第11食目 記憶の味と弁当を繋ぐ奇跡!
夜明け前の空はまだ灰色の靄を纏っていた。
焦げた木の匂いと、湯気の立つ味噌汁の香りが、村の広場をゆっくりと満たしていく。
昨夜の戦いで村のあちこちが焼け、倒れた家も多い。
けれどその中央に――一軒だけ、灯りのついた弁当屋があった。
「……ほら、こっちできたぞ! 具材はまだある、どんどん詰めろ!」
味男の声が、夜明けの冷気を突き抜ける。
彼は眠っていなかった。
一晩中、壊れた釜や炭をかき集め、村人のための炊き出しを続けていた。
背中は灰で黒く、指先は火傷だらけ。それでも、包丁の音だけは絶えず響き続けている。
「お父さん、もう……少しは休んでよ」
甘味が目をこすりながら、具材の入った弁当箱を抱えてくる。
「休んでられっか。腹が減ってちゃ、笑う力も出ねぇだろ」
味男は笑って、娘の頭をぽんと撫でた。
湯気の向こうで、村人たちが列を作る。
傷ついた兵士、泣きじゃくる子ども、倒壊した家の前に立ち尽くす老婆。
その手に、小さな弁当箱が次々と渡されていく。
――戦いの夜が終わっても、彼の戦場は終わらない。
それが、“弁当屋・味男”のやり方だった。
やがて、空が白み始める。
崩れかけた石垣の向こうに、朝日がゆっくりと顔を出す。
その光が、一つの影を照らした。
ミカ=エルが立っていた。
包帯に覆われた身体を引きずりながら、広場を見つめている。
胸の奥が、熱く、締め付けられるように痛んだ。
――あの背中。
――あの声。
どうしてこんなにも懐かしいのだろう。
味男が気づき、彼女に笑いかけた。
「お、勇者さん。起きたのか。もう動けんのか?」
ミカ=エルは少しだけ微笑んだ。
「ええ……あなたの料理、匂いだけで、回復魔法より効きそうなの」
味男は照れくさそうに鼻をこすった。
「そりゃ良かったな。ほら、これ。朝飯代わりに食ってけ」
手渡された弁当箱を開けると、黄金色の卵焼きと、ほんのり甘い白米の香りが漂った。
ミカ=エルは、震える指で一口、口に運ぶ。
――その瞬間、胸の奥で何かが弾けた。
『味男さん……ありがとう』
遠い記憶の中で、病室の窓から差し込む春の光。
白い布団の上で、自分は微笑んでいた。
手の上には、あの日もこの卵焼きが乗っていた。
「……あ、あれ……?」
涙が一粒、こぼれた。
味男は驚いたように彼女を見る。
「どうした、味が濃かったか?」
ミカ=エルは首を振る。
「違うの……懐かしい……この味……どうして、こんなに――」
朝日が二人を包み込む。
味男は小さく笑って言った。
「食って泣けるなら、いい弁当だな」
ミカ=エルは涙を拭いながら、かすかに笑い返した。
――その瞬間、心の奥で、確かに何かが動き出していた。
だが、穏やかな朝は長く続かなかった。
「報告です! 北の森から黒煙が――!」
冒険者の叫びが響いた。
次の瞬間、地鳴りが村を揺らした。
「魔王軍……!? あいつら、もう来たのか!?」
村人が悲鳴を上げる中、味男は包丁を握った手を止めない。
「……まだ腹、空かせて来やがったか」
黒煙の中から現れたのは、魔王軍の刺客たち。
全身を黒い甲冑で覆い、鎖のような闇をまとっている。
彼らの背後に立つ男が、冷たく笑った。
「弁当屋・アジノ。魔王様は貴様の“異界の料理”を脅威と見なした。
この村ごと消し去るよう命じられている」
「……なるほどな」
味男はため息をつき、フライパンを構えた。
「だったら、こっちも腹くくるしかねぇな」
その時、勇者パーティーが駆けつけた。
戦士ラファが剣を抜き、僧侶ガブが祈りの詠唱を始める。
魔導師サリはすでに魔力を高め、空に光球を浮かべていた。
「おっちゃん、こっちは任せて! 派手にいくから!」
「焦るなサリ、まず陣形を整えろ!」
「了解~! でもお弁当食べてからね!」
サリが素早く弁当を頬張ると、魔力の光が一気に増幅した。
「っしゃー! 魔力爆上がり!」
「こいつは……本当に料理なのか?」ラファが呆れる。
「食ってみな、わかるぞ」味男が笑う。
彼の背後で、甘味が大声を上げた。
「お父さん! 看板メニュー、準備できたよ!」
「よしっ、全員! “特製豪華幕の内弁当”だ!」
弁当の蓋を開けると、黄金色の光が弾けた。
米一粒一粒に魔力が宿り、肉や野菜から暖かなオーラが立ち上る。
それはまるで、命そのものを詰め込んだような輝きだった。
「うおおおおっ! 体の底から力が湧く!」
ラファの剣が閃光を放ち、サリの魔法が空を裂く。
ガブの祈りが仲間を包み、ミカ=エルが聖剣を構えた。
「行くわよ! アジノ屋の力、見せてあげる!」
勇者の一撃が、闇の軍勢を一気に切り裂いた。
だが――その時、空が裂けた。
暗雲の中から、巨大な影が降り立つ。
四天王の一人、バルグ。
圧倒的な魔力が地面を割り、村全体が震えた。
「貴様らごときが、我らに歯向かうか……愚かだな」
バルグの声が轟く。
放たれた黒い炎が広場を焼き、村人たちが悲鳴を上げた。
「くっ……甘味、下がれ!」
味男が叫び、フライパンを構える。
ミカ=エルが飛び出し、剣で炎を弾いた――しかし。
爆炎が弾け、彼女の身体が宙に舞う。
血が、朝日に散った。
「ミカ!」
味男の声が、世界を震わせた。
倒れたミカ=エルの胸元に、焦げた弁当箱が落ちた。
味男が彼女のために作った、“思い出弁当”だった。
「……あじ、お……」
震える指が、弁当の蓋に触れる。
中には、あの日と同じ卵焼き、白米、そして梅干しが一つ。
――口に入れた瞬間、光が弾けた。
『味男さん……ごめんね……』
あの日の病室、手を握りしめながら微笑んだ自分。
『あなたと、もう一度、一緒にご飯が食べたかった……』
涙があふれ、頬を伝う。
世界が色を取り戻すように、すべての記憶が戻っていく。
「味男……あなたなのね」
ミカ=エルの瞳が、柔らかく輝いた。
味男は震える手で彼女を抱きしめた。
「やっと……思い出してくれたか」
「遅くなって……ごめん。でも、もう大丈夫。私は――勇者ミカ=エル、そして、あなたの妻・味加」
涙と共に、光が彼女の身体から溢れた。
弁当の力と、愛の記憶がひとつになり、彼女の聖剣が光を帯びる。
「これが……私たちの、弁当の力!」
その一閃が、バルグの黒炎を切り裂いた。
味男と甘味、仲間たちの叫びが重なる。
「今だ――! 一気にいけ!」
ラファの剣、サリの魔法、ガブの祈り、そしてミカ=エルの光が融合し、夜空を貫いた。
轟音と共に、バルグは崩れ落ちた。
空に昇る光の粒が、まるで米のように舞っていた。
静寂。
風の中で、味男はそっと彼女の手を握る。
「おかえり、味加」
ミカ=エルは涙を浮かべ、微笑んだ。
「ただいま……味男さん。あなたの、お弁当……本当に、世界一ね」
その笑顔は、春の日差しのように温かく、
戦場にいたすべての者の心を、優しく包み込んだ。
本日のお品書き 魔力弁当 思い出弁当(現世で味男が入院中に味加に作ってあげた弁当)前世の記憶を取り戻し新たな力が覚醒する。 ー第12食目に続く




