第8話 怖い顔の治癒士、逃げない子と出会う
その日の朝、治癒所の前に見慣れない人間が立っていた。
十二、三歳くらいの少女だ。肩より少し長い茶色の髪。くたびれた薬師の見習い服。両手に、薬草の束を抱えている。
俺が近づくと、少女がこちらを向いた。
俺の顔を見た。
——逃げなかった。
怯えた様子もなかった。ただ、まじまじと俺の顔を観察した。それから口を開いた。
「……治癒士の人?」
「……そうだ」
「グランじいさんの弟子?」
「……弟子ではないが、ここで働いている」
少女は俺の顔をもう一度見た。それから、特に何事もなかったように「そう」と言って、薬草の束を持ち直した。
「薬草の納品に来た。グランじいさんはいる?」
「……中にいる」
「ありがと」
少女は俺の横をすり抜けて、治癒所の中へ入っていった。
俺はしばらく、その場に立っていた。
(……逃げなかった)
子供以外で、初めてだった。
◆ ◆ ◆
治癒所の中に入ると、少女はグランと慣れた様子で話していた。
「これで全部。アルニカとカモミールと、あとカルの葉を多めに入れといた」
「助かる。品質はどうだ」
「今週採ったやつだから鮮度はいい。ただカモミールは少し育ちすぎてる。早めに使って」
「わかった」グランが薬草を受け取りながら俺を見た。「紹介しておこう。リエナ、孤児院出身の薬師見習いだ。薬草の知識は儂より詳しい」
「じいさんが詳しくなさすぎるだけ」
「……失礼な子だ」
「本当のことでしょ」
グランが苦笑した。俺はこの老人がこんなに表情豊かだということに、改めて気づいた。
「で、こちらがカルディン。治癒士だ」
リエナが俺を見た。また顔をじっと見た。
「……目つき、すごいね」
「……生まれつきだ」
「うん、知ってる。グランじいさんから聞いてた。顔が怖すぎて患者が逃げる治癒士が来た、って」
「……そう言ったんですか」
「言った」グランが平然と答えた。
俺は少し脱力した。
「怖くないのか」
リエナが首を傾けた。
「怖い、というより……なんか、真剣な顔、って感じ。怒ってるわけじゃないでしょ?」
「……怒っていない」
「でしょ。だったら怖くない」
それだけ言って、リエナは薬草の代金をグランから受け取り、帰り支度を始めた。
◆ ◆ ◆
リエナが帰ろうとしたとき、俺は無意識に声をかけていた。
「……薬草の知識があるのか」
リエナが振り返った。
「まあ、それなりに」
「治癒魔法と組み合わせると、効果が上がると聞いたことがある。詳しいか?」
リエナがわずかに目を輝かせた。
「詳しいよ。というか、それ、あたしがずっと研究したいと思ってること」
「……そうか」
「治癒魔法って、魔力の質によって薬草との相性が変わるんだよね。でも治癒士はたいてい薬草に興味がないし、薬師は魔法が使えない。だから研究が進まなくて」
リエナが一気に話した。グランが「この子は薬草の話になると止まらん」と小声で言った。
「……俺は治癒魔法が使える。薬草の知識はほぼない」
「あたしは薬草の知識がある。魔法は使えない」
「……組み合わせれば、研究ができるかもしれない」
リエナがじっと俺を見た。
「……あんた、顔は怖いけど、話は早いね」
「……顔はどうにもならない」
「知ってる」リエナが少し笑った。「いいよ。また来る。その時、一緒に考えよう」
「……ありがとう」
リエナが少し驚いた顔をした。
「……なんで敬語?」
「……年下に敬語はおかしいか」
「うん、おかしい。あたしのほうが年下だし」
「……わかった。じゃあ、ありがとう」
「うん。またね」
リエナが治癒所を出ていった。
グランが「珍しい子だろう」と言った。
「……そうですね」
「お前さんの顔を見て逃げなかった人間は、ここに来てから何人いた?」
俺は考えた。
「……子供を除けば、グランさんと、カインと、今日のリエナだけです」
「三人だ」
「……三人だ」
グランが静かに頷いた。
「大事にしろ」
◆ ◆ ◆
リエナはその翌日も来た。
薬草の納品という名目だったが、治癒所の隅に陣取って、俺が患者を診る様子をずっと観察していた。
「さっきの光、少し色が違った。何が違ったの?」
「……患者の体の状態に合わせて、流し方を変えた」
「へえ。それって意識的に?」
「……半分は感覚だ」
「感覚か……」リエナがメモを取り始めた。「じゃあ逆に、薬草で補助する場合を考えると——」
二人で話していると、患者が入ってきた。俺が立ち上がると、患者がリエナを見て「あの子は?」と聞いた。
「……助手です」
リエナが「助手!?」と小声で言った。
「……違うか」
「違わないけど、急すぎる」
「……では、研究員か」
リエナがしばらく考えて「それはちょっといい響き」と言った。
グランが「どっちでもいい、患者を診ろ」と言った。
俺は患者の対応に戻った。
リエナはまたメモを取り始めた。
なんとなく、いつもの朝と少し違う空気になった。
悪くなかった。
◆
夜、物置部屋で今日を振り返った。
リエナのことを考えた。
俺の顔を見て逃げなかった。怖がらなかった。ただ「真剣な顔」と言った。
前の世界で、俺の顔をそう表現した人間はいなかった。怖い、威圧感がある、近寄りたくない——そういう言葉ばかりだった。
「真剣な顔」か。
(……悪くない言い方だ)
俺はそう思った。
治せた患者は今日も十数人。明日もリエナが来るかもしれない。薬草と治癒魔法の組み合わせについて、まだ話し足りない部分がある。
グランが「大事にしろ」と言った。
人を大事にするやり方が、俺にはまだよくわからない。でも、話を続けることはできる。
それでいい。少しずつで、いい。
目を閉じた。
石の床は今日も硬かったが、なんとなく、最近あまり気にならなくなっていた。
逃げない子が来ました。
「真剣な顔」と言われました。
悪くない言い方だと思います。




