第12食目 弁当屋と勇者、運命の味
夜が明けた。
焼け焦げた大地の匂いの中に、かすかに漂うのは――炊きたての白米の香りだった。
戦いの夜が終わり、村は瓦礫のように静まり返っている。
倒れた家屋の隙間からは、まだ細く煙が上がっていた。
その中で、ひときわ力強い音が響く。
――トントンッ。
包丁の音。
炊き場に立つのは、変わらぬ背中。
味野味男。異界の弁当屋であり、この村の“もうひとつの勇者”だった。
「まだ休まないのか……味男さん」 声をかけたのは、勇者ミカ=エルだった。
包帯を巻いた腕を押さえながら、彼女はゆっくりと炊き場へ近づく。
「休めるかよ。腹が減っちゃ、泣く力も出ねぇからな」 味男は笑い、米を握った。
その動作に、かつての彼女――味加としての記憶が重なる。
「……やっぱり、あなたの手つき、懐かしい」
「え?」
「いえ、なんでもないの」
ミカ=エルは微笑みながら、ふと視線を落とした。
戦いの最中に取り戻した記憶――病室の白い光、弁当の香り、そして“彼”の笑顔。
すべてがまだ胸の奥で温かく燃えていた。
「……ねぇ、味男さん。あなたは、どうしてここで弁当を作るの?」 「そりゃ決まってる。誰かの腹が減ってんなら、食わせてやりてぇからだ」 「それだけ?」 「それで充分だろ」
その言葉に、ミカ=エルの胸が締め付けられる。
彼は前世でも、同じことを言っていた。
――病床の自分に、「食って元気出せ」と笑って卵焼きを差し出した、あの時も。
「……ほんと、変わらないのね。あなたって人は」 「変わんねぇさ。俺の仕事は腹を満たすこと。勇者さんの仕事は魔王を倒すこと。お互い、背負うもんがある」 「……でも、今は少し、同じ方向を向いてる気がする」 「そりゃそうだ。俺の弁当は、勇者専用だからな」 味男が茶目っ気たっぷりに笑い、ミカ=エルも吹き出した。
そのやり取りを、甘味が木箱の影からこっそり見ていた。
娘の目には、涙と笑みが同時に浮かんでいる。
「……お母さん、なんだね」
口の中で小さく呟く。
ミカ=エルはそれを聞いたかどうか、優しく甘味の髪を撫でた。
「ありがとう、甘味。あなたがここにいてくれて……本当によかった」
その穏やかな空気を破るように、扉が勢いよく開いた。
「おーい! みんな無事か!?」
戦士ラファが腕を吊りながら現れる。
続いて、ガブが背負っていた薬箱を下ろし、サリがひょいっと顔を出した。
「うわー、まだ煙いね。でもいい匂い! それ、今日の賄い?」
「おう。お前ら、よく無事だったな。飯はある、座れ」 「さすがアジノ屋! 戦いの後は、胃袋の癒しが一番よ!」
サリが嬉しそうに弁当を広げ、ラファが呆れながらも隣に座る。
ガブは静かに祈りを捧げながら、微笑んだ。
「この香りは……まるで聖堂の祝福のようだ。癒されますな」
それぞれが弁当を口に運び、自然と笑みがこぼれる。
昨日までの血の匂いが、少しずつ米の香りに溶けていった。
やがて、食事が落ち着いた頃。
ラファが眉をひそめて言った。
「……だが、不気味だな。バルグを倒したのに、魔王が動かない」
ガブも頷く。
「まるで、次の手を待っているかのようですね」
「うーん、あたし的には静かなのは助かるけど~……逆に怖いかも」
味男がふと、ミカ=エルを見る。
「勇者さん、あんたはどう思う?」
ミカ=エルは弁当の蓋を閉じ、静かに言った。
「うん。弁当の味が、あなたと関わっている気がするの」
味男が目を瞬かせる。
「俺と?」
「あなたの作る料理、弁当……あれはただの食事じゃない。魂をつなぐ力がある。魔王は、それを恐れている」
炊き場に、風が吹き抜けた。
灰の中で、米の香りが一層濃く漂う。
サリがポケットから、焦げた羊皮紙を取り出した。
「ねぇ、これ見て。あの戦いのあと、瓦礫の下で見つけたんだ、たぶんバルグが、持っていたんじゃないかな?」
開かれた古文書には、古代の文字でこう記されていた。
> “異界より来た料理人の手による食は、命を超える。
> その味は魂を結び、死すら越える。
> 故に、封じよ。恐るべきは剣ではなく、温もりなり。”
沈黙。
誰もが言葉を失った。
味男が、苦笑する。
「……ったく、随分な言われようだな。飯作っただけで封印対象かよ」
ミカ=エルは、静かにその肩に手を置いた。
「それだけ、あなたの“味”が、この世界にとって特別なのよ」
「特別なんてもんじゃねぇ。命そのもの、だろ」
ラファの低い声が加わる。
「お前の弁当を食べた瞬間、剣が軽くなった。……死を遠ざける味だった」
「へぇ、詩人ね」サリが笑う。
「詩人じゃねぇよ。事実だ」
ミカ=エルが微笑み、立ち上がった。
「だったら――もう一度旅立とう。この味を、世界に広げるために」
「魔王を倒すためじゃなくて?」とサリ。
「ええ。それもあるけど……私は、もう知ってしまった。
“命をつなぐ味”があるってことを」
味男が頷く。
「……よし、なら俺も行く。弁当屋として、勇者パーティー専属だ」
「お父さん!」甘味が声を上げる。
「甘味は留守番だ。店を守ってくれ。帰ってきたら、また三人で飯を食おう」
「うん……絶対だよ」
陽が昇り始め、瓦礫の間から新しい朝の光が差し込む。
炊き場の湯気が金色に輝き、旅立ちの準備が静かに整っていった。
朝日が昇るころ、村の外れに風が吹いていた。
新しい一日の始まり――だが、その空気には、確かな決意が混ざっていた。
味男は店の戸を静かに閉めた。
木札の「営業中」の札を裏返し、「行商中」に変える。
弁当屋としての旅立ちの合図だった。
「さて……そろそろ行くか」
「本当に来てくれるのね、味男さん」
ミカ=エルが振り向く。
味男はにやりと笑った。
「勇者の旅にも腹ごしらえは必要だろ? 俺がいなきゃ、途中で倒れちまう、それといつでも弁当を作れるように移動式屋台もあるぜ!」
サリが両手を上げて歓声を上げる。
「やったー! これで毎日お弁当つきの冒険だ!」
ラファは腕を組みながら呆れたように笑う。
「戦場で弁当とはな……だが、悪くない」
ガブは祈りの言葉を口にしながら、静かに続けた。
「命をつなぐ味。それが我々の力となるのですね」
甘味が駆け寄り、味男の腰に抱きつく。
「お父さん……絶対に帰ってきてね」
「おう。帰ってきたら、でっけぇおにぎり作ってやる」
「約束だよ!」
味男は娘の頭を撫で、背を向けた。
その背中を、ミカ=エルが静かに見つめている。
前世で失ったはずの夫の姿。
けれど、今はこうして――同じ空の下で、再び並んで歩き出そうとしている。
「味男さん」
「ん?」
「……ありがとう」
その一言に、味男は小さく笑った。
「礼なら、魔王を倒してから言え。そんときゃ、祝いの弁当を出してやる」
ーー
村を出て三日。
一行は北の峠を越えようとしていた。
風は冷たく、山肌には黒い瘴気が滲んでいる。
「空気が重いな……この先、何かある」
ラファの言葉に、サリが頷く。
「うん、魔力の流れが歪んでる。たぶん、魔王に近づいてる」
ミカ=エルは剣の柄を握りしめ、遠くを見つめた。
味男は移動屋台を停め、静かに言った。
「腹が減る前に、少し食っとこう。峠越えはスタミナが要る」
そう言って「スタミナ元気弁当」を作る。
湯気が立ちのぼり、疲労の漂う空気を柔らかく包み込む。
「……やっぱり、あなたの味は特別ね」
ミカ=エルが言う。
「懐かしいの。初めて食べるのに、何度も味わった気がする」
味男は微笑んだ。
「そうか。なら、また作る理由ができたな」
---
その時だった。
空が唸るような音を立て、黒い雷が走る。
山の稜線から、異形の影が立ち上がる。
それは炎を纏ったドレスをまとい、周囲の岩を融かしながら進む。
「……あれは!」
ラファが目を見開く。
ガブが震える声で言った。
「魔王軍四天王イグラです……!」
ミカ=エルが前に出る。
「また四天王……! 前のバルグを倒したはずなのに!」
味男がフライパンを構える。
「来やがったか、次の難敵……!」
イグラの声が、雷鳴とともに響き渡る。
「異界の料理人よ……お前の“味”は魂を狂わせる。死してなお、舌が求める――忌むべき味だ!」
「なんだそりゃ。うまいもん食って怒るなよ!」
味男が叫び、フライパンを構え直した。
風が止む。
次の瞬間、炎が爆ぜた。 勇 者と弁当屋、そして仲間たちの戦いは、この世界の運命を決める戦いへと進んでいく。
本日のお品書き 魔力弁当 スタミナ元気弁当(スタミナ大幅アップ、心が元気になる) ー第13食目に続く。




