18 聖女
レリル様とエリック先生を目撃した日から数日間は、エリック先生の授業に全く身が入らなかった。
先生が何を言っても、『レリル様に甘い言葉をかけていた人』が話していると思い、聞く気になれないのだ。
もう、そういう先入観でしか彼の言葉は受け取れない。
先生が想像以上に彼女に甘かったのもショックだったけれど、先生の発言から、学園は立場が弱いとされる生徒にとことん便宜を図る方針らしいと知ってしまったことも大きいのかもしれない。
「メーベル。顔。表情に出てるよ」
「え?」
シャーリーはわざとらしくおどけて指摘してくれるけど、おそらく相当にまずいレベルなんだろう。
自分でも分かってはいるものの、うまく取り繕える自信がない。
「私、ちょっと無理かも」
「もう! いつまで気に病むつもり? いい加減忘れたら? 考えたってどうにもならないことでしょう?」
「そうだけど。なんかもう、何もやる気がしないっていうか。私たちって中途半端だよね。平民から見れば爵位が高くて、そしてそこそこ勉強もできて。うーんと高位の貴族か、平民か、どっちかに寄っていた方が学園生活を楽しめたのにね」
「中途半端でもいいじゃない。勉強ができなかったら授業が理解できなくて辛いし、なまじ爵位が高いと期待値も上がって社交を頑張らないといけないでしょ? 私たちくらいがちょうどいいって!」
「うーん」
学園に入学するまでは私もそう思っていた。
でも現状を見れば、そうは言っていられない。
……あ。ほら来た。
レリル様を崇拝している伯爵令息たちだ。
不機嫌な顔をして、明らかに私に向かって近づいて来る。こっちは話なんてないのに。
私に何の用?
今日はレリル様とは一言も言葉を交わしていないし、そもそも視界にすら入れていないのに、何の文句があるの?
「そんな顔で何が言いたいのだ? 何やら言いがかりをつけたいようだが、君は毎日、そんなことばかり考えているのか?」
くぅ。悔しい。
今日のこの顔は、たまたまなの。いつもはちゃんと顔を作っているのに。
それにしても、突然近づいてきて、いきなり難癖をつけられるなんて……ちょっとショック。
一度色眼鏡で見た相手への偏見は消えないものなの?
「貴族たるもの、常に相手に対する敬意を忘れてはいけないのではなくて? メーベルは静かにしていただけですのに、随分とひどい言い草ですわね」
うわぁ。シャーリー、ありがとう。
「……う、いや、その。確かに、今のは言い過ぎた――と思う」
言い過ぎたとは思うのに、ちゃんとは謝らないんだ。
連れの二人は何故か悔しそうなんだけど。
「ちっ」
「フン」
助かったよ、シャーリー。
ほんと、この人たち、女性に向かってよくあんなひどいことを言えるよね。
あそこで私が言い返していたら、嫌味の応酬になるところだった。
放っておいてほしいのに、シャーリーに言い負かされたのが気に入らないのか、一人がなおも食い下がってきた。
「君たちは世事に疎いのだな。レリル嬢の評判を知らないとみえる」
……は? 何のこと?
彼女が策略家だということを私は公表していないんですけど。
「よせ、よせ。レリル嬢の意思を尊重しようと話し合ったばかりじゃないか」
「ああ、そうだな」
「まあ、いずれ明らかになるだろうから、その時でいいんじゃないか?」
令息たちは思わせぶりなことを言い捨てて、プイッと背中を向けて行ってしまった。
もうため息しか出てこない。
「何を言いたいんだか」
シャーリーはピンときたようで、心底嫌そうな顔をしている。
「多分、あれのことだと思う。最近巷で話題の、『緑の瞳の聖女様』の話じゃない?」
「緑の瞳……って、まさかレリル様?」
「そう。最近、フード付きのマントを着た若い女性が、貧民街で施しをしているって噂が流れているんだけど、その聖女様が緑の瞳なんだって。緑の瞳だと聞いて、『きっとレリル様に違いない』って盛り上がっているんじゃない?」
うわぁ。レリル様は孤児院だけでなく、貧民街に出向いてまで評判を高めようとしているの?
でも、もし本当なら、そこは素直に感心するなぁ。
さすがに私に貧民街に足を踏み入れる勇気はないもの。
「ん? 何よメーベル、その顔は? ふむふむ。彼女ならやりそうだと思った? でも、貧民街って治安がよくないでしょう? ちょっとやり過ぎじゃないかな」
「すごい、シャーリー! 私の考えていたことがよく分かったね」
「いくらなんでも顔に出過ぎ。もう少し気をつけないとね」
「そ、そうだね。気を付けるよ」
◇◇◇ ◇◇◇
『緑の瞳の聖女様』の噂は、あっという間に学園内でも囁かれ始めた。
そして、それに呼応するように、レリル様が毎日のように焼き菓子を持参してきて、あからさまに配って回るようになった。
これまではお詫びの印という言い訳と共に配っていたけれど、最近は違う。
「唯一の取り柄なので、より磨きをかけたいと思って」
「皆さんの喜ぶ顔を見たくて、つい作っちゃうんです」
レリル様は人に聞かれると、お菓子を配る理由をそんな風に答えている。
「メーベル様。シャーリー様。今日はマドレーヌをたくさん持って来たんです! よかったら召しあがってください!」
こうして面と向かって差し出されると受け取らざるを得ない。
そして喜んでお礼を伝えなければならない。
はぁ。ただただ面倒臭い。
「どうもありがとう。それだけの数を焼こうと思ったら、相当な手間がかかるでしょう?」
「うふふ。たいしたことありません。もう慣れちゃったので」
「そうなんだ。すごいね」
「えへへ」
レリル様がお菓子を配っている時は、一言二言の会話で済むので楽だ。
休憩時間に全員に渡すため、一人の人間と話し込む時間はないものね。
あちこちで、「ありがとう」「どういたしまして」という会話が聞こえていたのに、突然ピタリと話し声が聞こえなくなった。
……あれ?
すぐに原因が分かった。
これまではさすがのレリル様も遠巻きに視線を送るだけだったのに、今まさに、フレデリック殿下にマドレーヌを手渡していた。
とうとう王族にも臆することなく渡せるまでになったのか……。
彼女の勇気だけでなく、クラスの雰囲気も後押ししたのかもしれない。
それにしても殿下までもが自然とレリル様のお菓子を受け取ったのには驚いた。
「せっかくなのでいただこう。だが、さすがに毒見の済んでいないものは食べられないので、夕食の後にでもいただくとするよ」
わざわざ持ち帰って食べるとまでおっしゃっている……。
殿下の目には、レリル様はどう映っているんだろう?
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