、とも思った」
グランが頷いた。
「治癒士は孤独な仕事だ。光を出すのは自分一人だから、どうしても視野が狭くなる。儂も長年一人でやってきたが、お前さんたちを見ていると、何か違うものが生まれそうだと思う」
「……いい組み合わせですか」
「いい組み合わせだ」
グランがそれだけ言って、片付けの続きをした。
俺はリエナが帰り際に「明日も来る。次はカモミールで試したい」と言い残していったことを思い出した。
(……明日も来る、か)
前の世界では、明日も来ると言ってくれる人間がいなかった。職場にいたのは義務で来る人間ばかりだった。
ここでは、義務ではなく来てくれる人間がいる。
それが、今日一番大きな発見かもしれなかった。
治癒所の戸締まりをして、神殿への帰り道を歩いた。
夕日が石畳を赤く染めていた。路地の角に、見覚えのある茶白の猫がいた。
「……また会ったな」
猫が「にゃ」と言って、俺の足元に座った。
俺はしゃがんで、猫の頭を一度撫でた。
「……名前をつけてやろうか」
猫が「にゃ」と言った。
「……チャ、はどうだ。茶色いから」
猫がもう一度「にゃ」と言った。
「……そうか。じゃあチャだ」
チャは満足したのか、ゆっくりと路地の奥へ消えていった。
俺は立ち上がって、歩き始めた。
今日は、いい日だった。
そう思えることが、少しずつ増えてきている。
薬草と光を組み合わせたら、何かが変わりました。
猫に名前をつけました。チャといいます。
一人では見えないものが、二人だと見えることがあります。




