第8食目 弁当屋、王都進出か?!
昼下がりのアジノ屋。
村の広場に面した小さな弁当屋には、今日も香ばしい醤油の匂いと焼き魚の煙が立ち込めていた。
「お父さん! またお客さんだよ!」
甘味が暖簾を押し分け、弾んだ声で厨房へと顔をのぞかせた。
「おう、今行く!」
大鍋をふるう味男の顔は汗まみれだが、その眼差しは真剣そのもの。米を炊く音、揚げ油の弾ける音、包丁の小気味いいリズム。どれもが彼にとっては日常であり、戦場でもある。
そのとき――。
「すーみーまーせーんー!」
表から聞こえた声に、甘味が振り返った。現れたのは、見慣れぬ男だった。品のある衣服に、封蝋で閉じられた立派な書簡を抱えている。
「こちらが……アジノ屋様で?」
「はいっ、そうですけど……」
男は深々と頭を下げ、差し出した書簡を甘味に手渡した。
開いてみれば、それは金糸で縁取られた豪華な招待状。
「……王都から?」
甘味は思わず目を丸くする。
書かれていたのは――王都貴族からの正式な誘い。
「先日の屋台フェスでのご活躍、まことに見事。ぜひ王都にて店舗を構え、その味を広めていただきたい」
厨房から出てきた味男も読み、腕を組んだ。
「王都進出、だと……?」
その夜。
アジノ屋は常連客で大賑わいだったが、厨房裏では父娘が招待状を前に頭を抱えていた。
「すごいよ、お父さん! 王都だよ! いっぱいお客さんが来るよ!」
甘味は胸を弾ませる。だが、味男の顔は冴えない。
「確かにすげぇ話だがな……。俺の弁当は、庶民のための弁当だ。王都の貴族や役人相手に通じるかどうか……」
「でも、みんなもきっと喜んでくれるよ!」
「村の奴らはどう思うか……。毎日食ってくれてる連中を置いて、俺たちだけ王都に行っちまうのはなぁ」
甘味は言葉を失った。
自分も確かに、王都には憧れる。でも、村を離れるのは――胸の奥が少し痛む。
翌日。
村の広場に、見慣れた顔ぶれが現れた。
「よう! 相変わらずいい匂いだな!」
大剣を背負ったラファが豪快に笑う。
「王都での噂、もう広まってるぞ。『庶民の弁当が宮廷料理を超えた』ってな!」
続いて、冷静な表情のガブが腕を組む。
「王都に出れば資金も安定します。冒険者ギルドとの繋がりも深まりますな。経営的には悪くない話ですね。」
「でも……」とサリが小声で続ける。
「村の人たちはきっと寂しがるよ。アジノ屋があるから、ここはいつも賑やかなんだもの」
勇者ミカ=エルも弁当を頬張りながら頷いた。
「王都に行っても人気は出るさ。だが、ここに根を張るのも立派な選択だ。要は、どっちで笑顔を増やしたいか――それだけだろう」
甘味は胸に手を当てた。
父の弁当が誰を笑顔にしてきたのか。自分が看板娘としてどこに立ちたいのか。
その答えを、まだ出せずにいた。
数日後、味男と甘味は王都へと向かうことになった。
「行くだけ行ってみよう。話はそれからだ」
味男の一言で、父娘は荷をまとめ、馬車に揺られて大都市へ。
城壁を越えると、目の前に広がるのは石畳の大通り。煌びやかな店々に、行き交う豪奢な馬車、押し寄せる人の波。
「わぁ……!」
甘味は思わず声を上げる。村とは比べものにならない華やかさ。
一方の味男は、眉をひそめていた。
「すげぇ賑わいだが……なんか落ち着かねぇな」
紹介された出店候補地は、王都でも屈指の繁華街。店の外観も立派で、内装も整えられている。
案内役の貴族は笑みを浮かべた。
「ここならば必ず繁盛いたしましょう。庶民の味とやら、王都でも受けますよ」
だが味男は腕を組み、唸るだけだった。
その夜、王都の宿で。
「お父さん……」
甘味が口を開く。
「さっきの場所、すごかったね。人もいっぱいで……でも……」
「でも?」
「なんだか、お父さんの弁当屋とは、ちょっと違う気がした」
味男は小さく笑った。
「お前もそう思ったか。……よし、一度試してみるか」
彼は旅の荷から食材を取り出し、宿の台所を借りて「王都仕様」の弁当を作り始めた。
米は高級品、肉は霜降り、野菜は鮮やかな色合い。二段重ねの弁当箱に詰められたそれは、見た目も華やかで香りも上品。
「豪華二段弁当! どうだ?」
「わぁ……きれい! すごいよお父さん!」
甘味は箸を伸ばし、一口食べる。たしかに美味しい。けれど――。
「……おいしいけど、なんか違う」
思わず漏れた言葉に、味男も苦笑した。
「ああ。俺もそう思った」
ふたりは黙り込み、宿の窓から王都の夜空を見上げる。
街の灯りはきらびやかで、村の星空とは違う輝きを放っていた。
翌日。
味男と甘味は、王都の繁華街に臨時の屋台を構えることになった。貴族の紹介で特設された区画、王族御用達の料理人たちの店が軒を連ねる中――一軒だけ、場違いなほど素朴な木製の屋台が並んでいた。
「さぁ、いっちょやってみるか!」
味男は声を張り上げ、鉄板に油をひく。香ばしい匂いが立ちこめ、行き交う人々の足を止めた。
「今日の特製は、鶏の照り焼き弁当! 白いご飯にたっぷりのタレが染み込んでるぜ!」
甘味も負けじと声を張る。
「元気つけたい人はぜひどうぞー! 笑顔つけます!」
しかし――最初は客が集まらなかった。
周囲は煌びやかな料理の数々。銀器に盛られたステーキ、宝石のようなデザート。対するアジノ屋は、庶民的な竹皮包みの弁当。
だが、一人の少年が足を止めた。
「ねえ、お姉ちゃん……それ、食べてみてもいい?」
「もちろん!」
甘味が差し出した弁当を少年は夢中でかき込み――目を見開いた。
「おいしい!」
その声に、周囲の人々が振り返る。次々と弁当が売れていき、気づけば行列ができていた。
「ほう……これが“庶民の味”か」
通りの向こうから現れたのは、白銀のシェフコートを纏った長身の男。王都最強の料理人と呼ばれるグランだった。
「貴様は、先日の屋台フェスで私のを破った!。王都に挑む覚悟はあるのか?」
男の鋭い眼光に、味男は胸を張った。
「挑むも何も、俺はただ弁当を作るだけだ。食って笑顔になってくれりゃ、それで十分よ!」
ふたりの間に漂う緊張感に、人々は息をのんだ。だが、勝負は始まらなかった。グランはふっと笑い、背を向けた。
「……庶民の味、弁当。侮れん、いずれまた会おう」
観客の間から拍手が湧き上がった。
その夜、屋台は完売。だが味男と甘味の心は決まっていた。
宿に戻り、父娘は向かい合った。
「なぁ甘味。今日のはどうだった?」
「すっごく楽しかった! みんなが『美味しい!』って笑顔になってくれて……でも」
「でも?」
「やっぱり村の顔が浮かんじゃった。おばあちゃんとか、冒険者さんたちとか……。あの人たちに食べてもらうほうが、もっと嬉しい」
味男は大きく頷いた。
「だよな。俺も同じだ。王都じゃ立派な店も建てられるし、稼ぎもでかい。だが……弁当ってのは、顔の見える相手に渡すもんだ。村で待ってる連中のために、俺は作りてぇ」
甘味の目に涙がにじんだ。
「お父さん……!」
その瞬間、宿の扉が叩かれた。
「アジノ屋!」
現れたのは勇者パーティーの面々だった。
「王都でも大人気だったそうじゃないか!」ラファが笑い、背中を叩く。
「だが顔が浮かないですな。どうしかしましたか?」ガブが首をかしげる。
味男は正直に打ち明けた。王都に誘われたが、村に残る決心をしたことを。
ミカ=エルは静かにうなずいた。
「それが、お前の答えか。……いいじゃないか。人は自分の戦場を選ぶものだ。お前にとっては、村の弁当屋こそ戦場なんだろう」
サリも笑顔で言う。
「だったら、私たちがまたお弁当を食べに行ける場所が、ちゃんと残るってことだね!」
甘味は涙を拭き、にっこり笑った。
「アジノ屋は、やっぱり村にあるべきだよね!」
翌朝、父娘は村へ帰る馬車に乗り込んだ。
王都の喧騒が遠ざかり、窓の外に広がるのは懐かしい草原と森。
「ただいま、アジノ屋!」
甘味が笑顔で叫ぶと、味男も大声で応えた。
「おう! 今日も弁当作るぞ!」
王都の華やかさを見てもなお、彼らの心は揺るがなかった。
弁当ひとつで人を笑顔にする――その場所は、やはり小さな村の広場なのだ。
本日のお品書き 魔力弁当:豪華二段弁当(食べると疲労回復+魔力が少し回復)
ー第9食目に続く。




