第3話 怖い顔の治癒士、斬られる
朝の王都は、早い。
石畳に朝日が差し込み、露店が開き始め、どこかで鶏が鳴いている。俺はいつも通り神殿の裏口を出て、治癒所へ向かう道を歩いていた。
昨日も治せた。今日も治しに行く。
そういう気持ちで歩いていたところ、路地から人が飛び出してきた。
「魔物だあああっ!」
剣が来た。
俺は一歩引いたが、間に合わなかった。肩口をざっくりやられた。
「っ……」
飛び出してきたのは冒険者風の若い男だった。剣を構えたまま、目を血走らせている。おそらく早朝から魔物の依頼でも受けて、緊張したまま帰ってきたのだろう。
「死ね魔物! ファイアボール!」
次は魔法が来た。
火球が俺の胸に直撃した。上着が焦げた。皮膚が熱い。
俺は黙って、右手を自分の肩に当てた。左手を胸に当てた。光が滲み出て、傷が塞がった。熱が引いた。
「……なぜ生きている!? 魔物め、不死身か!」
「……治癒士だ」
「え」
「……通勤中だ」
男はしばらく固まった。俺の焦げた上着を見た。俺の顔を見た。また固まった。
「も、申し訳ありません……! その、顔が……」
「……わかってる」
俺は男の手から血が出ていることに気づいた。剣を強く握りすぎたのだろう。
「……手、出せ」
「え、あ、はい……」
男の手に光を当てた。傷が塞がった。男が呆然と自分の手を見る。
「……行く」
俺は歩き始めた。
背後で男が「す、すみませんでした……!」と叫んでいた。
上着に穴が空いていた。今週二枚目だ。
(……そろそろ針と糸を買おう)
俺はそう結論を出して、治癒所への道を急いだ。
◆ ◆ ◆
治癒所に着くと、老治癒士——グランじいさんと患者たちに呼ばれているが、本人は「じいさんはよせ」と言っている——が入口の前で腕を組んで待っていた。
「遅かったな。……何だその焦げた上着は」
「……道中で魔法を食らいました」
「お前さんが?」
「……冒険者に間違われました」
グランは俺の上着をじっと見て、それから小さく笑った。珍しい顔だった。
「まあ入れ。今日は重い患者が来る予定だ」
午前中、俺は五人の患者を診た。骨折、打撲、熱病の後遺症、目の炎症、慢性的な腰の痛み。一つ一つ丁寧に光を当てていくと、グランがずっと横で観察していた。
昼前、患者が途切れた隙に、グランが口を開いた。
「お前さんの治癒、妙だな」
「……妙、ですか」
「光の質が違う。普通の治癒士の光は白に近い。お前さんのは……なんというか、深みがある。温かみがある」
俺は自分の手のひらを見た。特に変わったものには見えない。
「……Eランクなのに、ですか」
「ランクと質は別の話だ。ランクは量の話だ」グランは椅子を引いて腰を下ろした。「儂が五十年治癒士をやってきて、あの光を出せた人間は三人しか知らん」
「……三人」
「一人は王国一の治癒士と呼ばれた女だ。もう一人は神殿の最高司祭になった男だ。三人目は……まあ、それはいい」
グランは何か言いかけて、止めた。
「お前さん、その光をどこで覚えた?」
「……わかりません。気づいたら出ていました」
グランはしばらく俺を見ていた。目が鋭い。五十年の経験が詰まった目だ。
「……そうか」
それだけ言って、グランは立ち上がった。
「昼飯にしよう。今日は儂が作る」
「……ありがとうございます」
「礼はいい。お前さんが来てから、逃げる患者が半分に減った。……顔には慣れんが、腕は本物だ」
俺は何も言わなかった。
(……半分に減った)
逃げられるのは変わらない。でも、半分に。
悪くない進歩だ、と俺は思った。
◆ ◆ ◆
午後の最初の患者が、厄介だった。
馬車で乗りつけてきた中年の男。身なりのいい服と、俺を見た瞬間の「なんだこの人相の悪い輩は」という顔で、貴族かそれに近い人間だとわかった。
「治癒士はどこだ。儂は膝が痛いのだ、早くしろ」
「……俺です」
男は俺を見て、顔をしかめた。
「……お前が?」
「……はい」
「顔が怖すぎる。治療中は目を閉じていていいか」
「……どうぞ」
男は椅子に座り、目をぎゅっと閉じた。それはいい。ただ、目を閉じた瞬間から喋り続けた。
「痛いぞ、気をつけろよ。下手な治癒士に当たったことがあって、その時は三日寝込んだ。お前もそんなことになったら承知しないからな。というか本当に腕はあるのか? 見た目があれだから不安なのだが。あと光が当たったとき冷たかったりするのか? 儂は冷たいのが苦手で……」
俺は黙って膝に手を当てた。
慢性的な炎症だ。長年の無理が積み重なっている。丁寧に光を流していく。
「……あ」
男が声を上げた。
「痛みが……引いた?」
「……炎症を抑えました。完治ではないですが、しばらくは楽になります」
「……本当か」
男はそろそろと目を開けた。俺の顔を見て、また少しのけぞった。
「……腕だけは、認めてやる」
「……ありがとうございます」
「顔はどうにかならんのか」
「……生まれつきです」
「そうか……」男は立ち上がり、財布から金貨を取り出した。「まあ、儂も人のことは言えんか。若い頃は顔が怖いとよく言われた」
「……そうですか」
「だから出世してやった。顔より地位を先に見せれば、誰も文句を言わん」
男は金貨をグランに渡し、俺をもう一度見た。
「……お前も、何か持てばいい。顔以外の何かを」
そう言い残して、男は馬車で去った。
グランが金貨を持ってきた。「お前さんの取り分だ」
俺は受け取りながら、男の言葉を反芻した。
(……顔以外の何か)
治癒、だろうか。
それなら、もう持っている。
◆ ◆ ◆
夕方、治癒所を出た帰り道、王都の中央広場が騒がしかった。
人だかりができている。歓声が上がっている。俺は少し遠回りしようとして、人の流れに逆らえず、気づいたら広場の端に押し込まれていた。
「勇者パーティーのお帰りだ!」
「カイン様! こちらです!」
広場の中央に、見覚えのある顔があった。
カインだ。
召喚されて数日で、もうすっかり「勇者様」として板についている。鎧を纏い、剣を腰に下げ、周囲の歓声に爽やかに手を振っている。隣には同じく召喚された仲間たちが並んでいた。
俺は群衆の端で、それを眺めた。
羨ましいか、と問われると、正直よくわからない。前の世界でも、俺は目立つ場所には向いていなかった。あの立場に置かれても、俺は同じように人に逃げられるだろう。
(……向き不向きがある)
そう思っていたところで、カインがふと群衆の端に目を向けた。
俺と、目が合った。
カインの顔が一瞬止まった。何か言おうとした口が、動きかけた。
その瞬間、俺の隣にいた女性が俺の顔に気づいて悲鳴を上げた。
「きゃあっ! な、なんでこんなところに怖い人が……!」
連鎖した。
周囲の群衆が一斉に俺を見た。次の瞬間、波が引くように人が散った。半径五メートルが空白になった。
広場の端に、俺だけが取り残された。
カインがその光景を見ていた。何か複雑な顔をしていた。
俺は軽く頭を下げた。カインが小さく頷いた。
それだけだった。
俺は広場を離れた。後ろで歓声が続いていた。
(……元気そうだった)
それはよかった、と俺は思いながら、神殿への道を歩いた。
◆
夜、物置部屋で針と糸を使って上着の穴を繕った。
裁縫は得意ではないが、一人暮らしが長かったので最低限はできる。焦げた部分は切り取って、別の布を当てた。不格好だが、ないよりはましだ。
今日を振り返った。
斬られた。魔法を食らった。上着に穴が空いた。貴族に「顔をどうにかしろ」と言われた。カインと五メートルの距離から無言で頷き合った。
治せた患者は十四人。逃げられたのは三人。昨日より一人減った。
グランが「光の質が違う」と言っていた。
俺はそのことをしばらく考えた。自分の治癒が他と違うかどうか、俺にはわからない。ただ、治せているのは確かだ。それでいい。
針を置いて、上着を眺めた。
不格好な継ぎ当てが三か所になった。
(……まあ、いい)
明日も治癒所に行く。明後日も行く。
カインはいつか、また声をかけてくるかもしれない。その時はちゃんと話せるといい。
俺は上着を畳んで、目を閉じた。
石の床は今日も硬かったが、もう慣れた。
斬られました。魔法も食らいました。
上着の穴が三か所になりました。
でも十四人、治せました。明日も行きます。




