第10食目 魔王軍の刺客、弁当屋急襲!
王都から遠く離れた小さな村に、突如として不穏な影が差した。
夜を裂くような咆哮、黒煙をまとう獣の群れ――魔王軍の刺客である。
「目標はただひとつ。この村に根を張る“異界の食い物屋”を潰せ」
闇に潜む男の声は冷酷であった。魔王軍四天王の一角、〈獣牙〉ゼノス。獣人の血を引く猛将で、全身に走る裂傷と獣毛が異様な気配を漂わせている。
昼下がりの弁当屋「アジノ屋」は、今日も賑わっていた。
香ばしい唐揚げの匂い、炊き立てのご飯の湯気、卵焼きの甘い香りが通りに漂っている。
「親父ー! 特製幕の内、三つ追加な!」
「はいよ! 今、仕上げてやる!」
店主・味男は大きな鍋を振るい、豪快に唐揚げの油を切りながら笑っていた。
その横で娘の甘味が器用に盛り付けを進める。
そして――カウンター席に腰をかけるのは、一人の女戦士。
勇者ミカ=エル。
白銀の鎧を身にまとい、綺麗な金髪を持つ少女である。だが今は鎧を外し、湯気立つ弁当を箸でつつきながら、柔らかい表情を見せていた。
「……やっぱり、ここの卵焼きは、不思議なくらい懐かしい」
「勇者さまのお口に合うなら何よりです!」と甘味が嬉しそうに答える。
そこへ店の戸を乱暴に開ける音が響いた。
「見つけたぞ、異界の食い物屋!」
獣の咆哮と共に、魔王軍の兵たちが雪崩れ込んできた。
先頭に立つのは獣人の巨躯、ゼノス。
「この地に異質な力を振りまく食い物……その源を、我らが主は恐れている。よって今日で終わりだ!」
村人たちは悲鳴を上げて逃げ出す。
味男はフライパンを握りしめ、娘を背に庇った。
「弁当屋に手ぇ出すなら、こっちにも覚悟があるぜ!」
その声に応えるように、ミカ=エルが立ち上がる。
背から聖剣を抜き放ち、ゼノスを正面から睨んだ。
「ここで退くわけにはいかない……!」
すぐさま村の広場は戦場と化した。
ゼノスの爪は鋼を裂き、兵たちの牙は村人を追い立てる。
対するは勇者パーティー――
「ラファ! 前へ!」
「承知!」
戦士ラファが盾を構え、ゼノスの一撃を受け止める。
だが衝撃は凄まじく、大地にひびが走った。
「ガブ! 後衛を頼む!」
「癒しの光よ、我らを守れ!」
僧侶ガブの詠唱と共に、仲間の身体を包む聖光が広がる。
「へへっ、やっと出番ね!」
魔導師サリが炎の魔法を撃ち込むが、ゼノスは牙を剥いて笑うだけだった。
「効かぬ!」
分厚い毛皮と魔力の障壁が炎を弾き飛ばす。
ラファが剣を振るい、ミカ=エルが斬りかかるが、ゼノスの怪力に押し返される。
「くっ……! このままじゃ……!」
勇者たちがじりじりと押し込まれ、広場の石畳に亀裂が走る。
その時、弁当屋の暖簾をくぐって味男が現れた。
手には大きな重箱――アジノ屋特製「豪華幕の内弁当」。
「お前ら! 腹が減っちゃ力も出ねぇだろ! 食って戦え!」
場違いなほど明るい声で、戦場に弁当を差し出す。
「い、今この状況で食うのかよ!?」ラファが呆れる。
「……けど、いい匂い……」サリはすでに手を伸ばしていた。
ミカ=エルも一口頬張った瞬間――
身体の奥から熱が湧き上がる感覚に目を見開く。
「これは……力が溢れてくる!?」
「まさか……食っただけで回復が!?」ラファが驚愕し、
「まるで聖なる加護だ……!」ガブは感嘆の声を漏らす。
唐揚げを頬張ったサリは、両目を輝かせ叫んだ。
「魔力の循環がめちゃくちゃスムーズ! これ、魔法威力二倍はいくって!」
勇者パーティーの力が一気に跳ね上がった。
味男は笑みを浮かべる。
「これがアジノ屋の幕の内バフだ。さあ、行け!」
聖剣を構え直したミカ=エルの瞳が、強く輝いた。
幕の内弁当の力を得た勇者たちは、まるで別人のように動き出した。
「行くぞ、ゼノス!」
聖剣を握るミカ=エルの斬撃が、光の軌跡を描いて迫る。
ラファはその後ろから大剣を振り下ろし、二重の斬撃で獣人を追い詰めた。
「ふんっ、小癪な!」
ゼノスは爪で弾き返すが、先ほどまでの余裕はない。
「ガブ!」
「はい――力よ、彼らの刃を強めよ!」
僧侶ガブの祈りが剣に宿り、白い光が刃を包む。
サリも両手を振りかざし、雷の魔法を叩き込んだ。
「さぁ、ビリビリいっちゃえ!」
紫電が広場を走り、ゼノスの巨体を焦がす。
「ぐぬっ……この程度、ぬるい!」
ゼノスは苦悶の声を上げながらも笑っていた。
「だが面白い。たかが人間どもが、ここまで抗うとはな!」
その獰猛な笑みと共に、ゼノスの身体から黒い瘴気が吹き上がりゼノスの幻影が写し出される。
毛並みが逆立ち、筋肉が膨張し、姿がさらに獣じみていく。
「本気を見せてやろう! 喰らえ、獣牙乱舞!」
嵐のような連撃がラファの盾を叩き、石畳を砕いた。
ラファは必死に踏ん張るが、腕が痺れ、盾がきしむ。
「くっ……これ以上は、持たん!」
「ラファ!」
ミカ=エルが間に割って入り、聖剣で爪を受け止める。
火花が散り、耳を裂く轟音が村に響いた。
戦いは熾烈を極め、双方の力が激しくぶつかり合う。
しかし――弁当の力で上昇した能力も、激しい戦いの中では、永遠ではなかった。
「……はぁ、はぁ……おかしい……身体が重い……?」
サリの魔法は次第に威力を落とし、ラファの動きも鈍る。
どうやら効果時間は限られているらしい。
「くそっ、もう少しなのに……!」
ゼノスはそれを見抜き、獰猛な笑みを浮かべた。
「力が尽きてきたな? 結局はまやかしよ!」
怒涛の連撃がミカ=エルへと殺到する。
聖剣で防ぐも、力の差は歴然だった。
「――あっ!」
爪が鎧を裂き、鮮血が飛び散った。
ミカ=エルの身体が弾かれ、地面に叩きつけられる。
「勇者殿!」
「勇者様!?」
仲間たちの叫びが広場に響いた。
立ち上がろうとするも、傷は深く、視界が揺らぐ。
血の匂いと痛みが混じり合い、意識が遠のきかける。
「……く……まだ、倒れるわけには……」
その時だった。
鼻先をかすめた香りが、ふと記憶を揺さぶった。
――卵焼きの甘い匂い。
――唐揚げの香ばしさ。
――あの人の作った弁当の味。
「……味男……?」
意識の底に沈んでいた声が、ふいに呼び覚まされる。
遠い日の食卓、笑顔で弁当を差し出す夫の姿。
忘れていたはずの前世の光景が、鮮烈に胸を突き抜けた。
「いや……私は……味加?……」
ミカ=エルの頬を、一筋の涙が伝う。
戦場の喧噪の中、誰にも聞こえぬほどの小さな声で、彼女はそう呟いた。
ゼノスの爪が再び迫る。
だが、その瞬間――
「やめろぉぉぉぉッ!!」
味男の叫びが広場を揺らした。
フライパンを逆手に構え、弁当屋の店主は勇者を庇うように飛び出していた。
「お前なんかに……妻を、家族を、奪わせてたまるかッ!」
味男の叫びが夜空に響き渡る。
彼は震える手でフライパンを握りしめ、ゼノスに立ちはだかった。
獣人の瞳が赤く光る。
「愚かだな……貴様のような凡俗に、何ができる」
「できるさ! 俺には弁当があるッ!」
味男は腕に抱えたの箱を開き、香り高い湯気を解き放った。
そこには彼の渾身が詰まった「特製豪華幕の内弁当」が収まっていた。
焼き魚、煮物、唐揚げ、卵焼き、梅干しのおにぎり――彩り豊かな料理がぎっしりと詰められている。
「みんな! これを食え!」
味男が声を張り上げ、仲間に次々と手渡す。
ラファは無言で唐揚げを頬張り、筋肉がうなりを上げるように盛り上がった。
「……すさまじい、体が再び燃えてきた!」
サリは焼き魚をかじり、目を輝かせた。
「きゃー! これ、ヤバッ! 魔力の循環がブーストしてる!」
ガブは煮物を口に運び、穏やかな笑みを浮かべた。
「まるで聖餐……心が澄み渡り、癒しの力が満ちる」
ミカ=エルは震える手でおにぎりを受け取り、口にした。
柔らかな米の甘みと梅の酸味。
そして――あの日、夫が握ってくれた懐かしい味が胸に蘇る。
「……ああ……やっぱり……あなたは……」
体が淡く輝き傷口がみるみる回復していく、心の奥底から涙が溢れ、視界が滲む。けれど今は、戦いを終わらせねばならない。
力を取り戻した勇者パーティーと味男は、再びゼノスへと立ち向かった。
「ラファ! 行くぞ!」
「応!」
勇者と戦士の斬撃が交錯し、ゼノスの分身を切り裂く。
サリが雷の奔流を放ち、幻影を焼き払い、ガブの聖光が仲間を護る。
「チッ……厄介な……!」
ゼノスは苛立ち、全身を覆う瘴気を爆発させる。
だが、その闇を切り裂いたのは味男の声だった。
「食って元気出せ! こっちはまだまだ弁当あるぞぉ!」
広場に漂う香りが、戦場に不思議な活力を与えていく。
村人たちまでもがその匂いに勇気をもらい、声を張り上げた。
「負けるな! アジノ屋だって戦ってるんだ!」
「勇者様たち、頑張れ!」
人々の声援が勇者たちの背を押す。
「これで終わりだ、ゼノス!」
ミカ=エルの聖剣が輝き、仲間たちの力が重なった。
ラファの大剣が振り下ろされ、サリの炎が迸り、ガブの光が包み込む。
そして――味男と甘味が弁当を掲げた。
「これが、必勝弁当だぁぁッ!!」
その瞬間、仲間の力がひとつに束ねられ、ゼノスを飲み込む。
轟音と共に爆発が起こり、闇が吹き飛んだ。
「……バカな……人間の食い物ごときに……!」
ゼノスの絶叫が夜空に消え、巨体は塵と化して散っていった。
戦いは終わった。
広場には疲れ切った冒険者たちと、歓声を上げる村人たちがいた。
「やった……! 本当に倒したのか……!」
「弁当屋のおかげだ!」
「アジノ屋ばんざい!」
人々は口々に叫び、味男たちを讃えた。
ラファは唐揚げの入った空の弁当箱を見つめ、真剣な表情で呟いた。
「……弁当の力、侮っていた。これは剣と同じ、いや、それ以上の武器だ」
サリはぴょんと跳ねて笑う。
「ねぇねぇ次は? 私、唐揚げ山盛り食べたいんだけど!」
ガブは静かに手を合わせた。
「これは神の恵み……いや、味男殿。あなたこそ、この世界の癒しをもたらす存在ですな」
そして――ミカ=エルは。
彼女は広場の片隅で、傷を負った身体を抱えながら空を見上げていた。
胸の奥に確かに刻まれた、忘れていたはずの味。
前世の名、味加としての自分。
「……私は……誰なの……? 勇者ミカ=エル……それとも……」
揺れる記憶に戸惑い、頬を伝う涙を拭った。
味男はその横顔を見つめ、拳を握りしめる。
「やっぱり……お前なんじゃないのか……」
けれど今は、ただ確信めいた思いを胸にしまい込むだけだった。
こうして、魔王軍四天王ゼノスとの死闘は終わりを告げた。
だが、彼らの旅も、家族の物語も、まだ続いていく――。
本日のお品書き 魔力弁当 特製豪華幕の内弁当(食べると体力、魔力、回復力、大上昇)
ー第11食目に続く。
 




